24 包囲殲滅作戦
モッティとはフィンランド語で木こりが裁断、もしくは売買するために積み上げた材木の単位のことで、これを転じてモッティ戦術と名付けられたその戦術は、補給線の伸びきったソ連軍を分断、包囲の上反復して攻撃し撃滅させるフィンランド軍の戦術を指していた。
もっとも、ソビエト連邦の官製新聞はこれについて「卑劣な作戦である」と自軍を棚に上げてフィンランドを批難した。
ヨハン・ヴォルデマル・ハッグルンド将軍の率いるフィンランド国防陸軍第四軍――第十二、十三師団――は、ソビエト連邦の第八軍を相手に奮闘していた。
ソ連第八軍はその麾下に第五九狙撃兵軍団――第十八、五六、一六八狙撃兵師団――と第七五、一三九、一五五狙撃兵師団そして第三四戦車連隊を保有する。
その数約十二万人、砲と迫撃砲は六百門、戦車四百両にのぼる。
このうち、第一三九狙撃兵師団は第四軍団の側面掩護を任されたパーヴォ・タルヴェラ大佐率いる独立作戦部隊――タルヴェラ戦闘団によって撃破された。その後、一三九狙撃兵師団の掩護に駆けつけた七五狙撃兵師団をも撃破している。
この時点で、六個師団中、二個師団が撃滅させられたことになる。
フィンランド軍第四軍はソ連第八軍左翼部隊に対して、タルヴェラ戦闘団の快進撃と時とほぼ同じくして強い圧迫を加えていったため、ソ連軍は攻勢を中断せざるをえなかった。
一月に入り、フィンランド軍はソルタヴァラ方面とピトカランタ方面から挟撃しウオマーからキティラで分断包囲するという作戦行動に出た。その際に、レメッティを中心とする十カ所に大きな包囲陣をもって、ソ連軍を封じ込めることに成功していた。
その中で最も大きな包囲陣がキティラにあるモッティでここには一個師団がまるまる包囲されていた。その次に大きかったのが西レメッティの付近にあった一個連隊を包囲した連隊包囲陣だ。
もちろん、巨大な包囲陣をフィンランド軍は好きで維持していたわけではない。
撃滅させたくても、そうするだけの戦力に乏しかったのだ。故に、じりじりと消耗戦に追い込むことしか選択肢はない。
フィンランド陸軍第四軍はこういった形で、ソ連の狙撃兵師団二個師団と一個戦車旅団を北からラドガ湖に向けて圧迫するような形で大きく包囲していたのである。
この状況を打開するために、ソ連軍大本営から第二五機械化騎兵師団、第十一狙撃兵師団、第七二狙撃兵師団、第六十狙撃兵師団などがキティラ、ウオマー方面へと進軍していた。
この進撃を受け止めるのがコッラー川付近に展開する第十二師団であり、モッティを切り崩していくのが第十三師団の仕事だった。
……――のだが。
アリナは憮然として簡易テーブルに肘をついて目の前の男を見つめている。
彼女としては久しぶりに見たような気にもなる男の顔。カール・マグヌス・グンナス・エーミル・フォン・ハールトマン少佐である。
ちなみにアリナ・エーヴァは、この目の前の尊大な男が大嫌いだった。
「……女ったらしが何の用」
「罵倒も豊富でなによりだ」
嫌みったらしい男の言葉にアリナは片方の眉をつり上げる。
こめかみに青筋が浮いているように見えるのは気のせいだろうか……?
ちなみに、そんなアリナ・エーヴァの後ろではらはらと視線を泳がせているのは副官アーッテラだ。
「うるさいな、自分がもてると勘違いしてるアホよりなんぼかましです」
顎を引き上げて天井を見上げた彼女に、フォン・ハールトマンは仕方なさげにだされたまずいコーヒーに口をつけながら口を開く。
一応、敬語を使っているのは相手が上官だからで、これが私人として顔を合わせているのであればアリナとしては顔も見たくないほど大嫌いだった。
「十三師団も逼迫している。本題に入るぞ」
「もったいぶってたのはわたしじゃありません」
ばっさりと切り捨てた彼女は、睨み付けるようにハールトマンを見つめた。
青い瞳が嫌悪に充ち満ちている。
「なにもそんな怖い顔をすることはないだろうに」
いかにも軽薄そうなこの男が、実はスペイン内戦では義勇兵の一人として戦っていたことも知っていた。国外で戦っていた、ということについてはアリナ・エーヴァと同様なのだが、なにせソリが合わないというか、アリナが一方的に嫌っている。
もちろん嫌っているものだから、大隊長であるとは言えフォン・ハールトマンの言うことなど聞きはしない。
おそらく彼女のほうに聞くつもりがないのだろう。
そして、部下の彼女が言うことを聞かないのはわかりきっているハールトマンはのんびりとした表情のままでじっとアリナの青い瞳を見つめた。
フォン・ハールトマンは「黙っていれば美人なのだろうな」と余分なことを考えているが本人には告げない。どうせなにを言っても彼女の癇癪玉を刺激するだけだ。
「結論から言おう。大隊司令部の二個分隊を出す。はっきり言って、これ以上は大隊司令部からは出せん。どうせ、貴様のことだから無茶はするだろうが健闘を祈る」
そう言って、彼は一枚の書類を彼女に放り出した。
二個分隊。
その名簿だ。
「……――」
唐突な彼の言葉に、アリナは瞠目してから、ハールトマンの顔を見つめ直す。
まさかこんなにも突然、補充部隊が訪れるとは思わなかったからだ。
「……武器弾薬はこちらの司令部から部隊と一緒に届けさせる。正直、ぎりぎりだが、ユーティライネン。貴様がいなければ話しにならん」
