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30 スオミネイト

 第三四連隊第六中隊の指揮テント内の簡易テーブルには地図が広げられており、それを三人の士官が囲んでいる。

 ユホ・アーッテラは、上官であるアリナの表情を覗うように眺めていると、アリナ・エーヴァの向かいに座って説明を聞いていたヴィサ・レフトは「ふーん(ヨー)」と相づちを打ちながら地図に視線を落としていた。

「それはそうとさ、ヴィサ?」

 アリナが一通り戦況の説明を終えてからロッキングチェアに腰掛けると、首を傾げた。

「第九師団って言えば、今はクフモにいるはずだよね? 中隊長のヴィサがこんなところで遊んでていいの?」

「……俺の中隊はソ連軍の一個師団を攻撃するときの要だったからな。半壊どころか全壊で、今はミッケリで再編中だ」

 その再編中に、コッラー地方への物資の補給計画を耳にしたヴィサ・レフトは、休暇中であったため、友人の顔を見に行くついでに志願した、というところが正しかった。

 スオムッサルミでの激戦を戦い抜いたフィンランド陸軍第九師団は現在、スオムッサルミから南方のクフモで、ソ連軍の狙撃兵師団を相手にしているはずだった。

 その中の中隊長のひとりであるヴィサ・レフトがどうしてこんなところにいるのか。

 アリナ・エーヴァにしてみればもっともな疑問である。

「休暇ねぇ……」

 腑に落ちない表情の彼女に、ヴィサ・レフトは肩をすくめると口を開いた。

「俺だってそんなに暇なわけじゃない、ちょっと手伝ったら帰るさ」

「さようで」

 気心の知れた相手と言葉を交わすアリナは、彼が訪れたことによってかいくぶんか顔色が良い。

 古い知己の来訪が、彼女の心に余裕を生み出したのかも知れない。

 もしくは、古い友人の前で弱気な顔など見せられない、と思ったのだろうか。

「おまえがどう思ってるかは知らんが、アリナ・エーヴァ・ユーティライネンの名前は市井に知れ渡っているぞ」

「……新聞の取材も受けたからね」

 戦場の暗闇を照らす希望。

 その光。

「新聞と言えば、エヴァ。おまえのところの狙撃手。ヘイヘという男はすごいな」

 感嘆したように告げるヴィサ・レフトにアリナ・エーヴァは少しだけ誇らしそうに胸を張ってから唇に笑みを浮かべて見せた。

「奴はすごいぞ。けど、身長は低いけどね。ヴィシュヌと良い勝負だ」

 ヴィシュヌ。

 その名前をレフトはアリナの口から久しぶりに聞いた。

 フランス外人部隊に彼らが所属していたときの戦友で、グルカ族の青年だった。グルカ族と言うだけあって、ヴィシュヌはご多分に漏れず低い上背と驚異的な瞬発力を持っている。

