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10 襲撃

 背後にひっそりと忍び寄る。

 雪はますますひどくなるばかりだ。天候はいつ回復するのか。そんなことあてにしてばかりでは、フィンランド軍にすら待っているのは「死」ばかりだ。

 アリナは時計を確認すると、口の中で舌打ちした。

 音はしない。

 指揮官であるアリナ・エーヴァ・ユーティライネンを含めた九人はものの数分でたき火を取り囲むようにして凍えて震えている赤軍の兵士たちを取り囲んだ。

 音も立てずに、静かに。

 時刻は零時をとっくにまわっている。

 雪の中に展開した隊員たちを確認したアリナは、そっとスキーを脱ぐとナイフを抜いた。彼女の扱うククリはフィンランド特有のナイフ――プーッコと比べるとだいぶん大柄で、凶暴だ。

 数フィート離れたところから副官のアーッテラが覗うように彼女を見つめている。

 見たところ、ごく普通の歩兵だろうか。

 こんなときに、ただの歩兵を見張りに回すというのが赤軍らしいといえば赤軍らしい。ソビエト連邦の兵士たちは、驚くほど練度が低くアリナ・エーヴァにとってみればまさに赤子の手をひねるようなものだ。

 勝負は一瞬で付くと言ってもいいだろう。

 いや、勝負が一瞬でつかなくては困るのだ。戦いが長引けば長引くほど、フィンランド共和国はありとあらゆる意味で劣勢に追い込まれるのだ。

 ユホ・アーッテラの眼差しに、アリナはひとつ頷き返してから雪の降り積もった草むらから躍り出た。

 右手には凶悪な印象すら受けるククリナイフを握っている。

 驚いてサブマシンガンを手に取ろうとする赤軍兵士の頭をつかむと、そのまま後ろにひいて一気に喉を掻き切った。彼女の攻撃が合図。

 彼女の指揮する部隊は、アリナ・エーヴァが躍りかかった瞬間に行動を開始する。その、最も危険な先駆けを、アリナは自ら切った。彼女が言うにはそれが最もリスクが少ないからだということだったが、おそらくそれだけではないのだろうな、とユホ・アーッテラは思った。

 彼女は戦闘狂だ。

 戦闘狂、という言葉には語弊があるかもしれない。

 けれども、部隊の兵士の中では誰よりもしなやかに強い猛者でありながら、実は誰よりも好戦的なのである。

 上官であるアリナ・エーヴァのそんなところが、実のところアーッテラの心配の種だった。いつか、その好戦的な性格のために身を滅ぼすのではないだろうか、と。それが、戦場の外であればなんら問題がないのだが――いやあったとしても、それはアーッテラが気遣うたぐいのものではない――、少なくとも今、ソビエト連邦相手の戦争中に彼女が死ぬようなことがあってはならない。

 もっとも、それをアーッテラが気遣ったところでどうすることもできないから、黙って見守るしかないのであるが。

 アリナ・エーヴァが赤軍兵士に躍りかかったのを視界の隅で確認して、アーッテラも目の前の敵にナイフを片手に飛びかかる。雪の上に転がっている銃はどのみち使い物にならないのはわかっている。

