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29 戦友

 アリナ・エーヴァ・ユーティライネンがここのところあまり深く眠っていないのを副官であるユホ・アーッテラは知っていた。

 戦況が厳しくなるにつれて、アリナ・エーヴァは確かに神経をすり減らす日々を募らせていた。けれども、それはごく当たり前のことだった。

 アリナ・エーヴァという女性が、部下たちの命の綱を握っている。

 彼女の判断の一つが、部隊の命運を握っているのだ。

 アーッテラは黙り込んだままでロッキングチェアに深く沈み込むようにして眠り込んでいる女性指揮官を見つめた。彼の前ではよほどのことがない限りアリナは目を覚まさないのは、彼女が彼に対して信頼を置いているからだ。

 なにか不測の事態が起これば、アーッテラは必ず自分を起こすだろう、それをしないということはなにも起こっていないということだと、アリナ・エーヴァは副官の青年に対して絶大な信頼を寄せている。

 自分自身は破天荒で規格外だというのに、部下に対しては規律正しくあれと要求するのだからご都合主義にもほどがある、とはアーッテラも思うのだが、いかんせん彼もほかの部隊の兵士たちと同様に、アリナ・エーヴァに対して信仰に近い感情を抱いているのだからどうしようもないというものだ。

「……隊長」

 口の中で言葉を転がすのは、彼女の眠りを妨げないためだ。

 兵士たちに負担も計り知れないものがあるが、ともに戦い、彼らの命を背負っているアリナの負担はそれ以上だ。けれども、前線指揮官として彼女は決して弱音を吐いたりはしない。