 アリナ・エーヴァが扱うククリナイフの最初の持ち主で、アリナ自身も重傷を負った戦闘でヴィシュヌは死んだ。

 あっけらかんとした笑い声を上げる彼女をヴィサ・レフトじっと観察した。

 アリナは本当に彼の死を吹っ切ったのだろうか、と。

「身長と個人の強さは関係ないだろう?」

 それこそ、かつてのヴィシュヌがそうであったように。

 からからと機嫌良さそうに笑っている彼女に、しかし、レフトはヴィシュヌの名前を口にはできない。アリナが、彼の死を本当に吹っ切ったとは思えなかったからだ。

 アルコールにおぼれかけたアリナは、自傷行為に至ったことすらあった。

 いつもであれば届くとすぐに封を切る家族からの手紙もそのままにされていて、ヴィシュヌを亡くした彼女の落胆たるやひどいものだったのだ。

「……そうだね」

 短い沈黙の後にアリナはうつむきがちにそう告げると金色の睫毛を伏せる。

 個人の強さと、身体的な特徴は関係ない。

 アリナ自身もそうだ。女性にしては体格はいいほうだが、そんな彼女は自分よりも上背の高い大男を簡単に伸してみせる。

 おそらく、殺してもいい、という条件付きならば無敵だろう。

「ヴァーラニエミは第十三師団か」

「そうそう、今、モッティを潰してる最中なんだよ」

「それの戦利品というわけか、あの物資は」

 キティラ、レメッティ方面の包囲陣(モッティ)を現在、第四軍第十三師団は確実にひとつずつ撃滅している。

 大規模な包囲陣は十個程度だが、小規模な包囲陣は数知れない。

 潰しても潰してもきりがない。

「……クフモだってそんな楽観視できる状況じゃないんでしょ?」

 スオムッサルミ、サッラ地区は小康状態を保っているが、クフモ方面は現在もソ連軍の分断包囲が継続している。

 抵抗もなかなか終わりが見えず、スオムッサルミのように瞬く間に包囲撃滅というわけにもいかない状態になっている。

「ここだって激戦区だろう」

「なに、コッラーにはわたしがいるんだ。一匹だってイワンの奴らを通したりはしない」

 きっぱりと力強く言い放つアリナに、レフトは鼻から息を抜くようにして笑った。

「おまえらしい」

 いつでも自信に満ちあふれているアリナ・エーヴァ。

 そんな会話を続けるアリナのテント内にアールニ・ハロネンが慌てた様子で駆けつけた。

姉さん(シス)、いいですか」

「……どうした」

 声をおさえたアールニ・ハロネンが自分のモシン・ナガンを抱えて息を荒げている。

「見張りが狙撃で殺られました」

 抑え気味の声が、ぞっとするような空気を運んでくる。ハロネンの後ろからは、やはり愛銃をさげた狙撃手――シモ・ヘイヘが小隊長の下士官の後ろへとついてくる。

「……シムナ、朝までに狙撃手を始末できるか?」

「了解しました」

 アリナもテントの入り口に立てかけた狙撃銃を片手にしながら立ち上がると、ユホ・アーッテラに視線を送る。

「手のあいてる奴で狙撃に通じている者だけを選別しろ。おそらく、ひとりじゃない」

「……姉さん、そんなにいりません」

 副官のアーッテラに指示を下すアリナに、シモ・ヘイヘがかぶりを振った。

 かつて「狙撃の対象がカモから人間に変わっただけ、と言い放った彼はアールニ・ハロネンから弾を受け取りながら穏やかに笑った。

「敵は一個小隊らしいです。俺だけでなんとかできます。姉さんは、部隊の奴らが動揺しないようにいつも通りでいてください」

「支援もなしで一個小隊を相手にするつもりか?」

 確かに、彼の早撃ちならば可能だろう。

 しかし、本当に大丈夫だろうか……。

「俺も行こう」

 ハロネンの提案を、しかし、ヘイヘは素っ気なく断った。

「ダメです、准尉は小隊長なんですから陣地を守っていてください。俺が出かけてる間に姉さんを狙撃されたらどうするんですか」

 アールニ・ハロネン。

 彼もまた、ヘイヘには及ばないがベテランの狙撃手だった。ヘイヘと同じように猟師の出身で、その腕はカモ撃ちによって磨かれた。

 姉さんが狙撃されたら困る、というヘイヘの理屈にハロネンが明らかに動揺していると、「それに」と続けながら、ヘイヘは厳しい瞳をゆるめてから雪中迷彩のギリースーツを直しながら一同を見渡した。

