自分に気付く
先日、妻が亡くなった。
長く長く連れ添った人だった。
私たちは互いに年寄りで。
いつかこんな日が来ると思っていたから悲しくはない。
でも。
葬儀の後から私の枕元に妻から手紙が届くようになった。
私の頭がおかしくなったのではない。
それは確かに妻の筆跡で。
一枚の二つ折りにされた便箋にこう書いてあった。
『最近、きちんとご飯を食べていないようですね。私の机にお料理ノートがあります。それを見て、作ってみてはいかがですか?』
男が料理など……。
そうも思ったが気になり妻の机に行ってみた。
素朴な茶色い表紙のノートだった。
開いてみると写真と共に詳しい作り方が書いてある。
見慣れた料理だった。
パラパラとめくっていると一つのことに気が付いた。
どの料理も通常のレシピの横に何かが書かれている。
『もう少し味が濃い方が好みのよう。眉間に皺が寄った。』
『ピーマンは嫌い。眉間に皺が寄った。』
『いかは好き。眉間に皺が寄らなかった。』
思わず自分の眉間に手が行く。
妻の料理に「まずい」など言ったことがない。
でも、私の眉間情報を頼りに作り方は変わっていく。
調味料が増えたり、代わりの野菜にしたり、量を増やしたり。
これはどこの料理本にも載っていない私のための作り方だ。
じっと妻の変更点を見ながら思う。
私は別に悲しくない。
ある日はこう書いてあった。
『最近、あまり外に出ていないようですね。あなたの帽子は引き出しの上から三番目です。二人でよく行った河川敷へ行ってみてはいかがですか?』
一人で散歩に出て何が楽しいものか。
そうも思ったが探していた帽子の場所を知ると行ってもいいかと思えた。
仕方がないのでいつもの帽子を被って河川敷に出かけてみた。
外はいつの間にか夏の空気になっていた。
半袖姿の子どもが走り回る中、自然と目は花を追っていた。
一緒に歩くと妻はいつも何かの花を見つけてその名前を言っていた。
「ほら、あなた、あれは……」
妻の言葉を思い出そうとするが花の名前が分からないから肝心のところが思い出せない。
名無し草ばかりの河川敷を見ながら思う。
私は別に悲しくない。
それから何度も何度も妻から手紙が届いた。
全て今の私を心配するもので、その度に私は妻の言う通りに行動した。
でも、ある日、こんな手紙が届いた。
『私からのお手紙はこれで最後です。
死者が生者に構いすぎだと神様に怒られてしまいました。
駄目ですね、あなたのことが心配で心配で。
お節介は幽霊になっても治りません。
ねぇ、あなた、ちゃんと悲しんでいますか?
自分の弱さにちゃんと気付いてくださいね。
どうぞ、庭に出てください。
今日は蝉がうるさいから少しくらい泣いても聞こえませんよ。』
手紙を持って、私は庭に出た。
本当だ。
今日は庭の蝉がやけにうるさい。
この庭で私たちはどれほどの時間を過ごしただろう。
じんわりと汗がにじんでくる。
縁側を見る。
何も飾られていない。
暑くなってくると気付けばそこに風鈴があったことを思い出す。
いつだって季節の移り変わりに気付くのはお前だった。
最後の手紙を見ながら思う。
悲しくなんてない。
私たちは互いに年寄りだったのだから。
でも。
悲しくない?
そんなはずがないだろう。
どんなに年を取ろうとお前がいなくなったことは悲しくて悲しくて仕方がない。
なあ、今、お前はどこにいるんだ。
文字ではなく温度を声を私にくれないか。
お前の作った私のための料理が食べたい。
お前と一緒に花の名前を教わりながら河川敷を歩きたい。
私が泣き始めると蝉の声はより大きくなり始めて。
ああ、もしかしてお前なのかいと。
もっと声が聞きたくて私はより大きな声で悲しみの限り泣いた。