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31 嵐の前

「姉さんは、戦う事が怖いと思ったことはないんですか?」

 問いかけたユホ・アーッテラにアリナ・エーヴァは小首をかしげた。

「そりゃ怖いに決まってる」

「意外ですね」

「そんなこと全く思ってないのによく言うよ」

 アーッテラの言葉にアリナは目線だけで笑ってから、大きく伸びをした。

 ロイモラの町はソ連空軍の爆撃を受けていくつもの大きな穴があいている。しかし、建物に命中したのは屋外便所のみという状況だった。

 ――へたくそ。

 それがアリナの感想だ。

「忌々しいことだが……」

 アリナ・エーヴァはそう前置きしてから、アーッテラに対して言葉を投げかける。

「忌々しいにも程があるが、ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の爆撃はもっと精度が高い。同盟を組んでいるんだ、もう少し奴らを見習ったらどうだろうね」

「……――ドイツ空軍の爆撃を見たことがあるんですか?」

 素朴な疑問を言葉にすると、アリナは肩をすくめてからちらと視線を流しやる。

「あるわけないじゃん」

 アリナ・エーヴァはスペイン内戦には参加していない。だから、創設されたばかりで歴史の浅いドイツ空軍の空戦技術など知るわけがなかった。

「なら、どうしてそんなこと言い切れるんです?」

 問いかけるアーッテラに、アリナ・エーヴァは唇の端でにやりと笑って見せた。

「……フィンランド(うち)の空軍が戦術的な参考にしてるんだ。優秀じゃないわけないじゃん」

 フィンランドとの敵――ソビエト連邦と忌々しい不可侵条約を結んでいる大ドイツ国。しかし、感情的になって相手の能力を正しく評価しないと言うことは、自分たちに死に神を呼び込むことに他ならない。

「すごい根拠ですね」

 あきれたようなユホ・アーッテラにアリナは低く笑うと、金色の髪を耳の上にかきあげてから長い睫毛を伏せる。

「そういえば、シムナが休暇を終えて帰ってくるそうですよ」

「……そうだね」

 ほほえんだ彼女の横顔に、アーッテラはほっと溜め息をつく。

 少なくとも、今彼らが駐屯しているロイモラ村は、彼らがそれまでいたコッラー川の戦線より危険は少ない。しかし、それにしても彼女のこの落差はなんなのだろう。

 もちろん、彼女に裏表があるのは戦前から知っていたことだが……。

「無事に帰ってくるならめでたいもんだ」

 雑談をしているときと、部下の話題を口にしている時とでは、アリナ・エーヴァの印象はだいぶ異なる。

「女ってのは怖いですね」

 大きな溜め息と共につぶやいたアーッテラに、アリナは雪の降り積もるロイモラの町を見つめている。

 いつまでこんな戦争が続くのだろう。

 シモ・ヘイヘが栄誉ある銃を賜ってから、休暇を終えて前線に戻ってくる。中隊指揮官であるアリナ・エーヴァにしてみれば大変喜ばしいことには違いない。けれども、消耗しきった兵士たちを見ていると、いつまでもソビエト連邦の猛攻にこらえられるとは思えないのだ。

