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14 迎撃態勢

「一応イワンの奴らも学習してるみたいですね、中尉」

「飛行機が有り余ってて結構なことだな」

 苦々しげにつぶやいたエイノ・アンテロ・ルーッカネンは、スキーをはいたフォッカーD(フォッケル)を眺めながら、防寒着を分厚く着込んだ下肢で足踏みをした。そうすることによって体内循環を促進させる。

 ソビエト連邦空軍の迎撃のため、緊急発進に備えている戦闘機隊の面々は凍り付くような気温の中で空を見上げた。

 天候が回復した当初、ソビエト連邦空軍の爆撃機は戦闘機の支援機もつけずにフィンランド上空を襲撃していたが、彼らはすぐに爆撃機と「同規模」の戦闘機の護衛をつけて攻め入ってくるようになった。

 正直なところ、五十機にも満たない戦闘機しか有していないフィンランド空軍には荷が重い相手ではある。しかし、それでも彼らは決して諦めない。

「でも、奴ら回避行動苦手なんでしょうかね?」

 首を傾げたエイノ・イルマリ・ユーティライネンに、ルーッカネンは重々しげにひとつ頷いてから目を細めた。

「かもしれないな」

 ソビエト連邦空軍のパイロットはその辺の素人を連れてきて”とりあえず”操縦桿を握れる程度に訓練したのではないか、と思えるほど練度が低い。爆撃機にしろ、戦闘機にしろ、彼らは馬鹿のように銃弾の撃ち込まれる中に突っ込んでくるだけだ。

 それは、まるで「撃ってください」と自分から首を差しだしているような印象すら受ける。

「最新鋭の戦闘機があったらな……、くそっ」

 最新鋭戦闘機――中でも|ドイツ空軍の持つメッサーシュミットMe109の噂はかねがね聞いている。

 素晴らしい戦闘機であるというもっぱらの噂だ。

 ぼやくようなルーッカネンに、エイノ・イルマリは苦笑した。

 エイノ・アンテロ・ルーッカネンは、エイノ・イルマリとその姉のアリナ・エーヴァの丁度中程の年齢になる。

「でも、まぁ……」

 悪態をつくルーッカネンに、エイノ・イルマリは肩をすくめると足踏みをしながら空を見上げた。

「最新鋭の戦闘機があっても、使ってる人間があれじゃ仕方ありませんよ」

 エイノ・イルマリのもっともな弁にルーッカネンも同意するように頷いた。いくら、最新鋭の兵器があっても使っている人間の練度が並以下ではどうしようもない。

「もったいないからフィンランド(スオミ)に寄越せって言いたくなるな、あれは」

 戦闘機にしろ、爆撃機にしろ、製造工程で金がかかっているのだ。それをもったいないと言わずしてなんだろう。

 ルーッカネンもエイノ・イルマリもそう思った。

 貧乏なことこのうえないフィンランド空軍などは財政的な問題から、時代遅れの戦闘機や、フォッカーD21をようようそろえるのがやっとだったのだ。

 フォッカーD21は、最新鋭のメッサーシュミットMe109などが採用している引き込み脚を持っていない保守的な機体ではあったが、それ故に着陸時の頑強さは信頼性がおける。もっとも、彼らの扱っているフォッカーD21はそれなりの癖を有してはいたが、それに慣れておけばなんら問題になるようなことではなかった。

