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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
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第4話

「凪砂…何だ?その傷は…」


受け取った上着をハンガーに掛けていると、パパの声が重く響いてきた。

「え…なに?」

「脛と足首に付いてる傷だ。それは、どこで付けて来たんだ?」

「あ…」


陸の家から戻った僕は、寝巻き代わりのTシャツとハーフパンツに着替えていた。

ハーフパンツの裾から伸びた足には、サーフボードに上がる際にぶつけた痣が、足首にはリューシュコードで擦れた痕が残っていた。


…しまった。

パパの射るような視線を感じ、僕は持っていた上着で脛を隠した。


「あは、これ?ぶつけただけだよ…」

この傷がどうやって付いたのか…長年サーフィンをやっているパパなら絶対分かってしまうのに、僕はその場を取り繕うような嘘を吐いて誤魔化した。

「ぶつけた…だけ?」

分かりきった嘘を吐いた僕に、パパの冷ややかな視線が向けられた。




あの日…七海兄ちゃんが海に沈んだ日、パパは涙ながらに訴えてきた。

これ以上大事な人を海で亡くしたくない…だからおまえは海には入るなと。


僕は、大好きな兄を失うことによって出来た胸の隙間を、その言葉に従う事で埋めようとした。

張り裂けてしまいそうな胸の痛みを、パパの言葉で塞ごうとした。


大切な人が愛した場所は、大切な人を奪っていく…大好きだけど、大嫌いな場所。

海を見なければ、海に入らなければ、痛みも悲しみも乗り越えられる…そう思っていた。


だけど…いつもそこには陸がいた。

七海兄ちゃんがいなくなっても尚、波に挑もうとする陸がいた。

その姿は、ずきずき痛む胸の痛みと辛さを忘れてしまうほど、強い生命力と躍動感に満ちていた。




「海に入ったな!あれほど入るなと言ったのに、海に入ったな!」

七海兄ちゃんがいなくなって、ママがいなくなって、家族がバラバラになって…パパは変わってしまった。

あまり口にすることの無かったお酒を頻繁に飲むようになり、お酒が入れば、必ずと言っていいほど僕に絡んでくるようになった。


「何で俺の言うことが聞けないんだ!俺への当て付けか?そうか、そうなんだな?七海が死んだのも、璃子が出て行ったのも、みんな俺のせいだと思ってるんだろ?」


パパは、七海兄ちゃんが亡くなった悲しみを、未だに乗り越ていないんだ。

ママが出て行った現実を、受け入れていないんだ。


だから、人が変わった様に仕事に打ち込みだしたり、ますます海にのめり込んでしまったり、こうやってお酒を飲んで…現実から逃げるんだ。

だけど、そうやって現実から目を逸らしたって、七海兄ちゃんが帰ってくるわけじゃない、離れていった家族が元に戻るわけじゃない。


でもね、そうする事でパパが楽になるなら…それはそれでいいんだ。


だけど僕は恐いんだ…お酒はパパを、別人に変えてしまうから。


お酒の量が増えていく分だけ、僕の大好きなパパがいなくなってしまう。

お酒は精悍だった顔つきから覇気を奪い、引き締まっていた身体にダブつきを与えていく。

酔いが回っている時のパパは、大きな声で怒鳴ったり、物を壊したりしてしまう。

だけど、僕を怒鳴ることで、少しでも気持ちが晴れるなら、いくらでも怒鳴ればいい、物を壊すことで、胸の痞えが取れるなら、それでいい。


ただ…外で飲んでいる時までそんな事をしてないか、人様に迷惑を掛けてないか…パパの帰りが遅い日は、気が気でない。


そうやって心配しても…酔ったパパの目に、僕は映っていない。

いつもどこか遠く…水平線の彼方でも見る様な目で僕を見る。


…僕はここにいるよ。

こんなに近くにいるのに、どこにも行かないのに…一緒に暮らしてるのに…。


パパにとって今の僕は、物言わぬサンドバッグと一緒。

心の中に溜まった鬱憤を吐き、ぶつける為だけにある存在で、僕という人間は存在しないんだ…。



…僕じゃパパを救えないの?

