千二十 志七郎、見世に入り淫らを考える事
金色に輝く龍とソレに負けない深い朱色の門構を持つ、誰が見ても高級な見世である事が解る佇まい、それが帝王餐庁である。
前回お花さんに連れてきて貰った時は、昼食には少々早過ぎる時間帯だった事も有り他の客は一人も居なかったが、今日は丁度良い時間に来た事も有り見世の中からは美味そうな良い匂いと共に相応の人が居る気配も感じる事が出来た。
両開きの扉を開けて中へと踏み込むと、予想していた通り多くの席が先客で埋まっている。
「いらしゃいネ、奥の卓を予約してあるヨ! それにしても随分と可愛らしい姑娘連れてきたネ。流石は赤老師の弟子アルヨ!」
戸に鈴がついている訳でも無ければ、建付けが悪く扉を軋ませる音がした訳でも無い、更に言うならば開いたソレを強く閉める様な真似もして居ない為、多数の客が居る中で音だけを頼りに来客が有った事を知る事は不可能だろう。
にも拘らず此の見世で給仕を務める店主兼料理長の娘は、即座に此方に反応して見せその上でお連を見るなり、誂う様な調子でそんな言葉を口にした。
「予約しておいて正解だたよ! 今日は昼食時点で満員御礼ネ! 下手すると夕食の食材も残らないかもしれないヨ! まぁ君はちゃんと事前に十人前食べる言って予約してくれたから、その分多めに仕入れたから無問題だけどネ!」
この高級料理店に子供二人で来て十人前を予約したと言う爆弾発言に、見世の中に居た客達が一瞬ザワつくが、お高い見世に来る客達だけあって民度は可也高い様で直ぐに静かに成る。
「……あの方、出来ますね」
促された奥の席へと座る也、そんな言葉を呟くお連。
その言葉の通り、配膳の時に見せる雑技にも似た手腕を見る限り、彼女は父親程の達人と言う訳では無い物の相応に鍛えた功夫の使い手なのは間違いない筈だ。
体幹がしっかりとして居なければ、片手で二皿、同じ腕の肘に一皿、更に肩の上にももう一皿乗せ、反対の手でも二皿を持つ……合計六皿を一度に運ぶ様な真似が出来る筈も無い。
「流派は知らないけれども、此処の店主兼料理長である父君も可也の腕前を持つ元冒険者だし、彼は師として多数の弟子を抱える武闘家だと言う話だ。当然、娘さんにもその技を少なからず伝授して居る筈だろうね」
お連がそんな事を言いだしたのは体軸の安定を見抜いたと言う事も有るだろうが、それ以上に店内に多数居る客の気配に紛れ気付き辛い筈の来店客を振り返る事も無く見抜いた、気配察知能力の方に目を付けたからだろう。
無手の武術という点では年齢の割に高度な相撲の技を修めている、お連は俺よりも上の可能性も有る。
流石に氣を交えて勝負するならば勝つのは俺だろうが、純粋な身体能力と技術だけで相撲の取り決めで勝負したならば先ず間違い無く俺が負ける……ソレ位彼女の身体能力は図抜けてるし相撲取りとしての技量は高いのだと思う。
と言うかソレ位の習熟度が無ければ『土俵入り』と言う神事で武神の権能を呼び起こす事は不可能な筈だ。
「はい、体幹の安定も足運びも無駄が有りません。立ち振舞いも綺麗で給仕の技も見事です。連も大きく成ったらあの方の様な女性に成りたいです」
パイ ミェンと言うらしい彼女の立ち姿は、確かに美しいと言って間違いない物で、手にした無数の皿を落とすどころか、揺らす事すら無く配膳していく手腕は見事としか言い様が無い、お連はそんな彼女の姿に憧れに近い物を抱いたらしい。
人口比率として女性の絶対数が少ない江戸の街では、吉原の上級遊女や茶店の看板娘と言った者が男女問わず人気を集めて居た物だが、立ち位置としては彼女も似たような物と言えるだろう。
向こうの世界でも幼い少女が可愛い服を着た特定の飲食店の給仕や、看護師に飛行機の客室乗務員の様な、制服に憧れを抱くのは割と普通の事だったと思うが、幾ら武を齧っているとは言え武芸に係る美しさで憧れを抱くのは特殊な例じゃないだろうか?
