第8話
「重役出勤なんて、いい御身分だな?」
賑やかな学生達の声で溢れかえっている廊下を歩いてると、後ろから声を掛けられた。
「ん?」
声のした方へ振り向くと、右手にイチゴミルクの紙パックを持ちながら、左手のメロンパンに齧り付いている、いかつい身体つきをした男子生徒が立っていた。
「んあ?なんだ…直幸か。物食いながら話すなって。しっかし…相変わらずキモイ食い合わせだな」
「ばか言え。血糖値が下がったら、午後の体育でぶっ倒れるだろ」
「甘いもんばっか食ってるヤツが、簡単にぶっ倒れるかっての。むしろ糖尿病かメタボでも気にした方がいいんじゃねえの?」
陸と親しげに話をしているのは、同じクラスの風間直幸くん。
陸もかなり大きい方だけど、その陸が見上げて話をしなければならない程、直幸くんの背は高いんだ。
直幸くんはバスケット部に所属してるけど、サーフィンもやってる。
部活の方が忙しいから、早朝と週末くらいしか波乗りできないというのに、腕前はかなりのものなんだ。
スポーツマンらしく短く刈り込まれた髪と、見上げるほどの長身、引き締まった身体を覆う真っ黒に日焼けした肌に、夏服のワイシャツが似合っていてカッコイイ。
陸と直幸くんが並んでいると、バックに海岸でも見えてきちゃいそうな位絵になっているから、廊下を通る女子生徒の視線が自然とそこに集まってくるのが分かる。
『知らねーのか?俺ってかなりモテるんだぞ』
なんて言ってた言葉、さっきは軽く聞き流しちゃったけど、こうやって改めて見直すと、確かに陸はカッコいい。
…でも、何で陸は彼女作らないんだろう?
二人の会話を上の空で聞きながら、目の前にある陸の顔をぼんやり眺めていたら、こちらに視線を向けて向けている人達と目が合った。
…あ。
うっとりと二人を眺める視線が僕とぶつかると、彼女達の表情が曇る。
絵になる二人の間に立つ僕は、白い肌と茶色の髪をした女顔のチビで、男らしさのカケラもない。
…僕が居たら、邪魔だよね。
小さい頃から、この顔と背をネタにからかわれることが多かっから、僕にとってはどちらもコンプレックスなんだ。
「先に教室行ってるね」
大きな二人の間に挟まれ、居た堪れなくなった僕は、肩に掛けたカバンを背負い直すと、教室へ向かって歩き出した。
「待て、俺も行くッ」
踵を踏み潰した上履きパタパタ言わせながら、陸が追いかけてくる。
「教室行く前に昼飯食おうぜ。まだ時間あるし…」
陸の声から逃げる様に歩く速度を上げたら、後ろから羽交い絞めにされた。
「もう、暑苦しいってば…」
「食うって言うまで離さないからな」
周りの視線を気にして逃げ出そうとすれば、僕を捕らえている腕に力がこもる。
「おいおい、この暑いのにイチャついてんなよ…」
直幸くんが変な事言うから、ますますここから逃げたくなるのに、『スキンシップは愛情表現』なんて言い返した陸が、僕をぎゅうと抱きしめてくる。
「ふーん、じゃあ俺も愛情表現ッ」
「ちょ…何!?」
陸に張り合う様にして、直幸くんが僕の身体に腕を回してきた。
「うわッ、なんだこりゃ!?ちゃんとメシ食ってんのか?」
僕の身体を抱きしめた直幸くんが、驚きの声を上げた。
「う、うん。食べてるよ…」
陸よりも広くて逞しい直幸くんの胸の感触に、僕は圧倒されていた。
「おまえと違って凪砂はこれから成長するんだよ。おまえみたいにデカイのが寄りかかったら、せっかく伸びた背が縮むだろ。ほら、その邪魔な腕を退けろ」
「デカイのは陸も一緒だろ?な、凪砂」
「う…うん」
わざわざ僕の目線まで腰を下ろして確認なんかされたら、≪うん≫て答えるしかないでしょ…。
「俺と直幸を一緒にすんな」
直幸くんの腕から無理矢理僕を引き剥がすと、わざとらしく僕を抱き寄せた。
なんか二人とも失礼じゃない?
僕の気にしてる事そうやって…。
「ああ、もうッ!二人ともウザイッ」
僕は陸の腕を振り解くと、教室へ向かって走り出した。
陸のママが用意してくれたお弁当を慌てて掻き込むと、置きっぱなしにしてあるジャージに着替え、体育館に向かった。
「さっきは、マジでショックだったかんな…」
陸は床に寝そべりながら、バスケットボールを追いかける集団を眺めている。
「なにが?」
「なにがって…直幸はともかく、俺まで≪ウザイ≫はないだろ?」
床の上に肘を突いて起き上がると、陸は真剣な顔で僕を見詰めてきた。
「直幸と同レベル扱いされたんだぞ?あいつはな、男のおまえにだって手を出しかねない、ケダモノみたいなヤツなんだぞ。そんなヤツから守ってやったのに…」
「誰がケダモノだって?」
陸の後ろに忍び寄っていた直幸くんが、しゅんと項垂れた陸の首に腕を回すと、そのままスリーパー・ホールドを掛け始めた。
「ぐッ…ッ!」
ぐっと締め上げられた陸は、声にならない声を上げている。
「ギブ?」
「……!」
声を出せない陸は、直幸くんの腕をバシバシと叩きながら、首を小さく縦に振った。
「オッケー、ギブってことで。ケダモノ発言取り消して」
「ゲホッ…ゲホッ、わかっ…た」
陸は顔を真っ赤にして、激しく咳き込みながら、直幸くんの言葉に大きく頷いた。
「ほれ、陸の出番だ。行って来い」
直幸くんに背中を押された陸は、涙目になりながら、陸は背中を丸めてコートの中へ入っていった。
ピーッ!