 戦闘機というものには多かれ少なかれ「癖」というものがあるものなのだ。

 ルーッカネンが以前、扱っていた複葉機ブリストル・ブルドックがそうであったように。

「まぁ、扱いきれなけりゃ、宝の持ち腐れにも程があるな」

「そんなこと言って、それでも隊長は羨ましいんじゃないんですか?」

 上官をからかうエイノ・イルマリの笑い声に、ルーッカネンは片方の眉をつり上げてから肩をすくめた。

「なんだ、おまえだってアカの奴らより戦闘機をうまく扱えると思ってんだろうが」

「そりゃまぁ、才能が違いますからね」

 軽口を叩く青年をルーッカネンは小突いた。

 ――……そう。

 ソビエト連邦の兵士たちと、フィンランド共和国スオメン・タサヴァルタの兵士では覚悟が違う。

 滅びるか、滅ぼされるかという淵に立たされているのだから。

 青い瞳を伏せたエイノ・イルマリに、ルーッカネンは視線を滑らせる。

 無邪気さを装うこの青年。エイノ・イルマリ・ユーティライネンには無限の可能性を感じた。

 彼の中に流れる戦士としての血筋だけではない。

 戦争がはじまる前に見せた、訓練での素晴らしい戦闘機の操縦技術。おそらく、とルーッカネンは思う。

 彼の技術は天性のものだろう。

 噂では、エイノ・イルマリの姉である陸軍中尉のアリナ・エーヴァはそれほど弟のことを高く評価はしていないらしい。しかし、ルーッカネンはアリナ・エーヴァの評価を「百戦錬磨の猛者らしい」評価だとも思った。

 エイノ・イルマリの姉――アリナ・エーヴァは、二つ名の通り陸戦のプロであり、フィンランド国防軍の希望の星だ。弱気になった者の心に希望の光を灯す。そのためには、前線指揮官は強く味方兵士の心を惹きつけていなくてはいけない。

 一度だけ、インモラの基地を彼女が訪れているのを見たことがあった。

 女性にしては長身の陸軍士官のアリナ・エーヴァ・ユーティライネンは、儚げな弱さを感じさせない強い眼差しの印象的な人だったことをルーッカネンは覚えている。

 目元が弟のエイノ・イルマリとそっくりだな、とエイノ・アンテロ・ルーッカネンは思った。

「あの姉にして、この弟ってところだな」

「そうですか? 姉より俺のほうが温厚だと思いますけど?」

 ルーッカネンの評価にエイノ・イルマリは首を傾げて見せた。

「自覚ないほうがタチが悪いと思うぞ」

 ルーッカネンはそう言いながら、首を巡らせて周囲を見渡した。

 いつソ連空軍の爆撃機が襲来しても迎撃できる体勢が整っていた。

 フィンランド国防空軍第二四戦闘機隊の彼らは、どんなに劣勢であっても諦めたりはしない。

 なぜなら地上を戦う陸軍の将兵たちが諦めていないのだから。

 優しげな笑みをたたえているエイノ・イルマリ・ユーティライネンに視線をやってから、ルーッカネンは大きく右腕を振り上げて肩を回すと頭上の空を見上げた。

 丁度そのときだ。

 レシプロエンジンの嫌な音が聞こえはじめる。

「……敵さん方、小蠅みたいですね」

 ぼそりとエイノ・イルマリがつぶやくと、ルーッカネンは眉を寄せてしかめつらをしたままで重い息を吐き出した。

「……噂をすれば、だな」

 エイノ・アンテロ・ルーッカネンのフォッカーD21の修理はまだ終わっていない。

「とりあえず先に飛んでろ、俺はブルドックで出る」

「本気でそんなこと言ってるんですか?」

「おまえな。俺を誰だと思ってる。四年間ブルドックを飛ばしてたんだぞ」

 ひよっこのエイノ・イルマリとは違う。

 長い間、前世代機でもあるブリストル・ブルドックを飛ばしていたのだ。ブルドックについてなら、同戦闘機隊のパイロットたちの誰にも負けはしない。

 そういう自負がルーッカネンにはあった。

「いいですけど、あんまり無茶しないでくださいよ」

 そう言いながら、自分のフォッカーD21に走っていくエイノ・イルマリを見送って、ルーッカネンも踵を返した。

 格納庫へと向かっていく中隊長の後ろ姿にエイノ・イルマリは肩をすくめた。

 なんだかんだと悪態をつくが、結局彼は、中隊の面々が心配でならないのだろう。

 彼らが上空へと舞い上がって間もなく、ソビエト連邦の爆撃機によるインモラ基地への空爆が始まった。

 そこはちょうど、カレリア地峡と首都ヘルシンキを挟んでいる軍事的要所のひとつだ。第二十四戦闘機隊の本拠地であり、要するに、迎撃の要とも言えるのだ。

 ソ連軍がそこを爆撃するには理にかなっている。

 中隊からやや遅れて飛ぶブリストル・ブルドックにわずかな注意を払いながら、エイノ・イルマリはインモラ基地上空を傍若無人に飛ぶソ連軍の爆撃機に襲いかかる。もっとも、中隊で一番最初に上空へ舞い上がったのは良いものの、エイノ・イルマリのフォッカーD21(フォッケル)の機銃は四挺あるうち、一挺しか発砲できないことが判明した。

