九十九 志七郎、武具に囲まれ絵を愛でる事
精霊魔法によって呼び出されたり創りだされた物は、たとえ魔法の効果が切れようともその存在が失われる訳ではない。
それは彼女の魔法で生み出された冷蔵庫の氷を見ても明らかである。
だが『物』を発生させる魔法では無く『現象』を発生させる魔法は術者が魔法を打ち切った時点でそれ以上の効果を発揮し続ける事は無い。
彼女が魔法で沸かした風呂の湯がそれ以上熱くなる事無く、あとは冷めるだけであるように。
今回彼女がわざわざ『雲』の魔法を使ってから『水』の魔法を使って雨を降らせたのは、それらの事に絡んでである。
ただ雨を降らせる魔法を使っただけならば、彼女が魔法を使っている短い間しか雨を降らせる事は出来ない、だが雲を作りそこに有る水を降らせるやり方ならば、雲の中の水が尽きるまで雨は降り続く。
流石に長雨になってしまえば被災地復興の邪魔に成るが、そのへんはちゃんと調整済みなのだろう。
『豪雨』と言う魔法の名前の通り、発動当初はまさにバケツをひっくり返したと言う形容が相応しい滝の様な雨が降り注いだ。
しかしそれも短い時間の事で、一気に降り注いだ雨で火勢が弱まったのを確認すると、今度は『風』や『土』の魔法で火消し達の消火や救助活動を支援しはじめる。
天守閣から一歩も出ること無くソレが解るのは、彼女が新たな魔法を発動させる度にその場所を指で指し示しているので、その先を氣で強化した目で見ているからだ。
逃げる道を瓦礫で塞がれた者が居ればそれを風で吹き飛ばし、崩れる瓦礫に潰されそうな者が居れば土の壁でそれを受け止める、縦横無尽、八面六臂の活躍はただ魔法が使えると言うだけではない、歴戦の大魔法使いだからこそ出来る事だろう。
「これが魔女の……精霊魔法使いの力か……」
たった一人の魔法使いの力が一つの都市を焼き尽くす程の災禍を鎮圧する、その姿を目の当たりにして上様は唖然とした表情でそう呟いた。
「流石にアレが一般的な魔法使いの標準って事は無いと思いますよ? 龍と契約しているのも世界で彼女だけ、と言う話ですし……」
「流石にそれは解っておる。あんなのがゴロゴロ居ったら外つ国はどんな魔境だという話じゃ。あれは一郎の母、英傑の中の英傑じゃろう。じゃが、あの十分の一でもいや、百分の一でも良い、それがそれなりの数居れば江戸を守る強い助けとなるのは明白」
江戸市中には可能な限り術者を入れない、それは幕府が定めた取り決めである、だがこれは初代将軍家安公が決めた事では無く、その息子二代目将軍が定めた事らしい。
圧倒的な力を持っていた家安公の時代は、たとえどんな事が有っても鎮圧するだけだ、とかなり禁則も緩かった。
だが二代目様が将軍に就任すると、参勤交代や妻子の江戸常駐、術者の取り締まり等々、大名やその他の力を削ぐ為の法律が多々作られたのだそうだ。
だが年々鬼や妖怪は力を増しており、江戸にも術者を常駐させるべき、と言う意見も出始めているのだと言う。
「良し決めた! 術者を、魔法使いを幕府に招致する。そして幕臣の中から魔法使いを育成し緊急時に備えよう!」
この火災の報告書には、規模に対して死傷者は驚く程少なかったと記されたそうだ。
それから一週間が経った。
焼け出された町民達は相当数に登った物の、元々財産らしい財産を持つのはごく一部の商家位で、それ以外の者達はほぼ身一つで生活しているのが大半である。
必要な物があれば大半の物を損料屋と呼ばれる一種のレンタル屋で借り出すのが一般的なのだ。
長屋住まいの町人達どころか下級武士であっても、褌すらもレンタルで済ませる事が多いと言うのだから、物を持たないにも程が有るとは思う。