「アーッテラ、おまえもいい年だ。とっとと気立ての良い嫁さんをもらえ」

 彼の肩を軽くたたいたアリナ・エーヴァに、ユホ・アーッテラは返す言葉もなく肩をすくめただけだった。

 姉さんこそ、と彼は思うが口には出さない。

「……気の良い奴だった」

 しばらくの沈黙の後に、アリナがぽつりとつぶやいた。

 余りにも唐突すぎてユホ・アーッテラは彼女の意図を読み損ねて小首を傾げる。

「……姉さん(シス)?」

「ヴィシュヌといると、戦場なのにいつも楽しくて、こいつと戦って一緒に死ねたら本望だなって思ったんだ」

 ヴィシュヌ。

 その名前にアーッテラは無言のままで彼女の言葉を聞いた。

 おそらく、その名前から察するに、アーッテラが知らない彼女の戦友だろう。彼女の持つナイフの元の持ち主――フランス外人部隊にアリナが所属していた頃の。

 来る日も来る日も続く激しい戦闘に、アリナの脳裏に過去の戦いでの記憶を呼び覚ましたのかも知れない。

「けど、戦場というのは残酷だ。激戦であいつだけが死んで、わたしは生き残った。死に神はあいつの魂だけを奪っていった……」

 病院のベッドでやっと動けるようになった時、ヴィシュヌの亡骸はすでになかったこと。残されたのは彼のナイフだけ。

 ――ヴィシュヌがおまえに渡してほしいと。

 ヴィサ・レフトはそんな言葉と共に、彼女にククリナイフを手渡した。

 大振りなナイフ。

 ヴィシュヌの魂とも言えるナイフだ。

 今もアリナ・エーヴァの腰に吊されたナイフと共に彼女は戦っている。

「そのとき、あなたも死んでしまいたいとでも思ったんですか?」

「……そうだね」

 短く、そして静かに彼女が言う。

 アーッテラは溜め息をついた。

「共に、滅びたいと思えるほどには、奴とわたしは気があっていた」

 アリナ・エーヴァが無意識に左の敵を攻撃すれば、右手の敵をネパールの山岳民族出身のヴィシュヌが攻撃する。

 銃を軽々と操り、正確な射撃を繰り広げる彼女が遠距離攻撃を。そしてヴィシュヌが肉薄する敵をナイフで切り裂く。見事なふたりの連携に、モロッコの植民地戦争では「恐怖」とあだ名された。

「……――奴が死に、わたしだけが生き残った」

 きっと、彼は生き残った自分を責めるだろう。

「どうしておまえだけ生きてるんだって、声が聞こえるようで……」

 どうして自分だけが生きているのだろう。

 生涯の伴侶以上に自分の魂の半分だとも思えた男を失って、彼女の心は切り裂かれるかと思えるほどの痛みと苦しみを味わった。

「わたしは、ただ漠然とあいつが死ぬときはわたしも死ぬときだと思っていたんだ。当時(むかし)のわたしは愚かだったからな……」

 若く、猪突猛進で愚かだった。

 戦って前を見ることしか知らなかった小娘。

 そしてその「小娘」は、自分の魂の半分だと信じこんでいた「彼」が死んだときに、深すぎる絶望に突き落とされた。戦場にいる限り、永遠の約束などないということは、誰よりもアリナがわかっていたはずなのに。

 それを見失ってしまうほど、彼女は戦いの中に捕らわれた。

 深い闇に飲み込まれた。

「戦場に、永遠の約束なんてないのにね」

 自嘲するようにほほえんだアリナに、アーッテラは眉をひそめた。

 その静かすぎる彼女の声に包み隠された思いの深さを感じる。

姉さん(シス)

 雪が降り積もる。

 そんな風景の中で、アリナ・エーヴァがなぜか消えてしまいそうな気がして、アーッテラは不安を感じる。

「姉さんは、亡くなられたその方を、愛していらっしゃったのですか……?」

 問いかけるユホ・アーッテラの声が掠れる。

 喉の奥がからからだった。

「わかんないよ。愛してたかなんて。……ただ、今でもあいつが生き残ったわたしを咎めているような気がしてならないんだ」

 手袋をした彼女の手のひらが、自分の心臓を強く押さえている。

 そんなアリナ・エーヴァの様子が、ユホ・アーッテラに彼女の心の痛みを伝えてくるようで、渇いてかさついた唇をかみしめた。

 若いゆえに浅はかでただ子供のように未来は永遠だと思っていた。

 無邪気に。

 雪の舞う寒空の下で、アリナの頬を一筋の涙が流れていく。頬を伝い、顎の先から落ちる涙に、アーッテラは目を奪われた。

「死んでしまいたい、と、あの時は本気でそう思った」

 戦友(とも)を失って打ちひしがれた彼女が一度だけ、アルコールに溺れたことがあったとヴィサ・レフトが言っていた。

「……姉さん」

 言葉を失ってアーッテラが彼女を呼ぶが、しかしアリナには聞こえていない。

 とつとつと言葉を綴る彼女は、心臓に押し当てていた手を握りしめてから白い吐息をついた。

「あいつが死んで、わたしも死にたいと思ったのに、死ぬほど痛い目にあったわたしは、臆病で自ら死ぬことを選択することできなかった……。笑えるだろう? 死ぬのも怖くないと思っていたはずなのに、いざ目の前に死が差し迫ると、恐ろしくて死ぬこともできないんだ」