白い死に神(ヴェーラヤ・スメルチ)がいる、とイワンに知らしめればそちらに注意が向くはずです」

 現状で、中隊指揮所が被害を受けるわけにはいかない。

 どんなことがあってもアリナ・エーヴァ・ユーティライネンというその人は無事でいなければならない

「アーッテラ」

 ヘイヘにそう告げられて片手で顎を撫でたアリナが副官の名前を呼んだ。

 ユホ・アーッテラに耳打ちした彼女に、青年は素早く踵を返すとテントを出て行く。そしてそれを見送ったアリナは、ヘイヘを手招いた。

「おそらく狙撃手部隊だろう。今はひとりでも兵士が欠けるのは痛い。奴らの始末を頼む」

「はっ」

「作戦は一時間後。先にクスミンを向かわせる、その後出発してくれ」

 先日の野戦炊事所の襲撃作戦の前、堂々とソ連軍の野戦炊事所まで出向いてスープをもらってきていた兵士の男だった。

 流暢なロシア語を操り、そして、肝の据わった男である。

 赤軍から鹵獲した制服を身につけたクスミンは、堂々と片手にスキー板とストックをもって深い雪の中を歩きながらソ連軍の駐屯する森の奥へと消えていく。

「スキー持ってってたらバレないか?」

 ヴィサ・レフトがアリナ・エーヴァに問いかけると、きつく両目をつり上げている彼女はちらと横に立つ古なじみの戦友を見やってから言葉を吐きだした。

「そんなくだらないへまをする男じゃない」

 クスミンを先に向かわせたのは情報の拡散が目的だった。

 噂をばらまき、森の奥へと潜むシモ・ヘイヘの元に赤軍の狙撃手部隊をおびき寄せる。そうして、約三時間の作戦の後、ヘイヘは一個小隊を全滅させて無傷で戻ってきた。ついでに言うならば、赤軍兵士に扮していたクスミンも一個分隊ほど蹴散らしてきたらしい。

 そのときにはすっかり日が暮れていて、アリナは指揮テントのロッキングチェアでくつろぐようにして推理小説を読んでいた。

 この暗闇ではソ連軍も動きようがない。

 師団司令部との無線電話がつながったのは雪によってありとあらゆる音が吸収されていくそんな夜のとばりの下だった。

「ユーティライネン」

 名乗りながら簡易テーブルの上に足をくみ上げるとアリナは肩と頬の間で受話器を挟み込む。

 ぺらりとペーパーバックのページをめくる紙の音が鳴った。

 そうしてアリナの部隊にひとつの朗報がもたらされる。

 電話の主はアンッティ・J・ランタマーだった。

 従軍牧師だ。

「……なんだ、牧師さんか」

 彼は従軍牧師でもあるが、国会議員でもある。しかし、そんなランタマーを相手に動じない彼女はにこにこと笑ったままテーブルの上に組んだ足をゆらりと揺らす。

 木箱の上に毛皮をしいた椅子のようなものに腰掛けたヴィサ・レフトはライトの明かりの下でうたた寝をしている。

 そんな友人を横目に見やってから、彼女は電話越しにランタマーと近況を語り合った。

「それは大変素晴らしい!」

 アリナ・エーヴァはテーブルの上にくみ上げていた脚を大きな動作でおろしてから機嫌良さそうに、どこか芝居がかった台詞を吐き出した。

 そんな戦友の声に目を覚ましたヴィサ・レフトは、ひどく嬉しそうな彼女を目を擦りながら見つめている。

「腕の良い狙撃兵には精度の高い銃が宛がわれて然るべきだ」

 それこそが軍隊――組織の義務だとでも言いたげなアリナの口調はいくばくか熱を帯びた。

 元来、彼女は自分を「兵隊だ」と自称するほどであったから、クールなタチではないし、どちらかと言えば、最前線の兵士たちがそうであるように、熱血的な傾向の強い、少々鬱陶しい性格だ。

 独断専行型でありながら、部下たちに対しては非常にお節介で、ある意味面倒見が良い。

 大の男でも平常心を失いがちな過酷な戦場でも、驚くほどアリナ・エーヴァには他者を気遣い、周囲を見渡す余裕がある。

 頑強な精神。

 しかし、それは常に正気と狂気の狭間の、ごくぎりぎりの場所で支えられているだけであると言うことも、レフトは知っていた。

 機嫌の良さそうなアリナの声に、レフトは眼を細めてから両膝の上に腕をおいて首をかしげた。

 戦闘狂などと呼ばれることもあるアリナ・エーヴァだが、その実、彼女は「謙虚」とは言えないものの地位や名誉欲といったものからは恐ろしいほど無縁だった。

 ただ目の前にある戦場に、彼女は自ら突き進む。

 ――戦う事が好きなだけ。

 どうして戦う事が好きなのか、と、レフトが以前、アリナに尋ねたことがあった。しかし、そのときは満足のする答えを彼女からもらうことはなかった。おそらく、彼女が自己分析というものを好きではないからだろう。

 だからレフトは彼女がどうして女でありながら、その手を血に染め、そして過酷な戦場に邁進するのかという、その理由を考えた。その末の結論はアリナ・エーヴァ・ユーティライネンという女性が「生きていることを実感する」ために戦っているのではないだろうか、と。

 戦いの中でしか彼女は自分が生きていることを実感できない。

「わかったよ、助かるよ。牧師さん」

 牧師さん。

 アリナ・エーヴァの言葉にレフトは口を開きかけたが、結局言い出す前にその口を閉じてしまった。

「……師団司令部から連絡だったんだ」

「牧師が?」

 牧師とは言っても、さすがに従軍牧師かなにかだろう。

 ヴィサ・レフトは冷静にそう判断した。

「そうそう。国会議員のランタマーなんだけどさ。スヴェンソン大佐のお使い?」

「……なんでそこが疑問系になるんだ?」

 いつものことだが、アリナの台詞は脈絡がない。

「大佐がなんだって?」

「スウェーデンのヨハンソン氏が素晴らしい銃を寄贈してくれたらしい。それをヘイヘに与えたいと言ってきた」

 伝令……!