 おそらく寒さによって凍り付いたのだろう。

 苛立つまま、その残った一挺で敵機に発砲するが、爆撃機の編隊から落後させるまでには及ばず、その間に中隊の仲間たちが追いついた。

 機体性能でフォッケルよりもずっと劣っているはずのルーッカネンのブリストル・ブルドックは素晴らしい機動を見せて、爆撃機の攻撃を翻弄する。

 四年間もの間、ブルドックに搭乗し続けたという自負は伊達ではない。

 攻撃こそ劣るものの、ロールやブレイクなどを交えた回避運動で、銃弾をことごとくかわしていく。

 まるで、のろまの亀でも追っているようなソ連軍機を眺めながら、中隊の僚機が追いついたのを確認してから射撃と追撃を中断した。

 ブルドックを追跡していた爆撃機が、フォッケルの編隊に応戦をはじめる。彼らは相互に支援をしあって攻撃をするが、それでも爆撃機と戦闘機では機動力が違いすぎる。

 ブレイクしながら、大きな旋回軌道をとって戦闘空域から離脱していくルーッカネンのブリストル・ブルドックを確認して、フィンランド国防空軍第二十四戦闘機隊第二中隊は爆撃機に一気に襲いかかった。

 ソ連軍の襲来と、フィンランド空軍の迎撃を受けてフィンランド上空から離脱。

 こうした光景が日常茶飯事のように行われていた。

「隊長、無事ですか?」

 無線に向かってエイノ・イルマリが問いかけた。

「俺のことは心配いらん」

 素っ気ない言葉が返ってきて、彼は安堵の溜め息をついた。

 パイロットの数はソ連軍のように無限にいるわけではない。まして、指揮官の才能を持つ者となればなおさら少ない。

「たたき落とされたらどうするんですか。無茶しないでください」

「俺のことは心配いらないと言っただろう」

 最新鋭の爆撃機に、ブリストル・ブルドックで迎撃するエイノ・アンテロ・ルーッカネンの度胸も大したものだが、それを眺めている部下たちからしてみれば、心臓に悪いことこの上ない。

 やれやれと溜め息をつきながら、エイノ・イルマリは思った。

 自分の姉にしてもそうだが、前線指揮官というのは得てしてこういった素質があるものなのかもしれない。

 自信に満ちあふれており、だからこそ部下たちが信頼してついていく。

 彼は風防のガラスの向こう。北東の空をちらと見やってから息を吐き出した。

 ラドガカレリア方面で戦い続けているだろう姉――アリナ・エーヴァ・ユーティライネン。彼女はどんな思いで赤軍兵士たちと向かい合っているのだろうか、と。



  *

姉さん(シス)!」

 副官ユホ・アーッテラの声にアリナ・エーヴァはゆらりと瞳をあげた。

 彼の声の調子から良からぬ事が起こったということは容易に想像がついた。

「なに?」

 短く問いかけた彼女にアーッテラは困惑したような眼差しを彼女に向けて黙り込む。そんなアーッテラを見つめて、アリナは溜め息をつくと自分のテントへと踵を返した。

「ありがとうございます」

「いや、いいよ」

「……ヴォウティライネンがやられました」

 言葉少なに告げた副官の言葉にアリナ・エーヴァが眉をひそめる。そこは戦場だったからいつどこで誰が死んでもおかしくはない。

 自分の命すらも危険にさらしているのである。

「……そうか」

 アーッテラの言葉にやはり短く応じた彼女は、鼻から息を抜いてからテントの天井を見上げると右手の平で自分の顔を仰いだ。

姉さん(シス)……」

「ヴォウティライネンの代わりになりそうな奴を探さないといけないな」

 わずかの沈黙の後に彼女は低くそう告げると小さく口元だけで微笑した。アリナ・エーヴァがなにを考えているのか、それを副官であるユホ・アーッテラはわからないわけではない。

「”覚悟”はしていたから、大丈夫だよ」

 指揮官のひとりとして、常に覚悟をしていた。

 部下を失うことは手痛い。

 ヴィッレ・ティッティネンも彼女に告げたように、部隊の前線指揮官が犠牲になると言うことは、自分の手足をもがれるということだ。それを彼女が理解していないわけではないのだ。