 とりあえず、後ほど鹵獲専門の部隊をよこせばいいだけのことで、今はそんなことを気にしている暇はない。

 抵抗もままならないうちに一息に敵の命を奪っていく。

 ナイフ格闘も彼らは得意としていた。油断しているところを襲えば、銃など使わなくても相手の隙をついて殺害していくことができた。

 たき火の傍におちている手榴弾を、アリナは拾うとピンを抜いた。混乱している敵の渦中に放り込む。

 とにかく全ての判断が速い。

 アリナがなにかを投げた、と察したフィンランド兵たちは身の危険を感じて体を引いた瞬間に数人の赤軍兵士を吹き飛ばした。

「投げるなら投げるって言ってくださいよ!」

 怒ったように怒鳴りつけたアーッテラに、アリナ・エーヴァはにやりと笑うと目の前の男に突き立てたナイフを引き抜いてから長い足で蹴り飛ばす。

 苦悶の声をあげた男の背中を踏みつぶしてから、少々苦戦している仲間の応援に入る。ひとりであっという間に三人の敵を伸してしまった。

「相変わらずですね」

「そう?」

 的確にひとりずつ始末しながら、アリナは副官の顔を流し見る。

 血しぶきの飛んだ頬でほほえむ彼女が、なにか悪魔かなにかのようにも見えてユホ・アーッテラ目を細めた。

「おっかない人だ」

「そうでもないでしょ」

「……どうでしょうね」

 白い頬に映える血しぶきと、それを映し出す赤い炎。そして舞い散る白い雪。

 全てが強いコントラストを生み出していて、アーッテラにはまるで映画かなにかを見ているような気分にさせられる。

「だって、わたしより強い奴なんて山ほどいる」

「けど、ここには他にいませんよ」

 軽口の応酬でもするようにアリナとアーッテラが言葉を交わしながら、敵を殺していく姿はまるで雪の中に遠足でも訪れたような気楽さだ。

「……わたしだって急所ぶちぬかれたら生きてられないよ」

「そりゃそうでしょう、吸血鬼だって急所やられりゃ死ぬんですから」

 アーッテラが応じれば、吸血鬼と一緒にされたことが面白くなかったのか、アリナ・エーヴァは不満げにふんと鼻を鳴らしてから、大柄な赤軍兵士と格闘しているシモ・ヘイヘに足を向けた。

 上背の低いヘイヘには難儀な相手だ。

 ナイフでの格闘戦ともなればなおさらである。

 雪の上を素早く走り込んで、彼女は一息に間を詰めると大男の後ろ襟を掴んで引き起こす。部隊をほぼ壊滅状態にされた赤軍兵士はやぶれかぶれになっているのか、咆哮のような雄叫びをあげるだけだ。

 無茶苦茶に凍り付いたサブマシンガンを振り回す。

 引き金の引けない銃など恐るるに足らない。

 ただの鉄の固まりを振り回しているだけだ。

 アリナは冷静に大男の首筋にククリの刃を押しつけるとそのま、力をこめて引いて息の根を止める。

 溢れる血を放置して、彼女はシモ・ヘイヘに腕を差し伸べた。

「シムナ、大丈夫か?」

「大丈夫です」

 すみません。

 ヘイヘの言葉に、アリナは彼を引き起こしながらたき火を振り返る。炎の暖かさにほっとしてしまうのは人間のサガだろう。

 しかし、そこで立ち止まっているわけにはいかない。

 道行きは半ばを過ぎたばかり。

 静寂を取り戻したたき火の傍らで地図を確認しながら、アリナ・エーヴァはもう一度方位を確認する。

「もう少しか」

「……戦車に出くわしたらどうします?」

「どうせ役に立たないデカ物だ。放っておけばいい」

 フィンランド、ラドガカレリア地方の深夜、凍てついた空気の下でものの役に立つとは思えない。

 もっとも、それでも用心に超したことはないのだが。

 全ての戦車が役に立たない、とは思わないほうがいい。

 アリナ・エーヴァ・ユーティライネンとユホ・アーッテラが位置を確認している間に部隊の兵士たちは素早く荷物を背負ってスキーを履いた。

 フィンランドの兵士たちにとってスキーは重要な足だ。

「のろのろしてると夜が明ける。すぐ出発だ」

 休憩などいれる暇もない。

 ただ、目的地に向かって行軍するだけだった。

 アリナとアーッテラが雪の中を方角を見極めてから、吹雪の中に進み始めると部下たちもそれに続く。

 計算通りであれば、あと二時間ほどで到着する。

 体力は問題ない。

 いや、問題は大いにあったが、それでも気力でなんとかカバーできる範囲だった。そもそも、問題ないのはアリナくらいだ。本来ならば、女性で、男性に体力的に劣るはずのアリナが部下の男たちよりも元気なのだ。

 ユホ・アーッテラとしてはこれ以上頭の痛いことはない。有能であることについては文句はないが、若い部下たちより元気に飛び回っている彼女を補佐するのはこの上なく大変だった。

「……姉さん(シス)、元気ですね」

 呆れたような彼の言葉を、アリナ・エーヴァは聞き流してから、湖沼地帯を大きく迂回すると林の中を通る道へと出た。その道を越えて、アリナは再び林の中へと分け入った。

 ドイツ軍は雪の森の中に迷い込むことを恐れて、千ヤードと入り込まないらしい。そして、赤軍も二千ヤードほどしか入り込まないという。

 その表現を借りれば、地の利はフィンランド側にあり森の奥深くにまで分け入ることができるフィンランド兵は彼らにとって脅威となるだろう。

 やがてアリナらは六時間の行軍の末に、赤軍の野戦炊事所の背後をとることができた。

 相変わらず空からは白い雪が舞い降っており、暗闇の中へとしんしんと深く降り積もっていく。

 雪の中に凍えながら野営する敵たちのなんと哀れなことだろう。

 コートも身につけてはいるが、それでもフィンランドの冬は彼らにとって厳しいものらしい。アリナはそうして、部下の男たちに頷いてから、収束爆弾を手にした彼女は野戦炊事所の中央にそれをたたき込んだ。

