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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
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第16話


七海兄ちゃんの命日は雲ひとつ無い青空が広がっていて、どこまでも澄んだ空を見上げてたら、天国まで見えそうな気がした…。



墓石周辺に生えた雑草を取り除き、掃除を終えた墓石に水を掛け、水鉢や花立てなどに溜まった雨水を捨てて新しいものと取り替えた。

「ほら…」

陸から渡されたお線香を線香台にあげると、そっと両手を合わせた。



僕や、僕の周りは日々変化していくのに、七海兄ちゃんだけは変らない。

いつまでもあの日のまま、年をとることなく僕の中で生きている。


もしも、あの日海に行かなかったら…。

もしも、あの人が溺れていなかったら…。

もしも、救助が間に合っていたら…。


僕達家族はあの頃のまま、ずっと幸せに暮らしていたはず。

「七海兄ちゃん…」

大切な人を失った悲しみは、過ぎて行く月日が癒してくれるのに、大切な人を救えなかった痛みは、後悔の念となっていつまでも僕を苛み続ける。


…ごめんね。

何度こうして謝ってきただろう。

潤む瞳でぼんやり墓石を見詰めていたら、やさしく肩を抱かれた。


「凪砂…」

細く繊細な指の感触と、懐かしい温もりに、僕の身体が小さく震えた。

「ママ…?」

甘くやさしい香りに包まれながらゆっくり振り向くと、記憶の中より更に線の細くなったママがいた。


「ちゃんとご飯食べてるの?ちっとも大きくなってないじゃない…」

綺麗な顔をくしゃくしゃにして笑うママの声が、涙で濡れていた。



「波留の容態は?」

凪いだ海が広がる席に腰を下ろすと、間髪入れずにママが口を開いた。



あの夜以来、僕はパパに会っていない。

ううん、会ってないと言うより、会えないんだ。

パパの入院してる病院はこの湾を越えた先にあり、きちんとした環境の下で治療に専念してると雄介さんが教えてくれた。

辛い治療の時期を過ぎたら、一緒に会いに行こうねと言ってくれた。



そんな事しか知らない僕は、ママの質問に答えられずにいた。

するとすかさず雄介さんが、パパの経過や容態を話してくれた。



「そう…波留みたいな男が…ねぇ」

水平線を見詰めながら、誰に言うともなくママが呟いた。

「全然気付いてやれなくて…本当に悪い事したよ。波留にも凪砂にも…」

「違うわ…。悪いのは…わたしよ」

ゆるくウェーブの掛かった髪をかき上げたママが、苦悩に満ちた表情を浮かべた。


ここへ越して来てからも、どこか都会の香りを漂わせ、若くてお洒落で綺麗なママは僕の自慢だった…。

なのに、目の前に座っているママは、洗練された都会的なものを身に着けているのに、どこかくたびれた雰囲気を漂わせていた。


…どうしてそんな顔するの?

僕達を見限り、この町から出て行ったのはママの方だけど、心のどこかでママに焦がれてる自分が居た。

決して楽ではなかったパパとの生活の中、ママの幸せを願ってた。


けれど、思い描いていた姿とかけ離れたママの様子に、僕の心は激しく乱れていた…。


◇  ◆  ◇


「ずっと連絡しないでごめんね…」


逢いたくて仕方が無かった。

一人寂しく過ごした夜は、ママのぬくもりが恋しかった。

甘くやさしい香りに包まれながら、やわらかな眠りに落ちたかった。


けれどそれは二度と叶わぬ事と、焦がれ続ける気持ちに言い聞かせ、弱い自分を抑えて来た。


なのに、何の前触れも無く現われたママに激しく動揺した僕は、まともに顔を上げる事さえ出来ず、じっと俯く事しか出来なかった。


「何度も連絡しようと思ったわ…」

テーブル越しに伸びてきたママの手が、慈しむ様にそっと僕の頬に添えられた。

「凪砂…」

会いたかったはずなのに、焦がれ続けた温もりなのに、ママの手が頬に触れた瞬間、僕の身体はそれを拒むようにビクリと震えた。


「ごめんね…」

繰り返し何度も謝り続けるママの声を聞きながら、僕の心は激しく乱れてた。


何で連絡くれなかったの?

どうして七海兄ちゃんの三回忌に来なかったの?

ママは僕達を捨てたんだよね?

今更…何しに来たの?


僕の中では、ママを想う気持ちと、ママに対する不信感が複雑に絡み合い、どう接していいのか分からなくなっていた。



「璃子にはね、時々連絡を入れてたの…」

俯いたまま何も言わない僕の手を握ると、陸のママである尚子さんが語り掛けてきた。

「え…?」

「あなた達の様子を伝える為にね」

…そんな話聞いてないよ。

戸惑いながら顔を上げると、目の前に座るママと視線が合ってしまった。

「……」

僕はその視線を受け止め切れず、慌てて視線を逸らした。


「顔も見たくないほど…ママのこと嫌いになっちゃった?」

そう訊ねてくるママの声には、どこか怯えた雰囲気が含まれていた。


…そんな事無い。

そう言って縋り付きたいのに、僕の中にいるもう一人の自分がそれを阻み、喉元まで出掛かった言葉を遮った。


「そう思われても仕方が無いわよね…」

逸らした視線の先にある窓に、綺麗な顔を苦しげに歪めているママの姿が映っていた。

「海が…海が悪いのよ。全部海のせい…」

低く響くママの声には、海に対する積年の恨みが込められているようで、何だか怖かった。



昔パパに聞いた事がある…ママは海が嫌いだという事を。


海は七海兄ちゃんを奪った悲しい場所だけど、色々な人と出会う事が出来る素敵な場所でもあるんだ。

海は僕達に恵みを与えてくれると同時に、恐怖や脅威も与えてくる。

僕達は海を通して、色んな事を学んできた。

そんな場所だからこそ、僕は海を憎まないし、嫌いにもなれない。



…じゃあママは、何で海が嫌いなの?

あの時のパパは答えをはぐらかし、何も教えてくれなかった。

そして僕もそれ以上の答えを求めなかったけれど、それは心のどこかにいつも引っかかり続けてた。


「璃子さんてさ、海が嫌いなんでしょ?だったら何でこの町に越して来たの?何で海好きの波留さんと結婚したの?」

僕が求める事の出来なかった疑問の答えを、陸は、責める訳でも、咎めるわけでも無く、ただ純粋に求めた。


「それは…」


背負いきれない罪を懺悔するようなママの声と、店内に響く明るい南国調の音楽のアンバランスさが、却ってママの話に真実味を持たせていた…。


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