第14話
凪砂は覚えているだろうか?
俺達が初めて出会った日のことを…。
色が白くて小さくて、大きな瞳がくるくると表情を変える可愛らしい…女の子。
それが第一印象だった。
恥ずかしそうに俯く凪砂を初めて見た瞬間、俺は凪砂が大好きになった。
…思えば、あれが俺の初恋だったのかも。
凪砂が男だと分かったのはそのすぐ後だったけど、それでも凪砂はすごく気になる存在で、かわいくて仕方が無くて、自分だけのものにしたくなって…。
凪砂は家族の事をすごく愛してて、家族も凪砂を愛してた。
そんな姿に憧れて、俺もそれと同じか、それ以上の存在になりたくなった。
だから、凪砂の大好きな七海くんがサーフィンを始めたと聞けば、それに張り合うようにして始めてみたり、七海くんが凪砂に優しくする姿を見れば、それを真似してもっと優しくしてみたりした。
赤の他人の俺が家族以上の存在になんてなれるはずも無いのに、あの頃の俺は必死だった。
凪砂の隣にいるのが当たり前だと思われたかった。
七海くんにはなれないけど、凪砂にとって家族の次に大事な存在だと思われたかった。
おまえの為なら何だって出来る…そう思ってた。
凪砂がこの家に来て1週間。
もともと食の細い凪砂は、あの夜以来更に食が細くなった。
そんな姿を見かねて、朝と夜は母さんが、昼は俺が側に付き添って、あやしたり宥めたりしながら必死でメシを食わせた。
情緒不安定な部分が見えたから、一人きりにさせるのは不安だけど、ゆっくり休ませてやりたいという気持ちもあったから、夜は俺の部屋に布団を敷いて眠らせた。
毎晩凪砂が眠りにつくまで他愛無い話をして、凪砂の寝顔を確認してから俺も眠りについた。
凪砂が少しでも楽になるように、気持ちが休まるようにと気に掛けているのに、日を追って凪砂は憔悴していく。
いくら幼馴染の家とはいえ、凪砂にとって俺の家は所詮他人の家、くつろげって言うほうが無理な話なのかもしれないし、波留さんと合えない生活が不安なのかもしれない…。
甘えたがりの癖に自分から甘えるのが下手な凪砂だから、俺の方からふざけて抱きついてやるんだ。
そしたら嫌な顔するどころか、嬉しそうな顔して擦り寄って来る。
…もっと甘えればいいんだ。
寂しげな表情を見せる事が多くなった凪砂を甘えさせる為、いつもの様に俺からてじゃれ付いてみたら、その手をやんわりと引き剥がされた。
…こんな事初めてだ。
宙に浮いたままの腕を見下ろしながら、俺は呆然としていた。
「ふざけてないで、自分で宿題やりなよ」
険を含んだ凪砂の口調に、俺だけでなく、母さんまでもが驚いていた。
今の凪砂は、砂で作った城みたいなものだ。
美しい造形をしているのに、波一つ、風一つで脆くも崩れ落ちる…そんな状態だった。
崩れ落ちる前に、なんとかしなければ…閉ざした心を開く方法が見つけられず、俺は焦っていた。
子供の頃は一つの布団に包まって、眠りに落ちる瞬間までずっと喋り続けた。
出来ることなら今でもそうしたいのに、デカく育ち過ぎた俺と、相変わらずな凪砂でそれをするのはあまりにも無理がある。
「やっぱり落ち着かないか?」
「…何が?」
ベッド脇に敷いた布団に声を掛けたら、凪砂の小さな声が聞こえた。
「俺ん家で暮らすのとか、こうやって狭苦しい部屋に押し込められてるのとかさ…」
静まり返った部屋の中に、凪砂の答えを待つ俺の呼吸音だけがやけに響いているような気がした。
「…別に」
かなり間を置いて、素っ気無い凪砂の声が聞こえた。
「別にって…この先、俺に隠し事は一切許さないって言っただろ!何でも言えよ、もっと素直になれよ」
勤めて冷静さを保とうとしたのに、発した言葉には隠しきれない怒りが込められていた。
「陸の家も、陸の部屋も嫌じゃないよ・・・」
抑揚を欠いた凪砂の言葉に、もやもやとした不安が生まれる。
何がいけないんだ?
