少女、恐怖する
0.
「ふん、失恋早々に次の女とは恐れ入った」
「僕のことより九蔵先輩が何故ここに居るのか教えて頂けませんか」
ピリピリとした展開が目の前で繰り広げられている現在。ここ、乙女ゲームのせかいですよね?血で血を洗うような、そんな別のゲームではないんですよね?おっかしいなー。
私、もしかしたら居ないほうが良かったんではないかという思いが頭をよぎる。
「なんだと?」
「質問してるのはこちらです」
うん、そうだな。これは居ないほうが完全に良かったんだろう、ミスった。
気まずい空気に身を縮ませながら、親指の爪を小さく弾く。幼少からの、なかなか直せない癖を横目で、しかししっかりと確認していた一くんは、重いため息を吐き出した。
一くんの視線に誘導されたのか、はたまたわずかな身震いした動きを見咎められたのか、九蔵良弥はこちらを睨む。ヒィ、怖い。
「まさか、何の理由もなしにここに来たわけじゃないんでしょう? 理由を説明できないのなら出て行ってくださっても」
「分かった……話そう」
こちらをちらちら気にしながら、九蔵良弥は語りだした。
1.
「つまり、失恋で落ち込んでいたところを姉妹の方々に馬鹿にされ、家出をしてきたということで良いですか?」
失恋か、恋のここの字も見当たらない私には青春が眩しい。
「……ああ、その通りだ」
「だからって何で僕なんですか。はっきり言って迷惑です。大学生にもなって失恋で後輩の家にってどこのお坊ちゃんですか貴方は?」
(……一応、世界に通用する財閥のお坊ちゃんだったと思います)
声を荒げる一くんの姿にいつもは唯我独尊を地でいく九蔵良弥も下を向いて俯いている。
九蔵良弥も迷惑をかけているという自覚はあったらしい。だからこその先ほどの自白だとは思う。いつもの俺様だったらゲームの設定上私が居た時点で理由を口にすることは無かっただろう。まぁ、一くんの剣幕も中々の物だったから、それも手伝ってというところだろうか。
これだけみるとうな垂れた子犬みたいな九蔵良弥だが、同情何それオイシイの?私も一くんと同意見だ。だって、人の家にアポなしで上がるのってどうかと思う。うちの地域が特殊な風習なのかもしれないが、約束があっても2、3分遅れていくっていうのが私の中の常識だったので転生してからは遊びに家に来てもらった時とか愕然とした。人の家でおもてなしの用意をしてるのはわかってるはずなのに普通に十五分前とかに来るのだ。まぁ、これは私の常識とあちらの常識が違っただけのようだけど。母さんも普通にしてたし。って、私の例だと言いすぎかもしれないけど親しき仲にも礼儀ありって言葉があるように今回のようなことはあまり褒められてあことじゃないだろう。もちろん、親しき仲にも礼儀あり、は私にも当てはまる。一くんが助け舟を出してくれたときに帰ればよかった。いやでもこっちは招かれた立場で、あっちは無断訪問。しかしあちらはきちんと待っていた人で、私は住民同伴とはいえ押しかけ……やばい、ひとのこといえない。遠い目をしていると、耳にはっと鼻で嗤うような嘲笑が聞こえた。一くん怖い。顔怖い。
「馬鹿馬鹿しい」
「それは言い過ぎじゃ」
少し静止を掛けようとして、遅かった。
心底理解できないとでも言うように一くんが放ったその一言に、今までしおらしくしていた九蔵良弥がキレたのだ。一くんもまずいという顔をしたが遅い。
ギラり、と睨んだ視線がこちらを貫く。
「お前だって、ここに能無しで尻軽な見てくればかりの女を連れ込んでいるだろう……お前に俺の何がわかると言うんだ?! 知ったような口を効くなよ!」
ビシッと指を刺され、唾が飛ぶような勢いで猛攻をかけられる。つばが飛んだわけではないが、勢いに押されて一歩後ずさった。
うん、大丈夫、予想はついていた。やっぱり矛先こっちなんだな。会話の雲行きが怪しくなったあたりから察していたといってもいい。多方、三者の中では私が一番立場が弱いし、難癖つけやすそうだろうとでも考えたんだろう。
結論から端的に言おう。空気が凍った。
温度が下がるとか、そういうレベルではない。すべてのものが静止してしまう、そんな現象にめぐり合った。ゲームの世界観をそんなところで合わせなくてもいいと思う。だって、そりゃもうパキンと音がするくらいに、まだ春なのが嘘のように、一瞬で、氷ったのだ。発生源は我が幼馴染殿で、普段は穏やかに浮かべている微笑みを完全に消し去っていた。美形は起こると怖いというが、平生穏やかな人が怒るとさらにソレが増す。
九蔵良弥に怒りを覚えるより先に一くんに恐怖した。ここまで怒っているのを見るのは初めてだったから、余計にだろう。極力負の面を見せないようにしている八方美人一くんからは想像できないほどの怒りようだ。
