百一 志七郎、兄と戌と狩りをする事
張り詰めた弓から放たれた矢は、軽やかな風を切りる音と共に飛んで行く。
狙いを誤る事無くその矢は天高くを舞う極彩色の羽を持つ鳥を撃ちぬいた。
「よし四煌、取って来い」
墜落した獲物を指さし小声でそう命じると、四煌は一声も上げずに素早くかけ出していく。
「やはり猟犬は良いのぅ。麻呂も一頭位は欲しいものでおじゃる」
極楽鳥と呼ばれる妖怪を一撃で撃ち落とした信三郎兄上は次の矢を番えながらそう呟いた。
「兄上の稼ぎなら、犬の一匹や二匹買えるんじゃないですか? 幾ら優れた猟犬は高いと言っても十両もしないでしょう?」
「そりゃ買うだけならば幾らでも買えるでおじゃるが、麻呂はもう数年すればお婿に行く身でおじゃ。先方での生活が解らぬ状況では飼えぬよ、猟犬ならば定期的に狩りへ連れ出せねば可哀想でおじゃる」
今日は俺と信三郎兄上、そして四煌戌の二人と一匹で鬼切り……と言うか狩りに来ている。
今回の狩場は戦場と呼ばれる場所でも特に危険度が少ない場所、先程兄上が撃ち落とした『極楽鳥』と言う派手な鳥の他にはほぼ普通の動物しか出ないような森で、その名も『獲物の森』である。
入場料を払わねば入る事が出来ず、鬼切り者が来る場所と言うよりは狩りを趣味にしている者が遊びに来る所と言う様な扱いだ。
では何故こんな所にわざわざ銭を払ってやって来たのか、それは四煌戌に猟犬としての訓練をさせる為である。
『霊獣様』と座敷犬の様な生活をさせるのではなく、少しでも強く逞しく育てる為には鬼切りへと連れて行く必要が有るのは以前から言われていた事だが、だからと言って行き成り危険な戦場へと連れ出す訳にはいかない。
故に多少のミスが有っても大きな危険にはなり辛いここへとやって来た。
とは言っても既にここに来るのも三回目、四煌戌達も大分猟犬役に慣れてきた様に思うのは身内贔屓が過ぎるだろうか?
宝物庫の掃除をした翌日、お花さんは俺がこれ以上精霊魔法を学ぶ為には四煌戌の成長を待たねば成らないと判断を下した、この子達に宿る精霊の力が弱い内に無理をさせるのは得策ではないとの理由である。
また幕府が打ち出した『精霊魔法使い育成計画』にもお花さんが協力する事になったらしく、常時俺に付きっ切りとも行かなく成った。
それ故に俺のスケジュールがまるまる開くように成ったのだ。
しかし智香子姉上に大量の依頼が舞い込んだとの事で暫くはそちらに掛かりっきりになるらしく、以前の様に三人で『化石の森』で稼ぐ事も出来なかった。
そんな状況で途方に暮れていた所、仁一郎兄上にこの場所へと連れて来てもらったのである。
『狩場では無駄に声を上げさせない』とか『獲物を追い込む時には大きく回りこんでから吠える』と言った狩場での作法を躾けたのは俺では無く仁一郎兄上の飼う古参の猟犬だ。
初めてここに来た際、仁一郎兄上の育てた猟犬と共に狩りをしたのだが、犬族には犬族のコミュニケーション手段が有る様で、興奮して吠えたり走り回ったりしていたのが、兄上の猟犬に物理的な指導を繰り返されている内に、猟犬としての振る舞いを覚えたらしい。
普通の犬ならばリーダー犬の下で、長い事狩猟を続けて初めて一人前の猟犬と成るらしいが、流石は霊獣と言った所なのだろう、たった二回の随行でここまで出来る様になったのだ。
「よし、よくやったぞ」
「「「おん!」」」
いつの間にやら獲物を回収し足元で尻尾を振る四煌戌達の頭をわしわし撫で褒めてやると、嬉しそうに綺麗に揃った声で一声鳴いた。
「鹿でおじゃる。四煌に追い込みをお願いするのじゃ」
「はい、四煌行け……」
