千十六 志七郎、精霊の理を知る事
「あんたが此処に姿を見せるなんてな……何年ぶりだろう? アイシャ久し振りだな」
姿を表した風の中位精霊をそんな言葉で迎えたブライアン氏。
精霊と言う存在は基本的に『個にして全で有り、全にして個で有る』と言う矛盾した概念を持つ物で、契約に縛られていない自然の中に居る精霊が見聞きした物事は、繋がりを持つ世界中の精霊に共有されているのだと授業では習った。
けれども精霊魔法使いと長きに渡り契約を結び生活を続けた精霊は、個性や意志と呼べるだけの物を獲得し、下位の名も無き精霊から中位の精霊へと進化を遂げるのだと言う。
「久しいな人の子……個体名ブライアン、我が契約者の葬儀以来だな。自然に帰った我の名を呼ぶ者等もう誰一人居ないと思っていたが再び呼ばれると奇妙な気分だ」
アイシャと呼ばれた風の中位精霊は、表情を変える事も無く淡々とした口振りでそう答えを返す。
「我が師モリスン教授が最初に契約した精霊が貴方だと言うのは、我等精霊魔法学会の呪文図書館に収められた功労者名鑑にきっちりと記載されているよ。貴方を直接見知って居る者は流石に数少ないがね」
精霊魔法学会設立以降、星の数程の物達が此処で学び精霊魔法使いとして世界へと旅立って行ったが、功労者名鑑に名が乗るのは何らかの偉業を為した者だけだと言う。
例え学会で教鞭を取る事が許される様な優れた教育者で、その教え子が無数の偉業を為したとしても功労者名鑑に名を残す事は出来無い……飽く迄も当人が学会の名を高める様な偉業を達成しなければ成らないのだ。
そうして名鑑に名を残す事に成った者は精霊魔法使いとして生きた軌跡と、契約した精霊や霊獣に付いての情報が全て記録として残されるのである。
其れ等の記録は偉人の栄光を残すと言うだけで無く、後進の精霊魔法使いが新たな精霊や霊獣と巡り合い契約する為の道標としての意味合いを持つらしい。
精霊魔法学会史と言う別の書物も有るが、其方は何方かと言えば学会の内部で延々と続く会派と会派の暗闘の歴史を何層もの飾り布で包み込んだ上で記録した……そんな感じの物で、新規の魔法使いが読むべき物では無い。
しかし名鑑の方は功労者の足跡を学ぶ事で、魔法使いとしての有るべき姿が学べ、更には何処でどういう精霊と契約したとか、何処に行けばどういう霊獣に会える可能性が有るか等を知る事が出来る第一級の資料と言える物なのだ。
契約者が寝台の上で死ねる状況ならば遺言を通して子や孫と言った親類や弟子に契約を継がせる事も出来るが、精霊魔法の使い手が戦いの中で命を落とした場合には、精霊や霊獣は契約の縛りを失い、自動的に送還され元々居た場所で生活する事に成ると言う。
精霊は火元国の様な特殊な土地柄で無ければ、探せば割と色んな所に精霊溜まりが有り、其処で新規に契約する事が出来るが、霊獣はそう簡単には行かない。
その霊獣が普段から契約者の住まいで飼育されていたならば良いのだが、そうでは無い場合には先ずは契約した時の場所まで行って見て其れで見つかれば未だマシな方で、下手をすると完全に行方が解らなく成る事もザラに有るのだと言う。
お花さんが未だに世界を冒険者として旅して回っているのは、そうした行方知れずの霊獣の一体で有る『超時空泰猴』を探す為なのだ。
超時空太猴は精霊魔法学会の歴史の中で唯一無二の『黒』を名乗る事が許された大魔法使いである家安公が最初に契約していた霊獣だが、彼自身も何時何処で出会い契約に至ったのかを理解していなかったと言う謎多き存在である。
晩年彼が語った内容が事実だとするならば、超時空太猴と出会ったのはこの世界では無く、俺が前世に暮らして居た世界か其れに近しい世界で、家安公は本来ならば其処に居る筈の無い猿を追いかけた結果として此の世界に辿り着いたのだと言う。
超時空太猴は俺の契約して居る四煌戌と同じく単独で時属性を扱う事の出来る四色霊獣で、その名の通り時属性魔法の中でも時空間魔法と言う分類の魔法に特化した性質を持って居たらしい。
