千十四 志七郎、不浄を確認し許嫁決心する事
「うわ!? 臭っさ! 何だこりゃ……コレを何とかしなけりゃ精霊も戻っ来たくても戻れやしないだろ」
無事に竜骨鬼を撃破した俺達は、手持ちの霊薬を使って前線に立って居た者達の傷を癒やしてから、その死体の始末について話し合って居た。
幸い前衛に立って四肢を押さえつけて居た火元組の者達は、全くの無傷では無くそれ相応の火傷なんかを負っては居たが、比較的安い霊薬で十分完治する範囲の被害しか受けて居らず結果としては完勝と行って良い戦績だと言える。
問題は頭蓋骨をかち上げてくれたリネット嬢である、どうやら彼女の使った『ブラストダッシュ』と言う魔法と『ブラストスラッシャー』と言う技は、可也肉体を酷使する物の様で自損と言うしか無い被害だけでも割と重症だった。
どうやら彼女は竜骨鬼の頭を打ち上げた時点で、既に身体を酷使し過ぎた結果として意識を失っており、二階建ての建物の屋上を少し超える程の高さから受け身を取る事も出来ずに落下したのだ。
不幸中の幸いと言えるのは頭から落ちた訳では無く腹這いに落ちた事と、彼女の纏っている防具に『物理半減』の耐性が練り込まれていた事で、最悪だけは免れたと言った所だろうか?
しかしまぁ考えてみれば静止した状態から爆風の力で一気に吹っ飛ぶ様な魔法なんだから、そりゃ身体に掛かる負担は相当な物なのは容易に想像が付く。
俺達火元国の侍が似たような速さで駆けても大した負担にも成らないのは、ソレに耐えられる様に氣を纏う事で身体を強化して居るからである。
対して彼女は防具こそ良い物を身に着けて居り戦士としても十分以上の訓練を積んでいたとは言え、中身は二十歳を少し回った位の前世感覚で言えば未だ若い娘さんで、ジェットコースターは勿論下手をするとF1をも超える重圧の負担はキツイだろう。
特に不味いのは上に向かって飛び上がった時に掛かった重圧の強さで、恐らくはその時に航空機の操縦者なんかが起こす症状として知られる『ブラックアウト』からの『重力失神』に陥ったのでは無いかと推測出来る。
其れでも死んでさえ居なければ、智香子姉上が作ってくれた『即死じゃなけりゃ割と何とかなる霊薬』……正式名称『エリクサー』を飲ませる事で彼女も直ぐに動ける状態に回復していた。
……エリクサーは素材の組み合わせも覚えて無いし、調合法を知る事が出来たとしても、今の俺の技量じゃぁ作るのは無理だろうから、虎の子の霊薬なんだが彼女が居なければ竜骨鬼を倒せなかった可能性を考えると惜しむべきでは無いと言う判断だ。
それに幾ら消費期限を長くする為に水分を飛ばし『丸薬』に加工してあるとは言え、電子遊戯の道具の様に『永遠に腐らない』なんて事も無く、自動印籠の中に入れていても時間が経てば傷んで駄目に成ってしまう。
前世の世界の友人の奴は電子遊戯でこうした希少な道具を『勿体無くて使えない』と言う性質だったと聞いた覚えが有る。
俺自身は電子遊戯の類は今生に生まれ変わるまで、殆ど遊んで来なかったので知らなかったが、そうした性質を『エリクサー病』や『ラストエリクサー症候群』と言ったりするらしい。
ちなみに丸薬の消費期限は概ね丸一年と言った所で、軟膏なんかの練薬で半年、水薬なら三ヶ月が大体の目安である。
そんな訳で火元国から持ってきた智香子姉上謹製の霊薬は全て丸薬だが、予定して居る留学期間の間には全部駄目に成る事が予測出来るので、出し惜しみする方が間違っているだろう。
さて話を冒頭の臭いの方に戻すが、その臭気を放っているのは竜骨鬼の骨では無く、核だった赫い球だ。
俺の裸漢光殺法でド真ん中に穴を穿たれたその中には、腐臭を放つ何かの腐肉らしき物がパンパンに詰まっており、ソレが穿たれた穴から溢れ出して居たのである。
「……多分コレに詰まってるのは、竜骨鬼を生み出す為に贄とされた兎鬼達で御座ろうな。ソレにこの臭いは只腐って居るだけで無く、呪いの類も篭って居るのは間違いなかろう。黄泉軍が放つのと似たような臭気で御座る」
