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13 ユーティライネン

 翌十二月十九日。

 冷たく澄んだ空気の上に広がる青い空に、エイノ・イルマリはフォッカーD21を飛ばした。

「俺のフォッケルは味方に撃墜されたんだよ」

 悪態をつくルーッカネンはひどく機嫌が悪そうだった。

 それを思い出して、エイノ・イルマリはクスリと笑う。

 正確には味方の砲兵だ。ソ連空軍の戦闘機と間違われて高射砲をお見舞いされたのだ。

「仕方ありませんよ、なるようにしかなりません」

 ルーッカネンの片腕でもあるタツ・フハナンチを指揮官として、エイノ・イルマリは五機の編隊だった。

「少し遅れたか……」

 エイノ・イルマリの機体は、エンジンの不調のため編隊から少し遅れる形となった。編隊の飛行機雲を追いかけるようにしながら口の中でつぶやいた彼はは苦虫をかみつぶしたように眉をひそめてから、敵機の動静を報せる通信のざわめきに耳を傾ける。

 冷たい空気の下で、飛行機雲だけが尾を引いていく。

 それからしばらく飛びながら、彼は通信から入った連絡に背筋を震わせた。

 ヘイヨノキからアントラへ三機のソ連空軍の爆撃機が向かいつつあるというのだ。その報せを聞いたエイノ・イルマリはアントラ上空の報告された地点に到着すれば、間もなくイリューシンDB3が三機向かってくるのが見えた。

 彼らは爆撃機だというのに掩護機もつけていない。

 けれども、その大きさに圧倒されるばかりだ。

 双発型爆撃機の名にふさわしい。彼らは、エイノ・イルマリのフォッカーD21(フォッケル)が翼を翻したことによって、フィンランド空軍の戦闘機の存在に気がついたようだった。

 爆撃機の背後について、射撃位置を調整する。これを見て敵爆撃機は爆弾を近くの河に投棄して逃走を試みた。

 この時点で、すでにエイノ・イルマリは味方編隊と合流しており、三機対五機というソ連空軍の爆撃機にとっては恐ろしく()の悪い状況に陥っていた。

 指揮官であるタツ・フハナンチが攻撃を仕掛けようとするが、機銃が凍り付いているためか攻撃をできず、やむなく僚機へと攻撃を譲る。そんな様子を眺めながら、エイノ・イルマリは冷静にロッテの僚機と共に敵を追い詰めていく。

 機銃を発射し、敵を翻弄した。

 爆弾を投棄して身軽になったイリューシンDB3はスピードが桁違いだ。

 戦闘機であるフォッカーD21(フォッケル)と最高時速は変わらない。変わらないというよりも相手のほうが早いくらいである。

 しかし、彼はまず一番機の胴体に向けて一連射してから、次に三番機の背後を取った。その後部機銃手を狙って銃弾をたたき込む。

 それからしばらく、ソ連軍の基地へと向けて逃走を図ろうとするイリューシンDB3を追撃し、チャンスを見つけては機銃の砲弾を全てたたき込んでみたものの、結局、一機も火を噴くことはなかった。

 まるで巨人のようだ……。

 そんな思いに捕らわれながら敵機を見送っていると、不意に、その中の一機が深い降下角をとりながら、きりもみするように急降下していく。

 急降下爆撃機ではないから、垂直に近い降下角では万が一操縦者が生きていたとしても、機首を上げるのは苦労するだろう。

 おそらく操縦者に機銃があたっていたのだ。パイロットが脱出する気配もない。

 機体を安定させようという努力も見せず、イリューシンDB3は地上に墜落した。

 その爆発を見送って、機銃を全弾撃ち尽くした彼らの部隊は基地へと帰路をとる。その途中でやはり、これから爆撃任務だろうと思われる、ソ連空軍の爆撃機と出会ったが武器を持っていないも同然の状況では、彼らに攻撃の手立てはなく地上ぎりぎりを敵機に発見されないように飛んで基地であるインモラ空港へと戻った。

