千三十六 『無題』
「……で? 指示役だったと言うウー・ドンの身柄は結局どうなったのかね?」
ワイズマンシティの政治を一手に担う政庁の最上階、市長室に最も近い会議室でハガー市長が報告に戻った部下に問いかける。
「残念ながら当人は馬車を使い既に南の国境を超え、イアコフ方面へと逃亡した後でした。ギウ・ドンは追いかける意向を示しましたが、国境を超えて団体での捜索となると向こうに話を通さずに行う事は出来ないと判断し帰還する様に誘導しました」
市長の手の者だと言うニンジャが言った通り、幾ら犯罪組織内部でのケジメ云々の話だったとしても、国境を跨いでソレを遂行するならば向こう側に事前に話を通して居なければ、此方からの侵略戦争を仕掛けたと勘違いされる可能性が有る為正しい選択だろう。
「家の孫娘を無事に助けてくれた事には感謝する……が、ウー・ドンと言う男が本当に全ての黒幕だと言うのかね? 私は彼にも会った事は有るがギャングにして置くには勿体ない位に理知的な男だったがね」
ハガー市長がミェン一家の支援を受けている様に、私自身もドン一家からは少なくない援助を受けており、その構成員の中でも主だった面々とは顔を合わせた事は数えるのも馬鹿らしい程に有る。
そんな中でもウーと言う男は首領のギウと並んで頭の切れる奴で、私が市長に成った暁には彼を何とか市民に引き上げて、外交関係の仕事に着いて貰いたいと思った程だ。
片手片脚を懲役で軍務に着いた際に失って居り、再度軍役や労役を熟す事が難しい為、今の法律のままでは彼を市民に引き上げる事は不可能だ。
私が地元出身者に対してそうした市民になる為の要件を引き下げる事を公約として居るのは、彼の様に身体に不具を抱える事で市民になる事が出来ないと言う現実を何とかしたいからでも有る。
「……恐らくはウーは他所の者に雇われたのでしょう。彼は幻肢痛緩和の為に幾つかの麻薬を常用していたそうで、ソレの出本から揺さぶられたのかと思われます」
野菜も碌に育てる事の出来ないワイズマンシティでは、阿片や大麻なんかの植物由来の麻薬は全て外国からの輸入品と言う事に成り、裏社会の住人達の間では箆棒な価格で取引されていると言う。
けれどもドン一家の様な老舗と呼べる程の犯罪組織では麻薬の類は、使うのも取引する事も禁止しているのが普通らしい。
以前、犯罪組織だと言うのに何故そうした稼ぎに手を染めないのかをギウに直接聞いた事が有るが、彼曰く
『犯罪組織と言うのは平穏な日常に生きる人達を卑劣な犯罪から守り、その見返りとして少しだけ糧を分けて貰うのが本分。故に平穏な生活を奪う麻薬を扱う等言語道断!』
と言う、犯罪組織とは何なのだろうか? と疑問に思わざるを得ない回答が返って来た。
故にドン一家は縄張り内に有る店舗から護衛料の様な物を徴収する以外は、全うに飲食店を経営して部下達の面倒を見ていたと言う。
無論、彼等とて完全に綺麗な組織と言う訳では無く、他の犯罪組織と縄張りを巡って抗争したり、私の様な比較的近い位置に居る政治家や富豪なんかから非合法な依頼を受けてソレを実行したりする事でも金銭の授受は発生して居た。
……実際、私も政治家として活動する中で彼等を『使った』事は一度や二度の話では無い。
政治家と犯罪組織の癒着は決して褒められた話では無いが、他所の組織が入り込んで好き勝手するよりは、地元に少しでも愛着を持っている者達を優遇する方が国益にも繋がる筈なのだ。
「成る程ね。じゃぁその麻薬の出処と言うのは何処なのかしら? 私の記憶が確かならイアコフではその手の麻薬は手に入らなかった筈よね?」
そうニンジャに問い掛けたのは、今回の会合に精霊魔法学会からオブザーバーとして参加して居る赤の魔女だ。
政治の場には顔も口も出す事を自ら禁じて居ると言う彼女が態々出張って来たのは、私の孫娘が彼女の直弟子の一人と懇意で、今日もその者と会う予定だった所を拐われた……かららしい。
一応は孫娘も学会に通う生徒の一人では有るが、学会の中では飽く迄も一生徒で有り、私という議員の孫だからと言って特別な扱いがされる訳では無い。
もしも今回の一件で彼女の直弟子が何らかの形で関わって居なかったのであれば、学会でも最強格の色の名を持つ大魔法使いが態々出張って来る事は無かっただろう。
