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38 三人の関係性

 三月下旬、北欧の春はまだ遠い。

 ミッケリの病院の前に三人の士官がいた。

 そんな寒さの中、ようやく感染症の高熱から回復したアリナ・エーヴァは、友人の士官たちの助けを借りて退院することになった。銃創についてはまだ治療が必要であるとはされたが、彼女はいたって元気に見える。

「暴れることと、当分の軍事訓練についてはまだ賛成できませんからね。わかっていますね? ユーティライネン大尉?」

「わかった、わかったって。軍医先生」

「本当にわかっているのかあやしいもんですな」

 なんなら傷が完治するまで入院していきますか?  そう続けた医師に、アリナ・エーヴァはさすがに「えぇー?」と抗議の声を上げた。

「こんなところに何ヶ月もいたら、体がなまっちゃうんで勘弁してくださいよ、先生」

「軽いトレーニングくらいならかまいませんが、くどいようですが、体に負担をかけるような軍事訓練はダメですよ。わかりましたね?」

 しつこく念を押された彼女は肩をすくめてから大きな溜め息をついた。

「わかったよ、言うことを聞くから本当に解放してくださいよ」

 渋々といった様子のアリナは、自分の背後にいるヴィサ・レフトに寄りかかっている。

 正直なところ、彼女は医師が言うように、本来であればまだ退院が許可されるほど回復しているわけではない。全身は傷だらけであったし、抗生剤を万が一やめれば高熱がぶり返す可能性も高い。そんな状況にもかかわらず、彼女はどうしてもやらなければならないことがあるから、と医師に退院の許可を求めたのである。

 そんなアリナ・エーヴァに肩を貸しながら、ヴィサ・レフトはいつものようにへらへらと笑っている彼女と、彼女の荷物を持っているミーカ・ヴァーラニエミに視線をやる。

 アリナ・エーヴァがどうしてもやらなければならないこと。

 彼女は中隊の長として、どうしてもやらなければならないことがあると言った。

「とにかく、暴れるのは御法度(ごはっと)ですからね」

 彼女は英雄だ。

 モロッコの恐怖と呼ばれる歴戦の指揮官。

「傷が開くくらい大暴れするようだったら、俺たちが病院送りにするんで、あんまり心配せんでください。先生」

「本当に頼みますよ。コッラー戦線の英雄が戦傷で死んだりしたら治療に当たった我々が不手際を追求されるんですから」

 医師はそう言うものの、別段それだけを心配しているわけでもないだろう。

「わかってるよ、先生方にはお世話になった。本当に、お礼を言わせていただきます」

 真面目な表情でアリナはヴィサ・レフトに支えられたまま頭を下げた。

「やりたいことって言っても、別に訓練とかじゃないんで心配しないでください」

 第三四連隊第六中隊を率いた中隊長としての役目がまだ終わっていない。

 コッラー戦線の英雄とまで謳われた自分には、まだやらなければならないことがあるのだ。

「無理を聞いてくださってありがとうございます」

「無茶だとわかっているならいいんです。ユーティライネン大尉、あなたが担ぎ込まれたときは本当に驚きました。命を落とさずにいられたのは、運が良かっただけなんですから……」