 手袋をはめた手で涙を乱暴にこすった彼女が、言いながら小首を傾げるとアーッテラを見つめる。

 そんな青い瞳に、アーッテラは眉間を寄せて言葉を探した。

 なにを言えばいいのかわからない。

「姉さん、俺は……」

 言いかけたユホ・アーッテラの声を、突然、ソ連軍の爆撃機のプロペラの音に遮られた。

 一瞬で頭を切り換えたアリナ・エーヴァ・ユーティライネンはわずかに目を見開いてから顔を上げる。

 二十機ほどの重爆撃機が飛来したのだ。

 その場に突っ伏すように伏せて頭をかばいながら、アリナは声を張り上げた。

「走るな! その場を動かずじっとしてろ……っ! 動くと見つかるぞ!」

 上官であるアリナが地面に伏せたのと同時に、アーッテラも同じように彼女の横に伏せながら横目で上官を見つめる。

 どろどろと音をたてながらロイモラ上空を旋回している爆撃機は獲物でも探しているのだろう。

 全てを白色迷彩で偽装したフィンランド軍の標的を、上空から発見するのは困難に違いない。

「……朝っぱらから元気だね」

 鋭く舌打ちした彼女の横顔に、先ほどまでの戦友の死を悼む表情はかけらも浮かべられていなかった。

 アーッテラはふと思った。

 ――アリナ・エーヴァは、戦いを繰り広げながら、死に場所をさがしているのではないのだろうか、と。

 少し客観的に考えればわかることだ。

 仮に、人間の思惑とは関係のないなにかが蠢いて運命を決しているとして、誰も彼女の死など望んではいない。

 おそらく、とアーッテラは思った。

 彼女の亡くなった戦友は、彼女を守りたかったから自分のナイフを送ったのだろう。死に逝く自分の代わりに、彼女の生命(いのち)を守るために。

 ありったけの思いをそのナイフに捧げて。

 ユホ・アーッテラは、アリナ・エーヴァのフランス外人部隊時代の戦友であるヴィシュヌのことは知らない。しかし、その男の思いは理解できた。

 友人の一人として。そして、かけがえのない魂を分けた相棒を呪うわけがあるものか。

 ――俺は、おまえを守ってやれなかった。

 剛胆で、尊大に。そして不敵に笑う彼女が、誰よりも優しいのを知っていたから。アーッテラは今は亡い男の気持ちを察する。

 ――せめてこれからはこのナイフが、おまえの命を守ってくれることを願う……。

 アーッテラは低い男の声を聞いたような気がした。

 彼女を守る(ナイフ)の声を。


 赤い星印をつけた重爆撃機は、アリナ・エーヴァたちの所属する第三四連隊第二大隊の宿営地の真上をしばらく飛行していたが、それとおぼしき標的を発見することができなかったのか、爆撃機が遠ざかっていく音が聞こえた。

 しばらくしてから爆撃機が向かった方向から爆弾の炸裂する凄まじい音が聞こえてきて、ユホ・アーッテラは眉をしかめた。

 村の中心地の方から聞こえてくる。

 民間人に被害が出ていなければいいが……。

 そう思って彼が上官の女性を見やると、アリナも似たようなことを感じていたのか、眉をひそめたままで立ち上がると、コートについた雪を軽く払い落とした。

「ユーティライネン」

 呼ばれた低い声に、アリナ・エーヴァは帽子を手で押さえながら振り返る。

「なんです?」

 第二大隊の指揮官、ハールトマン少佐に呼び掛けられてアリナが露骨に眉をしかめた。露骨すぎることを隠しもしない彼女に、もちろん外見上はハールトマンも表情ひとつ変えはしない。

 コッラーの戦線で戦っていた時とは比べものにならないほど、彼と顔を合わせる機会が増えてアリナ・エーヴァは正直うんざりしている。

「司令部が無事か見にいってくるが、貴様も行くか?」

「……お断りです」

「まぁ、そう言うな」

 勝手知ったるとはよく言ったもので、カール・マグヌス・グンナル・エミール・フォン・ハールトマンはアリナの肩をつかむとずるずるとひきずってそりにの上に引き上げた。一応相手が味方であり、そして上官であることを考慮しているらしい彼女は、男の強引な命令に口をへの字に曲げつつも従っている。

 彼女は決して司令部の命令を全て反故にしているわけではないのだ。

 おもしろくはないと思いつつも軍隊内において命令が絶対だと言うことを彼女は理解している。

 わかっているからこそ、余計に面白くない。

 仏頂面のアリナに、トイヴィアイネンが面白そうな顔をして凝視していると、両方の頬に親指をあてて両手のひらを開いた。

 相手を馬鹿にする仕草に、今度こそトイヴィアイネンが吹き出すが、アリナは心底面白くない、といった様子でしかめ面のままそっぽを向いてしまった。

 ハールトマンとアリナ・エーヴァが一緒にいる様子はまるで仲の良い兄妹かなにかのようでもある。両名とも腕の良い指揮官なのだが、性格が同じなのか、磁石と同じで同極同志であるが故に反発し合う。


