千九 志七郎、風の魔法と噴流を見る事
中林殿の切り開いた道を通り、三人の武士が一気に頭目と思しき兎鬼へと迫る。
「織倍! 管木! 草攻剣を仕掛けるぞ!」
先頭を走る千葉 大地が後に続く織倍 勇と管木 妹之進にそう声を掛けると、そのまま濃密な氣を込めた斬撃を兎鬼のお株を奪う様に首へと目掛けて振り抜き駆け抜ける。
しかし其の一撃は奴の手にした竜種の鱗を纏めて飾ったと思しき杖に弾かれた。
千葉殿の一撃は斬鉄と呼ばれる氣の運用に十分達した練度の物だったのは間違いない、にも拘らずあの兎鬼は優れた技量で受け流したと言う訳でも無く、明らかに得物の強度だけで弾き返したのだ。
だが草攻剣は死番の一撃だけで終わる物では無い、千葉殿は反撃が来るよりも先に駆け抜け、間髪入れずに二番手の織倍殿が斬鉄を込めた一太刀を繰り出す。
本当ならば千葉殿の一撃で奴の持つ杖が多少なりとも弾かれて隙を作る事が出来て居た筈なのだが織倍殿の攻撃も先程同様、杖に阻まれ傷付ける事は出来なかった。
其れでも反撃を許さずサクッと駆け抜けて行けたのだから問題無いと言えるだろう。
三番手の松木殿は其れまでの二人が仕掛けた結果を見極めて、一撃で首を取るのでは無く、まずはその厄介な得物での防御がこれ以上出来ない様にする為に、的確な小手打ちで右の手首を切り飛ばす事に成功した。
だがしかし……
「我等ガ信奉セシ偉大ナルうぇねとヨ……其ノ御身ニ宿セシ祝福ニテ、我ガ同胞ヲ救イ給エ……」
歌う様に口から流れ出す聖歌の文言と共に、完全に切り飛ばされた右手首が映像を巻き戻した彼の様に飛び散った血も裂けた傷も全てが綺麗に戻ってしまったのだ。
聖歌や神仙の術に依る回復は世界樹に負傷と言う情報が記録される前に、其れを削除する事で『無かった事』にすると言う術理で効果が出るのだと聞いた覚えが有る。
だとすると世界樹に属さない異世界の神が権能を貸して居るであろう奴の聖歌は全く別の術理で効果を発揮して居る筈だが、現れて居る結果は何故か同じ物の様に見えた。
そして奴は自身の手首を飛ばされると言う『痛い』では済まない様な被害を受けても怯む事すら無く、即座に回復する事が出来る胆力が有ると言う事でも有る。
同時にその効果は奴だけでは無く、中林殿の一撃で吹き飛んだ部下達にも及んでおり、薙ぎ払われ斬り倒された者達が、まるで何事も無かった彼の様に起き上がったのだ。
……コレ、前世の友人が見たら『何この糞ゲー』とでも言うんだろうな。
なんせ首領を一撃で即死させるか意識を刈り取らない限りは、奴等は無限に復活し立ち上がり即死攻撃を繰り返して来るのだ。
其れが解っているからこそ、奴等はどうやってか手に入れた竜種の素材を使って、そう簡単に打ち勝つ事の出来ない様な『防具としての杖』を拵えたのだろう。
ピアサと言う竜種は其の区分の中では最下級の存在で有り、他の竜種と比べれば弱いと言って間違いないが、その他世界中に出現する多数の魔物と比べれば圧倒的に強い存在である。
本来兎鬼の手にした刃物……奴等の長く伸びすぎて抜け落ちた前歯は、鋭さこそ火元刀よりも鋭いが、その分脆く打ち合い等すれば簡単に折れて仕舞う程度の強度しかない。
奴等の前歯は直ぐに伸びるので簡単に代えが効く武器として、折れる事を前提に使って居るのだろうが、敵の攻撃を受けるには流石に脆すぎる。
普通に考えてそんな武器脆い得物を補強するよりも、身に纏う防具を強化する方が余程確実に防御力を上げる事が出来るだろう。
にも拘らず兎鬼の歯を芯材にピアサの鱗を何枚も張り合わせた『杖』を作ったのは、多少の被害は食らう前提で即死しかねない攻撃だけを確実に『受ける』事で防ぐ為なのではなかろうか?
何にせよこのままでは前に出た五人がヤバい……ん? 五人? そうだ! 中林殿達と一緒に前へと出た魔法戦士のリネット嬢は何をして居るんだろう?
