第10話
店内がざわつきだした頃合を見計らって、桂さんが再び口を開いた。
「いいか、ちゃーんと話し合うんだぞ。分かったな!」
桂さんの力強い言葉に、僕はコクンと頷いた。
「よーし、それじゃあ早速陸に連絡しろ!ほれ、携帯出せ」
「…持ってない」
「は?持ってなっいって…携帯を?」
再びコクンと頷くと、桂さんの顔に驚きの表情が浮かぶ。
「ありえねーッ、つーかマジかよ。高校生のくせに携帯持たないで、よく生きていけるな」
「だって…必要ないもん…」
「おまえってさ、ホント、国宝級に希少価値のあるヤツだな」
桂さんは呆れた様に溜息を吐くと、テーブルの上に置いていた携帯電話を取り上げ、素早くピッピッとボタンを押し始めた。
「あ?オレだけど、ちょっと待ってろ…」
…名前言わなきゃ、誰だか分からないんじゃないの?
そんな事を考えながら桂さんを眺めていると、目の前に携帯電話を差し出された。
「えっと…」
どうしていいのか分からず戸惑っていると、無理矢理携帯を持たされ、それを耳に宛がわれた。
「家の電話と一緒だ、普通に話せば聞こえる」
慣れない携帯電話に困惑する僕を見て、桂さんが苦笑した。
「…もしもし」
『凪砂か!?』
小さな受話器に向かって話し掛けると、耳がキーンとする程大きな声が聞こえた。
『どこにいるんだ?つーか無事なのか?おまえん家の前でずっと待ってたのに、ちっとも帰って来ないから心配したんだぞ』
…家の前でずっと?
「ゴメンね…僕のせいで海行けなかったね…」
『バカ!波乗りなんかより、おまえのほうが大事なんだよ。迎えに行くから、どこに居るか教えろ!』
電話を切って20分と経たない内に、汗だくの陸が店内へと入ってきた。
「おッ来た来た!じゃ、後は若者同士ごゆっくり…」
そう言って席を立つと、店内を見回している陸の側へ近付いて行った。
陸の隣に立つと、視線で僕の方を示しながら、何事か語り掛ける桂さんに陸が大きく頷いた。
「さっきは悪かったな」
目の前の席に腰を下ろすなり、陸はテーブルに頭を擦り着ける様にして謝ってきた。
「え…?」
「その…波留さんの事、悪く言っちまってさ」
…ああ、そうだ。
そういえばさっき、パパの事を悪く言う陸なんか『嫌い』と言って、逃げ出したんだっけ。
「ちがう、ちがうの。あのね…」
頭を下げ続ける陸の髪をそっと撫でると、陸の身体がビクンと震えた。
「聞きたい事があるの」
「聞きたい事?」
僕の言葉にゆっくりと顔を上げた陸の瞳が、ゆらゆらと不安げに揺れている。
「陸はその…僕と一緒に居て、嫌じゃない?」
僕の言葉に小さく首を傾げた陸が、口元をふっと綻ばせた。
「何でそんな事聞くんだ?それじゃまるで、別れる前のカップルみたいだな。俺は好きでおまえと一緒にいるんだぞ。嫌だなんて思うわけ無いだろ?そんな事言う凪砂の方こそ、俺と一緒に居るの嫌になったか?」
陸の言葉はいつだって、ぶっきらぼうで乱暴なのに、すごく優しい響きがするから、胸の奥がほわんと温かくなって…苦しくなる。
「ううん…」
ふるふると首を振って答えると、陸の大きな手が僕の顔をやさしく包み込んできた。
「おまえ…泣いてたのか?」
…きっと、酷い顔してるんだろうな。
泣きすぎたせいで腫れぼったくなった瞼は重いし、かみすぎた鼻がヒリヒリ痛い。
「うん…ちょっとだけ」
「それって…俺のせい?」
そう言う陸の顔が苦しげに歪められた。
…お願い、そんな顔しないで。
辛そうな陸は見たくないけど、ここで目を逸らしてはいけない気がして、お腹にぐっと力を込めて陸を見詰め返した。
「僕はね…陸には好きな事やって欲しいの。自由に行動して欲しいの。だけど…僕が一緒に居ると、陸を束縛しちゃう、陸の自由を奪っちゃう。だから一緒に居ないようにしようって思ったの。思ったんだけどやっぱり…」
「ちょっと待て…何でそんな風に思うんだ?今迄俺のどこ見て来たんだ?そんな風に言われると、なんか凄いショックなんだけど…」
大きく溜息を吐いた陸が、座席の背もたれにドサリと背中を預けた。
「僕と一緒にいると、好きな事出来ないし、女の子とも付き合えないよ…」
「それは…おまえの考えか?それとも誰かに吹き込まれたのか?」
じっと睨みつけてくる陸の視線が怖くて、すっと顔をを逸らしてしまう。