彼女達『色の魔法使い』は単独で国を相手に戦えると言う『切り札』で有り、ソレを使うと決めた時点で戦争なんて生温い話を通り越して虐殺が起こる、しかもソレは必ずしも敵国に対してだけとは限らずこの国が滅ぶ可能性も秘めている『触ってはいけない』存在だ。
「は、恐らくは今回もまたニューマカロニアが黒幕かと……」
赤の魔女の問い掛けに恐れる素振りも無く答えるニンジャ。
まぁ……学会を政争の場に引っ張り出そうとする馬鹿は確かに彼処しか無いだろう。
このワイズマンシティの東に広がる荒野の更に東、ユデルナ砂漠の凡そ真ん中辺りにオアシスが有り、其処を中心に発展した都市国家が『ニューマカロニア公国』だ。
その名から推察される通り南方大陸帝国に所属する『神聖マカロニア王国』の分家筋にあたる公爵家が統治する専制君主制の都市国家で、彼処の君主は東側から此のワイズマンシティを目指す際の中継地点として様々な観光業で財を成している。
特に大きな利益を上げているのが賭博場や劇場の様なショービジネスで、当初はワイズマンシティを目指す者が立ち寄るだけの場所だったのを、其れ等目当てに旅をする者が出る程に隆盛させたのは見事といえるだろう。
しかし此の街が社会基盤の大部分を精霊魔法に頼っているのと同様に、ニューマカロニアも肥え太った人口をオアシスの水だけで生活させる事は難しく、結局は精霊魔法に頼らざるを得ない状況に成っているのだ。
「って事は、また暫くしたら『学生が拐われる様な危険な都市国家よりも安全な我が国に学会を移転しませんか?』とか、どの面下げてってな文言の手紙が学長に届くって事かしらね」
ニューマカロニアからすれば社会基盤の大半をワイズマンシティに握られている様な気分になるのは理解出来るが、だからと言って自作自演で事件を起こして誘致しようと言うのは頂けない。
ましてやソレに可愛い孫が巻き込まれたと成れば『戦争已む無し』と私が思うのは当然の事だろう。
「……全く面倒な奴等だ。毎度の事ながらウーと言う男はもう生きては居ないだろう。マカロニアの連中は本国と自国の貴族以外は本気でどうでも良いと考えているからな。全くこう言う時だけは南方と火竜列島が羨ましいな」
赤の魔女の言葉に溜め息を一つ吐いてからそんな言葉を口にする市長。
こんな状況で南方や火竜列島を羨むと言うのは、神々から国土の統治を委託された存在である『帝』が居ると言う事を言っているのだろう。
帝の居ない大陸では人々が争ったとしても、ソレを神々が直接どうこうする事は極めて稀で、天網と呼ばれる神々が定めた法に明確に反した行為が繰り返された時だけ、直接『天罰』が下る事が有る。
対して帝が居る土地では王や貴族の様な為政者が、帝の意に反する行いをした時には、割と簡単に神々が動く事が有るのだそうだ。
とは言え、実際に神々が動く様な大規模な騒乱の類は私が知る限り何百年と起きて居らず、神々は世界の正常な運行の為に日夜仕事をして下さっていると言う状況である。
「我がワイズマンシティは民主主義を掲げ、その主権は市民に依って議会と市長に信任されているのだ。私の孫だから……と言うだけで無く、未だ幼き市民の子に手を出された以上何の報復も無しと言う訳には行かぬだろう!」
半ば諦めた様子の市長に対し私は恫喝する様に眼の前の机を叩きながら怒声を張り上げる。
「マクフライ市議……貴方の怒りは尤もだが、マカロニアが介入したと言う証拠が無ければどうしようも無いだろう。状況証拠だけで軍を動かし戦争の引き金を引く訳には行かない」
奥歯と奥歯が擦れる嫌な音を響かせながらも穏やかな声でそう言った市長の表情は、怒りと恥辱に満ち溢れて居り、彼自身が必ずしも納得した上での発言では無かった事が一目で分かった。
「そうね……証拠も無い戦争に学会は賛同しないわ。ただ私はもう少ししたら、一寸ニューマカロニアに行く用事が有るから、ついでに少しだけ調べてくるわ。そして今回の一件が間違い無く連中の手引なら相応の報いを与えて来なきゃね」
続けて口を開いた赤の魔女だが、此方は表情も声色も極めて穏やかその物だったが……恐らくはソレを聞いた者の中で恐怖を感じなかった者は居なかった筈だ。
……私は久し振りに小便を漏らしそうになる程の恐怖に思わず身を震わせたのだった。