黄泉軍と言うのは火元国でも出現すると言う屍鬼の一種で、この世界の死体に怨霊が取り憑いた溝出とは違い、異世界で作られ此方へと送り込まれる死体を原材料にした戦闘員と言う様な位置づけの魔物だと言う。
活性死体との最大の違いは、術者の指示に従う程度の知能を持ち、生前の戦闘技術をある程度使う事が出来ると言う点だ。
手にした武器を使うと言う意味では、屍鬼の中で粗々唯一火元国で言う『鬼』の定義に当てはまる存在とも言えるだろう。
溝出と黄泉軍そして生き屍の三種は火元国に出現する代表的な屍鬼で、その全てを相手取った事の有ると言う中林殿の言に依ると、黄泉軍は生み出す為の呪いの所為で独特の臭いが有ると言う。
ちなみに冒頭に臭いについて言及していたブライアン氏は、そうした呪いの臭いに付いての知識は無かった様だが、その臭いの所為で此処が精霊溜まりとしての機能を失っている事に気が付いた様子で、流石は古参の魔法使いと言った所だろう。
「つまりどうにかして此れを浄化するなり何なりしなければ、本来此処に出現する筈の風の中位精霊は出て来ない……と」
本来ならば此の手の浄化と言うのは聖歌使い……即ち神職の者の仕事で、今この場に居る者達で何とか出来る者は居ないと言う事に成る。
だが此れを此の儘にして帰ると言うのも不味いだろう、どう考えても此処の精霊溜まりが汚染される未来しか見えない。
「最速で帰っても此れを浄化出来る様な聖歌使いの冒険者が組合に居るかどうかは賭けだよなぁ……」
ワイズマンシティには神殿が無い為、常駐して居る高位の聖歌使いは基本的に居らず、流れの冒険者が運良く滞在して居る可能性に賭ける位しか無いらしい。
「聖歌使いなら呪文図書室の司書のマイン女史に頼み込めばなんとか成るんじゃ無いですか?」
彼女は書の神メティエナに仕える高司祭で、ワイズマンシティに居を構える者としては間違い無く最高位の聖歌使いだ。
そんな彼女の存在をブライアン氏は居ない者の様に扱うのは少々解せない。
「……彼女なら先ず間違い無く浄化は出来るだろうが、シーカー師を説得せずに彼女を連れ出す訳には行かないし、あの嫁馬鹿は火姫の臍に行ってる筈だから説得のしようが無ぇ」
すると帰って来たのはそんな言葉だった。
聞けばマイン女史の夫で有るフォルス・ラスター・シーカー師は、嫁に対して非常に過保護な性質の人らしく、自分が居ない時に少しでも危険な場所に彼女を向かわせる事は絶対しないのだと言う。
更に言うならばシーカー師は学会の利益と嫁の安全を天秤に掛けたならば間違い無く後者を取る人物らしい。
なら彼も一緒に来て貰えば良いと言うだけの事だと思うのだが、残念ながら彼は武光と一緒に火の精霊溜まりへと向かっている為、そっちに向かって話を通してからでは時間が掛かり過ぎる。
ああでもないこうでもない……と臭気の中で鼻を摘んだままで喧々諤々のやり取りをして居ると、
「あの……お前様、もしかしたらですが連が何とか出来るかもしれないです。試して見ても良いですか?」
他の侍達や魔法使い達のが集まっている中に子供達を入れたので、取り敢えずの安全は確保されている状態に成った為に、お連は他の子供を護ると言う役目はもう終わったと判断したのだろう、唐突にそんな事を言いだした。
「お連は聖歌なんて使えないだろ? どうするんだ?」
こうして自分から出来る事をしたいと言い出すのは良い傾向だし、先程の様に何も考えずに役目を投げ出す様な事をした訳でも無いので、頭から否定する様な事はせず先ずは聞いてみる。
「浄化の為の技もお豊小母様から習って居ります! 連の力が通じるかどうかは解りませんが試すだけ試してみたいです!」
えいえいむん! っと自身を昂らせる為に気合を入れつつそう言うお連の言葉に、俺や侍達に魔法使い達はそれぞれ一旦顔を見合わせてから無言で頷いたのだった。