  *

 アリナ・エーヴァは北国の遅い春を感じる風を感じて金色の髪を押さえて振り返った。

 ざっと、梢を揺らす風に青い瞳を揺らめかせる。

 頭上を舞うように飛んでいくフォッケルに彼女は「あぁ、これは夢だ」と一瞬で理解した。

 どうしてそれが夢であるのか、と思ったのかと尋ねられても夢うつつの彼女には理解できない。ただ、夢だと思った。

 なぜならば、こんなにも穏やかなラドガ湖に続く丘を、アリナは故郷のソルタヴァラでは見たことがなかった。

 彼女の人生はいつも争いや喧嘩、そして戦争や軍隊といったものに彩られていた。

 同じ小学校に通った誰よりも強いという自負があった。

 そんな彼女は、穏やかな人生など知らない。

 そんな平和な世界では生きていられない。

「……あなたが、やさしいのはわたしのせいよ」

 アリナはつぶやいてからはっとしたように口を覆う。

 あなたは、と彼女は告げたがそれが誰なのかアリナ・エーヴァ自身にもわからない。

 戦争が終わったら自分はどうなってしまうのだろう。平和な世界で生きていけるのだろうか……。

 暴力に彩られた世界で生き続けた彼女に選ぶ道はあるのだろうか。

 長いドレスを身につけた彼女は、長い金髪をなびかせてラドガ湖へと続く初夏の丘の道を歩いていく。

 ゆっくりと。

 思考は麻痺したようになにも考えられないまま、彼女はまっすぐに丘を登る。子供の頃に笑いながら男友達と駆け上がった道だ。

 なにも変わらないソルタヴァラ郊外の道を往く。

「おまえは、なにを考えている?」

 問いかけられた声にアリナが顔を上げると、そこにはミーカ・ヴァーラニエミがいた。

 灰色の髪の、灰色の瞳の。

 女性にしては長身のアリナよりもさらに頭一つ分身長が高い男だ。

 スペイン内戦の義勇兵として数年を戦い抜いた男は屈強で、フランスの外人部隊に従軍していたアリナとはまたどこか違うぎすぎすとした印象を与える。

「ミカちゃん」

「……ミカちゃんって言うな」

「ミカちゃんは、どうするの?」

 彼の苦言にも臆することもなく問いかけるアリナ・エーヴァにミーカ・ヴァーラニエミはいつものようにどこか機嫌の悪そうな表情を浮かべてから、軽く首を傾げた。

「さぁな。次の戦場に行くだけだ」

「ふーん……」

 次の戦場など、どこにあるのだろう。

 戦場で、部下たちはどうしてか自分を慕ってくれているのも知っていた。

 そして、それにつけ込むような無茶な作戦を立案しても、誰も欠けることもなくついてきた。

 これが自分だったら気に入らない作戦など真正面から大反対するだろう、と自虐的に考えることすらある。それでも彼らは彼女についてきてくれる。

 夢の中だから、こんなにも自虐的になるのだろうか。

 隣を歩くミーカ・ヴァーラニエミと言葉を交わすでもなく歩きながら、アリナはただ静かに自虐するように笑った。

 自分は、人間として最低の人種だ。

 部下のシモ・ヘイヘは彼女と同じようにコッラー地方の戦線の英雄の一人としてもてはやされているが、アリナ・エーヴァよりも一歳年少の猟師の男が、真面目で実直なことは彼の上官でもある彼女が誰よりもよく知っていた。

 彼には、それこそ無茶ばかりさせている。

 そして、ヘイヘを危険な目に遭わせているのは誰でもなく、アリナ・エーヴァ自身なのだ。

「エヴァ」

 ヴァーラニエミに名前を呼ばれて彼女が顔を上げた。

「……貴様は見かけによらずうじうじ悩むからな。もう少し貴様に信頼を寄せる連中に頼ってもいいんじゃないか? 貴様がどう思っているかは知らんが、少なくとも、貴様を慕っている奴らも大概頭がおかしいんじゃないかとも思うが、あいつらは貴様に頼られても重荷だとは思うまいよ」

