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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
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第21話


入院直後のアルコール依存症患者は、離脱症状(禁断症状)を起こしやすく、飲酒欲求も強いことから、原則として病院外への外出はもちろん、外泊も禁止となっている。

また、精神疾患の合併がある場合は、集中的な内科検査と併せて症状に応じて精神科の治療も受けていかなければならない。

第一段階の治療が終わるまでの約1ヶ月を専門的な病棟で過ごし、その後は症状に合わせ、内科もしくは精神科病棟へ移ることになる。

そしてそこで行われる治療は、退院後も断酒が継続出来るような教育や訓練を目的とするものへと移行していく。


パパは先日、専門的な病棟から、今居る精神科病棟へ移ってきたばかりだという。

内科病棟へ移らなかったのは、パパが鬱傾向にある為で、この病棟ではそこに重点を置いた治療を行うという事らしい。



「やっと、外泊の許可が下りたよ」

そう言って差し出された書類には、パパの外泊を認める文章と医師のサインが記入されていた。

「これに日付を入れてもらえば、今すぐにでも家に帰れるけど…どうする?」

雄介さんは最初にパパを、続いてママを、そして最後に僕の顔をじっと見詰めた。


「波留?」

「帰りたいけど…いいのか…?」

雄介さんの言葉に不安げな表情を浮かべたパパの視線が、そっと僕に向けられてきた。

「璃子は?」

「わたしは…」

困った様な表情を浮かべたママは、僕に縋る様な視線を送ってきた。

「それじゃ、凪砂…おまえは?」

答えを出せないでいる両親に注がれていた視線が僕に集まると、この答えの鍵を握っているのは僕なんだと思い知らされた。



…どうすればいい?

ここで出す答えが、僕達家族の未来に関わってくると思うと、緊張して鼓動がどきどきと早くなる。


「えっと…」

僕達が席を外している時、パパとママの間でどんな会話が交わされたのかなんて分からないけど、2人の間に流れる雰囲気が、少し穏やかなものになった様に感じるのは…気のせいじゃないよね?

パパとママ、2人の事を信じても…いいよね?

「僕は…ママの作ったご飯が食べたい。パパと一緒に食べたい。それと、パパに七海兄ちゃんのお墓参りをさせてあげたい。それから…皆で海が見たい…」


3人が揃えば、暗く寂しいあの家にも、久々に温かな明かりが灯るはず。

そしたら、七海兄ちゃんもきっと喜んでくれると思う。

元気になったパパの姿を見せてから、あの場所へお花を流しに行くんだ…。


「どう?」


海を嫌うママにとって、僕の提案は酷なものかもしれない。

一度出て行った家で夜を過ごさせるなんて、辛すぎるかもしれない。

それはパパだって同じ。

割れてしまったガラスは新たに入れ直し、荒れた部屋の中は掃除をして片付けたけど、大きな傷の付いたテーブルや、角の取れた椅子が、あの夜の痕跡を留めている。

そんな状態の部屋を見たパパが、どんな反応を示すのかと思うと、たまらなく不安になった。


「ダメ…かな?」

様子を伺うようにして二つの顔を交互に見詰めたら、どちらの顔にも零れんばかりの笑顔が浮かんだ。

「よし、凪砂の望み通りにしよう」

「好きなもの、何でも作ってあげるわ。何が食べたい?」

2人の反応はとても明るく前向きで、僕の予想に反していた。


「ホントにいいの?」

もう一度確認するように2人を見詰めらたら、ここへおいでと言って僕を膝の上に座らせた。

「久し振りだな…こんな風にしてやるの。なんか、ホッとするよ…」

高校生にもなって親の膝に座らされるなんて恥ずかしいと思ったけど、ホッとすると言って抱き締められたら、僕までそんな気持ちになった。

「そうしていると、あなたの小さい頃を思い出すわ」

「ママ…?」

僕の頬に手を伸ばし、そっと撫でるママの顔に、悔しそうな表情が浮かんだ。


「小さい頃の凪砂は、一度泣き出したら、なかなか泣き止まなかったのよね」

「ああ、そうだったな」

「泣き止ませようと必死であやして、宥めてもダメ。おもちゃで気を惹いたり、外へ連れ出したりしてもダメ。何をやってもダメで、こっちが泣きたくなる頃になると、ちょうどあなたが帰ってきて…」