兄上が見つけた鹿を指で指し示し、気付かれぬ様に小声で指示を出すと、手慣れたとは言い難い物の、四煌戌は風下に大きく回りこむ様に走りだした。
「極楽鳥七匹に鹿二頭、大猪が一頭……、流石は武勇に優れし猪山の子供と言った所か? しかしその背負子は本当に凄いねー」
夕暮れには少し早い時分だが、獲物の量が信三郎兄上の持つ『重さを無にする背負子』に積みきれない程に成ったので切り上げたのである。
流石に幾ら重さが無くなると言ってもその積載量には物理的な限界が有るのだ。
それに幾ら元服前とは言えども、子供がコレを背負って歩いている姿は、軽くホラーである。
まだ日が高いこの時間帯ならばまだしも、日が落ち暗くなってからこんな姿を晒せば、下手をしなくても妖怪と誤解されても文句は言えまい。
森の管理を任されている者とは毎回顔を合わせるので、流石に慣れてきた様だが何も知らない町人はそうも行かないだろう、大猪だけでも普通ならば大八車と人足を雇って運んでもらうサイズの獲物なのだから。
「これが無ければ麻呂達だけで狩りに来ても足が出るでおじゃる。ここでの戦果に討伐報酬は出ぬからの」
「収入だけならば、やはり妖怪や鬼を相手にした方が高いですからね。もう少しこの子達が狩りに慣れたら違う戦場へ河岸を変えますよ」
わざわざ俺達がそんな事を言うのは、目の前の番人に対してではなく、大物を仕留めた武士に雇われる為にこの場に屯している雲助達に対してだ。
その大半は駄賃を貰って真っ当に荷運びをするが、中には質の悪い輩も居り、獲物を持ち逃げする程度ならばまだマシで、雇い主の身ぐるみ剥ごうと人気の無い所まで移動した時点で襲い掛かる様な連中も居るらしい。
武士を相手にそんな真似をするのは当然ながら命懸けで、返り討ちに有っても何の文句も言えない、その話を聞いた時にはリスクが大きすぎると思った。
だがこの場所を利用する者の大半は満足に鬼切りにも出た事の無い様な箱入り息子ばかりで、一寸腕の立つならず者にとっては狙い目なのだそうだ。
となれば奉行所による取り締まりも有るのかと思えば『武士が物取り如きに遅れを取る等有るまじき事』であり、それを騒ぎ立てれば下手をしなくても処罰されるのは武士の方である、それ故完全スルーなのが現状だ。
小僧二人に犬一匹? では襲って下さいと言わんばかりの取り合わせなので、俺達が彼等を利用する事は無い。
「猪山の鬼斬童子の名前は伊達じゃないって事か……、あの連中も鬼斬りに精を出せばもっと稼げるだろうに……」
「鬼斬りは命懸けの事ですから、武を尊ぶ武士ならばある程度は嗜みとして必須でしょうけれど、町人達にまでそれを強いる必要は無いと思いますよ?」
町人と言えどもある程度腕の立つ者は、鬼斬り者として戦場で大金を稼ぐ事が出来る、それをせずこんな場所に屯って居るのは、腕に覚えが無いか、度胸が無いか、ただの怠け者だろう。
そしてその程度の者に食い物にされる程度では『武士』としての特権を享受するに値しないと言うのがこの世界、この火元国では当たり前の事なのだ。
当然ながら彼等に襲われる様な事が有っても返り討ちにする自信は有る、だが兄上が持てる範疇ならばわざわざ彼等を利用する理由が無い。
「今日も遠駆要石で帰るのかい? それだけの獲物が有っても直ぐに帰れるんだから、本当に羨ましいね」
「あれは身に付けられる範疇の物しか一緒に飛べぬでおじゃるからな。だからこそ下々にも仕事を与えられるのじゃが、まぁそう言うのは裕福な者に任せるでおじゃる」
「そうですね、何と言っても我が猪山は一万石少々の小大名ですから」
「「「ぅわぉん!」」」
そう、俺達はわざわざ時間を掛けて歩いて帰らなくとも、一瞬で江戸市中まで戻れるのだから。