「なんだそれ」

 ヴァーラニエミの言葉にアリナが笑った。

「貴様が生きているのは、そういうことなんだろう?」

 彼女を生かしているのは、もちろん彼女自身の生き残る能力と運の良さもあるだろう。しかし、それだけではどうにも説明のつかない事柄もある。

 アリナ・エーヴァ・ユーティライネンという女性を生かそうとする周囲の意志が働いているのではないか。

 そうミーカ・ヴァーラニエミは告げた。

 一兵卒の若い兵士たちが。

 そして、彼女とかつて共に戦ったフランス外人部隊での戦友たちが。

 戦場では往々にして迷信がつきものだ。

 誰が言い出したかすらわからない迷信が戦場に居座り続ける。

「ミカちゃん、わたし、そういうの嫌いだよ……?」

「貴様も俺がイヤだと言ったって呼び方を改めんだろう。お互い様だ」

「えー? なにそれ」

 笑うアリナ・エーヴァの肩を抱き寄せて、ミーカ・ヴァーラニエミは彼女の声に苦く笑う。

 そこにあるのは恋愛感情などではない。

 ただ純粋に戦いに臨むものとして。

 そして、戦士として。ただ実直に死と向き合うだけだ。

 やがて歩き続けると、ふたりの百戦錬磨の兵士はラドガ湖を見下ろす丘の上にたどり着いた。

 ただ見渡せるのは、青い湖と青い空。

 そして眼下に広がる森の緑だ。

 あぁ、これだ。

 アリナはそう思った。

 子供の頃から見つめ続けてきたソルタヴァラ、ラドガ湖の光景。

 冬になると残酷なほど凍てついた白い景色を演出する極北の大地。

 それは、アリナ・エーヴァ自身を含めたフィンランド人が守ろうとしているもの。

「俺にとって、フィンランド(スオミ)なんてどうでもいいもんだと思ってた。けどな、いざ侵略を受けるとなると愛国心でも芽生えるもんだな」

「愛国心、ねぇ……」

 ヴァーラニエミの言葉にラドガ湖に視線をさまよわせる彼女はため息をついた。

「わたしにはそんなもんないと思ってたんだけどな」

「……ならどうして戦う?」

「わかんないよ。わかってたら、もっと早く答えが見えてる」

 そう言ってアリナ・エーヴァが目を伏せた。

「わかんないけど、守りたいって思ったんだよ」

 ぽつりとつぶやいた彼女の言葉に、ミーカ・ヴァーラニエミが声を上げて笑った。

「当面、そんなもんでいいんじゃないのか?」

 ソルタヴァラで、近所に住む少女に頼まれた。

 きっと、あの子は戦争がはじまると聞かされたとき、不安だっただろう。

 大の大人でも不安に感じるのだ。

 子供がそれを感じていないはずがない。

「頼まれたからね……」

 守って上げるから、大丈夫、と。

 小さな彼女に告げた言葉。


 揺れるロッキングチェアの軋む音にアリナは目を見開いた。

「……目が覚めましたか?」

 煮詰めて焦げたコーヒーの香りに、アリナ・エーヴァは眉を寄せると、ロッキングチェアから上半身を起こすと、声の主を確認した。

「なにやってんの」

「焦がしました、すみません」

「別にいいけど。謝るようなことじゃないでしょ」

 飯盒を手にして歩き出すユホ・アーッテラを眺めながら、彼女は軽く右手の人差し指で簡易テーブルの面を打った。

「いいよ、そのままで。目覚ましがてらコーヒーちょうだい」

「まずいですよ?」

「おいしいコーヒーなんて前線で期待してないから別にいいよ」

 金属製のカップにアーッテラが焦げたコーヒーを注ぐと、彼女はなにか考え込むような眼差しのままで唇をつける。

「どうかしたんですか?」

「うん、寝覚めが悪かっただけ」

 短く応じて、彼女は瞳に再び強い光をちらつかせると立ち上がった。

「夢というのは……?」

 問いかけるアーッテラにアリナは小さく笑みをたたえてみせる。

「ソルタヴァラの夢なんて久しぶりに見たよ」

 ラドガ湖の北方に位置するソルタヴァラ。

 先頃、ソビエト連邦空軍の空爆を受けて大きな被害を受けた街だ。

「すみません……」

「いいよ、そんなことより気になるのはカレリアのほうだ」

 コッラー地方と同じように激戦が続いているカレリア地峡。その状況はどうなっているのか。

 アリナ・エーヴァは考え込んだままで歩きだすと、指揮テントの入り口を押して開く。冷たく凍えた空気が入り込んで、彼女はそっと眉を寄せた。

 ――なにか、いやな予感がしてならない……。

 彼女はそう思った。



  *

 厳しい戦場で、常に命のやりとりをしているアリナ・エーヴァは味方のみならず、敵の死に対してすらもひどく過敏だ。

 フランス外人部隊に所属し、多くの死と相対してきた彼女の二つ名――モロッコの恐怖。その名前はまるで恐怖の代名詞のようにも語られるが、人間の死に対して「なにも」感じていないわけでは決してない。

 百戦錬磨の兵士でありながら、彼女は意識的に「ヒト」としての「形」を保とうとしている。

 それ故に。

 彼女の中にはまるで、軋むようなひどい(ひず)みが生まれる。

 そんな状態で理性的、かつ、部下たちを前に狼狽することのない鉄壁の仮面をその顔に貼り付けていられるのは、アリナ・エーヴァ・ユーティライネンという女性のしなやかな強靱(つよ)さ故なのだろう。

