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6 雪の中の戦闘

 どれだけ雪の中を進んだのか。

 アリナ・エーヴァが逸る気持ちを抑えながらスキーのストックを雪上に突き立てる。腰に吊したナイフの重さが彼女を焦らせる。

 ごく普通の、一般的な女性だったら背中に機関短銃を背負い重いナイフを装備して、さらに歩兵装備をつければ身動きする事もままならないだろう。

姉さん(シス)……」

 背後の下士官に呼び掛けられて、アリナは無言で頷いた。

「東です」

「わかってる」

 タタタと機関掃射の音がかすかに聞こえてくる。

 おそらく赤軍のものだろう。間に時折聞こえるのは聞き慣れたモシン・ナガンの発砲音だ。

「一班はわたしについてこい、二班は東から、三班は西、四班は北、五班は南から回り込め」

 散開。

 アリナの命令に、男たちが散っていく。

 全員がそれぞれに単独でも判断ができる男たちだ。だからアリナは短い命令だけを飛ばすだけで、部下たちは彼女の言わんとする事を理解した。

 数名の部下をつれて音もなく雪上を行く彼女の部隊は音を頼りに進んでいく。

 敵はまだ見えない。

 やがて薄明かりの中に影が見えた。部下のひとりが、音もなく横に滑っていくとそのままプーッコと呼ばれるナイフを抜いて背後から赤軍兵士に襲いかかるとそのまま首を掻ききった。

 悲鳴すら上げさせない見事な手際だ。

 その男も猟師出身で、”獲物”を苦しめずに殺す方法をよく心得ていた。名前をカルヴォネンと言う。

「……――」

 カルヴォネンが小さく闇の中で頷くと、アリナは同様にうなずきを返してみせて辺りに視線をやった。

 数人の赤軍兵士が倒れている。

 スキー板の先で軽くつついてから死んでいる事を確認すると、彼女は林の中へと入っていく。

 元は何人のソ連兵がいたのだろう。

 そんなことを考えた。

 対して代わり映えのない林の中を進みながら、最初に敵を倒したカルヴォネンを見やると、彼は一番先頭を進みながらアリナ・エーヴァに手招きをする。彼はコッラーの辺りの出身だった。

 地形をよく把握している。

 起伏の激しい坂道を越えて丘の上にたどり着くと、下を見下ろすような位置になった。林の中で四方を赤軍兵士に囲まれて、シモ・ヘイヘとユホ・アーッテラが辺りを警戒しながら銃撃戦を繰り広げているのが見えた。

 そんな状況ですら、ヘイヘの射撃には迷いが見られない。

 そして、そんな赤軍兵士のさらに後方に第十二師団第三十四連隊第六中隊の四班が散らばっているのが見えた。

 数人がアリナらを確認したのか視線を合わせてきた。

 そんな彼らにアリナは大きく頷いた。

 それは、”行け(ゴー)”という合図だ。そしてその合図と同時に、アリナの背後に控えていた熟練のスキーヤーたちも坂に滑り落ちる。

 一気に敵との間合いを詰めた。

 機関短銃の銃身で赤軍兵士を殴りつけ、突然の襲撃に動揺しているところに的確に相手を撃ち抜いていく。更に前方からのみならず背後から現れた中隊の二波三波に恐怖が広がっていく。

 銃とナイフを片手にして背後から襲いかかるフィンランド兵。

 まるでそれらは、ソ連兵士たちにすればゲリラに襲われるような気分だったのかもしれない。

 ロシア語で悲鳴をあげる男たちに、アリナは無慈悲に銃口を向けた。

 ――引き金を引く。

 銃撃戦は十数分で終わった。

 部隊の兵士たちとは少し離れたところで肉弾戦を繰り広げていたアリナは、白い息を吐き出しながらスキーをはいた足をとめるとわずかに首を傾げるようにしてアーッテラとヘイヘの方向を見やる。

