千十八『無題』
初めての精霊契約の日、私はママがかけてくれた『眠りの砂』と言う魔法のお陰でぐっすりと寝て起きる事が出来た。
精霊魔法学会に通い始めた最初の日には、ドキドキし過ぎて全然眠れなくて入学式の最中にうとうとしちゃったし、これから行くのは気を抜いたら命にも関わる場所なんだから、寝不足に成らなくて本当に良かったと思う。
多分ママも子供の頃にグランマに同じ事をして貰った事が有るんじゃないかなー?
このワイズマンシティと言う国は、精霊魔法に頼らなければ生活出来ない都市国家なんだという事は授業で習ったし、牧場の馬たちの飲水も牧草を育てる為に撒く水もママや他の魔法使いが使う水の魔法で作っている。
この牧場だけじゃぁ無く、市街地でも生活の色んな所が精霊魔法の力で動いているのだから、魔法使いだと言うだけで仕事は幾らでも有るので、学会でしっかりと学べば将来食いっぱぐれる事は無い。
私も弟が生まれれば多分、牧場の跡継ぎはそっちに成るだろうから、こっちは何処に行っても食べて行けるだけの能力が欲しいんだ。
勿論、私がお婿さんを貰って一緒に牧場の跡を継ぐって可能性も有るけれど、そうなったとしても魔法は腐らない。
ママ達がやってる様に飲水を作ったり作物に水をやったりするだけでなく、火の魔法が使えれば高い薪や炭を買わなくても荒野兎をローストに出来るし、土の魔法が使えれば牧草地を耕す前に地面を柔らかくする事だって出来る。
……本当は最初に契約する精霊は一番此の街で必要とされている水の精霊が良かったんだけれども、適性検査で私は火の精霊と相性が良いって事だったのでソレはソレで仕方無い。
うん、取り敢えず最初の契約が上手く行ったらお料理の手伝いをすれば良い、牧場での生活ではイマイチ使い所の少ない風じゃ無かっただけマシだと思おう。
まぁ風は風で『風の行軍』って魔法で馬を普通よりも早く走らせる事も出来るし、乗り運動や調教までする様に成ったなら必要な属性では有るんだけれどもね。
と、そんな訳で今日は朝一番に家の馬車で学会まで行ったら、そのまま別の馬車に乗って火姫の臍と言う荒野に空いた大穴までやって来た。
「さて此処からは事前に説明した通り、護衛役の魔法使いと新人二人一組で行動して貰う。この辺は未だマシだが下に降りるに従ってどんどん暑く成るからな、魔法無しではこんがりとローストされちまうぞ!」
精霊魔法学会に通うのは私の様な子供は割と珍しい、何故なら学会の授業料は可也高いからだ。
私の様に裕福と言って良い家の子ならば子供の頃から通う事も出来るが、多くの場合は一度別の……大体は冒険者や軍隊の仕事に付いてお金を稼ぎ、それから改めて入学するのが普通である。
今回、火姫の臍へとやって来たのは全部で十二人、その内子供なのは私ともう一人だけだ。
「ぬ? 其方は確かマクフライ牧場の娘で有ったな。今日は余が其方の護衛役と言う事に成っている。大人達とは違って少々心細いやもしれぬが、余も相応に修羅場は潜ってきて居る故に安心して任せるが良い」
そして肩に小さな翅妖精を座らせたその子が私のペアの相手だった。
彼は前にパパが馬をあげた傭兵が逆恨みして襲って来た時に私達を護ってくれた、火元国と言う遠い場所から来た冒険者の子だ。
「は、はい! 宜しくお願いします!」
この間、家の牧場に来た時にはもう一人の男の子と二人の女の子が一緒だったけれど、今日は一人だけらしい。
「余の黒江は火の属性を持って居らんので、断熱の魔法は使えぬが、水の羽衣の魔法でも何とか成ると聞いているが、暑さに耐えられぬ様ならば素直に言うのだぞ?」
肩の上に居る翅妖精はクロエと言うらしく、彼女が彼の契約して居る霊獣なのだろう。
パッと見ただけではなんて種類の翅妖精なのかは解らないけれど、少なくとも水の属性は持っていると言う事か。
