千二十六 志七郎、騒動を持ち込まれ政治的配慮を考える事
「見世の迷惑に成る、先ずは支払いを済ませて外に出よう。それから詳しく話を聞く。済みませんお騒がせして……お勘定お願いします」
同年代の子供とは比べるのが馬鹿らしく成る位には、動じない性質の義弟が声を荒らげてまで俺に助けを求めて来たのだ、当然相応の騒動に巻き込まれている事は想像に難く無い。
けれどもだからと言って、見世の雰囲気を台無しにする様な無作法を押し通すのは悪手だろう。
そう判断した俺は一度武光への対応を打ち切り、パイ嬢に向かって改めて声を掛けた。
「赤老師の弟子ならツケて置くから後から払ってくれれば無問題ネ。ソレよりその子の話を聞いてあげるよろし。急がないと不味い事に成る予感がビンビン来てるネ」
我が猪山藩猪河家の家訓では、こうしたツケや架け払いも借財の一種として禁じられている。
「いや、兄者の言う通りだ。先ずは支払いを済ませて話はそれからでも遅くは無い。お気遣い忝ない、そして見世を騒がせて申し訳御座らぬ」
その事をよく知る武光は一旦猛った頭を冷ます様に軽く首を振り、改めてパイ嬢に頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
「ならせめて話は見世の中ですると良いネ、喉乾いた顔してるヨ、お茶位は出すからしっかり話するアル」
パイ嬢はそう言ってから俺の差し出した金貨袋を受け取ると、中の枚数を確認してから改めて着席を促し、武光の分の茶杯を卓に置いた。
茶自体は俺達の食事中に出されたポットに未だ残っているのでソレを注げば良いと言う事だろう。
「……で、武光、一体何が有ったんだ?」
武光のと自分の茶杯に冷たい茉莉花茶を注ぎ、ソレに一度口を付けてからそう問いかける。
「此れを見てくれ」
そう言って差し出されたのは、短剣か何かで指された様な穴が空いた一枚の紙片だった。
其処には『孫娘は預かった、無事に返して欲しければ、市長選挙を辞退しろ。三日だけ待つ』と、誰に向けた物かハッキリとは解らないが、其れでも尋常では無い自体が起こって居る事だけは間違いないと察する事が出来る内容が明確に書かれて居た。
「市長選に絡む誘拐? 武光、お前此れを何処で手に入れた?」
見世に居る他の客に気取られない様に、声を潜めて武光に問う。
「今日は余とお蕾とお忠、そして先日精霊溜まりへと一緒に行ったサリーと言う娘と一緒に、契約した精霊が初めて魔法を使う事が出来た祝をしようと言う事で待ち合わせて居ったのだ」
そんな言葉から始まった武光の言を要約すると、精霊溜まりへ向かった日にマクフライ牧場の娘であるサリーと言う少女と再会した彼は、一緒に契約した精霊が魔法を使う事が出来る程度に成長した事を報告しあい、ソレを祝う為に集まる約束をしていたのだそうだ。
そして彼女との待ち合わせ場所へと向かって見れば、低木に此の紙を短剣で貼り付けて有ったと言う事らしい。
つまりコレは市長選挙に立候補して居るドナルド・マクフライ氏に対する脅迫文と言う事に成るのだろう。
「お忠は現場に残ってコレが有った場所から足跡なんかの痕跡が無いかを調べて居る。お蕾はお花先生の所に知らせに戻って貰った。事が外つ国の政に関わる案件故、何処まで勝手にやって良い物やら解らなかったのだ……」
武光の性格ならば目の前に不幸に成りそうな者が居るであろうこの状況を、我武者羅に突っ走って自力で解決したいと考えるだろうし、火元国ならば上様の代理人の証である印籠を持っている事でソレを押し通す事も出来る。
しかし此処は幕府の権威の届かぬ異国の地、その政治に関わるだろう事件に首を突っ込めば『内政干渉』とかそうした類の問題に成らないか……と不安になったのだろう。
軽く天井を仰ぎ見て面倒な事に巻き込まれたモンだと一瞬だけ現実逃避をするが、直ぐにどうするのが一番良いかを考える為に頭を回す。