 まるで熱した鉄のようなしなやかさは、しかし時として彼女を良く知る者たちをひどく不安にさせた。

 もしも万が一、彼女が受け止めきれない衝撃を受けたとき、彼女はどうなってしまうのだろうか、と。

 幸い、と言うべきか今までアリナ・エーヴァ・ユーティライネンという女性はそういった事態に直面することはなかった。

「……春まで持ちこたえられれば、なんとかなるなんて、本当にみんなそんなこと信じてるのかね」

 皮肉げな彼女の声に、アーッテラはかすかに目を細めた。

 春になれば、英仏連合が救援部隊を出してくれるだとか、春の泥濘に足を取られたソ連軍が動けなくなるとか。

 そんなことを噂されているようだが。

 アリナはテントの入り口に軽く寄りかかったまま雪の降り積もる酷寒の大地を見つめている。

「姉さんはどう思うんです?」

「んー……、フランスねぇ……。あいつら、戦いたくなんてないんじゃない?」

 フランスは陸軍大国だ。

 先の欧州戦争では戦勝国であり、ドイツから多額の賠償金を受け取るはずだったが……。

「イギリスだって、居丈高になってるけど大軍を海を越えて派遣するほど余裕があるとも思えないしね」

 将来的にはともかく、現状としては。

 反撃をするつもりであれば「座り込み戦争」などという事態にはならなかったはずであったし、ドイツ側がポーランドに攻め込んだときに、日和見な態度をとらなかっただろう。

 そう考えると、アリナは英仏連合のフィンランドとソビエト連邦の戦争に対する介入は絶望的なのではないかとも考えられる。

 どちらにしたところで、現状のドイツの勢いに英仏連合が勝るとも思えない。

 考え込んでいる彼女は、しかし、強い意志を感じさせる仮面を装っている。中隊の部下たちの前では、決して素顔を見せることなどしない。

 それを副官の青年は知っていた。

 勇ましく最前線にあって部下たちを奮い立たせてはいるが、アリナ・エーヴァは狡猾で全てを計算し尽くしている。

 つくづく女というものは恐ろしい。

 そんな彼女に部下のひとりに「姉さん」と呼び掛けられて、アリナは首を回した。

「どうした」

「連隊司令部から無電です」

「そうか」

 そんなやりとりをしているアリナ・エーヴァを観察しながらユホ・アーッテラは小首を傾げた。

 少なくとも、外見上は昨年の暮れから変わったところは感じられない。

 けれどもそれは野生の動物と一緒だ。

 アリナ・エーヴァが意識的にその傷口を隠している。

 彼女はベテランの狩人のように計算高く慎重だ。そして、野生動物のように警戒心が高い。戦士として生き残るために、彼女は最大限に全神経を研ぎ澄ます。

「補給物資、今日の午後には届くってさ」

「……ははぁ? ありがたいですけど、午後ですか?」

 夜ではなく?

 問いかけるアーッテラは、アリナの横顔を見つめて考え込んだ。

「……またロッタに補給丸投げとかじゃなければいいんだけど」

 国防軍総司令部が、ロッタ・スヴァルト協会に軍の補助的業務を丸投げしているというわけでもないのだが、アリナなどからしてみれば非力な女性たちが命をかけて戦場をかけずり回らなければならないという状況に対して憂いを感じていた。

