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パーフェクト・スカイ  作者: 野宮ハルト
12/25

第12話

「普段から暴力を…?」

「多分今回が初めてではないかと…。気付かなかっただけかもしれませんが…」

「日常のアルコール習慣は?」

「わたしはあまりよく知りませんが…陸、何か知っているか?」


40代後半といったところだろうか?

白い物が混じり始めた髪をきちんと後ろに撫で付け、誠実そうな表情を浮かべた医師がいくつか質問をしてきた。


「俺と波留さんはサーフィン仲間なんです。だからほぼ毎日顔合わせてます。最近の波留さん、少し様子がおかしくて…」


俺は最近の波留さんの様子を思い出しながら、ポツリポツリと話し出した。


「波留さんは、毎朝酒の匂いをさせながら海に来て、出勤時間ギリギリまでサーフィンしてるんです。そんな事してるから、凪砂の事なんか全然構わなくなって…。波留さんは凪砂…息子と二人暮しなんですけど…凪砂もなんだか様子がおかしくて…」

「それは何時ぐらいからか、覚えているかな?」


医師はカルテに何事か書き留めると、再び質問をしてきた。


「七海くん…凪砂の5歳年上の兄さんが3年前に海で亡くなりました。その辺りからかもしれません、波留さんが変わったの…。違う…璃子さんと別れてからかも…。とにかくその辺だと思います」

「璃子さん?」

「波留さんの奥さんです…」

「そうですか…」


医師は小さく溜息を吐くと、俺達を見詰め、はっきりとした口調で言った。


「及川波留さんは重篤な問題飲酒群、つまりアルコール依存症です。それに鬱傾向もみられます。アルコール依存症も鬱病も、他の病気と同じく治療が遅れれば遅れるほど、回復がが困難になります。早期治療をお勧めします…」


…波留さんがアルコール依存症?

…鬱病?


医師の言っている言葉はどこか現実離れしていて、なかなか理解する事が出来なかった。



七海くんが居なくなり、璃子さんと別れてからの波留さんは、夏の海が似合う清々しい笑顔の代わりに、陰鬱な表情を浮かべることが多くなった。

だけどそれは、親しい者との死別や離婚のせいによるもので、いつかは元に戻るものだと思ってた。

そんな風に思ってたせいで、毎日の様に顔を合わせていた俺は、波留さんのちょっとした変化を見過ごし続けてきた。

俺がちゃんとしてれば、もっと早く気が付けていた。

そしたら波留さんも凪砂も、こんなに苦しむ事なんてなかったのに…。


…また俺は、凪砂を助けてやれなかった。

苦悩と後悔の念に苛まれた俺の胸は、苦しさのあまり張り裂けそうになった。




妙な胸騒ぎを覚えて凪砂の家に戻った俺は、外まで響く波留さんの怒声を聞いた。

玄関の扉には鍵が掛けられていた為、リビングに面した庭先へ回り込むと、小さな凪砂を踏みつけている波留さんの姿が見えた。


「おまえに何が分かるって言うんだ?」

荒々しい声を上げた波留さんは、床に転がる凪砂の腹に脚を振り下ろした。


…なにやってんだ?

目の前で起きている事が容易に受け止めきれず、俺は暫くその場を動けずにいた。


…波留さんが暴力を振るうなんて。

やっと状況が飲み込めた俺は、鍵の掛けられたガラス戸を石で割って開けると、そのまま家へ上がり込んだ。



「波留さん、何やってるんですかッ!」

ぐったりと横たわる凪砂に向けて脚を振り下ろそうとする波留さんの身体に飛びつくと、ダイニングテーブルを巻き込みながら床に倒れ込んだ。

「そんな事したら、凪砂が死んじまうだろッ!」

そう叫ぶと、俺の下で暴れていた波留さんの動きが一瞬止まった。


「くッ…そんな事知るかッ!」

「な…」

血走った目を大きく見開き、唾を飛び散らせながら喚き出した波留さんの動きを封じる為、全体重を掛けて波留さんの上へ跨った。

「ざけんな…」

両膝で波留さんの肩を床へ押さえ付けながら、ポケットから取り出した携帯で自宅へ電話を入れた。



…酔っ払いの力は底無しか?