 ロイモラの師団司令部に赴いたふたりは、第十二師団指揮官スヴェンソン大佐に出迎えられて、宿営地周辺とロイモラの被害状況について情報交換を行った。

 スヴェンソンとハールトマンとの情報交換の場にどうして自分がいなければならないのか、と不満で仕方がないのはアリナ・エーヴァだ。

 しかめつらしい顔のままで目の前に出されたコーヒーをすすりながら、彼女は男たちの会話を聞くでもなく聞いていた。

 文字通り右から左へと聞き流していただけだが、ふと耳に入ってきた単語にアリナは小首を傾げた。

「……ロイモラから少し離れたところに、イワン共が妙なもんを落としていったんだが、ハールトマン。君は聞いているか?」

「最近やっとこっちに移ってきた第二大隊(うちら)が知るわけないじゃないですか、大佐」

「それもそうだな」

 なぜかひとりで納得したような顔をしたアンテロ・スヴェンソンにアリナは視線を上げると、コーヒーカップに唇をつけたままでそうしてから少し考え込むような顔をした。

「……妙なもの、というのは?」

「見に行くかね?」

 アリナが短く問いかけるとスヴェンソンが、剛胆な女性指揮官に低く笑う。

「時限爆弾とか不発弾とか、そういったものだったらお断りですよ」

「なに、おそらくそういうもんじゃないから心配はいらん」

 ロイモラから少し離れたところに、ソ連空軍の爆撃機が落としていったものを見に行った彼らはその「奇妙な物体」に腕を組んで「うーん」とうなり声を上げた。

「なんだと思う?」

「……岩、ですね」

 スヴェンソンの問いかけに応じたのはハールトマンで、腕を組んだままその平べったく四角い物体を凝視している。

 物量にものを言わせるソビエト連邦だ。

 そのソビエト連邦軍に限って「弾薬がなくなったから岩を落とした」というわけでもないだろう。

 意味深な眼差しで、スヴェンソンとハールトマンに視線を投げかけられた三十代半ばの女性士官は、鼻白んだ様子で肩をすくめてから岩に向かって一歩踏み出した。

 手袋を外した彼女は、長い腕を伸ばしてその岩に触れてみる。

 凍結した空気に晒されて冷え切った石は冷たくて、やはりそれがまさしく「岩石」であるということを感じさせた。

「……まごう事なき岩ですね」

「君らもそう思うか」

 馬鹿にしてるのか? とアリナ・エーヴァは思ったが口には出さない。いちいち上官相手に喧嘩腰でつっかかっても仕方がないことをアリナは知っていたし、彼女はもう無鉄砲で怖い物知らずの若かった昔の彼女ではない。

「イワンの奴らが弾薬や爆弾がつきたわけでもないだろうしな。一体全体何の冗談だろう?」

「知りませんよ、ソ連軍(リュッシャ)に聞いてください」

 アリナはかぶりを振りながら、岩から手を離すと鼻から息を抜いた。

「そういえば、シムナはいつ戻るんです? そろそろだっていう噂は聞きましたけど」

「ヘイヘ下級軍曹か」

 確か彼の故郷はコッラー地方からそれほど遠くはないミエッティラだ。場所はラドガ湖から南へ二十マイルほど離れたイマトラから、さらに北北東に三十マイルほど離れた地点にある、と言えばいいだろうか。

 要するにコッラー地方からは百マイル弱離れている計算になる。しかし、国境沿いのフィンランド国内の鉄道網は発達しており、開戦当時からそれらの鉄道網を駆使してフィンランド国防軍は迅速に部隊を展開することができたほどだ。