「そうか…それが凪砂の考えか…」
苦しげに吐き出した陸の言葉が冷たくて、胸の奥がズキンと痛くなった。
「ううん、そうじゃない…そうじゃないけど…」
「誰がそんな事言ったんだ?」
「陸は…僕の事が心配だから、側を離れられないんでしょ?」
…こんな事言っちゃダメだ。
僕は陸を困らせたいわけじゃない、自由になって欲しいだけなのに、余計な事言ったらまた陸を縛り付けちゃう。
「俺もさぁ、聞きたい事があるんだけど」
「なに…?」
陸はもたれていた座席から身体を起こすと、テーブルの上に身を乗り出してきた。
「四六時中側にいる俺ってウザいか?どこへも遊びに連れて行ってやらない俺ってつまんねえか?毎日毎日、海にばっかり連れて行かれてイヤじゃないか?」
「そんな事ない、絶対無い!」
「毎朝、俺のせいで遅刻しそうになるのは?」
「全然平気」
「俺が一緒にいるせいで、おまえのやりたい事、出来なくなってないか?」
陸の問いかけに答える為、僕はすうと息を吸って気持ちを落ち着かせた。
「僕は…陸と一緒にいるのが好きなんだ。サーフィンしてる陸を見るのが好きなんだ」
一言一言、心を込めて気持ちを伝えると、陸の顔に太陽みたいな笑顔が浮かんだ。
「なんだ、俺達って同じ事考えてるじゃん。俺はおまえと一緒にいるのが好きで、おまえに見て貰いながらサーフィンするのが好きで…。どうだ、どこか問題でもあるか?」
「ない、何にも無い。」
「だろ?ったく…何でも一人で抱え込もうとするな。勝手に悩んで、勝手に結論出すな。少しは俺を頼って来い」
そう言って笑う陸に、くしゃくしゃと髪を撫でられた…。
心の内の溜め込んでいたものを吐き出した僕は、陸の運転する自転車に乗って、日の暮れた町を抜け、家に向かった。
「これから、俺への隠し事は一切許さないからな!」
「何それ?それじゃまるで、陸の彼女か奥さんみたいじゃない?」
「ああ、それでもいいぞ!」
「そんなのやだよ。陸と付き合うより先に、女の子と付き合いたい」
「2回目だったらいいのか?」
「違う、そうじゃない!」
大きな背中に耳をあてると、陸の笑い声がくぐもって聞こえる。
「そうだ…」
腰に回した手に力を込めると、陸の背中に自分の身体をぴたりと密着させた。
「おま…何してんの?」
いきなり張り付いて来た僕に、陸が戸惑ったような声を上げた。
「あのね、桂さんが言ってたの」
「何て?」
「僕達って、二人揃って完成品っなんだって。一人だけだと、なんか半端なカンジがするんだって。だからこうやって…完成品になってみたの」
陸の背中に顔を埋めたら、汗と潮の香りがした。
「ば、ばか…恥ずかしい事してんなよ」
動揺した陸の運転する自転車が、よろよろと蛇行をはじめた。
「や、ちょっと陸!ちゃんと運転してよ、危ないじゃん」
「おまえが変な事言うからだろ!」
こうやって一緒にいる、それだけで僕は幸せになれる。
何気ない会話をする、それだけで僕は癒される。
陸という存在は、僕が思ってる以上に大きいんだ…。
これからは、人の言葉を鵜呑みにしたり、自分勝手に思い悩んだりしないで、ちゃんと自分からぶつかっていこう。
陸はきっと、そんな僕に応えてくれるはずだから、そのうちパパの事も相談してみよう。
もう少し様子を見てから…。
「直幸のアホは、後でシメておいてやるよ」
「あれ…?何で直幸くんだって分かるの?」
「あー、あれだ…。直幸が惚れてる女に告られた。きっとその腹いせだろ?」
「えー、そんな理由で?っていうか、いつ告られたの?」
「ふふん、だから言っただろ?俺はかなりモテるって」
陸がクスクス笑うと、張り付いた背中が微かに震えてくすぐったい。
「余計な事言った直幸は、あとでちゃんとシメとくよ。ついでに、余計なお節介の理由も聞き出してやる」
「むッ、ケンカはダメッ!」
目の前の背中をポカポカと叩くと、陸が大笑いし始めた。
「はは、おまえホント変わんねーな。その『ケンカはダメッ!』ってヤツ」
「だってダメなものはダメだもん」
「はいはい、凪砂の言うとおりにします」
…やっぱり僕には陸が必要なんだ。
陸の笑い声一つで、苦しかった気持ちも、悲しかった気持ちも、嘘みたいに消えてしまう。
温かな気持ちに包まれているうちに、僕達を乗せた自転車が、自宅前に着いていた…。