 距離にして十一ヤードほど。

 その視界に入ったのは、ヘイヘの背後に迫る男の影だ。

 鬼のような形相でサブマシンガンを構えている。

 ごくりとアリナは唾液を飲み込んだ。一瞬だけ、彼女の脳裏に先日奇襲攻撃を仕掛けた際に傷を負ったヴァラントラが浮かぶ。

 命こそ無事だったものの、それでも化膿して敗血症にでもなったら命に関わる。

「……っ!」

 声も立てる事ができずに、アリナは一瞬でククリを抜くと手首を翻した。

 風を切る音が響いて、正確な弾道を描いて赤軍兵士の喉を切り裂いた。まるで、どこぞのホラー映画かなにかのように、首を真ん中から切り裂いて頭の重さでそのまま落とす。動脈がちぎれたせいで鮮血が白い雪の上に吹き出した。そして、赤軍兵士の頭を落としたククリナイフはそのままビィンと鈍い音をたてて木の幹に衝き立てられた。

「……びっくりさせないでください」

 数秒の静寂の後にシモ・ヘイヘが告げると、アリナはへなへなとその場に座り込んだ。緊張の余り寒さはあまり感じていない。

「びっくりしたのはこっちだ、馬鹿野郎!」

 思わず怒鳴りつけたアリナ・エーヴァは、鋭く舌打ちすると二人の男たちを睨み付ける。

「だいたいなんだ、わたしはアーッテラについて見張りに行けとは一言も言ってないぞ。それにアーッテラもなに考えてんだ、ひとりで先走るな」

 くどくどと文句を告げる彼女は頭に血が上っているのか言葉が荒い。

「いえ、その、拠点のあたりをイワンがうろうろしていて、つい……」

 一度は赤軍兵士を追撃して戻ってきたのだが、アリナへの報告を他の部下に任せて自分はヘイヘが心配だったために赤軍兵の野営地に戻ってしまったのだとアーッテラは言った。

「……まぁまぁ、姉さん(シス)、お小言はそれくらいにしてやってくださいよ」

 結果オーライじゃないですか。

 部下の一人にそう言われてアリナは長く溜め息をつくと顔を手のひらで覆ってからうつむいた。

 こうしているときの彼女は頭を切り換えているときだった。

「……――そうだね」

 長い沈黙の後に、アリナはそれだけ言った。

 まだ怒りは治まらないらしい。

 命のやりとりをしているのだから、当たり前と言えば当たり前の事だ。

「そうだね、とにかく、わたしに無茶苦茶するなとか言う前に、無茶苦茶しないでくれ。アーッテラ」

 ぽん、と彼の肩に彼女が手を置いたその瞬間。

 衝撃にアリナの体が浮いた。

 土煙が上がって、アリナのギリースーツに降り注ぐ。鋭く鈍い音に瞠目した彼女は数秒後、舞い上がった土煙と共に地面に倒れ込んだ。

 咄嗟にアーッテラはアリナの体を腕に抱き込むとそのまま体を横倒しにして衝撃を殺す。

「迫撃砲だ……っ!」

 誰かが叫んだ。

 ちょうど、赤軍兵士が撃っただろう迫撃砲がピンポイントにアリナ・エーヴァのすぐ近くに着弾したのだ。

 おそらく、指揮官の彼女を狙ったのだろう。

 しかし、命中精度がそれほど良くはない迫撃砲という武器の特徴と、夜間という現場の状況、そして、射手の熟練度の関係で命中せずにすんだのだった。

 そんなものがあたれば、いくらモロッコの恐怖と呼ばれるアリナ・エーヴァだとて命はない。

姉さん(シス)! 大丈夫ですか!」

 アーッテラが大声で呼び掛けるが腕の中の彼女は反応がない。

 慌てた様子で周囲を見渡すと、シモ・ヘイヘはモシン・ナガンを片手にスキーで滑り出しているところだった。

 迫撃砲の射手を追跡しているのだろう。

 数秒してからライフルの発射音が数発聞こえてきて、そうしてようやく辺りは静かになった。

 副長のアーッテラが首筋に指先をあてて彼女の脈を確認すると、確かにアリナの心臓は脈を打っていて彼を安堵させる。

「……姉さんは」

 周囲に隊員たちが集まってきた。

「気を失ってるだけだ」

 眉を寄せたままでつぶやいた彼は、周囲の赤軍兵士たちが全員死んでいる事を確認してから装備を隊の別の人間に手渡すとアリナをその背中に背負う。

「戻るぞ」

 短く彼は告げた。

 そして、隊員たちも何も言わない。

 ただ、アリナ・エーヴァを背負っているユホ・アーッテラを見つめるばかりだった。

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