彼女の前線指揮官としての優秀さはティッティネンや、スヴェンソン、そしてハッグルンドだけが認めるものではない。
第五中隊のトイヴィアイネンも、そして大隊長のハールトマンも認めるところだ。
「連隊長が頭を抱えていたぞ」
ハールトマンが告げるとアリナは鼻を鳴らしてから視線を背けた。
そんな彼女はどこかバツが悪そうだ。
そう。
モッティの撃滅のために兵力が第十三師団に裂かれている今、第十二師団はぎりぎりの兵力で進撃する四個師団と赤軍第八軍の第五十六狙撃兵師団と第一五五狙撃兵師団を押さえ込まなければならないわけだ。
だからこそ、歴戦の猛者である彼女が必要不可欠だ。
「現状戦力でなんとかするしかない」
告げられた男の言葉にアリナは眉間を寄せたままロッキングチェアをぎしりと苛立たしげに揺らすと大きく足をくみ上げる。
その姿はまるで大隊長のハールトマンよりもずっと偉そうだ。
「それはわかっているだろう」
まるで拗ねた子供のような彼女の様子に、フォン・ハールトマンは言い聞かせる。
アリナはそんな大隊長の言葉を聞きながら腹の前で両手の指を組み合わせた。
じっとなにかを考え込んでいる。
「……――キティラ方面のモッティを潰すのに、どれだけ時間がかかると思ってるんですか」
やがてアリナ・エーヴァは吐き出すようにぽつりと告げる。
満足な戦力もない。
圧倒的なソ連軍にただフィンランド軍は指をくわえて見ていることしかできないのだ。
そもそも全てが「冬将軍頼み」などとは運を天に任せているにも程がある。
アリナ・エーヴァ・ユーティライネンは生粋の武人だ。
いや、武人と言うには語弊があるかもしれない。彼女は根っからの兵士である。だからこそ誰よりも冷静に、そして冷徹に戦況を見つめている。そもそも、彼女が防衛の指揮を執るコッラーでだけ勝っていても戦争は意味がないのだ。
「……わからん」
「はっ」
ようやく言葉を絞り出すようにして応じたハールトマンの言葉に、アリナは小馬鹿にするように息を吐き出すと鼻で笑う。
「一個師団と連隊まるまるでしょう? 個々の小さなモッティは”どうにでも”なるとして、フィンランドの一個師団と、イワンの一個師団じゃ規模が違う。単純計算でも倍くらいはいる計算になる」
要するに、キティラのモッティは二万人の将兵を包囲していると計算して良いだろう。
そして、レメッティ西方面から少し離れたところにある連隊包囲陣は約三千名程を包囲している。
それに対して、フィンランド軍は二個歩兵師団だ。
小さく、アリナにしては控えめに舌打ちを鳴らした彼女に、ハールトマンが苦く笑った。
「とにかく、貴様のほしがっていた補充部隊は半日後までにはやる。それでなんとかやってみせろ、”モロッコの恐怖”」
ことさらに「モロッコの恐怖」という単語を強調されてアリナは思わずロッキングチェアから立ち上がった。
「では、俺は大隊指揮所に戻る」
そう言ってからフォン・ハールトマンは彼女の頬に手を伸ばして、顎を引き上げるとその頬に口づける。
「それでは、失礼。麗しのお嬢さん」
「……とっとと出て行けーっ!」
堪忍袋の緒が切れたらしいアリナが思い切り大隊長を務める男に怒鳴りつけたのはそのときだった。
金属製のカップを投げつけて、大隊指揮官の軽薄な男をアリナ・エーヴァが指揮テントからたたき出す。一応、美人扱いされているのだから喜んでも良いではないか、ともユホ・アーッテラは暢気に思うが、おそらく、アリナ・エーヴァにとってフォン・ハールトマンがいけ好かないだけだろう。
ハールトマンがアリナの指揮テントを出て行くのを見送ってから、彼女は眉をしかめたままで自分の頬を手の甲でこすった。
本当に嫌だったのだろう。
彼女は生粋の戦争屋だからこそ、その辺の女性陣たちと同じ扱いを――特に同じ職業軍人から――されることを心底いやがっていたし、貴婦人扱いをされて頬にキスをされることなどなおさら大嫌いだった。
「……さっきの話しは本当ですかね」
彼女らの脇で話しを聞いていたアーッテラが口を開くとアリナは、もう一度舌打ちをしてからロッキングチェアにどっかりと座り直した。
「うん?」
「補充部隊の話しです」
「本当だろう」
いくらお互いにいけ好かないと思っていても、味方に偽りを告げる指揮官などいるわけがない。
「……それにしても、あんなこと言って良かったんですか? 大隊長殿に出て行けなど。補充部隊を出すのをやっぱりやめたとか言われたらどうするつもりなんです?」
「それはないから安心して良いよ。それに、あの女たらしは、あれでくらいで丁度いいんだ。どつきあってるのは別にいつものことだし、あんな程度であの男が傷ついたりするもんか」
淡々と第二大隊長カール・マグヌス・グンナス・エーミル・フォン・ハールトマン少佐を評価するアリナ・エーヴァにユホ・アーッテラは毒気を抜かれたように細く息を吐き出した。
「左様で」
攻撃的な言葉を口にする彼女に、アーッテラは肩をおとす。
「そんなことより、わたしは貴婦人なんかじゃないと何度言えばわかるんだか、あの間抜け」
きつく言い放った彼女に、アーッテラは無言のままで首をすくめてみせるだけだった。
いずれにしろ、補充部隊の目処が立ったことは良いことだった。
これで”まだ”コッラー川の要所である防衛線は戦っていける。