試合開始のホイッスルと同時に、あんなに苦しそうだった陸が、活き活きとした表情でコートの中を駆け回り出した。
「おまえさあ…いい加減、陸を開放してやれよ」
僕の隣に腰を下ろした直幸くんが、前を向いたまま話し出した。
「開放…って?」
首を傾げながら直幸くんを見上げたら、イラッとした表情で見詰め返された。
「おまえが居なきゃ、あいつはあんなに活き活きしてる」
直幸くんの視線の先で、陸がキレイにゴールを決めた。
「いつまでも陸に頼ってないで、自立しろよ。陸を自由にしてやれよ。じゃなきゃ陸が可哀想だろ?」
小さい頃はずっと、陸と七海兄ちゃんに守られてた。
だけどそれは昔の話。
今の僕は陸を頼らなくてもやっていけるし、陸だって自由にやっている。
だけど…そう思ってるのは僕だけなの?
僕が居なかったら、陸は自由になれる?
僕が居たら、陸が可哀想?
僕が側にいることで…。
直幸くんの言葉に、僕は言葉を失っていた…。
◇ ◆ ◇
「僕は…陸を縛り付けてないし、そんな事…頼んでない」
…本当にそうなの?
口に出した途端、自分の言葉に自信が持てなくる。
「そうか?だったら尚更、お前から離れてやればいいじゃん。そしたら陸のヤツ、もっとサーフィンに打ち込めるし、彼女だって作れる。そうだ…知ってたか?」
「…何?」
「あいつは、凪砂がいるから彼女作んないんだぜ」
「そんなこと…」
直幸くんは、陸よりも高いところから僕を見下ろして、嫌な感じの笑いを浮かべている。
「かわいいかわいい凪砂姫が心配だから、側を離れられないんだってさ」
「なに…それ…」
この町へ越してきて、最初に仲良くなったのが陸だった。
いつも一緒にいてくれて、何かあれば、そっと救いの手を差し伸べてくれたのも陸だった。
陸がいたから、兄さんやママとの別れも乗り切れた。
陸がいるから、今の生活にも耐えられる。
黙って差し伸べてくれるやさしい手を、当たり前の様に受け入れて来た僕は、陸の為に何かしてあげた事があっただろうか?
赤ちゃんみたいに甘やかされて、守られていた僕は、陸の気持ちなんて考えてなかった。
与えられる事に慣れ過ぎて、与えてあげる事なんてしなかった。
…僕はなんて我侭なんだろう。
『どんなに辛い事があっても、どんな事が起きても、笑っていよう』
僕が泣かなければ誰も不幸にならない、笑っていれば幸せになれる。
そんな言葉を信じ、嘘の笑いを作り続けて来たけれど、誰も幸せになんてならなかった。
自分勝手な悲劇に浸る僕は、周りの人を益々不幸にしただけだった。
そんな僕だから、陸の気持ちも、パパの気持ちも理解してあげられなかったし、理解しようともしなかった…。
海で彼女の話をした時、陸はさりげなく話題を変えた。
それってやっぱり…直幸くんの言う通りなのかな?
「僕が陸から離れたら、陸は幸せになれるのかな…?」
じわり…我慢していたものがこみ上げて来て、視界がぼんやりとぼやける。
「ああ、そうかもな。そうすれば、手の掛かる幼馴染の相手なんかしなくて済むし、気の合うヤツや、好きなヤツと過ごす時間も作れる。それに…陸の好きな、サーフィンをする時間だってもっと沢山取れるようになるからな」
…好きなヤツって。
「陸は…好きな子がいるの?」
おずおずと尋ねた僕に、直幸くんは得意そうな表情を浮かべた。
「それ位いるだろ?好きな女の一人や二人、いないほうがどうかしてるよ」
そっか…そうだよね。
陸はモテるって言ってたし、好きな子がいたっておかしくないよね。
僕は心のどこかで、陸を一番理解してるのは自分だと高を括っていた。
だけど本当は、僕が一番陸を分かってないのかもしれない。
それに陸だって、僕の全てを知ってるわけじゃない。
例えばそう…パパの事だって…。
陸には想う相手がいるんだ。
本当は僕なんかより、その子と一緒に居たいんだ…。
そんな事を考えたら、息をするのが苦しくなって、胸の奥がもやもやとしてくる。
「陸がお前に優しくするのは、同情してるからだ。だって凪砂は七海くんの弟だから…」
「そんな…」
直幸くんの放った言葉が、僕の心を深く抉った。
それはいつも心に引っ掛かっていた事だったから。
陸が優しくしてくれるのは、僕が可哀想だから?
七海兄ちゃんの居なくなった場所を、僕で埋めようとしてる?
だって陸と七海兄ちゃんは、とても仲が良かったんだ。
僕と陸の関係以上に…。
「……」
ズキズキと疼く痛みを抱えながら、僕は膝の間に顔を埋めた…。