 アリナがテントの外へ向かってよく通る大声で叫んだ。

「……ご用は」

 テントの外から声が聞こえる。

 おそらく見張りをしていた兵士のひとりだろう。

「アーッテラを呼んでこい」

「はっ」

 さすがに中隊長の命令をアーッテラを介さずにするわけにもいかない。ほどなく鋭い眼差しで指揮テントを訪れたユホ・アーッテラは彼女の説明に頬をゆるめると柔らかな瞳になった。

 まるで自分のことのように誇らしい、とその両目が語っていた。

「シムナを呼んできます」

 コッラー川から鉄道の線路沿い、さらに後方のロイモラの街に、第十二師団の司令部が置かれている。その師団司令部に今晩中のヘイヘの出頭命令がでたのだ。

 ランタマーの話しに寄れば一泊させてから、翌日にスウェーデンから贈呈された小銃を前線の最も優れた狙撃兵に授与するとのことだった。

「しかし、ひとりで行かせるのは少々心配だな」

 アリナがひとりごちるてちらとヴィサ・レフトを眺めると、彼はどこか呆れた様子で肩をすくめて見せた。

「いいだろう、帰るついでに送ってやるよ」

 俺としてはもう少しおまえの戦うのを見ていたかったがな。

「そういうからかいはお断り!」

 顎を引き上げて左斜め上を見上げたアリナに、シモ・ヘイヘはぷっと吹き出した。

 どんなに過酷な戦場であっても、そこにアリナ・エーヴァ・ユーティライネンという女性士官がいる限り、自分たち部下は戦っていけるのだ。

 誰よりも勇敢な彼女に率いられて。

「とにかく、そういうわけでレフト中尉が送ってくれるそうだから、安心していってこい」

「了解しました」

 そうしてシモ・ヘイヘを夜に紛れて送り出したアリナは、その翌々日には連隊に朗報が届いた。

 アリナ・エーヴァらが所属する第三四歩兵連隊と、第六九歩兵連隊と後退になったのだ。しかし、兵士たちには朗報であったが、中隊指揮官であるアリナは司令部の思惑を勘ぐった。

 どこか厳しい瞳で指揮テントの壁を見つめている彼女の目線の先には、今は主人のいない揺り椅子がある。

「うれしくはありませんか?」

「……別に」

 問いかけられてアリナ・エーヴァはアーッテラに瞳だけを動かして視線を放った。

 旧知の友であるヴィサ・レフトに対する時と、部下でしかない自分に対する態度が異なるのは当たり前だ。

 レフトがいたときにはくつろいだ表情を見せていたアリナだったが、今は前線指揮官のひとりとしての顔を取り戻していた。それでも、予想外のヴィサ・レフトの来訪が彼女の精神に余裕を生み出したと言うことだけは事実だった。

「司令部の思惑がわかんないな」

 言いながら小首を傾げる。

 月明かりの明るい深夜だ。

 一昨日の夜――要するに実質的にはまだ二日ほど前に第六中隊最高の狙撃兵シモ・ヘイヘをロイモラの師団司令部へと送り出したのだが、彼が戻らないうちにくだんの第六九歩兵連隊と陣地が交代になったのだ。