ともあれ、多くの命がお花さんの尽力で助かった事で、江戸のマンパワーは然程目減りしておらず、至る所で復興と再建が急ピッチで進められている様だ。
「皆の者、準備は良いか? 此度の事は褒美であると同時に我が藩が武勇だけの猪では無いと言う喧伝でも有る。折角この様な名誉ある仕事を割り振ってくれた上様の顔に泥を塗らぬ様、皆励むのじゃぞ!」
と、父上の号令が響き渡る、今日は江戸城の宝物庫の大掃除なのだ。
通常であれば、宝物庫の管理を担当する幕臣達を中心に、手伝いとして数人だけが行く事に成るのだが、今は江戸の至る所で行われている復興作業に一人でも多くの幕臣を回したいとの事で、我が藩だけでほぼ全ての作業をする様に命が下ったらしい。
本来ならば百人近い人数で行うと言う作業なので、父上や家臣達だけでなく、母上や姉上達、そして客人や女中達もが勢揃いで行く事になった。
屋敷に残っているのは、おミヤ婆さんと彼女の世話をお花さんから命じられたセバスさん、そして当然ながら戌の手を借りる訳にも行かないので、四煌戌を含めた動物達も留守番だ。
宝物庫は天守の直ぐ側に建っていた、白壁の大きな倉がそうである。
父上に預けられた鍵によって幾つもの大きな南京錠が外され、鋼の閂が取り払われ、観音開きの扉はよく手入れがされているのであろう、軋む音一つ立てること無く静かに開けられた。
「良し、では手順書に従い、先ずは中の物を全て運びだすぞ! 外に出した物は全て目録と付き合わせて一つ足りとも失う事の無いようにな!」
入り口近くの物からバケツリレー式に物を運び出す、俺は氣を使えば問題なく作業に加われると思うのだが、体格差が有るので受け渡しし辛いと言う事で、同じく力作業には向かない智香子姉上、睦姉上と共に目録の写しを手に出てきた物の確認作業である。
「これが……家安公の刀コレクション。えーと壱から弐百五拾五まで……数えるだけでも嫌になりそうですね」
「刀は解りやすく数字が振られてるんだからまだマシなの。こっちは霊薬のコレクション、薬瓶の形や巾着の色で見分けろって無理ゲーなの」
「素材の……食材の収集品って腐って無いのかニャ……」
目録を見る限りでは宝物庫の大半は、家安公縁の品、と言うかコレクション品らしい。
刀だけでなく、槍、薙刀、弓、鎧と言った武器防具、中にはわざわざ西洋から取り寄せたのか明らかに場違いな幅広の長剣やら円盾なんてものもある。
それも宝物と呼ぶには明らかに貫目が足りないような数打ちから、俺の目でも高い価値が有ると思われる物まで多数に渡り収集されているようだ。
「よし、この外套で武具は最後じゃな。しかしすごい数じゃのう……」
この時点で軽く二千点を越える数が倉の前に並んでいる、その全てが装飾性の高い宝物然とした物で無く、実用品なのは家安公が質実剛健を尊び虚飾を嫌った証左らしい。
だが、それもこれだけの数がある事を考えると、ただのコレクター趣味なのでは無いかと思える。
「皆の者、後ひと頑張りすれば昼食休みを取る故、気を抜くこと無く働くのじゃ。これから先は本当の意味での宝物ばかり、傷付けたりせぬよう注意せよ」
「「「「応!」」」」
と家臣達は力強い返事を上げた。
全ての物が運びだされ、皆が昼食を取っている中、俺は手早く握り飯を飲み込むと、一人で宝物庫の中へと足を踏み入れた。
先程までの雑多に物がつめ込まれた状態とは違い、ガランとした倉の中で天井を見上げる。
そこには上様から聞いていた通り、天守閣の天井に描かれていた絵の、その原画と成ったものが有った。
線の力強さが、色の艶やかさが、人物の躍動感が、画家のレベルその物が圧倒的に違う、それが一目で理解できる。
ああ、これが本物の八郎兵衛の天井画か……、俺は息をするのも忘れてその絵に見入るのだった。




