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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
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第3話

潮と波に揉まれ続けた僕は、ヘトヘトになった身体を引き摺る様にして浜へ上がった。


「う~、身体ベタベタ、髪もバサバサ、キモチ悪い~」

濡れた身体をタオルで拭いていると、海から吹く風が髪と身体を乾かしてくれる。



「あれ…?」

ウェットを脱ぎ、制服に着替えようとしたら、指先が震えてワイシャツのボタンが上手く留まらない。


…疲れ過ぎると、身体が動かなくなるってホントなんだ。

ガクガク震える足と、重くて上がらない腕…味わったことの無い感覚に、僕は感動を覚えてた。


「おまえ…気持ち悪いとか言うなよ。コレくらい普通だぞ…ったく、ココに住んで何年になるんだ?」

僕の言葉に呆れたような表情を浮かべると、陸は震える僕の手をそっと退けて、ワイシャツのボタンを留め始めた。

「ちょ…やめてよ、子供じゃないんだから。これくらい自分で出来るもん」

さり気ない陸の優しさが嬉しいクセに、口から出るのは心と反対の言葉。

「ばーか、お前の指震えてんじゃん。そ・れ・に…『凪砂姫』を大事にしないと、オヤジ達の仕返しが恐いからな」

からかうように笑いながら、ワイシャツのボタンを留め終えた陸の指先が、僕の髪をクシャリとかき上げた。



「うちで夕飯食ってくだろ?」

帰り支度を済ませ、自転車を歩道に乗り出したところで、陸が声を掛けてきた。


「うん、食べる!あ、ついでにお風呂も貸して」

「なんなら泊ってくか?」

「う…ん、でも…パパが帰ってくるから」

「そう…だな」

言い淀む僕の言葉に、陸の顔が曇ったように見えた。




「ただいま…」

玄関先で発した僕の声が、シンと静まり返った家の中に響く。


わいわい騒ぎながら食べた夕食も、一緒に入ると言って聞かない陸を押し退け入ったお風呂も…この家に帰って来ると、全てが夢の中の出来事のように感じられてしまう。

外から差し込む僅かな光を頼りに、耳が痛くなるほどの静けさに包まれた家の中を歩き、僕はある部屋へと向かった。



薄暗い部屋に置かれた座布団に座ると、傍にあったライターを手に取り、蝋燭に火を灯す。

ゆらりと揺れる蝋燭の明かりに照らし出された遺影には、輝くような笑顔を浮かべた兄…七海の姿があった。

僕は遺影の兄に視線を向けたままお線香を立てると、静かに両の手を合わせた。


「今日はね…七海兄ちゃんと同じ事してきたんだ。何だと思う?…そう、サーフィンしてきたの。陸がね、教えてくれたの…」

遺影に向かって語りかける僕の声が、仏壇の中で反響して部屋に響く。


先程まで居た陸の家の賑やかさを思い出すと、無性に寂しさがこみ上げてくる。

あまりにも対照的な家の雰囲気に、涙が溢れそうになった…。



兄が亡くなったのは3年前の夏。

台風が去ったばかりの海水浴場で、離岸流に流され、溺れている若者を救おうと海へと入った兄は、溺れている若者と共に海に沈んだ…。


海の楽しさも、恐ろしさも、嫌というほど経験し、知っているはずだった兄。

『どうして?』

皆が首を傾げた。

『だけどいい子だった…』

周りの大人達は口を揃えて言った。



兄の死をきっかけに、僕の家はバラバラになってしまった。


いつまで経ってもこの町を好きになれなかったママは、元の姓へ名前を戻し、実家へ帰って行った。

息子を失い、愛する妻まで失ってしまったパパは、人が変わったように仕事に打ち込み出すと同時に、異常なほど海にのめり込んでいった。


兄を失い、ママが去って、パパと僕、二人の生活が始まった時から、僕は一人ぼっちになっていた。

2人で生活しているはずなのに、常に孤独が付き纏っていた。

寂しくて、何度も泣きそうになったけど、その度僕は涙を堪えて笑った。

陸みたいな笑顔になるように、と願いながら笑ってきた。


泣いてしまったら、この生活に耐えられなくなる気がして…ずっと堪えてた。


…泣いてしまえば楽になるのかな?