 危惧するような彼女の声にアーッテラはなにも言えない。

 見かけによらず心配性で優しいアリナ。

 彼女は戦場でのカリスマだ。口でこそ自己本意な言葉を吐き出すが、よくよく考えてみるとアリナ・エーヴァは常に誰よりも部下たちのことを思いやっている。

 好戦的で喧嘩っぱやいが、いわゆる典型的な偽悪主義だ。

 ――もう少し、年齢相応に振るまえんのか。

 コッラー地方へ出発する前、第四軍団長のヨハン・ヴォルデマル・ハッグルンドに小言を食らっていたのをアーッテラは思い出した。

 ひっそりと苦笑する。

「無理です!」

 即答で断言したアリナの頭にゴツリと音をたてて拳骨を落としたハッグルンドは、けれども機嫌良さそうに笑っていた。

 ソビエト連邦の侵攻を受けて、事態は切迫しているというのに。

 彼女のからりとした真冬の晴天の空のような明るさは、周りの空気すらも楽観的なものへと変えていくのかもしれない。

「モロッコの恐怖。そのお手並みを拝見させていただこう」

「……おおせのままに。少将閣下」

 まるでダンスのリーダーでもあるかのように礼を取る彼女に、ハッグルンドは声を上げて笑った。

「なんだ、ダンスでも踊ってくれるのか? お嬢さん(ネイティ)?」

「この場合、小官が男役(リーダー)で、少将閣下が女性役(パートナー)ということになりますが、よろしいでしょうか?」

 アリナが不遜な態度でハッグルンドに応じると、少将は闊達な笑い声を再び上げてから彼女の肩を軽くたたいて見せた。

「まぁ、そんな場合でもあるまいな。君とのダンスはこの戦争が終わってからでも悪くない。そのときまで腕を磨いておいてくれ」

「お互い生きていれば、の話しですがね」

 彼女はいつでも、さも自信ありげに笑って、上官たちの命令――大概の場合、ろくでもないそれ――を快諾するが、実のところ確実な勝利の根拠があるわけではない。

 アリナが言うところの「兵隊だから、やれと言われればどんな手段に訴えてでもやるだけ」ということになる。

 規則などクソでも食らえ、などと過激なことを言うが、アリナ・エーヴァはただ任された戦線で、部隊の被害を最小限に抑えようとして奮闘して奔走する。

 そして、彼女が独断で中隊長らしからぬ行動を見せるのは部隊の被害を最も小さくするためだった。そのためならば、彼女は自分自身にどんな無理でも強いた。



 その日の午前中は、ソ連軍が駐留する方向の森の奥から、多くの物音が聞こえてきたが、結局攻撃はなく静かな一日だった。

 午後になって、ソリをひいた男が補給物資と共に訪れて、銃や弾丸などを第六中隊に届けてくれたのだが、それを届けた士官にまたアーッテラは驚かされた。

「……レフト中尉?」

 まさか士官がひとりで補給物資を積んだソリをひいてくるとは思わなかった。

 ヴィサ・レフト。

 アリナ・エーヴァ・ユーティライネンとは小学校時代からの友人で、彼女の喧嘩友達だ。もっとも、好戦的なアリナとは違い、その性格は穏やかなものだ。

 普段の彼を怒らせるのはまず不可能と言ってもいいかもしれない。

やぁ(テルヴェ)

 穏やかながら、白兵戦の技術は非常に高く、彼ももともとは予備役の士官である。そして、かつてはアリナ・エーヴァと共にフランス外人部隊で戦い、そしてその後はスペイン内乱に義勇兵として参戦していた根っからの兵士だ。

「ヴィサ……? 久しぶり!」

 にっこりと笑った彼女に、ヴィサ・レフトは片手を肩まで上げて知己であるアリナに挨拶をすると、補給担当の兵士に目録をわたしながら言葉を交わしている。

「随分と苦労しているようじゃないか」

「ま、そこそこそれなりにはね」

 苦労しない戦場などありはしない。

「エヴァがそう言うところを見ると、苦労はしてそうだな」

 言いながら肩をすくめた男の物言いに、アーッテラは眉をひそめた。

 エヴァ――それは彼女の愛称だ。

 彼女をその名前で呼ぶ者は少ない。そもそも、アリナ・エーヴァのことを「姉さん」と呼ぶ者たちでは恐れ多くてその名前を呼ぶことなどできはしない。

「ハッグルンド少将閣下から、招集がかけられてな。俺の部隊はちょっといろいろあってな。再編中で暇だったから、おまえさんのところに補給を頼まれてほしいと言われたんだ」

「……へぇ」

 まさかあの狸親父がねぇ……。

 ぼそりと独白するように続けながらアリナは、自分よりもやや色素の薄い水色の瞳の、金髪の男を眺めてから皮肉げに片目を細めた。

 探るようにレフトを見つめた彼女は、乾燥して荒れた唇を開く。

「そんなこと言ってるけど、どうせおもしろがってるだけでしょ?」

 彼女はくつくつと笑い声をあげるとヴィサ・レフトの肩に軽く頭を押しつけてから寄りかかった。

「助かるよ……、ヴィサ」

「エヴァ?」

 わずかな時間、レフトの肩に体を預けて力を抜いた彼女は、次の瞬間にはすでに通常の状態に戻っていて踵に重心をかけてアーッテラを振り返る。

「アーッテラ、ヴィサを掩蔽壕に案内してやってくれ、その後、わたしのテントまで連れてこい」

 彼女の鋭く飛んだ指示にアーッテラは敬礼を返した。

承知しました(キュッラ)!」

 言い置いて彼らに背中を向けたアリナはそうして自分のテントへと戻っていく。その背中を見つめている兵士たちは、やがて、めいめいの仕事へと戻っていった。

「……ユホ、正直なところ、エヴァの様子はどうなんだ?」

「いつも通りですよ、強がりですからね。あの人は」

 レフトに問いかけられて、ユホ・アーッテラは肩越しに振り返る。

 何度か、アリナ・エーヴァ・ユーティライネンとヴィサ・レフトが並んで話しをしているところは見たことがあったし、アリナの自宅を訪ねたときに、先客としてレフトがいたこともあった。