どんな波だって平気な顔して乗りこなせるパパが、この悲しみの波を乗り越えられない筈がないよ。

僕だって辛いけど、悲しいけど、頑張ってるよ…だから僕を見て、パパ。



パパが疲れて眠ってしまうまで、僕は黙ってソファの傍に座っていた。


「パパ…」

眠っているパパの頬を、一粒の涙が伝い落ちていった…。


◇  ◆  ◇


空けきらない夜の道を、海に向かう自転車が2台…。


「波留さん、酒クサッ!」

「昨日も接待だったんだよ」

酒の抜けきらないむくんだ顔に、波留さんはバツの悪そうな表情を浮べた。


「最近飲みすぎじゃねぇ?そのうち肝臓やられちまうかもよ。若ぶったってオヤジなんだからさぁ、いい加減身体の事考えなよ、マジで」

陸は飾らない言葉と笑顔で、凪砂の父親である波留を茶化しながらも、軽く諌めた。


「サラリーマンてのはなあ、色々大変なんだぞ…って、んな事言っても、若造のおまえには分からねーよな。まあそのうち、おまえにも分かる時が来るって」


出勤前の僅かな時間でさえ海に繰り出して行く波留さんの後を追って、早朝のライディングを楽しむようになったのはいつからだっけ?

あの頃は、俺と波留さんと七海くんの三人で、ワイワイ騒ぎながら、海に向かって自転車競走とかしたっけな…。


過ぎし日に思いを馳せていると、防風林の隙間から吹き付けてくる潮風が、俺の頬を撫でていった。



朝の海は最高だ。

特に平日の早朝なんて、ローカルしかいないから、日が昇るまでの一時をOFFSHORE(陸風)に吹かれながら思いっきり楽しむんだ。



そうやって今朝も思う存分波を楽しんでから、適当な頃合を見計らって波留さんと共に陸へ上がった。



「あー、これでやっと酒が抜けたよ」

そう言ってウェットを脱ぎ出した波留さんの姿に、俺の視線は釘付けとなった。


夏前の海は海水も気温も低いから、陸に上がった後もウェットは脱がず、そのまま家に帰っていたせいもあり、波留さんの裸を見るのは久し振りだった。


…最近痩せたとは思っていたけど。

あんなに逞しかったはずの身体には、波乗りに必要な筋肉こそ残っているものの、その上を覆っていた艶やかな肉が落ちて、一回り小さくなったように見える。


「波留さん、ちゃんとメシ食ってる?なんかさ、すげえ痩せてねぇ?」

俺の言葉に波留さんは、自分の身体を見下ろしながら掌で腹を擦った。

「そうかぁ?ちゃんと食ってるぞ。けど、最近忙しいからな…」


「そういえば、朝飯はどうしてんの?この時間じゃ食ってる暇ないっしょ?」

これから家へ戻り、身支度を整えて駅へ向かう時間を考えたら、波留さんにそんな時間があるようには思えない。

「そんなの≪10秒チャージ≫に決まってるだろ」

≪10秒チャージ≫って…ゼリー飲料のあれか。


「つーか、凪砂はどうしてんの?まさか一人でメシ食ってんの?」

一人残された凪砂の事が心配になって掛けた言葉に、波留さんの顔がふっと曇った。


「ああ、あいつは朝弱いからな…。適当な時間に起きて、その辺にあるもん食ってんだろ」

そう言う波留さんの言葉には、凪砂を思い遣る気持ちなど込められていなくて、どこか他人行儀な感じがした。

「…なんかそれってヒドクねぇ!?」


「ああ、そうかもな…」

そう言って笑う波留さんの笑顔は嘘臭くて、俺の嫌いな笑い方をしてた。


それは凪砂と同じ、嘘つきの笑顔だった…。


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