いや、まぁ……五輪で活躍した女性選手に憧れ柔道や摔角を始める子も居るし、決して不思議な事では無いのだろう。
考えて見れば蹴球や籠球を題材にした漫画に憧れて部活動を選んだ者も、学校には割と居た覚えが有るし、子供ならば男女問わずそうした憧れを持つのは極々普通の事なんだ。
前世の俺は自分で選択する余地も無く竹刀を握らされ、公務員に成る事が当たり前と言う環境に生まれて、その中で多少の反抗はした物の結局完全に線路から外れる程の『憧れ』を持たずに成長してしまった……と言う意味で逆に普通じゃなかったのだろう。
まぁ結局の所、何が普通で何が普通じゃないとか、そんな物は時と場所で全然変わって来て当然の物だし、猪山の山奥で限られた世界しか見る事しか出来なかったお連が、外つ国の美女に憧れると言うのは良い傾向だ。
「所でお前様……お連もあんな風に肩を出した着物と洋袴を着たいと言ったら端ないと怒りますか?」
火元国では女性が肌を晒すのは端ない事とされており、顔や手以外は基本的に布地に包まれているのが普通である。
中には戦闘形式都合上、肌を晒すのを厭わない瞳義姉上や裸身氣昂法の使い手達の様な例外は居るが、ソレだって他所の者が見れば阿婆擦れの装いと眉を顰めるのが普通だ。
女郎屋の遊女ですら男の気を引く為に見せるのは精々踝まで……と言われる程に火元国は露出に煩い国で有る。
にも拘らず温泉や銭湯では混浴が割と普通だったりする辺り矛盾して居る様に思えるが、その辺は『コレはコレ、ソレはソレ』と言う事なのだろう。
ちなみに江戸市中の銭湯は男女別の風呂場が作られている前世の日本でよく見る形式の風呂屋が多いが、江戸州以外では入込湯と呼ばれる混浴の銭湯の方が多いらしい。
多分、江戸市中の風呂屋がちゃんと男女別に仕切られて居るのは家安公が持ち込んだ向こうの世界の常識の所為だろう。
「いや、アレくらいなら良いんじゃ無いかな? 此処は火元国じゃぁ無くて西方大陸のワイズマンシティ……文字通り世界の反対側なんだから、常識だってある程度は反対にしたって構わないだろう。でも流石に廻し一丁で相撲を取るのは勘弁な」
向こうの世界の感覚で言うならばお連は未だ露出に対する強い羞恥心を抱くには少々早い歳頃だと思われる。
なんせ此の位の歳頃ならば下履き一丁で水遊びをして居ても何ら不思議は無い。
とは言え、幼稚園児でも早い子ならば異性に興味を抱く者も居るし、中には男女共用便所で女児の用足を覗こうとする様な不届きな男子も居たりして、ソレを不快だったなんて事も聞いた事が有るので、年齢で一概に括るのは問題が有る事なのだろう。
それでもまぁパイ嬢の身に付けている様な袖無しの上着と洋袴の組み合わせは、決して露出が多すぎると言う程では無いと思う。
「でもお豊小母様のお話では本業で女相撲の興行に出る方々は、殿方と同じ様に廻しだけで闘うそうですよ? まぁ小母様はソレが嫌で相撲の道を諦めて熊爪の小父様の所にお嫁入りしたんだそうですけれど」
……半分以上冗談の積りで口にした廻し一丁云々だったが、お連の口からとんでもない事実が吐き出された。
ゑ? 女相撲の興行じゃぁ乳おっぽり出してやり合ってるの? ソレが当たり前に見世物として執り行われているって風紀を乱す所の騒ぎじゃなくない?
と一瞬思ったが、考えて見れば見世物小屋なんかで脱衣紛いの見世物が有ったりすると聞いた覚えが有るし、江戸以外では混浴が普通に行われている事を考えれば今更と言えば今更な話だな。
「おまたせしましたヨ、先ずは凉菜拼盘五人前を二つネ。今日は皮蛋と豆腐に棒棒鶏ネ。流石にこの量は一寸重いネ」
そんな話をしながら然程長い時間待つ事も無く大盛りの前菜が乗せられた皿が卓上に置かれたのだった。




