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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
7/25

第7話

台風が過ぎ去った後の海は、穏やかそうに見えるけど、目を凝らしてみれば、波峰線が途切れた海面にざわつく水面が見て取れる。


沖合いから強い風が吹くと、波となった海水が海岸向かって打ち寄せる。

岸辺に打ち寄せられた波は、一箇所へ集まり、沖へ向かう逃げ場を作って流れ出す。

その流れは≪離岸流≫と言って、岸から沖へ強く流れる海流で、そこに嵌ってしまうと、競泳選手でも抜け出すのが困難だと言われている。


離岸流の発生している場所は、大きな波が立ちにくいせいもあり、サーフィンを漕ぎ出す場所として選ばれやすく、サーファーの間では離岸流の事を≪カレント≫なんて呼んでいる。


今日みたいな日に海へ入って行くのは、潮の流れを読めるサーファーか、危険を知らない無知な海水浴客だけ。



昨日の激しい台風で、波乗り仲間の経営する海の家が壊れたと連絡を受けたパパは、修理のお手伝いをする為、朝から海へ出掛けて行った。

僕と七海兄ちゃんは、そんなパパの奮闘振りを見学しようと、パパの後を追って砂浜を歩いていた。


10時前だというのに、海の家が立ち並ぶ砂浜にはすでに海水浴客の姿があり、流れの強い海の中へ向かっていく人の姿も見えた。



「こんな日に泳ぐなんて…」

呆れた顔で海を眺める七海兄ちゃんに習って、僕も海をぐるりと見渡した。

「あれ…?七海兄ちゃん、あそこ!」

うねる波間の先に、バシャバシャと水飛沫を上げる若者の姿が見えた。


「えッ?ああッ、まずい。溺れてる!」

彼が溺れているのは、海水浴場から少し離れた遊泳禁止区域。

間違ってここへ来てしまったのか、それとも流されたのか…運の悪いことに、この場所にはライフセーバーがいなかった。


「凪砂、早く誰か呼んで来い!」

「え、七海兄ちゃんは?」

七海兄ちゃんは、引き止める僕の腕を振り払うと、サンダルとシャツを脱ぎ捨て、海へ向かって走り出してしまった。


「七海兄ちゃんッ!」

「いいから早く行けッ!」

切羽詰った七海兄ちゃんの声を、打ち寄せる波が掻き消していった。


「すぐ戻るからね!」

僕は砂浜を走り出した。

砂に足を取られ、何度も転びそうになりながら、ライフセーバーのいる救護所に向かって必死で走り続けた。


「誰か!ひッ、人が、溺れ…て、な、七海に…」

救護所に着いた僕は、息を切らしながら必死で説明をしようとした。

「人が溺れてるんだね?場所は?」

ヒューヒューと気管が鳴り、上手く喋れない僕は、七海兄ちゃん達がいるはずの場所を指差した。


「エリア外のリップだ…」

ライフセーバーのお兄さんは、僕が指差す場所を双眼鏡で確認すると、救護道具を持って仲間と共に走り出した。


…どうか助けて下さい。

どんどん離れていくライフセーバー達の後を追いながら、僕は必死で祈り続けた。



救急隊員の手によって担架に乗せられた七海兄ちゃんの肌は、具合が悪い人みたいに青白くて、唇もなんだか白っぽかった。

「おまえは家に戻ってろ!」

騒ぎを聞きつけたパパがやって来ると、七海兄ちゃんと一緒に、救急車に乗って病院へ行ってしまった。


「凪砂、行くぞ」

呆然と立ち尽くしていると、誰かに抱き上げられ、知らない車に乗せられて、そのまま病院へ向かった。



救急治療室のベッドに寝かされている七海兄ちゃんの脇には、目元を真っ赤に腫らしたパパと、床に崩れ落ち、大声で泣き叫ぶママの姿があった。


「七海…兄ちゃん?」

さっきより顔色も良くなってるし…寝てるだけなんでしょ?

そっと近付いたら、パッと目を開けて、『遅かったな、凪砂!』なんて言いながら、僕をビックリさせるんでしょ?


なのに…なんでママはあんなに泣いてるの?


「ねえ…」

そっと伸ばした指先に触れた七海兄ちゃんの肌は、海水のように冷たかった…。



息が詰まるほど泣いて、泣き続けても、止まらない涙。

声が枯れるまで呼んでも、二度と返らない返事。


青と白の花に囲まれた七海兄ちゃんは、名前と同じ数字の月に、白い煙となって旅立って行った…。



四十九日法要が済み、僕達の住む町にも、秋の気配を感じ始めたある日の事。

七海兄ちゃんがいなくなってから、精神的に不安定になっていたママは、元の姓に名前を戻し、自分の生まれ育った家へと戻っていった。


去り際…ママが言った。

「凪砂、泣いてばかりいると幸せが逃げていくわ。だから、何があっても笑ってなさい…」

そう言うママが泣き出したから、ママの幸せが逃げてしまわない様に、僕は精一杯の笑顔を浮かべた。


…これで幸せになれるの?