時属性は時間と空間だけで無く重力や運動量に原子と元素、更には原子力……所謂『核』まで扱う事が出来る非常に幅広い属性だ。
と言うか、基本四属性と其れ等の複合二属性に三属性で扱う事の出来ない自然現象のほぼ全てが時属性に押し込まれていると言っても間違いは無いだろう。
その中でも超時空太猴は特段に時間と空間を操る事に長けており、瞬間移動の魔法に至っては世界を跨いでの移動すら可能だったと言う伝承すら残されている為、下手をすると本当にこの世界の何処にも居ない物を探していると言う可能性すら有る。
兎角、そうした引き継ぎ無しで契約者を失った霊獣をそうした記録に頼らずに、再び探し出すと言うのは可也の困難を要する作業だと言う事だ。
対して精霊の場合はどうかと言えば、同一個体と出会う事を目指すので無ければ、此処の様な精霊溜まりへと行けば割と簡単に見つける事が出来る。
しかしブライアン氏がアイシャと呼ばれた『師匠の契約していた精霊』と再会する可能性と成ると、ソレは天文学的な数字が並ぶ様な確率の世界に成ると言う。
なんせ自然の断片に過ぎない下位の精霊はソレこそ精霊魔法使いの数だけ存在して居り、ソレが中位の精霊に成るにはそれなりに長い時間が必要だとは言え、母数が多ければ相応の数に成るのは当然と言える。
そして精霊と言う存在は肉体の軛を持たないが故に、不老不死の存在だと言って間違いないのだから、中位に『進化』した精霊だって星の数程存在すると言う事に成る訳だ。
「最後に会えた人の子が我の名を知る者だと言うのは本当に奇縁としか言いようが無いな。まぁ積もる話は後にしよう……先ずはするべき事を済ませてしまおう」
風の精霊は他の火や水に土の精霊よりも自由を尊ぶ性質が強く、同じ精霊溜まりに居続けると言う事は無く、来る度に違う中位精霊が其処に現れるのが普通だと言う。
「一寸待て!? 最後ってなんだ!? 精霊は不変不滅の存在だろう!?」
アイシャと呼ばれた中位精霊の口にした言葉に古参の魔法使いであるブライアン氏が驚愕に目を見開き大きな声でそう問い返す。
「精霊は不変では無い、我が名も無き下位の精霊からアイシャと言う個体名を持つ中位の精霊に進化した様に変化する事は有る。そして全として精霊は確かに不滅の存在では有るが個として不滅と言う訳では無い、我は個を捨て全に還るのだ」
そんな言葉から始まったアイシャの説明に依ると、契約の引き継ぎが行われてさえ居れば、精霊は何代にも渡って契約者に仕え続ける事が出来る様に、不老不死の存在で有る事は間違いないらしい。
だが個性を獲得した精霊も契約に縛られなくなると、自然の中に居る他の精霊同様に全体の中に繋がった存在に戻るのだそうで、そうした全の中に居ると個を保つと言うのは相応の苦労があるそうで、ソレに疲れた者は個を捨て全の中へと溶け込み消えるのだと言う。
契約が切れた霊獣がその後どうなるのかは、多くの者が先人の残した記録を頼りに探し出し再契約を結んだりした例が無数に有る為、ソレを知る術は幾らでも有るし書物にも無数に記されている。
それに対して契約が切れた精霊が自然に返った後にどうなるのかと言う記録は皆無と言って良い。
既知を得た中位の精霊と精霊溜まりで出会うと言う事自体、過去に例が無い事なのだろう。
「人の子よ……我は全の中へと還るが、此処で行われる新たな契約で我が子にも等しき者達が旅立つのだ。ソレは多くの生命が子を為し孫を為し代々続けていく営みと何ら代わりは無い。さぁ契約を望む人の子よ我が前へと来るが良い、我が子等を頼むぞ」
個にして全、全にして個の存在である精霊にとって子供と言うのは、俺達の様な生物のソレとは正確には意味合いは違うのだろうが、心情としては何となく理解は出来る。
どうやらソレは俺以外の契約を望んで此処に来た者達も同じだった様子で、彼等は皆一様に神妙な面持ちでアイシャの前へと進み出るのだった。