 もちろん、敵機を逃さざるをえなかったという状況は非常に苛立たしいものを感じるが、どちらにしたところで機銃も使えない戦闘機ではどうすることもできはしない。

 インモラの基地に戻ったエイノ・イルマリ・ユーティライネンはどこか煮え切らない欲求不満のようなものを感じて苛立たしげに溜め息をつく。

 こんな時に限って思い出すのは百戦錬磨の姉のことだった。

 戦闘を消化しきれずに苛立つものを感じる、と言うことに対して自分はやはり彼女――アリナ・エーヴァと血のつながりがあるのだということを確かに感じさせられる。

「君のお姉さんは、馬鹿みたいに強いぞ」

 いつだったかユホ・アーッテラがそう言った。

「知ってますよ、少尉」

 なにせ彼女相手の喧嘩に一度として勝ったことがないのだ。

 アリナの強さは、弟である彼が身をもって知っていた。本気ではないアリナ・エーヴァに勝てないのだ。本気になった姉のことなど想像したくもない。

「手紙来てるぞ、イッル」

 中隊長エイノ・アンテロ・ルーッカネンに出迎えられて、彼は差しだされたコーヒーに礼を告げて手紙を受け取った。

 差出人は――アリナ・エーヴァ・ユーティライネン。

 彼の姉だ。

 わざわざ戦場から手紙を綴ったのだろうか。

 そもそも、彼女が怪我をして病院に担ぎ込まれた、などという話しは聞いていない。つまるところ、その手紙は彼女が気まぐれに書いたものだろう。

 よほど暇だったのか、それともなにか深刻な内容なのだろうか。

 いや、深刻な内容である、という可能性は限りなく低い。なにせ、十歳も年齢の離れた弟をおちょくることに命をかけているような姉だ。それに対する情熱には頭が下がる。

 しかも、大概の場合、自分の命が危険にさらされている、というぎりぎりの状況でのみアリナ・エーヴァのそう言った性質が顔を出す。

 要するに果てしなくタチが悪いのだ。

 そんなとりとめもないことを考えながら手紙の封を切ると、一枚の写真が出てきた。姉の手紙にしてはそれが意外で、エイノ・イルマリは首を傾げる。

 ――親愛なるイッルへ。

 便せんを開くと、そんな言葉が書かれていた。

 手紙の出だしからして気持ちが悪い。

 こういった文面ではじまる手紙は大概の場合ろくでもない。

「元気ですか? わたしたちの部隊は毎日雪の中楽しくピクニックに出かけています。イッルも連れてきてあげたいような深い雪が積もっていますが、インモラのほうはどうなのでしょうか」

 手紙に同封されていた写真は彼女の部隊だろうか、十名ほどの隊員たちとともに長身の女性がウールのコートを着て振り返って笑っている。

 白い背景に、険しい男たちの顔。

 それがなければアリナ・エーヴァの笑みは本当にピクニックに行ったかのように無邪気なものだ。がっしりとした手で、ユホ・アーッテラの腕をとって雪の上でダンスを踊っているようなアリナに、迷惑そうな顔をした副官の男。

 コッラー地方。

 そこは激戦区だ。

 快進撃を続ける、タルヴェラ戦闘団やラップランド付近のシーラスヴォ大佐の第九師団と比べれば、コッラーの戦線は地味なことこの上ない。しかし、そこは絶対に死守しなければならない要所のひとつ。

 そこをアリナ・エーヴァ・ユーティライネンは、前線指揮官の一人として、戦線を支えている。

 ひどく楽しげな写真の中のアリナからは疲れの色も感じられない。

 恐らく、従軍記者のひとりに写真を撮らせたのだろう。

 そんな写真を見つめたエイノ・イルマリは片手で顔を押さえてから大きな溜め息をついた。

「どうした?」

「姉から手紙がきたんですが、やっぱり激戦らしいですね」

 ひらりとルーッカネンに写真を手渡した。

 場違いなほど明るい笑顔をたたえた女性の周りに、男たちが険しい表情でカメラに視線を向けている。

 彼らはなにを考えているのだろう。

 いや、とエイノ・イルマリ・ユーティライネンは思った。

 なにを考えているのかわからないのは姉のほうだ。最前線で副官のユホ・アーッテラとダンスを踊っている写真を撮るなどと、頭の中がどうかしているのではないかとも思えてしまう。

「楽しそうでなにより」

「最前線ですよ?」

 ルーッカネンがそう言うと、非難するようにエイノ・イルマリが言葉を吐きだした。

「どうせ最前線は激戦だ。そこを素面でやってけるおまえの姉さんはやっぱり強いんだよ」

 女性としての評価はともかく、やはりアリナ・エーヴァ・ユーティライネンは誰よりも強い。

 写真を彼に返しながら、エイノ・アンテロ・ルーッカネンは低く笑った。

「そうなんでしょうか……」

「指揮官としてできる限りのことをやっていれば、別に問題ないだろう」

「でも、たぶん、俺をからかってるだけだと思いますよ」

 そう言った彼に、ルーッカネンは苦笑した。

「それだけ余裕があるってことなんだろ」

「違いますよ、こういう時に俺にこういう手紙を書くときっていうのはだいたい余裕がないときなんです」

 自分の身が危険にさらされている時ほど、彼女の魂は戦慄する。

 戦場というその場所で。

 まるで、自分という人間に冷静さを保たせてでもいるかのように、彼女は弟に手紙を綴った。

「楽しそうだが……」

「なんか、戦場にいると、だんだんテンションが上がってくるらしくて、平時のときとは人が変わるんですよね。だいぶ」

 はーっと溜め息をついたエイノ・イルマリに、ルーッカネンはぽんぽんと若いパイロットの肩を叩きながら笑った。

「それでも強い指揮官に兵士はついていくもんだ。部下に慕われるのは前線指揮官として素晴らしい才能だろう」

 それは確かにそうかもしれない。

 彼女は部下たちの命を握って戦っている。

 自らも危険に陥るかもしれないというのに。

「戦場にいるとは思えない良い笑顔じゃないか」

 そんな笑顔の彼女だからこそ、兵士たちがついていくのだろう。

「ユーティライネン中尉に余裕がないのかもしれないが、ちゃんと返事を出してやれよ」

 中隊の面々を出迎えに行ったルーッカネンの背中を見送って、エイノ・イルマリはもう一度溜め息をついた。

 戦争は激しくなるばかりだ。

 姉の指揮を執るコッラー地方も激戦に晒されているだろう。姉の心配はしていない、が、祖国は心配だ。

 溜め息混じりに便せんをたたんだ。

 そこに書かれた言葉に目を見開いた。

「……大丈夫」

 まるで独り言のように、掠れたインクで綴られている言葉。

 不安を感じる弟を安心させるような、アリナ・エーヴァの本音の言葉にエイノ・イルマリはそうして手紙と写真をそっと自分の荷物の中にしまい込んだ。

 彼女の笑顔が言っているような気がした。


「……大丈夫、なにも心配いらない」

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