押さえ付ける俺の力に限界を感じ始めた時、やっと両親が到着した。

「凪砂を連れて家に帰れ!」

尚も暴れる波留さんを宥める父さんの言葉に従い、ぐったりと横たわる凪砂を抱き上げると、母さんの運転する車で自宅へと向かった。



「病院…連れて行かなくて大丈夫なのか?」

ピクリとも動かない凪砂の事が心配で、ハンドルを握る母を見た。

「いびきもかいてないし、吐いても無いでしょ?気を失ってるだけだから大丈夫」

「何で大丈夫って言えるんだよ!」

「この町で育って、よくそんな事言えるわね…ここじゃ喧嘩なんて日常茶飯事でしょ?」

世間話でもする様な調子で話す母さんに、俺は呆然とした。


確かにこの町には荒っぽいヤツが多いし、喧嘩や暴走も絶えないけど…。


「もしかして昔、結構悪かったりした…?」

「ふふ…さあね?」

意味ありげに笑う母さんに昔の姿を想像してみるけど、今のこの姿からは到底想像がつくはずも無かった。



自宅に着くと、俺のベッドに凪砂の身体を横たえ、痛々しく腫上った顔を濡れタオル冷やしてやった。

血で汚れた制服の代わりに着せた俺のTシャツが、華奢な凪砂の身体を余計小さく見せた。


「ごめんな…」


何度謝っても身動ぎひとつしない凪砂の姿に、俺は声を殺して…泣いた。


◇  ◆  ◇


鎮痛剤の服用がもたらしてくれた眠りによって、激しかった痛みも怠さも、今は僅かに疼く程度まで治まっていた。


「夕飯にしましょう」

陸のママの声に起こされ、陸の部屋からリビングへ向かう途中、お手洗いへ向かった。

洗面台の鏡に映る僕は、試合後のボクサーみたいに酷い顔をしていたけど、数日もすれば腫れは引くって陸のママが言ってた。



陸の家はいつも賑やかで、明るくて、温かい。

僕はその温かさが大好きなのに、今日は家の中を沈黙と静寂が支配していて、せっかく用意してくれた食事もロクに咽を通らなかった。


夕食の片付けをしていると、そこへ陸と陸のパパ、雄介さんが帰ってきた。


「おかえりなさい」

思うように動かない顔にぎこちない笑顔を浮かべて出迎えると、雄介さんの顔が悲しげに歪められた。

「凪砂、ちょっとこっちへ…」

言われるままリビングのソファに腰を下ろすと、雄介さんが深い溜息を吐いた。



「何でもっと早く相談してくれなかったんだい?」

少しやつれ、苦悩に満ちた表情から吐き出される言葉は、僕をというより、自分を責めているように聞こえた。

「あの…パパ…は?」


薄れゆく意識の中で、サイレンを聞いたような気がしたんだ。

もしかして僕を殴ったせいで、パパは警察に捕まったのかもそれない。

…僕のせいで。

ふと浮かんだ考えに、全身の血の気が引いていくのが分かった。


ガタガタと震えだした身体を自分の腕でぎゅっと抱きしめていると、いつの間に座ったんだろう…陸の逞しい腕が僕の肩を抱いてくれた。



「波留を入院させてきた…」

「…え!?」

事態が把握できず、陸と雄介さんの顔を交互に見比べていると、目の前のローテーブルにマグカップが置かれた。

「とりあえずこれを飲んで、落ち着いて…話はそれから」

「うん…」


陸のママ、尚子さんが作ってくれたのは、僕好みのミルクと砂糖がたっぷり入ったココア。

カップを両手で包み、少しずつ口に運ぶと、乱れた心が少しだけ落ち着いた…。



「波留はね…アルコール依存症なんだよ。それに…鬱の傾向もあるらしい…」

一言一言、ゆっくりと、まるで自分自身に言い聞かせるように言葉を続ける雄介さんと、その姿をじっと見守る陸と尚子さん。

「全然気が付いてやれなくて、すまなかったな…」

深々と頭を下げられてみても、僕は雄介さんの言った言葉の意味が理解出来なかった。


「パパはどこも悪くない…のに…何で入院…」


七海兄ちゃんが居なくなって、ママと離婚して…パパと2人きりの生活は決して楽しいものではなかった。

それでも、僕にとってパパはパパで、無くてはならない存在なんだ…。

どんな態度をとられても、どんな事をされても・・・やっぱりパパが好きなんだ。


パパとの間を引き裂かれ、激しい孤独感に襲われた僕は、息が苦しくなるのを感じた。


「ヒ…ドイ…僕…に黙って…」

指先がジンジンと痺れ、頭の中がボオっとしてきた。

身体の感覚がどんどん無くなって行くのと比例するように、息をするのが苦しくなって、息を吸っても吸っても楽にならず、逆にどんどん苦しくなっていく。

「はッ…はあッ…」

どうしてだろう?

苦しい、凄く苦しくて…息が出来ない…恐い…助けて…。


「親父!凪砂がッ」

浅い呼吸を何度も繰り返しながら陸の腕に縋り付くと、僕の異変に気付いた陸が雄介さんを呼んだ。

「尚子、何か袋!紙袋でもビニール袋でもいい!」



手足の感覚がなくなって、目の前が霞んで…その中に沢山の星が飛んでいる。

苦しいよ…このまま死んじゃうのかな?

助けて…パパ…ママ…七海兄ちゃん…陸…。



「凪砂、大丈夫だ…落ち着いて…ほら、吸って…吐いて…」

陸に抱き抱えられながら、口元に宛がわれた紙袋の中で呼吸を繰り返していると、苦しかった息が少しずつ楽になっていった。


「俺がいるから…安心しろ」


陸の言葉は魔法のように、僕の苦しさを取り除いてくれた…。


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