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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
22/25

第22話


「なんかスゴイ事に…なってるな」

「そうね…」


玄関の扉を開けた途端、家の中に篭っていたむわりとした熱気に出迎えられた。

淀んだ空気を掻き分ける様にしてリビングへ向かうと、すっかり変わってしまった部屋の様子にパパとママが言葉を無くした。


割られた窓ガラスの残骸、格闘によってなぎ倒された家具類…パパが入院した日、この部屋の中はメチャクチャになってしまった。

荒れ果てた部屋は後日掃除を行い、整えられたけれど、角の欠けた家具や、大きな傷の付いた床、壊れ処分された家具の置かれていた場所に出来た空間などが、あの夜の出来事を否が応でも思い出させて、胸が痛くなった。


「やっぱり…陸の家に行こうか…」

今は笑っているけれど、時間が経てば辛くなるかもしれない、病院に戻ってから思い出すかもしれない。

せっかく快方に向かっているパパを、嫌な記憶の詰まったこの家に連れて来たのは間違いだったのかもしれない。

不安と後悔に満ちた目でパパを見詰めたら、「とりあえず掃除でもするか」と言って、辛そうな表情を笑顔に変えた。



締め切ったままになっていた窓を全開にすると、海から吹いてくる風が、重く淀んだ空気を押し出してくれる。

家具の上に積もった埃を払って掃除機をかけると、生活感の無かった部屋に生気が戻ってくる。


たった一晩過ごすためとはいえ、せっかく我が家に戻ってきたんだからと、率先して部屋の掃除を始めたパパにならい、ママは掃除機に手を伸ばし、僕はハンディタイプのモップを掴んだ。

黙々と埃を払っていたかと思えば、昔を思い出して話し込み、掃除という地味な作業をしながら、僕達はお互いの間に出来てしまった距離を徐々に詰めていった。

そして、掃除が終わる頃には、磨き上げられた部屋の中と同じように、心の中に残っていた小さな蟠りも、きれいサッパリ無くなったような気がした。



「うわ、お水しか無い…」

労働後の水分補給をしようと冷蔵庫を開ければ、飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルと、使いかけの調味料類しか入っていない事に気付く。

「買出し行くか?」

「そうね、お夕飯の材料買わなきゃいけないし…」


僕達親子は、かつてのように仲睦まじく近所のスーパーへ買出しに出掛け、わいわい騒ぎながら買い物をし、家に戻るとママは夕飯の支度を、パパとボクは庭に生い茂った雑草を片付けた。