確かに、九蔵良弥のは思いっきり誤解している上に、明らかに八つ当たりだ。私は一くんの言い方が良かったとも思えないけど、弱者を貶める理不尽な言い分とひどいやり口に一くんは冷めたようだった。
九蔵良弥は……もう九蔵で良いよねフルネームじゃなくて良いや。天然と俺様を地で行く九蔵はその様子に気づいていないようで、さっきの一くんに負けず劣らずはんっと鼻で嗤って続ける。
「ここに同席したのだってあわよくば、こちらに取り入ろうと言うのだろう。残念だったな、簡単に俺は落ちない。さっさと去れ、目障りだ」
「貴方が失せろ」
「あ?」
私が口を開く間もなく、一くんが静かに吠えた。
ようやく何か違和感を感じ取ったのか、一くんの方を睨む九蔵。
「この子は僕の幼馴染です。僕にとって、家族同然に妹のように可愛がってきた子です。これ以上この子に変な言い分をつけるなら今まで学園でしてきた自分勝手な出来事、全てお父上にご報告致します」
先輩に接するには過剰に丁寧な言葉遣いで、一くんが言葉を紡ぐ。そしてマリア様が慈悲を与えるような笑みでふわりと微笑んだ。色素の薄い髪が揺れて、冷たい目の色を見せる。はっきり言うと、九蔵が私に暴言を吐いたけど、そんな怒りも吹っ飛ぶほどに、一くんが怖かった。
一方、愕然とした九蔵は「嘘だろ」言葉を漏らす。明らかに動揺している彼に、一くんは追い討ちをかけた。
「僕は見事な手腕で学園をまとめた前生徒会長である九蔵先輩を尊敬していましたが、考えを改めなければいけないようです。もちろん僕にも責任がありますがそれにしてもひどすぎるんじゃありませんか。自分勝手にこちらの家に上がった上に、完全な八つ当たりで自分を棚上げした事で一点。次に、女の子を口論に巻き込んだ事で二点目。最後に、弱者だとしりながら女の子に暴言を吐いた事で三点目」
「……知らなかった」
「それでは関係を教えなかった僕達が悪いと九蔵先輩は仰るわけですか。わかりました。ほら、遊、謝らなくちゃいけないらしいからこちらにおいでよ……あぁ、僕が適当に連れてきた女子だったら暴言を吐いてもいいとでも貴方は考えているわけですね? それは、赤の他人、しかも初対面の人間に対して暴言を吐くという行為について認めているということでいいんですよね。本当に、どうしようもないんですね。人間としてどうかと僕は思います」
「す、すまなかった」
渋々九蔵が頭を下げる。ここまで言われたのに、しぶしぶである。生徒会長をしていた彼を遠目で見たときはこんな失態を犯すような人には見えなかったのだが。なんか、もっとカリスマ性にあふれた、完璧超人というか、百聞は一見にしかずというか、なんというか。
一応謝ったのだから、これ、一件落着とみるのだろうか。
きびすを返す会長の後に続いて、私もお暇することにする。なんだか、今日の一くんは気が立っているようだから、私がここに居ても困るだろう。目配せすると、ごめんと申し訳なさそうに首を振られた。私のことで怒ってくれたことも手伝ってちょっと気まずい。
そっと部屋を出る。帰るか、と足を動かした。
2.
靴を履いている会長がいて、玄関に出れない。
様子を伺っているとばちり、眉間にしわのよった会長と目が合ってしまった。こうなっては行くしかない。すす、と会長の横へ立つ。ローファーなので、すぐにはき終わってしまって視線がさまよった。これはどうすればいいんだろう。
「すいません。今日は」
「いや、こちらこそ申し訳なかった。言い訳に聞こえるかもしれないが、あそこまで言うつもりはなかった。なんだか、異常に気が立っていて、これもいい訳だな……あの場では尽くせなかったが、もう一度日を改めて謝罪を」
「いえ、そんな結構です。一くんの言い方にも問題があったのだと思うし、それ以前に私がプライベートなことに首を突っ込んだことが要因でもあるんですから。こちらこそ申し訳ありませんでした。ただでさえ人に話しづらいことを」
「だが」
「本当、そこまで言っていただけるだけで十分です。お先失礼します」
食い下がる九蔵先輩に、軽く笑顔で答えて玄関を抜ける。さっきまでの俺様な雰囲気はどこへやら、誠実に謝ってくる彼にもやもやとしていたものが吹き飛んだ。むしろフルネームとか苗字呼び捨てとかしていたのですいませんと平謝りしたい気分である。にしても、一くんの部屋での彼と、今の彼では全く違う用に思えるのだが、この違和感はなんだろう。
(私が残らなければこんなにこじれなかったんだよなぁ)
さらりと幼馴染だって暴露してしまった原因も自分にあるといえるし。
九蔵先輩の違和感に今度はもやもやさせられながら、私は家で一息ついた。