 そう言われて、アリナは声もなく笑うと病院へと背中を向けて、ミーカ・ヴァーラニエミの操るそりへと乗り込んだ。

 アリナ・エーヴァよりも先に病院へと搬送された第六中隊最高の狙撃手、シモ・ヘイヘの行方はまだわからない。

 中隊の生存者の把握のために東奔西走しているユホ・アーッテラにばかり無理を強いるわけにはいかなかった。

 ヘイヘは死んだかも知れない。

 ひどい傷で顔半分が文字通り吹き飛ばされていた。

「なにを考えている?」

 男の肩に寄りかかったまま物思いに沈むアリナに、レフトが問いかけた。

「なにも」

「嘘をつけ、なにも考えていないって顔じゃないぞ」

「あんたたちには関係ない」

 個人的なことだ。

 ぴしゃりと言葉を叩き返してアリナはじっと黙り込む。

 他部隊のヴィサ・レフトやミーカ・ヴァーラニエミには関係のないこと。

 指揮官である彼女が倒れてしまったため、部隊内の状況確認が追いつかない。重傷者で生存の確認と搬送された病院がわかったのは、まだ半分程度らしい。

「とにかく、アーッテラが苦心している。手伝ってやらないと」

 アリナ・エーヴァの所属した第十二師団。ミーカ・ヴァーラニエミの第十三師団、そしてヴィサ・レフトが所属した第九師団とカレリア地峡軍。

 どこも激戦だった。

 寒空の下、そりの上でうとうとと船を漕ぐ彼女に、レフトは声もなく息をつき、そりを操るヴァーラニエミはフンと鼻を鳴らした。

 退院できる状態の体でないのは、ふたりにもわかっている。

 それでも彼女は退院すると言って聞かなかった。そもそも、師団司令部からもゆっくり休息を取るようにと通達されているはずなのだが、アリナ・エーヴァは聞かない。

「約束、守れなかった……」

「うん?」

 目を閉じたままのアリナがぽつりとつぶやいた。

「大人は嘘つきだよね……」

 コッラーの戦線に赴く前、彼女は約束したというのに。

 フィンランドを守ると。

 けれども、その約束を果たせなかった。

 ソルタヴァラの子供たちはどうしているだろう。

 アリナを嘘つきだと責めるだろうか。

「……――エヴァ」

 レフトは眠りに落ちかかるアリナの肩を大きな手で包んでやると、やがて彼女の体から力が抜けた。

 自宅を失ったアリナ・エーヴァは、ミッケリに一時的な陸軍の宿舎を与えられた。

 ベッドなどの家具は一通りいれられている。

 ヘルシンキに自宅があったレフトはともかくとして、ヴィープリに住んでいたヴァーラニエミも同様に自宅を失って難民となった。

 軍人はまだいい。

 それでもそれなりに軍司令部から兵舎などの提供がされるのだから。

 難民となった多くの一般庶民たちは、この寒さの中で行く先に苦心していた。多くの市民たちが、自宅や土地を失ってフィンランド各地へと散っていくことになった。

 しばらくして宿舎へとついてそりを止めたヴァーラニエミに、レフトがアリナの肩を揺らす。

「ついたぞ、起きろ」

「うん、ありがと……」

 寒さで固まってしまった体を支えながら、男たちはアリナを宿舎内に送り届けて暖炉に火をいれる。そうして、彼女をベッドに放り込むとそのまま毛布を頭の上からかぶせた。

「今日は俺たちがついててやるからとっとと寝ろ」

 素っ気ないヴァーラニエミの言葉にアリナは枕に顔を押しつけると眠りの中へと墜落していく。

 病み上がりの体にそりでの移動は体に負担がかかる。

 カバンの中から薬を取り出して、眠りかけるアリナに無理矢理飲ませると、男は暖炉の前のソファに腰を下ろしてからラジオのスイッチをいれた。

 ざらざらとしたラジオ特有の音が聞こえてくる。

 ヴァーラニエミの宿舎はすぐ近くだったし、レフトも家に帰るとはいってもヘルシンキでは遠すぎる。結果的にアリナのおもりついでに泊まり込む形になってしまったふたりの男は、ラジオを聞きながら息をついた。