手っ取り早いのは今この見世に居る現職市長に相談する事だが、対抗候補であるマクフライ氏が市長選挙から降りると言う条件を突き付けてきている事から、彼が黒幕と言う可能性も微粒子程度で在り得るだろう。
とは言え先程一寸だけ話を聞いた感じからすると、彼は何方かと言えばこうした悪辣な策謀を用いる事を嫌う清廉潔白な方で、むしろ彼を支持する者の中に『良かれと思って』暴走して居る輩が居ると言う話な気もする。
だが清廉潔白な政治家なんてのはソレだけが取り柄でしか無く、清濁合わせ呑めない様な者は政治の場では無能でしか無い。
そう考えると少なくとも現職の市長は無能とは程遠い人物だからこそ、続けて市長の座を射止めて来たと言うのは事実な筈だ。
果たしてこの一件を市長に御注進するべきか否か……うん、此処は話して置くべきだろう。
少なくともお花さんや此処の店主兼料理長と言った俺の目から見ても凄腕と呼ぶしか無い者達が、現市長の再選を望んで居るのだからこうした汚い手を自ら使う人物では無い筈だ。
「武光、運が良かったな。丁度今この見世には現職の市長閣下が来ている。この一件について話しを通し『冒険者として』俺達が関わる許可を貰おう」
火元国から来た一留学生と言う立場で関わるから内政干渉とか面倒臭い事を考えなければ成らない訳で有る。
しかし正式に市長と言う重責を担う方から依頼を受けると言う形であれば、俺達は只の冒険者として仕事を全うしただけと言い張っても何処からも文句は出ない。
冒険者と言うのは魔物や賊を討伐するだけが仕事では無く、組合に持ち込まれる様々な依頼を熟すのも仕事の内なのだ。
「市長……此の街の国主の様な立場の者であったか? しかし市長と言うのは選挙とやらで立場を奪い合うのであろう? ならば敵対勢力の者に不利益を与えられる状況は寧ろ好都合と言う事に成るのではないか?」
嫡男では無かった上様が将軍の座に就く事が出来たのは、御祖父様が策略策謀の限りを尽くして他の候補者の足を散々引っ張り回し、醜聞の類を暴き立てたからだった筈である。
その事を知ってる武光は市長選挙でその座を争っている現職市長がこの一件をマクフライ氏を陥れる材料にするのでは無いかと疑っているのだろう。
「お花さんが信頼して市長をもう一期勤めて欲しいと願う程の人物だ、信用するにはソレで十分なんじゃないか?」
本音を言えば、ソレだけでは信用するに足るとは言い切れないとは思う。
けれども誰が見るかも解らない様な場所に、こんな怪文書とでも言う様な物を平気で放置して置く程度の輩を、現職と言う強い立場の者が使って政敵を排除しようとするなんて短絡的な事をやらせる程小さな男では無いだろうと言う確信は有る。
寧ろ逆に彼の株を下げる為、市長が黒幕であると見せ掛けた犯行を、後先考える事も出来ない馬鹿に誰かが吹き込んだと言う可能性も有るだろう。
或いは……コレは流石に考え過ぎかもしれないが、シーフー党とポテ党の対立を煽る事でワイズマンシティに政治的混乱を作り出し、ソレを利用して此処を攻めようとして居る隣国の策略なんて線も全く無いとは言い難い様に思える。
何方にせよ、今現在此の街で起こる様々な事の決定権を持つのは市長なのだから、市民であるマクフライ氏の孫娘が拐われたと言う事件の解決の責任者もまた現職市長のハガー氏の筈だ。
「お連……折角のお祝いの席の締めがこんな騒動に成って申し訳無いけれど、俺達は解決の為に動く事にする。お前は先にお花さんの屋敷に帰っているかい? そうするなら四煌戌を呼んで送らせるよ?」
武光が来てから話に参加する事無く只黙って俺達のやり取りを聞いて居た許嫁にそう問いかける。
「お前様が戦いの場へと赴くと言うのであれば連もご一緒しとう御座います。コレでも猪山の戦場では相応に鬼や妖怪を打倒して居りますので足手纏にだけは成らない積りです」
その言葉を聞き俺は無言で首肯すると、二人にこの場で待つ様に指示してから、市長の元へと向かう為に席を立つのだった。