そんな疑問を持った直後だ、
「ブラストダッシュ!」
単節の詠唱とすら呼べない様な咆哮で、恐らくは風属性の上位に有るだろう俺の呪文書に乗っていない魔法を発動させた。
ソレは風の行軍の様な長時間掛けて長距離を駆ける為の魔法では無く、一瞬の間に凝縮した風を一気に噴射して前へと突進する……そんな感じの魔法だった。
彼女は並の武士が脚に氣を込める以上の疾さで杖を持った兎鬼へと駆け寄ると、その勢いのままに背負って居た斧槍を敵の持つ杖へと目掛けて叩きつける。
「幾ら頑強な得物を手にして居ようとも! 貴様のその小さな身体では! 重さが足りない!」
火元国の侍が持つ刀は基本的に斬り裂く事を目的とした武器で有り、重さを叩きつける様な使い方をすると、幾ら良い魔物素材を使った物だとしても刃が欠けたり、下手をすると折れる可能性も有る為、斬る為の振り方をするのが当然だ。
けれども今回の敵に対してソレは悪手だったと言う事だろう、リネット嬢の一撃は確かに奴の得物に阻まれ傷付けるには至らなかったが、圧倒的な勢いと体重に武器の重量も乗った其の一撃は、兎鬼の小さな身体を弾き飛ばすには十分過ぎる物だった。
「此奴、やっぱり戦闘技術自体は他の兎鬼と変わらない! 御三方! 着地狩りなり何なりして確実に仕留めてくれ!」
草攻剣は一巡した時点で終わりと言う様な物では無く、敵が倒れるまで只管順番に攻撃を繰り返すのが前提の戦術、当然相手の横を擦り抜けた後は再び突撃を仕掛ける事が出来る様に体勢を整え直している。
「大地! 今度こそ仕留めるぞ! 殺り方は彼女が示してくれた!」
対して吹き飛んだ兎鬼の方は空中で体勢を整える事も出来ず、何方かと言えば手にした得物の重さに四苦八苦して居る様な様子で地に落ちた。
其処を言われた通りに着地狩りを仕掛ける死番の千葉殿、彼はより確実に奴を仕留める為に、今度は首では無く先ずは得物に縋り付く様にして立ち上がろうとして居るその腕を切り落とす。
先程の様に回復されるのでは無いかと思ったが、ソレをされる前に二番手の織倍殿が中途半端な体勢で崩れ落ちる寸前の兎鬼の胴を薙ぐ。
最後に踏み込んだ管木殿が倒れ伏した奴の首を切り、更に心の臓へと一突き居れて確実に止めをさした。
コレで完全に勝負有ったと思い、気が抜ける様な溜息を吐いたのは一体誰だっただろう。
確かに一般的な魔物の群れは頭目個体を潰せば、残りは尻に帆を掛けて逃げ出す事が多い。
『敵陣での戦闘心得』の中で雑魚に構わず頭領を潰せと言うのが、第一に掲げられているのはそうした事が理由である。
無数の魔物が犇めく鬼の砦でも、其の砦を築き上げた頭領を打ち倒せば、残った他の魔物達は『棄甲曳兵』と言う言葉がよく似合う様な状態で逃げ出して行く物なのだ。
とは言えソレは絶対の事では無い、頭領格の魔物が立場だけで下の者達を従えて居た訳で無く、本当の統率力で慕われて居た時には仇を討つ為に死兵と成って猛威を振るう事も有るらしい。
其の事を志学館で口が酸っぱく成るまで散々教えられている火元国の武士は、頭領を討った時点で気を抜く様な真似をする事は無い、残心と言う考えが身体に染み付いて居るからだ。
そしてソレが有ったからこそ……彼等は仲間を一人失う事を避けられた。
神職兎鬼が討ち取られる前に、回復した他の兎鬼の群れが道を切り開く為に剣を振るった中林殿を取り囲み、四方八方から其の首を狙っていたのだ。
どんなに優れた侍でも即死攻撃を持つ兎鬼の群れを相手にすれば、不意に命を落とす事は決して珍しい話では無い。
実際、次期将軍の座が内定していたと言う程の優れた侍だった武光の父親は、ソレで命を落としたのだ。
幾ら格が高いとは言っても不死の存在では無い中林殿も、長くその状態に晒されていれば同じ様に首を獲られても不思議は無い。
「中林殿! 頭目は討った! 後は雑魚を確実に仕留めて行くだけだ! 再び円陣を組むぞ!」
頭目を討っても残心を忘れずに居た千葉殿、織倍殿、管木殿の三人は風の噴流の如き勢いで既に仲間を助ける為に走り出して居たのだった。