「寝たか?」

 彼女の寝室から戻ってきたレフトに対して肩越しに声をかけたヴァーラニエミに、友人の男が頷いた。

「そりゃもう一瞬でな」

「だいたい、あの体で退院なんて無茶苦茶だ」

 感染症からではなく、今度は傷のせいで熱を出すだろう。

 レフトの言葉に応じたヴァーラニエミがぼやいた。床に敷かれた毛皮の敷物に腰を下ろしたレフトは茶色の自分の髪をかきあげる。

「そうは言ってもあいつがこうと言い出したら誰の言うこともきかないのはおまえも知っているだろう」

 そこが問題なのだ。

 彼女は頑固で、自分がこうだと決めてしまったら誰の言うことも聞いたりしない。

 たとえ友人や上官の言うことであったとしても。

「そうだなぁ……」

 相づちを打ちながら、ミーカ・ヴァーラニエミは頭の後ろで腕を組んでソファにそのまま仰向けに転がった。

 パチパチと暖炉から音が聞こえた。

 彼女の部屋に暖気を送り込んでやるために寝室へ続く扉は開けっ放しになっている。

 寒い冬は、北欧の国では家の中にいても凍死者がでる程だ。

「ミーカ、おまえはわかってるだろうが、あいつは戦闘が終わったばかりで頭がおかしくなりかけてる。充分気をつけて扱えよ」

 戦闘の熱に当てられて、彼女の凶暴性が増す。

 弟のエイノ・イルマリが言う「テンションが上がって人が変わる」というのはこれだった。

 戦争が続けば続くほど。

 戦闘が激しければ激しいほど、アリナ・エーヴァはそれに飲み込まれる。

「フランスの部隊にいたときもああだったのか?」

「まぁ、その()は元々あったけどな。ただ、決定的におかしくなったのは、ヴィシュヌが死んでからだな」

 かつての戦友が死んでから、アリナは任務の鬼になった。

 普段はふざけていても、任務となると途端に別人のようになる。

「たぶん、もう戦友を失いたくないんだろう」

 そして破天荒な振る舞いをすることによって、自分に近づく人間に対して予防線を張る。

 それ以上自分に近づくな、と。アリナの予防線を越えて近づけるのはそれほど多くはない。アリナの信奉者たちか、もしくはミーカ・ヴァーラニエミのような生え抜きの兵士だけだ。

「信者が増えるのを、エヴァが望んでいないっつーのにな。馬鹿共はわかってない」

 アリナの信者たちは、彼女がどれほど苦しんでいるのかを知らない。

 自分の周りに他者が増えれば増えるほど、アリナはその「生命(いのち)」の重さに苦しむと言うのに。

「それは仕方がないだろう、エヴァが言わないからな」

 アリナ・エーヴァは、自分を頼る者たちが、彼女自身を心の支えにしているのを知っているからはねつけられない。

 破天荒で、常識知らずととられることが多いがアリナは、そう言った面ではひどく人が良すぎる。迷惑だと思うなら、追い払えばいいではないか、とヴァーラニエミなどは思うのだった。

 そして彼女が顔にはかけらも出さないが、重荷に感じている事をヴァーラニエミは知っているため、イスモ・アラルースアのような信者たちに「あいつは特別じゃない」とことあるごとに言って聞かせるのだが、これも全く通じていないという有様だ。

 おそらく、信者たちはアリナ・エーヴァのことを超人かなにかだと思っているのだろう。誰よりも強い、特別な存在だと。

「そういえば、ヴィサ? おまえ、そろそろ大尉昇進らしいな」

「おまえが少佐になるほうが早いんじゃないか?」

 即答でレフトに切り替えされて、ヴァーラニエミはひらひらと顔の前で手を振った。

「俺は無理だろう、どうせ上役に楯突いてばかりだからな。万年大尉で終わりだ」

 楯突いている自覚があるなら直せばいいのだろうが、レフトの目の前のミーカ・ヴァーラニエミもアリナ・エーヴァ・ユーティライネンもそんな態度を直そうとしない。

 そもそも、昇進に興味がないのだろう。

「しかし、これで寒いとか言ってくっついてくるような女ならかわいげもあるだろうになぁ」

 ヴァーラニエミのアリナに対する評価に、レフトは声を上げて笑った。

「無理だろう、他人に弱みを握らせるのが大嫌いだからな」

 だから人間関係が破綻するのだ。

 完璧な人間などいない。他人に弱みを見せてもいいのだということをアリナ・エーヴァはわかっていないのだ。

 長い期間傭兵稼業をやっていた弊害なのかも知れない。

 そんな他愛のない会話を交わしながら、ヴァーラニエミがソファから立ち上がった。

「どこへ?」

「様子を見てくる」

 なんだかんだでミーカ・ヴァーラニエミもアリナ・エーヴァのことが心配でたまらないのだろう。

「襲うなよ」

「殺されるのはご免だからな」

 茶化したレフトに、きつい眼差しで笑ったヴァーラニエミはそうしてアリナの寝室へと消えていった。

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