「家が見えるよりも先に、凪砂の泣き声が聞こえてきたんだよなあ。ご近所様は、さぞかし迷惑だっただろうな」

「ふふ…きっとそうね。だけどそれも、あなたが家に入るまで」

「凪砂の泣き声が、おかえりなさいの挨拶の代わりだったな」

「あなたに抱かれた凪砂は、面白いくらいピタリと泣き止むのよね。あれは悔しかったわ。母としてのプライドが傷付いたわ。七海の時はそんな事なんてなかったから…」


自分の知らない過去を持ち出されて居たたまれない気持ちになったけど、『悔しかった』と言いつつ嬉しそうな顔をするママはとても幸せそうに見えた。


「凪砂は昔からパパっ子だったのよね」

「そうか?俺にはママっ子に見えたぞ」


僕を間に挟んで言い合う2人の姿がおかしくて、くすくすと笑い出したら、それにつられた両親もくすくすと笑い出した。



「よし、決めた。今日は凪砂と璃子、親子3人川の字に並んで寝るぞ」


外泊許可を貰ったパパと共に、僕達は住み慣れた我が家のある街へ向かった…。


◇  ◆  ◇


陸のパパが運転する車は、7人乗りのミニバン。

僕を挟んで海側にパパ、反対側にママが座り、サードシートには陸が一人で座っている。


「あー、この匂い。やっぱり落ち着くなあ」

海沿いの道を走る車が僕達の住む街へ差し掛かると、窓から入り込む風に目を細めたパパが嬉しそうに笑った。

「匂いって、何の匂い?」

「何だ、分からないのか?仕方がないなあ」

パパの膝に手を着き窓辺に身を乗り出せば、湿り気を帯びた海風が僕の前髪を浚っていく。



まるい地球の半数以上を占める海は、季節や時間、気候によって常に姿を変え、打ち寄せる場所によって色や匂いもまでも違う。

言われてみれば確かに、南洋の海は青く澄んでいるし、北洋の海は暗く沈んだ色をしてる。

それらの違いは、暖流・寒流といった潮の流れや、海底までの水深、沿岸の気候からの影響を大きく受けているという。


こんな小さな湾の中も例外なくその影響を受けているから、岸辺に沿って歩き続ければ、常に違った表情を見る事が出来る。



「こっちの海は、川がいくつも流れ込んでるから、病院前の海よりかなり水質は劣ってる。決して綺麗な海とは言えないけど、俺にとっての海はやっぱり…ここなんだ」

少し生臭みを帯びた潮の香りが車内に満ちてくると、パパの表情が穏やかになっていく。

「俺も波留さんの意見に賛成。混んでる、汚い、臭い…なんて言われても、やっぱりココが一番だ」

後ろの席から身を乗り出してきた陸が、パパの顔を見てニコリと笑った。

「なんて…俺はココの海しか知らないんだけどさ」


海沿いの街で育った僕達は、毎日欠かさず海を眺めているから、どこかへ出掛けようという話になると、山や川、普段と違う景色を好んで求めた。

そのせいか、この年になるまで海といえば、目の前にあるこの場所か、テレビや雑誌の中で見るものしか知らなかった。


「そうか、そうだったな。俺の体力が戻ったら、2人でサーフトリップでもするか?」

「おお、いいっすねえ」

「世界の波はとてつもなくデカイぞ。ビビッて腰抜かすなよ」

「うわ、マジで行きたくなってきた」



あの夜、パパと陸の間に流れた険悪なムードや、その後に起きた事で、2人の関係がどうなるか気になっていたけれど、波について熱く語り合うパパと陸を見ていたら、そんな心配など無用だと分かり、心にずしりと圧し掛かっていた重石がひとつ取れた様な気がした。



「サーフトリップも良いけど、その情熱を勉強にも向けて欲しいものだわ…」

いつになくはしゃぐ陸を見て、呆れた様に尚子さんが呟いた。

「仕方ないわよ。一度海に魅せられたら、他の事なんて目に入らなくなるんだから…」

「確かに」

悟った様なママの態度と言葉に、尚子さんが苦笑した。



「このまま七海のトコ行くか?それとも先に家寄るか?」

ハンドルを握る雄介さんがミラー越しに行き先を確認してくると、「先に七海の所へ」とパパが答えた。

「了解」

パパの言葉に車は国道を離れ、狭い坂道を上がって行った。



「久し振りに、全員揃ったな…」

七海兄ちゃんの墓前には、パパとママ、雄介さんと尚子さん、そして陸と僕が立っていた。

「そうねえ…何時以来かしら?」


七海兄ちゃんが亡くなったのは3年前。

その頃には僕達も大きくなっていたから、昔の様に頻繁に両家族が揃う事も少なくなっていた。


「こんな形で揃うのもなんだけど…久し振りだな、七海」

墓前に語りかけながら手を合わせるパパを見て、瞳を潤ませたママが小さく微笑んだ。

「子供に心配掛けさせるなんて…ダメな親よね」

パパの横に並び手を合わせたママが、詫びるように頭を下げた。


…大丈夫だよね?


神妙な面持ちで手を合わせる2人の姿を見ていたら、全ての事態が好転するような気がした…。


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