 アリナ・エーヴァが危惧することもなく、無事にヘイヘは陣地に戻ってくるだろう。

「他の部隊にはやりませんからね」

 牽制するように告げたアリナに、スヴェンソンは笑い声を上げた。

「なんだ、独占欲が強いな」

「当たり前です」

 素っ気なく言う彼女に、スヴェンソンは「そろそろ戻るから心配いらん」と応じてから改めて平たい石に視線を戻した。

「きっと、この岩は、寛大なロシア人が隣国の恵まれない子供たちに豊かなるソ連の大地を恵んでくれたんだろう」

「……寛大、ね」

 スヴェンソンの皮肉な言葉に、アリナはフンと鼻を鳴らした。

「さしずめソ連の兵士共は、恵まれない隣国の大地に送ってくれた肥料かなんかですかね」

 肉はやがて朽ちて大地に帰る。

 それを皮肉ったアリナ・エーヴァに、ハールトマンは彼女の肩を軽くたたきながら大きく頷いた。

「ソビエト連邦は広くて物資も、大地も膨大だ。きっとそんなところだろう」

 夕方、そりに乗って戻ったカール・マグヌス・グンナル・エミール・フォン・ハールトマンとアリナ・エーヴァはふたりの客人を連れ帰ってきた。

 ひとりは作家で、もうひとりは雑誌記者だ。

 二月の下旬から得られたいくばくかの後方への撤退はアリナ・エーヴァらを含めた大隊はいくらか休息をとることができたが、絶え間なく続くソ連空軍による爆撃に彼らは晒され続けていた。しかし、幸運なことにその爆弾の内の一発も彼らのテントに命中することはなかった。

 アリナ・エーヴァ曰く「へたくそ」とはこのことだ。

フィンランド(スオミ)の爆撃隊ならもっと正確に標的を狙えるだろうに!」

「しかし、奴らのパイロットが飛行機を飛ばすだけしか能がなくて助かりましたね」

 アリナの評価に対して、ユホ・アーッテラが応じれば彼女は肩をすくめてから白色迷彩をコートの上にかぶったまま遠ざかっていく爆撃機を見つめていた。

「そうだね」

「ところで、姉さん(シス)? 少佐と喧嘩しませんでしたね?」

「するわけないじゃん。こんなに気立ての良い女の子が」

 けろりとして言葉を返したアリナに、アーッテラは盛大な溜め息をつくとふたりの客人を伴ってテントへと向かっていくハールトマンの背中を見送った。

 破天荒で言うことなど聞きはしないアリナ・エーヴァに参っているらしいが、この大隊指揮官はどこか飄々としているところがアリナ・エーヴァと同じようにつかみ所がない。

「少佐」

 アリナが声を上げた。

「……うん?」

「イワンの奴ら、たぶんまだなにか隠してますよ」

「わかっている」

 アリナはハールトマンのことを心の底から嫌っているが、それでも最低限の礼儀は忘れることはないし、決して部隊に無駄な労力を裂かせる無能者ではない。

「ユーティライネン、もしもリュッシャの奴らが良からぬことを考えているとして、お嬢さん(ネイティ)はまだ戦えるか?」

「当然」

 即答したアリナがにやりと笑った。

 不遜な彼女の青い瞳に、ハールトマンも笑う。

 そんなふたりのやりとりに、アリナ・エーヴァ・ユーティライネンの副官――ユホ・アーッテラは「結局このふたりは似た者同士なのではないか」と思った。

「わたしが指揮する部隊は、どんな戦いにだって耐えられる」

 彼女を「魔女」と従う部下たちがいればこそアリナ・エーヴァはどんな戦いにも身を投じていく。そして、だからこそ無理難題とも思えるような作戦や、過酷な戦闘にも部隊は堪え忍ぶ。

 彼女についていけば、必ず勝利をつかみ取れると信じているから。

「……アーッテラ!」

 雪の上でアリナが鋭く踵を返しながら声を張り上げた。

「はっ」

「シムナが戻ったらすぐに連絡しろ」

 簡易テントに戻っていくアリナ・エーヴァの後ろ姿に敬礼を返したユホ・アーッテラは、そんな上官の背中を見送ってから軽く首を振った。

 結局のところ、アリナはシモ・ヘイヘのことが心配で仕方がないのだ。

 自分の上官たちのことは「素直じゃない」などと評価を下すが、結局、アリナ・エーヴァも「素直じゃない」のだった。もっとも、そんな素直ではない彼女のことを信頼している自分も相当毒されている感は否めない。

 さすがにコッラー戦線のような陣地戦ではないから、アリナ・エーヴァが指揮テントを構えていると言うことはない。部下に、ヘイヘが戻ったら自分に連絡するようにと伝えてから彼もアリナと同じ簡易テントへと歩を進めていった。

「承知しました、副長」

 きびきびとした兵士の声に満足して、アーッテラはもう一度だけ空を見上げてから深く冷たい空気を肺まで吸い込んだ。

 もうすぐフィンランドに春が訪れる。

 ――……訪れる春は、泥濘の戦乱か、それとも戦後の平和かどちらだろう。

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