「アクア・ヴェールって確か水の中位魔法ですよね? 私と殆ど変わらない歳頃に見えるのに、そんな大魔法がもう使えるんですか!?」
断熱の魔法は火と土の複合属性である熱属性の基本魔法の一つなので、複合属性が使えるなら中位の魔法よりもそっちの方が簡単だと授業で習った。
魔法の階位は基本<下位<中位<上位と区分されており、階位が一つ上がる毎に魂に掛かる負担は大体倍に成って行くと聞いている。
一年前に入学した知り合いも未だ単属性の基本魔法しか使えないと言って居た覚えがあるので、私と殆ど変わらない歳で中位の魔法が使えると言うのは凄い事だ。
「兄者は余の一つ上でしか無いが、既に時属性の魔法を使う事が出来るぞ! まぁ流石に時属性とも成ると自由自在と言う訳には行かぬ様だがな。それでも三属性の複合ならば上位魔法もある程度は使えるからな、余など未だ未だ修行不足よ」
兄者さんと言うのは多分この間牧場に一緒に来た男の子だろう、あの子も多分殆ど変わらない歳頃なのに四属性複合の時属性を使えると言うのが本当なら、その人は多分天才って奴なんだろう。
そんな凄過ぎる人が身近に居るのに、腐る事無く自分が修行不足だと笑って言えるこの人の心の強さは素直に尊敬する事が出来た。
「さて……そろそろ準備をして行かねばな、我が共に宿りし水の精霊よ……」
凄い!? 前文と名乗りを省略した短縮詠唱だ!
ソレで中位の魔法を発動出来るなんて、クロエと彼はただの契約だけじゃぁ無くて本当の絆で繋がっているだわ!
魔法使いと契約した霊獣と言うのは絶対服従の存在と言う訳では無い、中にはプライドが強くて契約その物を隷属的な物と捉えて魔法使いの指示を可能な限り曲解して悪意有る方向で魔法を発動させようとする者も居る。
ママの契約している砂小妖精はその口で、ママとの知恵比べに負けて契約を結んだ物の未だにママの詠唱に抜けが有れば、ソレを悪用しようとする事が有ったりするのだ。
つまり短縮詠唱が通ると言う事は、それだけ霊獣と術者の間でしっかりとした信頼関係が築けて居ると言う事である。
翅妖精や小妖精は霊獣じゃ無くても悪戯好きな個体が多く、精霊の力を得て霊獣に成った個体はその傾向が更に強く成るとママが言って居た。
なのに彼は完全に相棒である翅妖精を信頼しきった顔で、あっさりと呪文を編み上げて水の羽衣を発動させると、頭上から空色の半透明なテントの様な下りて私達を包み込む。
水の羽衣は魔物が放つ吐息なんかを軽減する効果の有る魔法で、相手の属性を問わず有効な場面の多いが、中位魔法と言う負担の重さの割に軽減でしか無いと言う点で使い所が難しい魔法だと座学では習った。
今回の場合はマグマ溜まりの暑さへの対策で、直接攻撃して来る様な者が相手じゃないからそれなりに有効と言う事なんだと思う。
「断熱の魔法ならば完全に暑さを遮断出来るが、水の羽衣では軽減する事しか出来ないから、小忠実に水分補給をするんだぞ。後は塩も時折舐めた方が良いが、持ってきているか? 無ければ余の持ってきた分を使うと良い」
水筒は持ってきたけれども塩は持ってきて無い……と言うか、塩が必要に成る事なんて考えても居なかった。
「お水は有るけれど……お塩は持ってきて無いです」
汗を掻く様な仕事をした時には味の濃いご飯が美味しいってパパが言ってたけれど、多分ソレと同じで暑い中を進むならお塩を舐めた方が良いのだろう。
私と殆ど変わらない歳なのに、色々と経験の差が有る事に驚かされる。
「さて皆、準備は出来たな! 隊列を組んで下りて行くぞ! 道中危険な魔物が出てくるかもしれないが、我々先導役の魔法使いがきっちり仕留めるから新人達は安心して着いて来るんだぞ!」
グランパよりも歳上に見えるお爺ちゃん魔法使いがそんな声を上げ、私達は隊列の真ん中に入れられて火姫の臍の底へと下りて行くのだった。