そんなことを考えていると、玄関の扉が開く音がした。


「ただいま…」

『今夜は接待だから、飲んでくる』と言って出て行った通り、帰宅したパパはほろ酔い状態だった。

「おかえりなさい」

僕はリビングの明かりを点けると、恐る恐るパパを出迎えた。


疲れた様子でソファに腰を下ろすパパを見詰めながら、僕の心は恐怖心に囚われていった…。


◇  ◆  ◇


「ますますママに似てきたなぁ」


寝込みを襲ってきた息子を捕まえると、愛らしい顔をしげしげと眺めた波留が、やわらかな肌に頬擦りをする。

「パパ、いたいよー。おひげちくちくするぅ」

「はは、そうか?痛いかー」

逃げる頬をわざと追いかければ、凪砂の口から楽しげな笑い声が漏れる。

「もう逃げられないぞ」

寝転んだまま、細い身体を捕まえると、そのまま布団の中へ抱き込んだ。


「ふふ、パパだーいすき!」

パパにぎゅうと抱きつきながら、潮風みたいなパパの匂いを胸いっぱい吸い込んだ。


僕は、波と潮で鍛えられた、パパの大きな胸に抱きしめられるのが大好きだった。

寝ぼけ眼のパパに、髭でじょりじょりする顔を擦り付けられるのも大好きだった。



「海いこうよー!ねえ、う・み!」

抱きしめられた腕から逃げ出し、パパのお腹に馬乗りになると、その場でぴょんぴょんと跳ねてみせた。

「うわッ、苦し…って、な・ぎ・さー!」

怒ったフリして、またぎゅっと抱きしめてくれる…そんなパパが大好きだった。



照りつける陽射しのせいか、それとも吹き付ける潮風のお陰か…この町に越してきてから、僕は除々に体力を付け始め、頻繁に起きていた喘息の発作の回数も減っていき、前の町に住んでいた時みたいに、昼夜関係なく起きる発作に怯えることも無くなっていった。


小さい頃から家の中に篭り、外で遊ぶ事の喜びを知らなかった僕を、外の世界へ連れ出してくれたのは、陸と七海兄ちゃんだった。


波に挑み、揉まれている二人の姿を見るたびに、僕も海に入りたいと願った。

だけどママは、そんな僕の願いを聞き入れてはくれず、『完全に直ったわけじゃないの』と言っては、海に向かおうとする僕の行く手を遮った。


どうしてそこまで拒むのか…僕にはその理由が分からなかった。



毎朝早く出勤するパパと一緒に朝食をとる事が出来るのは、週末や祭日だけ。

家族揃って食卓を囲み、楽しい朝食を済ませると、僕はパパと共に陸を迎えに行った。


「りーくーッ、海行くよー!」

陸の家に向かって声を掛けると、準備万端の陸が玄関から飛び出してきた。

「早く行こ!」

待ちかねていた陸に背中を押されながら、僕達はいつもの場所へ向かった。



陸と七海兄ちゃんが海へ行く時はいつも、パパが必ず付き添って、その後を僕が追い掛けた。

たまに陸のパパとママがやって来て、砂浜のピクニックを楽しんだりもした。


だけど…そんな時でも、ママが海に来る事はなかった。

どんなにゆっくり歩いても、10分と掛からない距離なのに…なんでママは来ないんだろう?


ママの行動が不思議で仕方なかったけど、『きっとママは忙しいんだ、だから来れないんだ』、と考えるようにしていた。




「なんで璃子りこママって、海に来ないんだ?」

ある時、陸がパパに聞いたことがある。

「あ、それ僕も知りたーい!」

ずっと気になっていた事だから、僕は陸と一緒になってパパに聞いてみた。


「ねえ、何で?」

「どうして?」

ずいと詰め寄る僕と陸の顔を交互に見比べるパパの顔に、困惑した表情が浮かんだ。


「璃子は…ママはな、海が嫌いなんだよ…」

『海が嫌い…』そう言うパパの表情はどこか寂しげで、これ以上この話に踏み込んじゃいけないんだと、幼いながらに気付かされた。


「海が嫌いだったらさ、何で波留さんと結婚したのさ?だって波留さんサーファーだし、海大好きじゃん」

パパの様子に気付かなかったのか、陸は屈託のない笑顔を浮かべながら、さらに質問を続けた。

「ふふ…それもそうだな」

陸のもっともな質問に苦笑しながら、パパはがっしりとした大きな掌で、陸の頭をクシャクシャと撫でた。

「まあそれは…大人の事情…ってヤツかな?」

冗談ぽく笑い飛ばすパパの顔には、嘘っぽい笑顔が浮かんでた。

「なんだよー、『おとなのじじょう』って…。今度璃子ママに聞くからな」

曖昧にはぐらかすパパの答えに、陸は納得いかない様子でむうとむくれた。



ママが海を嫌っていたなんて…初めて聞いた。


この町へ引っ越す話が出た時、ママはそれを拒んでいた。

だけど最終的にはその話を受け入れ、この町へ引っ越す事を了承した。

この町へ来て、病弱だった僕がどんどん元気になっていくのを見て、『引っ越してきて正解だったわ』と言ってくれた。


…なのに…どうしてなの?


僕がその理由を知ったのは、それから何年も後の事だった…。


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