汗を沢山かいた後はパパと一緒にお風呂に入り、お互いの背中を流し合いながら、学校生活や最近の出来事を語って聞かせた。


入浴を終えてリビングに戻ると、ダイニングテーブルの上には、約束通りパパと僕の好物が並べられていた。

「うわ、美味しそう」

「腹減ったなあ」

「そうだと思って沢山作っちゃった…」

満面の笑みで席に着くと、ママは照れ臭そうな笑みを浮かべた。



ママが居なくなってからの食生活は、とても人に言える様なものでは無かった。

朝とお昼はそれぞれ別に、適当な物を買って食べていた。

あまり料理の得意でない僕が作る食事はいつも失敗ばかりで、いつの頃からかパパは外で夕食を済ませて来るようになっていった。

僕はというと、陸に誘われた日は陸の家で夕食を、それ以外の日は食べないか、翌朝用に買っておいたパンを齧って済ませる事が多かった。


偏った食生活を送ってしまったせいなのか、それとも元々の体質なのか、高校へ上がっても僕の身体は大きくならず、ずっと小さく華奢なままだった。

成長期という言葉通り、日を追って逞しくなる陸の隣で、いつまでも変わらない自分の姿は…コンプレックスだった。



「凪砂、おかわりする?」

久し振りに口にするママの手料理は、温かくて、懐かしくて、美味しくて、涙が出そうな味がした。

「うん、する」

溢れてしまいそうになる涙をぐっと堪えて微笑めば、ママもまた涙を堪えているように見えた。

「おいしいね…」

ママの手料理を味わいながら、ずっと求め続けていたもの…平穏な生活・・・も一緒に噛み締めた。



夕食を終え、リビングのソファに座り、他愛もないお喋りに興じていると、僕の口から大きなあくびが飛び出した。

「なんだ、凪砂。もう眠くなったのか?」

「昼間いっぱい働いたからね」

「俺だって働いてたぞ」

「そうね、沢山働いて、それ以上に休んでたわね」

パパとママの何気ない掛け合いは昔と変わらず、もしもここに七海兄ちゃんが居てくれたなら、あの頃に戻ってしまったのかと錯覚してしまいそうだった。


「凪砂、いらしゃい」

手招きされてママの隣に腰を降ろせば、肩を抱かれて甘くやさしい香りに包まれた。

「背が伸びないところは、わたしに似ちゃったのかしら…」

高校生にもなって、ママに肩を抱かれて寄り添うなんて恥ずかしいと思ったけれど、髪を撫でる繊細な指の感触と、懐かしい温もりが、余計な思考を拭い去ってしまう。

「男の子なんだから、せめてあと少し大きくなって欲しいわよね」

ママは小さな溜息を吐くと、その細い腕の中にすっぽり納まってしまう僕の華奢な身体をぎゅうと抱き締めた。



「ねえ…波留」

「ん?」

「お願いが…あるの」

僕を抱き締めたまま、パパに話しかけるママは神妙な面持ちをしていた。

「わたしを…ここに置いて貰えないかしら?」

「置いて…って、どういう…」

突然のママの申し出に、パパと僕は驚いて顔を上げた。

「この子の…凪砂の面倒を見たいの。三食ちゃんと食べさせて、学校へ送り出してあげたいの。普通の高校生と同じ生活を送らせてあげたいの。勝手に家を出ておきながら、今更何を…って思われても仕方ない。だけど…」

「璃子は、凪砂の面倒しか見てくれないのか?」

「え?」

「俺の事は放ったらかしか?」

「あ…あの…」

視線を彷徨わせ、戸惑っているママをやさしく見詰めたパパは、僕が望んでいた事…ずっと願っていた事…を口にした。


「置いてくれ…なんて水臭いこと言わずに、戻って来いよ。いや、戻って来てくれないか?こんな俺の元で良ければ」


パパの言葉を聞いて、ママは静かに涙を流し、僕はそんなママの胸に顔を埋めてこっそり…泣いた。


◇  ◆  ◇


「なんか…丸くなったよなあ」


松林の影でウェットに着替えていると、しみじみとした声で話す陸に全身をじっくりと眺められた。


「それって、太ったって事?」

「うーん、それもあるけど…」

「あるけど?」

陸は肉付きの良くなった僕の二の腕を掴むと、むにむにと揉みながら、ふっと顔を綻ばせた。


「角が取れて、取っ付きやすくなった…っていうか、前よりかわいくなった」

「角って…かわいいって…どういう意味?」

「言葉のまんま、褒めてるつもりだけど?」

褒められているとは思えない言葉にむうとむくれると、陸の大きな手が僕の髪をくしゃりと撫でた。

「そんな顔すんなよ。かわいい顔がブサイクになる」

「かわいいとか言われても、嬉しくない…」


…どうせなら『男らしくなった』とか、『逞しくなった』とか言われたいのに。

そんな事を考えながら陸を睨み付けたら、太陽みたいに眩しい笑顔を返されて、拍子抜けしてしまう。


「ずるいよ…その笑顔」

むくれた顔をふっと逸らしたら、膨らんだ頬をむにっと摘まれた。

「今のおまえってさ、すっげー幸せそうな顔してんだ。俺、昔から凪砂の事好きだったけど、今の凪砂が一番好きかな?」

そう言って僕のほっぺに大きな音を立ててキスすると、陸はサーフボードを抱え、海へ向かって走り出してしまった。

「あ、ちょっ…もう…。陸の…ばか」

唇の感触が残るほっぺを掻きながら、僕はむず痒い気持ちで陸の後姿を目で追い掛けた…。



かけがえのない家族…七海兄ちゃん…を失ったあの日から、僕達一家はバラバラになってしまった。

お互い決して口にする事は無かったけれど、僕達はそれぞれに後悔の念を抱き、自分を責め続けていた。

…自分が悪い。

…自分さえいなければ。

そんな感情に憑り付かれた僕達は、それぞれのやり方で、自身を苛む苦しみから逃げようとしていた。


家を出ることで現実に背を向けたママ、お酒に走る事で乗り越えなければならない悲しみから逃げたパパ、弱い部分を見せなければ周囲に迷惑を掛けないで済むと思い込んでいた僕…。