 同時に激しい銃撃がはじまった。

 フィンランド軍の銃は、凍てついた空気の下でも凍り付かずに、その性能を発揮する。悲鳴と怒号が飛び交う中、銃撃戦が展開される。

 ほんの三十分ほどで野戦炊事所を殲滅したアリナは、アーッテラに頷くと、今度は彼が収束爆弾を野戦炊事車に放り込む。派手な音が響いて黒煙が上がり、それを確認したアリナは手を振って部下たちに合図を送るとスキーをはいた。

 撤退の合図だ。

 野戦炊事所に壊滅的な打撃を与えられればそれ以上は望まない。

 後は、北欧の厳しい冬将軍が赤軍兵士たちをじわじわとなぶり殺しにしてくれる。背後を振り返りもせずに一目散に撤退するアリナの部隊は背後から迫る「ウラー!」という叫び声と、単発で響く銃声にも浮き足立つことすらしなかった。

 戦闘時間と同じ程度の時間――要するに三十分程度もスキーで滑れば、銃声も雄叫びも聞こえなくなる。徒歩の歩兵とスキー兵では機動力は後者に圧倒的な分があった。

 いずれにしろ、練度の低い赤軍兵士など、フィンランド軍の敵ではない。悪天候により哨戒機も飛ばせなければ空爆も行うことができない。

 フィンランド軍にとって反撃の狼煙をあげるのは今しかない。

 数で劣るならば、それを補うすべを選択するしかないのである。

「全員無事か?」

 帰途に入ってから一時間ほどしてからアリナがやっと振り返ると、ユホ・アーッテラもスキーをはいた足を止めた。

 改めて人数を確認する。

「シムナがいません」

 最後尾にいた男が言った。

 シムナがいない。

「……なんだって?」

 アリナが舌打ちする。

「どこではぐれた」

 思わず辺りを見回して走り出そうとする彼女をアーッテラが止める。

「落ち着いてください、まず状況の確認を」

 まだ赤軍の野戦炊事所を襲撃してから帰途に入って一時間だ。大した距離ではない。しかし吹雪の中をはぐれたのだ。

「シムナは腕の良い猟師です。そう簡単にくたばったりしません、大丈夫です。姉さん(シス)

 アリナ・エーヴァを落ち着かせるように言葉を使うアーッテラに、彼女は深く息を吸い込んでから冷たい空気に血が上った頭を冷やそうとした。

「悪い、大丈夫だ……。アーッテラ」

 片手で顔を覆ってから意識を切り替える。

 すぐに彼女の表情はいつもの余裕のあるそれに戻った。

「シムナはどこではぐれた?」

「三十分前までは俺のすぐ後ろにいました」

 隊列の一番最後にいた男が軽く片手をあげる。

「たぶん、この沼地にはいるあたりではぐれたんだと思われます」

 はぐれたのか、それともなんらかの理由で意識的に部隊か離れたのかどちらかだろう。シモ・ヘイヘには遊撃を任せているため、時にひとりで行動することもある。それはアリナ自身が彼に命じたことだ。

 そして、仮に、彼が意識的に部隊から離れたということはなにかしらの標的を見つけたということになるのだろう。

 そこまで考えてから、アリナは視線を彷徨わせながら背中に背負った機関短銃の角度を直すと白い息を吐き出した。

「探してくる。アーッテラは先に戻っていろ」

「大丈夫なんですか?」

「……たぶん、大丈夫だ」

「わかりました」

 アリナはどこか冷静に状況を計算していることをユホ・アーッテラは知っていた。だから、副官として彼は彼女を信頼する。

「無茶はなしですよ」

「わかってるよ」

 少数の部隊を率いて滑り出すアーッテラを見送って、アリナも元来た道を戻る。

 ヘイヘを失うわけにはいかなかった。彼の銃の腕は、これからの戦闘に必要不可欠なのだから。

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