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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
17/25

第17話


台風の接近に伴って、海上で発生した大きなうねりは、そのままそそり立つ大きな壁となって砂浜へ打ち寄せて来る。

テレビの中では、暴風や高波、被害の状況などを伝えるレポーターの悲惨な姿が映し出されていた。


「じゃ、そろそろ行くか…」

そう言うと、逞しい身体に精悍な顔つきをした男性は、フルのウェットに身を包み、部屋の壁に立て掛けてあったボードに手を伸ばした。


「本気で言ってるの!?」

「この格好で冗談言うと思うか?行くに決まってるだろ」

「だって…」

建物を揺らす強い風と、激しく窓を打つ雨の音に、女性が不安な表情を浮かべた。


「こんな日に海に出るなんて、バカみたいだと思ってるんだろ?だけど俺はバカじゃない。海の恐さも楽しさも十分過ぎるほど知っている。だから危ない真似なんてしないよ」

男性はボードに伸ばした手を止めると、その手で女性を抱き寄せた。

「大丈夫だって…様子見てくるだけだから。すぐに戻ってくるからさ」

引き止める女性の手をやんわり引き剥がすと、宥めるようなキスをおでこに落とし、男性は嵐の中へ飛び出して行った。



「智樹ッ!」

悲痛な叫びが響く霊安室。

白い布の掛けられた寝台の上には、一人の男性の身体が横たえられていた。

精悍な顔を引き立たせていた小麦色の肌は酷く青ざめ、まるで氷の海を泳いできた様な様相を呈していた。


「いやあああッ!」

「璃子ッ」

悲しみに崩れ落ちる女性の身体を、逞しい腕が抱き留めた…。




「海なんて嫌い…大嫌い…」

そう言うママの声は酷く平坦で、あらゆる感情が抜け落ちてしまっている様に聞こえた。


…≪智樹≫って?

確かあの日、パパも『智樹が死んで・・・』と言ってたはず。

もしかして、海で亡くなったパパのお友達と、ママが言ってる智樹さんて…同じ人?


探るようにママを見詰めると、僕の視線に気付いたママの目元がふっと綻んだ。


「わたしの大事な人を奪った場所だから、大嫌いなはずなのに、どうしても忘れられないの…。潮の香りも、波の音も…」

静かに呟くと、ママの視線は再び凪いだ海原に向けられた。




「俺じゃ、おまえの支えになれないか?」

そう切り出されたのは、智樹を失ってから2度目の夏だった。


…あの日、何でもっと強く引き止めなかったの。

…泣いて、縋って、無理矢理にでも引き止めればよかった。


後悔に満ちた日々と、失った痛みと悲しみを共に分かち合った人。

この人にとっても、智樹は大切な存在だった。


「でも…」


わたしが智樹と知り合う前から2人は親友であり、サーフィン仲間。

それぞれ愛情の形は違っても、失った痛みは同じはず。



智樹との事は過去の事…なんて言えば嘘になる。

わたしはこの人を介して、ずっと智樹の影を追っていた。

智樹を奪った海に対し、挑むように臨んで行く後姿に、智樹の背中を重ねていた。


この人の側にいたら、いつまでも智樹の影を追い続けてしまう…。


「わたし…智樹が忘れられないの。あなたを愛せるか…分からない」

包み隠さず心の内を晒したわたしの手をとると、あなたは微笑んでくれた。

「その気持ちも含めて全部、俺が受け止めてやる」


…ごめんなさい。

今のわたしに、智樹以外の人を愛せる自信なんて無い。

だけど、互いの傷を慰め合う事なら…出来るかもしれない。


ぽっかりと空いてしまった心の穴を無理矢理埋める様にして、わたしはこの人と結婚した…。


◇  ◆  ◇


わたしの中に新たな命が宿った…。


モニターの中に映る姿はあまりにも小さくて、医師の説明がなければその姿を見つけることさえ難しい。

それでも…小さな命は、確実にわたしの中で息づいていた。



…わたしはこの子を愛せるの?

寂しさを埋めるようにして一緒になった人の子供を宿した時、嬉しさよりも先に不安が募った。

日を追う毎に膨らみ始める腹部の分だけ、わたしの中にある不安が増していった。


揺れる気持ちを抱えたまま迎えた臨月。

予定日よりも早く産気づいたわたしは、母になる覚悟を決められないまま、痛む腹部を抱え分娩室へ向かった。


外へ出たいと願う子供。

まだ無理だと拒むわたし。

早く早くと急かす子供。

もう少し待ってと懇願するわたし。


激しい痛みと、迷う気持ち。

2つの苦しみと戦っているわたしの脳裏に、二度と会えないと思っていたあの人…智樹の顔が浮かんできた。



あんなに愛していた人なのに、日を追う毎に曖昧になっていく記憶。

大切にしてきた日々は徐々に精彩を失い、あなたを思い出そうとしても、浮かんでくるのは写真の中に写る姿ばかり。



…智樹。

痛みに耐えるわたしの中に浮かんだ智樹の姿は鮮明で、手を伸ばせば温もりさえ感じられそうなほどはっきりとしていた。

『恐がるな、俺はいつでも側にいる…』

遠退きそうな意識の中に響く智樹の声を聞きながら、わたしは新しい命をこの世に送り出した。



生まれたその子が男の子だと聞かされた時、わたしは確信した。

この子は智樹の生まれ変わりなんだと。

胸に抱いた幼子に智樹の面影を見つける事は出来るはずも無いけれど、それでもわたしは決意した。

今日からわたしは母になる。

生まれ変わったあの人の母となって、大切に愛し、育てていこうと…。


だけどそれは、わたしだけの秘密。

誰にも明かしてはいけない秘密。


新しい命の誕生に涙を流し喜んでくれる人は、亡き人の影を引き摺り生きるわたしを支え、見守ってくれた。

愛する人を失い、情緒不安定になったわたしを、やさしく支え、受け入れてくれた。

智樹の事が忘れられないままでいるわたしを、誰よりも愛してくれた。


そして、そんな彼のやさしさに甘え続けてきたわたし。


…大丈夫。

よき妻、よき母であり続ける事で、彼の気持ちに応えていこう。

そうすればきっと愛せるようになるかもしれない…波留の事を。

こんな考え方でいるなんて、間違っているのかもしれないけれど、それが今のわたしに出来る事。



だから、この人にだけ悟られていけない。

わたしの秘密を、歪んだ愛情を…。


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