「……その辺から凍死体を拾ってこい」

「どうするんです?」

「これでも挟んでおけ」

「……は?」

 アリナ・エーヴァに差しだされた紙切れを受け取りながら、ユホ・アーッテラはそれに視線を落としてから笑う。

「悪趣味ですね」

 ――歓迎。第六九歩兵連隊の兵士たちへ幸運を。

 無造作に綴られたアルファベットにアーッテラは唇の端を歪めて見せた。

 月明かりの下、ソビエト連邦空軍の哨戒機が飛び回っていた。おそらく、その月明かりは夜目のきかない暗がりの中に航空機を飛ばすには丁度良いのだろうが。

 そんな状況での交代は危険極まりないことだった。

「気になるのは、イワンの動きだ」

 言いながらアリナは眉をひそめると最小限の歩兵としての荷物をまとめると移動の準備にとりかかる。

「椅子はいいんですか?」

「そんなもんいつでも買える」

 お気に入りだと言っていた割りに、素っ気ない彼女の様子にアーッテラは返す言葉を探して視線を落とす。

「そういえば、射撃統制官や工兵たちは残ると聞きましたが」

 コッラー川を防衛してきた第三四連隊の中から一部の兵士たちが残ることになった。射撃統制官や工兵、そして通信兵らだ。

 約二ヶ月もの間、コッラー川の戦線を維持してきた彼ら。主にアリナ・エーヴァの心配の種はそこにあった。経験の浅い第六九歩兵連隊に戦線を維持することが可能なのか。

 そこに彼女は危惧をする。

 もちろん、交代はありがたいことではあるというのが本音だが。

「心配ですか?」

「”少し”ね」

 第三四連隊の疲労も限界に達している。

 しかし、とアリナ・エーヴァは思うのだ。本当にこれで良かったのだろうか、と。とはいえ命令は命令だ。彼女自身も兵隊である以上、上官の命令は一応「絶対」だ。とりあえず荷物を手早くまとめた第三四連隊はそうしてロイモラの近くに宿営地へと移動した。



  *

 アリナは宿営地の簡易テントで大隊指揮官であるハールトマンの言葉に耳を傾けていた。

 テントの壁に壁によりかかってわずかに小首を傾げている様子は、眠っているのではないかとも思わせられる。

「聞いているか?」

「聞いてますよ」

 むっつりとした言葉を返しながら彼女が機嫌が悪いのは理由があった。

「わかりやすいな、お嬢さんは」

「その”お嬢さん”っていうのやめてくれませんかね、少佐」

 皮肉まじりの言葉に、アリナは眉をひそめてから目をあげる。

「わたしたちがコッラーに残ってたほうが良かったんじゃないですか?」

 つい先頃まで戦線を保持していた第三四連隊が引き上げ、第六九連隊に交代した途端ソ連軍が総攻撃をかけてきたらしい。

 それを指してアリナ・エーヴァは「自分たちが陣地に残った方が良かったのではないか」と指摘したのだ。

 第三四連隊の中には、アリナやシモ・ヘイヘといった猛者たちとはまた違うもうひとりの名物男がいた。

 コッラーの戦線に残った部隊の隊長のひとりで階級はアリナと同じく中尉である。

 オリンピックにも出場した体操の選手でマケ・ウオシッキネンだ。アリナ・エーヴァも顔を合わせたことがあり、やはり彼女とは異なり真面目で冷静な男だった。

「ウオシッキネンが心配か?」

「……はっ」

 アリナは鼻から息を抜くと、第二大隊司令官カール・マグヌス・グンナル・エーミル・フォン・ハールトマンに対して侮蔑めいた視線を投げかける。

「わたしは、突破されたら困ると言ってるだけです」

 冷徹な彼女の言葉に、ハールトマンはククッと喉を鳴らした。

「どちらにしたところで奴らは、三四連隊が六九連隊と交代したことによって攻撃の好機と考えるでしょう。一部、ベテランが残ってるとは言え、イワンの部隊は三万。対応には苦慮するはずです」

 まだコッラー地方の戦闘に慣れていない新しい連隊なら、潰しやすいと彼らは予想するだろう。そう考えれば、彼らにとってこれは総攻撃の好機だった。

「しかし、その口の悪ささえなければな。全くおまえの性格は残念だ」

「そりゃご愁傷様」

 フィンランド共和国スオメン・タサヴァルタの国土は、乙女(スオミ・ネイト)の姿になぞらえられる。

 その体を、ソ連軍による赤い攻撃で痛めつけられ続けている。

「さしずめ、わたしたちは聖なる乙女を守る騎士ってところですか」

 そしてその乙女はフィンランドそのものだ。

 アリナが言うとなにやら含みを感じられるが、女騎士が乙女を守るというのもなかなかに麗しいものではないか、とハールトマンは思った。

 ロイモラにはコッラー戦線の激戦を伝えられてくる。

 その報告を聞くアリナは、どこかやりきれないものでも感じるのか言葉を吐き出すこともせずに何度も溜め息をついた。

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