「それで、ヴォウティライネンはどいつにやられた?」

「おそらく狙撃兵ではないかと思われます」

「狙撃兵か……」

 いくら赤軍の兵士たちの練度が低いとは言っても、それはあくまで歩兵に限る話しだ。赤軍にも狙撃兵部隊が存在する。

 顎に指を当てたままで考え込んだアリナ・エーヴァはややしてから視線をあげるとユホ・アーッテラを見つめてから重々しく口を開いた。

「シムナとコノネンを呼んでこい」

「はっ」

 シモ・ヘイヘは言わずもがな。

 アーペリ・コノネンは若いながらアリナ・エーヴァが信頼する腕を持つ部隊でも生え抜きの狙撃手だ。

 幸か不幸か、ヘイヘの存在が良い意味で部隊内を活性化させていた。

 彼にできるのだから、自分達にも可能なのではないか、とそう思わせるのだ。

 それからものの数分もせずに、彼女の前にシモ・ヘイヘとアーペリ・コノネンが姿を現した。どちらも小柄な男で、アーペリ・コノネンもヘイヘよりわずかに身長が高い程度である。要するにどちらの男たちも、アリナ・エーヴァ・ユーティライネンよりもずっと低身長ということになる。

「シモ・ヘイヘ兵長、参りました」

「アーペリ・コノネン一等兵参りました」

 身長は同じくらいだが対照的なふたりだな、とアリナ・エーヴァはつくづく思う。

 寡黙で自己主張の少ないシモ・ヘイヘと、鋭い眼差しを常に辺りに放っているアーペリ・コノネンはどこか神経質な印象を受ける。

 アーペリ・コノネンが神経質そうに見受けられるのは、彼の若さ故なのかもしれない。

 とりあえず、とアリナは意識を切り替えた。

 そんなふたりの狙撃手についての印象はともかく、である。

 少なくとも、目の前にいる男たちはアリナ・エーヴァなどよりもずっと射撃の腕に優れている。

「おまえたちに特別な任務を頼みたい」

 そう告げると、シモ・ヘイヘはいつものように相変わらず無言のままかすかに瞳を煌めかせた。一方のアーペリ・コノネンは驚いた様子で息を飲み込んでから、右上の頭上を見つめて考え込む。

 アーペリ・コノネン一等兵はサンテリ・ヴォウティライネンの部下で、彼は自分の小隊長が死んだことを知っている。

「”うち”の、小隊長が殺されたことについてですか?」

 単刀直入に言葉を切り出した若い狙撃手の青年に、アリナは片方の眉尻をつり上げてから首をすくめた。

「冷静だね」

「冷静じゃないと、この仕事はやってられません」

 コノネンの言い分はもっともだった。

 おそらく、自分が同じ立場でも努めて冷静でいただろう、とアリナは思う。

「そりゃ結構」

 戦場では誰よりも冷静で、誰よりも冷酷であることが要求される。そうしなければ自分の命のみならず、味方の命すらも危険にさらすことになるのだから。

 だから、狙撃手たちは心を凍らせる。

 目の前の標的を人間として意識することはない。

 もしかしたら、意識している者もいるのかもしれないが、それでも彼らは銃弾の一発で標的を始末するために神経を研ぎ澄ます。

 狙撃手ではないアリナ・エーヴァにはできない芸当だ。

「あんたたちの腕を見込んで、頼みがある」

「なんでしょう? 姉さん(シス)

 シモ・ヘイヘが応じた。

「わたしの言いたい事なんておおかたわかってそうだけど、ヴォウティライネン少尉が殺された。敵に狙撃兵がいると思われる」

 短い言葉で要点を詰めていくアリナに、コノネンはなにか言いたそうな顔をしたが、結局言葉にはせずに、中隊長の言葉の続きを待った。

「それで、あんたたちには中隊とは別行動をとって狙撃手の始末に回ってもらいたい。シムナは慣れているだろうが……」

 そう呟くように言ってから、アリナ・エーヴァがコノネンを見やると青年は緊張した面持ちで瞳孔を収縮させた。

 彼にこうした特別任務を任せるのは初めてだ。

 いくら、腕利きの狙撃手であるとは言っても、今まで部隊と共に行動するということしか経験のなかった若い彼には荷が重いかもしれない。アリナはそう思いながら、緩くかぶりを振った。