やっぱり俺じゃダメなのか?
苛立ちを抑えきれない俺は、ベッドから跳ね起きると、床に敷かれた布団の上に横たわる凪砂を見下ろしていた。
「陸…?」
不安に駆られ、震えながら俺を呼ぶ凪砂の声に、俺の中で抑えていた何かが溢れ出した。
「凪砂ッ」
俺は夏掛けの薄い布団ごと、小さな凪砂の身体を抱きしめていた…。
◇ ◆ ◇
きつく抱きしめれば、簡単に壊れてしまいそうな程小さな凪砂。
捕らえられた小鳥のように、俺の腕の中で震える凪砂が堪らなく愛おしかった。
「り…く?」
小さく名前を呼ばれたら、抑えがたいものが胸の奥から込み上げて来るのを感じた。
「俺は…」
憂いを含む瞳で見詰めたら、泣きたくなる様な思いに駆られ、息をするのが苦しくなった。
「凪砂が…好きなんだ…おまえが好きなんだ…」
おまえを守りたいと思い続けてきたこの気持ち、友情なんかじゃない…。
あまりにも側に居過ぎて気が付かなかった。
けれど胸の奥から溢れ出した言葉を口に出してしまえば、いとも容易く自分の気持ちを受け入れる事が出来た。
そうだ、俺は凪砂が好きなんだ…。
幼馴染という関係の凪砂に、どうしてこんなに執着してしまうのか…やっと分かった気がする。
初めて出会ったあの日から、俺はおまえの事を想い続けてきたんだ。
誰にも渡したくない、俺だけのものでいて欲しい…。
胸をざわつかせるこの気持ちは、おまえに対する愛情なんだ。
「愛してる…」
抱きしめた腕の中で凪砂が小さく頷くと、言い様の無い幸せに満たされる。
「…ありがと」
けれど、薄暗がりの中で悲しげに笑う凪砂の顔を目にした途端、そんな気持ちはあっという間に掻き消された。
「陸は優しいね…。でもね…同情でそんな事言われても…嬉しくないよ…」
凪砂の大きな瞳から、見る見るうちに涙が溢れていく。
「何言ってるんだ、同情なんかじゃない…俺は…」
「聞きたくない…」
凪砂は掌で耳を塞ぐと、俺の言葉を遮るように大きく首を振った。
こんな状態で告白すれば、同情だと勘違いされても仕方ない。
安心させるつもりの言葉は、かえっておまえを混乱させるだけだった。
だけど…この気持ちは本物なんだ。
「お願いだ凪砂、ちゃんと聞いてくれ」
耳を塞ぐ凪砂の両手を掴むと、その手を床に貼り付けた。
「同情なんかじゃない。俺はずっとおまえの事が好きだったんだ。初めて会ったあの日から…」
「ウソ…」
ぎゅっと目を瞑っていた凪砂が、俺の言葉に大きく目を瞠ると、潤んだ瞳の中に凪砂を見詰める俺の姿が映っていた。
「好きなんだ。ずっと側に居たい…」
好きと言うのは容易いけれど、本心を伝えるのは難しい。
俺は紡ぎ出す言葉に、全ての想いを込めた…。
「本当…なの?」
俺を見上げる凪砂の瞳が不安げに揺れている。
そんな凪砂を安心させたくて微笑を一つ浮かべれば、つられた凪砂の口元が自然に緩む。
「ああ、本当だ…」
「それは僕が…幼馴染だから?」
「違う、凪砂だから好きなんだ…」
きゅっと頬の内側を噛んで、こみ上げてくる喜びを我慢してる…凪砂の顔には、子供の頃から見慣れた表情が浮かんでいた。
「おまえも俺の事…好きだろ?」
「……」
意地の悪い問い掛けには返事を返してくれなかったけど、凪砂の顔に浮かぶ表情だけで、何を考えているのか分かった。
俺はおまえの考えてる事なら何でも分かる。
だって俺は、ずっとおまえの事を見て来たんだ。
「ずっとおまえの側に居させてくれ…」
「りく…」
込み上げてくる愛しさに耐え切れず、俺の名を呼ぶ凪砂の唇をそっと塞いだ…。