それが最善の方法だと思っていた僕達の行動は、ただの現実逃避でしかなく、そんな事をしたところで事態は好転するどころか、むしろ悪化していくばかりだった。



亡くなった七海兄ちゃん。

僕達を置いて出て行ったママ…。

大好きなパパだけは僕の元に残ってくれたけれど、日を追う毎にパパの気持ちまでもが僕から離れていってしまった。


そんなパパの心を繋ぎ留めておこうと必死になり、無理して笑い続けてみたけれど、パパは僕を見なくなり、やがて波と仕事とお酒にしか興味を示さなくなってしまった。

辛く苦しい日々に音を上げてしまいそうな時、子供みたいに大きな声を上げて泣き出したくなってしまった時、僕は俯きじっと耐えた。

そんな姿が周囲に余計な心配を掛けているとも知らず、僕はこみ上げてくる涙をぐっと堪え続けた。


けれどどんなに頑張っても、堅牢に固めたつもりの心は時折、砂で作った城のように脆く壊れてしまいそうになる。


ぼろぼろ…崩れ落ちる砂のように、簡単に剥がれ落ちてしまう虚勢と露になっていく弱い心。

一人ぼっちの部屋、孤独に押しつぶされそうな夜・・・何度も挫けそうになったけれど、明日になれば、唯一の依り処である陸に会える。

陸に会って、太陽みたいなあの笑顔を見る事が出来れば、きっとまた強くなれる。

そう思って辛い夜を乗り越えて来たんだ。



人見知りをしてしまう僕だけど、初めて会った時から、何故か陸とは直ぐに馴染む事が出来た。

僕にとって陸という存在は、ちょっと特別で、パパやママ、七海兄ちゃんに対して感じる≪好き≫とは違う≪好き≫を感じていた。

強くてカッコいい陸は、いつだって泣き虫で弱虫な僕を守ってくれた。

七海兄ちゃんが居なくなり、家族がバラバラになってしまった時には、何も言わず、ずっと肩を抱いていてくれた。

パパとの生活に疲れ、心が折れそうになった時には、陸の笑顔を思い出して気持ちを奮い立たせた。

俯かず、前を向いて歩こうとする僕の側には、いつも陸が居てくれた。

そんな陸のやさしさに、何度救われたか分からない…。



『救う』と言えば…あの晩、パパの異変に気が付き、助けに来てくれたのも陸だった。

ママと再会した時には、ずっと聞けなかった事を、僕の代わりに聞いてくれた。

ママの心が開くきっかけを作ってくれたのも、パパとママの縁が戻ったのも、陸のお陰と言っていいのかもしれない。

だから陸は、僕だけじゃなく、僕達家族にとっての恩人でもあるんだ。



一時退院を終えたパパを病院へ送り届けると、ママはその足で実家へ戻り、荷物をまとめた。

翌日には大きなスーツケースとバッグを持ち、『ただいま』と言って僕達の家へ戻って来てくれた。

そのお陰で、僕は三度の食事を摂れるようになり、栄養不足だった身体は目に見えて健康的になっていった。

そんな僕の姿をパパは嬉しそうに、ママはちょっと誇らしげに眺めてから、ぎゅうと抱き締め、その成長振りを全身で確かめた。

「や めて、恥ずかしい…」、パパとママの行為に一応の抵抗を示してみせるけれど、そんな時、僕の心の中には幸せな気持ちが満ちてきて、「恥ずかしがることなん て無い、親子なんだから」、そう言って抱き締めてくれる胸の温かさに包まれると、溢れる幸せで胸がいっぱいになった。



『今のおまえってさ、すっげー幸せそうな顔してんだ』

そう言って笑う陸だって、僕が知ってる中で一番幸せそうな顔してる。

僕を励まそうとしてくれていた頃の笑顔より、今の方が何倍も何十倍も輝いてる。

バラバラになった僕達家族を元の鞘に戻し、明るく楽しい生活を与えてくれた陸に、『ありがとう』って言ったら、『俺は何にもしてねえよ』なんて軽く流してしまう。

そんなさりげない所も、陸らしくて…好き。

何があっても変わらず、僕を大切にしてくれる陸と…離れたくない。


何の柵も無くなった今、僕は答えなくちゃいけないんだ。

あの時告げられた陸の気持ちに対する、本当の答えを…。


「行こう」

背中のジッパーを引き上げ、ウェットを着込むと、陸の後を追って海に向かった…。


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