◇ ◆ ◇
「こんな時間に何やってんだ?」
自宅前に自転車を停めると、後ろから声を掛けられた。
「え…?」
声のした方へ視線をやると、ポツンと照らされた街灯の下、だらしなくスーツを着崩したパパが立っていた。
「あ、パパ!おかえりなさい」
「波留さんこんばんは!」
ゆっくりと歩くパパの足取りは覚束無くて、お酒を飲んでいる事が一目で分かった。
「子供がこんな時間までうろついてんじゃねえよ」
「あはは、こんな時間て…まだ9時前だよ?波留さん冗談キツイなーッ」
腕に嵌めた時計のバックライトを灯して、時間を確認した陸が明るく応えた。
「能書きはいいから、おまえはさっさと家に帰れ。凪砂、そんな所に突っ立ってないで早く家に入るんだ」
険しい顔で怒鳴りつけるパパは別人のようで、普段の穏やかさは見られない。
「波留さん、なんか機嫌悪いっすね。それに最近ちょっと飲み過ぎじゃね?飲みすぎは身体に悪いし…」
わけも無く怒鳴り散らすパパに、陸が困惑した表情を浮かべていた。
「利いた風な口聞くんじゃねぇ。帰れと言ったら帰るんだ!」
宥める様な口調で話す陸の胸倉を掴むと、威嚇するように怒鳴りつけながら突き飛ばした。
「何するんすか!?」
陸の大きな身体は、ヨロリとバランスを崩したものの、直ぐに体勢を立て直し、いつでもパパに飛び掛かれる姿勢をとった。
「陸、やめて…お願い、もう帰って…」
拳を固めた陸の腕を掴んだら、ハッとした顔をして僕を見下ろしてきた。
「わかった…。自転車置いてくから、明日はこれで来いよ」
「うん…」
サヨナラも言わず去っていく陸の後姿を見詰めていたら、胸の奥がぎゅっと痛くなって、息をするのが苦しくなった…。
「俺が遅いのをいい事に、こんな時間まで遊び回ってんのか?」
パパは不機嫌な声で僕を睨み付けながら、ペットボトルの水を一気に飲み干した。
「ううん、今日だけだよ。だって…陸とケンカしちゃったから…」
「ふん…」
それ以上の説明など聞く気がないのか、パパはソファに腰を下ろすと、面倒臭そうにネクタイを外した。
陸を無理矢理追い返したり、遅い帰宅を責めたりしたのに、目の前に座るパパの興味は既に僕から離れている。
…大好きなパパと同じ空間にいるのに、どうしてこんなに苦しいの?
「えっと…お風呂の支度するね…」
重苦しい空気が漂うリビングから逃げ出そうとすると、パパに腕を掴まれた。
「いたッ…」
掴まれた腕に、パパの指がギリリと食い込んでいく。
「陸とは付き合うな」
「な…んで」
怒りに満ちた目で睨み付けられ、全身から血の気が引いていく。
「あんな態度の悪いヤツ、もっと早いうちに縁を切っておけば良かった…」
「何言ってるの?陸は僕の友達だよ?、幼馴染だよ?それに…パパの仲間でしょ?」
「おまえは黙って、俺の言う事だけ聞いてればいいんだッ!」
パンッ!
目の前に星がチカチカと瞬き、肌の内側から熱い痛みが広がっていくのを感じ、頬を叩かれた事に気付いた。
…うそ。
悪い事をした時、約束を守れなかった時…僕を叱るパパは、暴力に頼らず、きちんと言葉で諭してくれた。
どんな事があっても決して手を上げなかった。
酔ったパパは僕に酷い言葉をぶつけるけど、それだけは変わらなかった…はずなのに。
「親の言う事が聞けないのか!」
あまりの衝撃に息をするのも忘れ、じっとパパを見詰めていると、両肩をガシリと捕まれた。
「おまえまで、俺の言う事を聞かないつもりか!」
パパは血走った眼で睨み付けながら、酒臭い顔を近付け、僕の身体をガクガクと揺さぶった。
…パパ?
どうして陸と会ってはいけないの?
どうして僕の事叩くの?
おまえまで…ってどういう事?
バシッ!
呆然としている僕の頬に、再び痛みが走った。
「なんだその目つきは!またいつものだんまりか?そうやって涼しい顔して、心の中で俺の事笑ってるんだろ? 女房一人引き止めておくことの出来ない、ダメな男だって」
掴まれたままの腕は血流が悪くなり、指先が冷たく痺れはじめたような気がした。
「ちがう…僕はただ…パパが心配なだけなんだよ…」
僕の言葉に、パパの表情が苦しげに歪められた。
「僕は…」
ガンッ!
床に激しく叩きつけられた僕は、腹部に強い痛みを感じていた…。




