千二十一 志七郎、贅を食らい許嫁喜ぶ事
「ウチの見世の皮蛋は自家製ネ、道場の庭で飼ってる家鴨の卵から作てるヨ。臭い苦手なら豆腐や棒々鶏に使てる薬味と一緒に食べると良いネ」
前世の世界で喰ったコレと同じ、中華料理の前菜としては割と一般的だった緑掛かった黒い卵は、真夏の公衆便所の男子用小便器の様な臭いがしていた覚えが有るが、今回のコレはソレに比べると驚く程に臭いが薄い様に思える。
とは言え、確かに嗅ぎ慣れて居ない者からすれば余り良い香りとは言えない癖の有る臭いでは有るので、ソレを和らげる為の組み合わせを一皿に盛り込んで居るのだろう。
まぁ俺個人としては前世に喰わされたえげつない臭いのアレと比較して此方のは大分大人しい物だと思えるし、前回来た時に食べた料理から此処の料理長の腕は信用して居るのでそのまま行くがね。
「一寸試して見て苦手だと思ったなら、パイさんが言った通り他の物と一緒に食べて見れば良いよ」
櫛切りにされた黒い卵を一切れ口に放り込み、僅かな酸味と塩気そして鼻から抜ける臭気を楽しむ……うん、流石は高級料理店のソレだけ有って前世に食べた比較的お安いな町中華で食べる物とは比べ物にならない程に美味い。
「……温泉卵みたいな食感ですね、臭いも連は苦手って言う程じゃぁ無いです。流石に良い臭いとまでは言えないですけれど」
俺と同じ様に先ず一切れパクっと口に入れ咀嚼し味わった後そんな感想を口にする、どうやら無理をして居ると言う様子は無い。
「でも試しに次は他の物と一緒に食べて見ます……あむっ!?」
パイ嬢が言っていた様に一緒に盛られた豆腐と棒々鶏を皮蛋の上に乗せる様にして、其れ等をまとめて頬張ると……お連は何か凄い物でも口にした彼の様に目を大きく見開いた。
「コレ纏めて食べるの凄く合いますよ! お豆腐も豆の味がしっかりしてるし、お肉の旨味も垂れの複雑な味わいも全部が引き立て有って凄い事に成ります!」
お連も江戸に上がって少しの間は睦姉上の料理を口にしており、食神の加護に値する味は知らない訳では無い。
にも拘らず其処まで言うとなると、相当な美味だと言う事なのだろう。
そう判断しお連に習って三つの料理を一纏めに口へと放り込む……うん、確かにコレは冷菜の盛り合わせと言うよりは、こうして食べる事で完成する一つの料理だと言って間違いない。
棒々鶏に掛かった汁は一見只の胡麻垂れに見えたのだが、その中には幾つもの香辛料と複数種類の醤が使われて居る様に思える。
流石にその中身を全て分析出来る程の知識は無いが、複雑な旨味の織り成す調和は見事……いや美味事と言う他無い。
「前菜の時点でコレか……うん、今日は前に来た時以上に楽しめそうだな。パイさんお茶貰えるかな? 俺は前と同じで冷たい茉莉花茶で、お連は温かいお茶と冷たいお茶どっちが良い?」
烏龍茶を選択肢から除外したのは、此処の烏龍茶は割と苦味が強いと前回来た時にお代わりとして呑んだ際に思ったからだ。
「連は温かいお茶を頂きたいです」
彼女が俺に向かってそう言う、
「あいあい、直ぐに持って行くから一寸待つよろし」
と、他の卓へと料理を運びながらも、此方の声をしっかり聞いて居たパイ嬢がそう返事を返してくれた。
「ふむ……あの二人、若い……いや幼いと言って良い歳頃なのに随分と肥えた舌を持っている様だ。流石は赤の魔女の弟子と言う事か」
「あら? 只の珍味だと思っていたけれど、あの子達の言う通り一緒に食べると味の複雑さが増して単品で食べるよりもずっと美味しいわ」
「見た所妖精族と言う訳ではなさそうだし見た通りの年齢なのだろうが、コレの味が解ると言うのは余程良い家柄の出なのだろうな」
他の卓の客達から見れば此処の様な高級店に俺達の様な子供が保護者も無しに来ているのは場違いに見えて当然だが、ソレを上書きしてしまうのが『赤の魔女の弟子』と言う肩書きだ。
赤の魔女ことお花さんは、世界でも上から数えた方が早い歴戦の冒険者であり、魔法使いの括りの中では間違い無く最高峰の一人である、そんな彼女に認められた正式な弟子とも為れば俺の歳頃でも冒険者として相応に稼いで居ても不思議は無いと言える。
実際の話、今日の食事代は俺が此のワイズマンシティに来てから冒険者組合を通して受けた仕事で稼いだ銭だけで賄う事が出来ている訳だし、決して間違った理解では無い。
「はい茉莉花茶ネ、此方のポットは温かいの、此方は冷たいのが入ってるヨ。今日は混んでるから申し訳無いけどお代わりは自分で入れてネ」
純白の肌に美しい蒼と朱で彩られた磁器と思しきティーポットと茶碗が二つ俺達の卓へと無造作に置かれたが、コレ多分ポット自体も可也良い物だぞ?