 本来なら、やはりベテランの狙撃手であるハロネンに命令を下したいところだったが、彼は小隊長を務める身の上だ。

 そんなアールニ・ハロネンを部隊から外すわけにはいかない。

「コノネン、できるか?」

「……了解しました」

 数秒の逡巡の後に応えた彼に、アリナはきつめの眼差しをわずかに和らげると自分やシモ・ヘイヘよりもずっと若い青年を見つめ返した。

 アーペリ・コノネンの年齢は、彼女の弟であるエイノ・イルマリ・ユーティライネンとさほど変わらないくらいでしかない。そんな彼に、重大な任務を申し渡すのは命を無駄にさせるようで申し訳ないものも感じる。

「荷が重いと思うなら、断ってくれていい」

 はっきりと彼女が告げるのは、彼の身を心配するところも大きい。

 しかし、それだけではない。

 狙撃手が過度に緊張すれば、その分死の危険性が大きくなるのだ。腕の良い若手の狙撃手を失うわけにはいかないのだ。

「いえ、できます。やらせてください。姉さん(シス)

 はっきりと言い放った彼に、アリナは息を吐き出した。

「頼むよ……」

 ほっとしたようににこりと笑う。

「はっ」

 敬礼をしたコノネンに、シモ・ヘイヘが軽く彼の肩を叩いた。

「肩に力が入りすぎだ。もう少し力を抜け」

 ぶっきらぼうだが、ヘイヘは狙撃手のベテランとして部隊内の若い狙撃手たちにそれなりに指導をしている。

 部隊随一の手腕を持つからこそ、彼の忠告は聞き入れられる。

「あ、はい……」

「で、姉さん(シス)。行動開始はいつからですか?」

 若い青年をたしなめながら、ヘイヘがアリナに問いかけた。

「今から行ってくれ。一刻の猶予もない。敵の狙撃兵を放っておけば被害は大きくなるばかりだ、おそらく、奴らは部隊の指揮官を狙ってくるだろう。そうなったら、目もあてられないからな」

 言いながら、アリナ・エーヴァが地図をテーブルの上に広げた。

「ヘイヘは北東を、コノネンは北西をやってくれ」

「わかりました」

 第三四連隊第二大隊第六中隊の布陣している陣地から北東には、赤軍第八軍の指揮所がある。要するにヘイヘが担当するエリアの方が危険性が高いということになるが、そこはやはり中隊指揮官であるアリナ・エーヴァが彼を信頼しているからである。

 そして、コノネンに手薄なほうを任せたのは、彼が今回のような任務が初めてであったから、それなりに気を利かせたということになる。

「頼む」

「承知しました」

 シモ・ヘイヘがいつものように淡々と応じて、彼女のテントを出て行き、それに若いアーペリ・コノネンが続く。

「コノネン」

「は……?」

「いつもと同じだ。緊張しすぎなくていい」

 アリナの気遣うような言葉をかけられて、コノネンは目を伏せた。

 長い戦場での生活ですっかり無精髭が伸びているが、彼も髭を剃って汚れた顔を拭けばそれなりにいい男だ。

「確か、おまえ、故郷に奥方がいたね」

「……はい」

「生き残れよ」

 なにがあっても死ぬな。

 そう彼女がコノネンに告げた。

 目線を下げるように会釈をした彼が、テントから出て行くとアリナ・エーヴァは自分のロッキングチェアに座って額を片手で押さえた。

 自分が部下たちに強いていることは危険な任務ばかりだ。

 そんなことわかっている。

 しかし、わかっていても目の前の状況から一歩たりとも退くわけにはいかない。

 天候が回復したのはいい。しかし、そのおかげでソ連空軍も元気になったことが頭が痛い。

 上空から爆撃されればひとたまりもない。

 ただでさえ、コッラーは激戦区と化しているのだ。それをソ連軍が把握していないはずがなかった。

 ありとあらゆる方法を用いて、彼らは事態を好転させるべく兵力を差し向けてくるだろう。その一歩が、おそらく狙撃手部隊の投入だ。

 シモ・ヘイヘもアーペリ・コノネンも彼女が期待するだけの戦果をたたき出すだろう。しかし、それを待っていて被害を最小限に抑えられるだろうか。

 頭の中で兵力と現状の計算をしながら、アリナはテントの天井を見つめたままで目を閉じた。

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