無理して笑っても、辛いだけなのに…。

小さくなっていくママの背中を見送りながら、そんな疑問が頭を過ぎった。



あの朝、溺れている人に僕が気がつかなければ…。

海に向かう七海兄ちゃんを止めていれば…。

もっと早く走る事が出来ていたら…。


あの日から僕は、ずっと自分を責め続けていた。


僕のせいで七海兄ちゃんが…そしてパパとママまでもが不幸になった…。

みんなが不幸になるのは、僕が泣き虫だからだ。


…僕は泣かない。

どんなに辛い事があっても、どんな事が起きても、笑っていよう。


ママとお別れした日、そう決めたんだ…。


◇  ◆  ◇


気が弱くて、泣き虫で、寂しがりやの凪砂。

小さな身体で、俺と七海くんの後を、必死で追い掛けて来る姿がかわいかった。


『りくぅッ!』なんて、語尾を上げて名前を呼ばれるのが恥ずかしかったから、何度も『やめろッ』って言ったのに、何時まで経っても直らなくて、俺を随分困らせたよな。



虚弱体質で、学校を休みがちな凪砂だったから、いじめの対象になるんじゃないかと心配してたけど、以外にも女子の受けが良くて、何かと大事に扱われてた。

かわいらしい容姿と大人しい性格のお陰か、ペット感覚的な扱いではあったけど…。


その分、男子連中には嫌われてたなぁ…。


≪おとこおんな≫とか≪おかま≫なんて幼稚なからかい方されると、凪砂はすぐに泣いちまうから、からかうヤツらを益々面白がらせるんだ。

凪砂をからかったりイジメたヤツらは、裏で七海くんと俺が、端から全員シメてまわったけどな。


そんな事してるのが凪砂にバレると、『ケンカはダメーッ!』なんて怒るから、バレないようにこっそりやっても、いつもどこかでバレるんだ。

凪砂をいじめたヤツを懲らしめてやった俺達が、なぜか凪砂にお説教されるんだ…ホントおかしな話だよ。



昔はよく、『凪砂の≪な≫は、泣き虫の≪な≫』なんてからかわれてたのに…。

そういえば…凪砂の涙を最後に見たのは、何時だったっけ?



「俺が側にいるから」

そう言った俺の言葉に凪砂の瞳が潤んだ。

しかし、すぐにぐっと我慢するような顔をして、泣き顔を嘘っぽい笑顔に変えた。

「それってどういう意味?」

「それは…」


俺にとって凪砂は、家族同然、兄弟同然に育ってきた、かけがえの無い大事な存在なんだ。

七海くんの代わりにはなれないけど、七海くんが凪砂を大事にしてきた様に、俺も凪砂を大事にしてるつもりだ。

七海くんがしてあげたかった事、してあげられなかった事…俺が代わりにしてやりたい。


凪砂は何も求めないけど、何かあったら助けてやりたいし、守ってやりたい。

凪砂を苦しめているモノを取り去ってやりたいのに、俺に縋ろうとしてくれない。

そんな凪砂を見ていると、何も出来ない自分が、歯痒くて、もどかしくて…。


俺をこんな気持ちにさせるのは、凪砂しかいないんだ。

だって凪砂は、俺の大事な幼馴染だから…。


「あぶなっかしーおまえには、俺みたいにしっかりした人間が必要なんだよ。だ・か・ら、ずっと側にいて、面倒見てやるって言ってんの」


真面目に話せば、凪砂はきっと拒絶する。

だからこうして、茶化してみせるんだ


「うわ、それってポロポーズみたいだよ。告白だってされたことないのに、いきなりソレ?」

無理におどけてみせる凪砂の言葉が、俺の胸をちくりと刺した。


「おッ、誰にも告られたことないんだ?へえ~」

おどけた凪砂に合わせてやると、むうと頬を膨らませねがら、拗ねた顔してそっぽを向く。

「どうせ僕はモテませんからね。そう言う陸はどうなの?そういえば陸って、ずっと彼女いないよね。なんで?」

「知らねーのか?俺ってかなりモテるんだぞ。おまえが知らないだけで、実はかなり告られてんだから」

「えーッ、陸ばっかりずるい。僕だって告白されたーい」

「だったらサーフィン続けてみろ、そしたらモテるから」


そう言った途端、綻びかけていた凪砂の顔が再び曇っていった…。



海沿いの町には腐るほどサーファーがいるから、見慣れていてもいいはずなのに、高校生でサーフィンをやってるヤツは結構モテたりする。

そう言う俺も、いろんな人から声掛けられたり、告白されたりしてたんだ。


だけど俺は、波乗りしてるほうが楽しかったし、わざわざ彼女作る気も無かったし、俺の気を引くような女も現れなかった…。



昔七海くんに、『陸ってばうちのママに惚れてる…?』、なんて聞かれた事があった。

確かに璃子さんは美人だし、気立ても良くて、面白くて…俺がもっと大人だったら、叶わない恋心を抱いてしまったかもしれないし、多少なりの憧れを抱いていたのも事実。


だけど、俺の理想は昔から…凪砂なんだ。


凪砂を初めて見た時、女の子だと思って一目惚れした。

その後すぐに男だと知って、俺の淡い初恋は見事玉砕したんだけど、その時の印象が強かったせいで、その辺の女には目もくれなくなってしまった。


今の俺には、凪砂以上に心を揺り動かす相手がいないだけ。

だから彼女を作らない…それだけ…。


いつかおまえに好きな人が出来たら、こうして側に寄り添う事すら出来なくなるんだろうか?

湧き上がる不安を打ち消すように、正午を知らせるサイレンが鳴った。


「そろそろ行くか…」


制服に付いた砂を払って立ち上がると、凪砂を自転車の後ろに乗せて学校へ向かった…。


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