 猪突猛進なアリナとは対照的なレフトに、ユホ・アーッテラはこのふたりはお似合いだろうな、と思ったものだ。

 並んでいて絵になる、とでも言うのだろうか。

 派手で賑やかしいアリナと、寡黙で物静かなヴィサ・レフト。

「顔色が悪かったが」

「最近あまり眠れていないようなので」

「……そうか、激戦区だからな」

 淡々としている彼に、アーッテラはふと首を傾げた。

「第九師団は大丈夫なんですか?」

「今のところ陸軍で一番装備が充実しているから問題はないな」

「……そうですか」

 レフトを掩蔽壕に案内してから、次にアリナに命じられた通り指揮テントへと向かうとアリナは揺り椅子に揺られてうたた寝をしていた。

「は……」

 入ります、そう言おうとしたアーッテラの口をレフトの手のひらが塞いだ。

「あとで俺が言い訳しておいてやる。寝かしてやれ」

 潜めた声でユホ・アーッテラに告げたヴィサ・レフトは、言いながら彼を引きずるようにしてテントに背中を向けると歩きだす。

「あいつは、外人部隊にいたときもそうだ。自分が背負わなくてもいいものまで自分の責任だと感じて背負い込む。そうして、つぶれる寸前までいくんだ」

「……ですが、レフト中尉」

「一度、あいつが外人部隊でつぶれかけたときがあってな……」

 そう言いながら、レフトは溜め息をついた。

「……ナイフの、前の持ち主だという戦友の人ですか?」

「そう。ネパールの、グルカ族の出身の男がいてな。恐ろしく強い奴でナイフを持たせたら誰にも負けないような奴だった。たぶんエヴァよりも強かったかもしれないな、あいつとはえらくウマがあってな……」

 小柄なアジア人の男と、彼女のコンビは鬼神のように強かった。

「身長のことでエヴァがからかうと、そいつが怒るんだ。それでもいつも一緒に戦っていたんだが、幸運はいずれつきる。そいつが重傷を負って死んだときエヴァはその死を自分の責任だと思ったんだろう……」

 一時はアルコールに逃げることもあったが、やがて彼女は戦士としてククリナイフと共に戦場へと復帰した。

 ヴィサ・レフトとアリナ・エーヴァだけが知るフランス外人部隊にいたアジア人の男。

 彼女の友人。

 アルコールに溺れるほどアリナが落胆したのならば、おそらくそのアジア人の男は彼女にとって大切な友人だったのだろう。

 どんな人だったのだろう。

 ユホ・アーッテラはそう思った。

「確か、背中の傷はそのときのものでしたね」

 巨大な背中の傷は、フランス外人部隊でのもの。いつか、アリナがアーッテラにぽつりと言葉を漏らした。

 死と向き合ってきたアリナ。

「……エヴァは、いずれ発狂するかもしれない」

 沢山の死の中に押しつぶされて、彼女は正気を失うのかも知れない。

長い沈黙の後、ヴィサ・レフトはユホ・アーッテラにそう告げた。

「戦友の死は、あいつの責任ではないんだがな」

 つぶやいたレフトに、アーッテラは真面目な視線を返した。

「当たり前です。戦場での死は、よほどのことがない限り、指揮官の責任ではありません」

 言い放つアーッテラにレフトは低く笑った。

「なに言ってんの、戦場での死は指揮官の責任だよ。もしかしたら、指揮官(わたし)の判断ミスがなければ誰も死ななかったかもしれない。もしかしたら生き残れる奴がいたかもしれない。……わたしは、いつもそう思ってるよ」

 静かな声が響いて振り返ると、指揮テントの入り口にはアリナが顔色の悪いままで腕を組んで立っていた。

「エヴァ」

「……ようこそ、コッラーへ」

 にやりと笑う彼女に、ヴィサ・レフトはもう一度深々と溜め息をつくとかぶった毛皮の帽子に指先で触れる。

「ひとりで背負い込むなよ。少なくとも、ヴィシュヌが死んだ時はおまえが指揮官だったわけじゃない」

 だから彼女が「彼」の死に罪悪感を感じる必要性などないのだ、とレフトは告げる。

「……――ま、そのあたりはノーコメントってことで」

 「人の死」に対してなにも感じていないわけではない。兵士として、そして職業軍人の一人として、彼女は「他者の命」を奪っているが、決して心に痛みを抱えていないわけではないのだということをアリナ・エーヴァを取り囲む彼らは知っていた。

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