流石にコレを割ってしまう様な事が有ると洒落にならない気がしたので、俺は普段から纏っている氣を器用さに割り振って、先ずはお連の茶碗に温かい茶を注ぎ、それから自分の茶碗に冷たい茶を注ぐ。
「済みません、お前様気を使って頂いて……」
俺が何故そうしたのかは彼女も察してくれた様で、素直に俺が茶を注ぐのを黙って見て居てくれた。
「そう言う時は『済みません』じゃぁ無くて『有難う』と言った方が良いと思うぞ。お連は別に悪い事をした訳じゃぁ無いんだからね」
余り彼女の言動に否定的な事は言いたく無いが、お礼と謝罪の何方でも通用する様な時には、お礼を優先する様にした方が生き方として好ましいと思うのだ。
前世の日本人も今生の火元人も気質としては近しい所が多いと感じるのは、こうした言葉の端々の部分である。
向こうの世界でも日本人はよく外国の人達から『お礼をすべき時に謝罪する』と勘違いされるのは『済みません』と言う言葉の汎用性が高すぎるからだ。
『済みません』は必ずしも謝罪の為だけに使われる言葉では無く、単純な呼びかけだったり御礼の際にも使われる事が有る『取り敢えず言って置けば角の立たない言葉』である。
けれどもそうした日本人特有の文化に詳しくない者は、『済みません』を辞書的な意味合いで受け取り『何に対して謝罪して居るのか解らない』と言う印象を持つのだそうだ。
『済みません、いえいえ此方こそ』と言うやり取りは謝罪に限らず、殆どの事柄に対して『お互い様』だと考えるのは火元人と日本人何方にも共通する精神構造なのだと思う。
けれども世界を見渡せば世の中の大半は『済みません』と言われたら『そうだお前が悪い』と考えるのが普通らしい。
故に何か問題が起こったら『取り敢えず謝罪してから説明する』と言うのは、日本以外の土地では通じ無い行為で『後ろ暗い事が有るから謝罪した』と受け取られる可能性が高いのだそうだ。
まぁそうした文化の違い云々置いておいても、否定的に生きるよりも肯定的に生きた方が良いと思う。
「はい! お前様、有難う御座います!」
そんな俺の思いが彼女に通じたのかは解らないが、お連は愛らしい笑顔を見せて改めてそう口にした。
そんな姿に俺は笑みを浮かべて一つ頷くと、茶を一口啜ってから前菜を食べ勧めて行く。
うん……コレ三つを同時に食べるのも美味いし個別に食べても良い、更に言うならば二つを組み合わせると言うのも有りだ。
そう考えるとコレは属性を組み合わせる事で様々な属性に派生する精霊魔法に近い料理と言えるんじゃぁ無いだろうか?
「次の料理お待ちネ。今日の二皿目は鯛の清蒸鮮魚ネ。コレは大きな鯛が手に入ったから一人一匹で大体五人前を二人分ネ」
丁度俺達が前菜を食べ切って二杯目の茶に口を付けた時だ、パイ嬢がそんな言葉と共に大きな魚が乗った皿を俺達の前にそれぞれ置く。
其処には大ぶりの鯛『らしき』魚を丸ごと蒸し上げて、その上に数種類の香草を乗せた非常に贅沢な料理だった。
「うわぁ! お前様、コレ全部食べて良いんですか! 母様に知られたら凄い羨ましがられそうです!」
山奥に有る猪山藩では基本的に海の魚は高級品である、その上で火元国で珍重される鯛を御頭付きで丸ごと蒸し上げた料理は贅の極みと言う事が出来るだろう。
そんな価値観の中で育ったお連は大喜びで、目の前の鯛と思しき魚に箸を伸ばすのだった。




