少女、考察する
0.
これが転生なのかそうじゃないのか、それは問題だろうか。
私には、生まれた時から死んだ時の記憶がある。というか別の人生を歩んだ記憶がある。今の姿形は記憶の中の自分とは似ても似つかないし、両親だって違うし、名前だって違うので、記憶を持っているだけで、まったく赤の他人の記憶の可能性すらある。だから、これが転生かどうかなんてわからない。
けれど、そんなのは大したことじゃないと思っていた。ーーうっかり、奴と出会うまでは。
「はじめまして! 僕は、最近こちらに引っ越して来た佐伯一って言います。よろしくね」
最初は幼過ぎて誰だか分からなかった。
分からなかったから、美形が集うお隣に時間の許す限り毎日通った。佐伯家は家族全員が美形集団で目の保養なのだ。その上、ほんわかしていて寛容で、夜の遅い私の両親の変わりによく面倒を見てくれた。自然な成り行きで一とは幼馴染と呼ばれる関係になっていて、近くに居ることが増えて、それに伴うように疑問に思うことが多くなった。
決定打は、小学校高学年の頃だったと記憶している。
それまでにも成長するにつれて疑問はあったが、私は三次元に二次元を投影することを良しとしないタイプのオタクだったので、見ないふりをしていた。でも、プレイヤー内でも話題になった悲惨な事件が一くんの身に起こりそうになって、私は混乱した。……あぁ、神様が出てきて今から転生させてあげまーすとか教えてくれたら、この記憶もへぇ、そうなんだですむのに。
ここは、前世で私がプレイしていた恋愛シミュレーションゲーム、乙女ゲームの世界なのかもしれない、と。
(本当にゲームの世界に転生ってあるのか……)
驚愕。転生かそうじゃないか、この記憶はなんなのか。これは私の中で重要な事柄に部類されるようになった。
1.
「遊さ、うちの所受験しなよ」
一くんは私立高校、通称学園に通っている。一年生だが、後期は生徒会も務める優秀ぶりで自慢の幼馴染だ。
いかに私がフラグを折ろうと、そのせいで多分に一くんの性格が歪んで変わって少々ヘタレになっていようと、彼が学園に通うようになるのは世界の理。決定事項だったらしい。
よって、一くんの言う"うち"とは学園の事であり、学園に入学すると言うことは、あの甘ったるい恋愛劇の舞台にのこのこ乗り込んでいくと言うことである。めっちゃ興味あるけど波乱万丈でめんどくさいことになるのも間違いない。私は好奇心とめんどくさい気持ちを天秤にかけて……
「やだ。死んでもやだ。ついでに一くんハゲて」
「ただの呪いの呪文だよねそれ」
「うん」
「いや、うんじゃないし」
やれやれと首を振る一くん。最近その仕草多いね。私が呪いをかけなくたっていつかハゲると思う。
彼は王子様みたいな容姿をしておいて本質は苦労性だ。まぁ、人の顔を見る度ため息をつくのはいただけないけど。
「ぬー」
しかし、休日に美男子と密室状態で二人きりって言うのは乙女の憧れなのに、全くときめかないのはまずいのかもしれない。私は相手が一くんだと、どうにもときめきやら危機感やらってのはすっぽ抜けてしまうらしい。
ぐるりと部屋を見回す。木で出来た家具が優しい雰囲気を出す、部屋主を体現したような部屋。写真立てにはうちと佐伯家の集合写真が収まっていて、相も変わらずここは癒し空間だな、と思う。美形がいっぱいだぁー、と写真に視点を合わせて呆けている、この状態を人は現実逃避という。
「ちょっと意識飛ばさないで次の問題入って」
怪訝そうに眉根を寄せる一くん。そんな不機嫌そうな顔してても流石の美形クオリティで、我が幼馴染はかっこいい。美形の顔は何をしても美形のままであると最近気づいた。そんな彼の指先はぽんぽんと国語のテキストを差しているが、私は見ないふりを決め込んだ。
お察しの通り、只今勉強中である。一応受験生なので勉強しといて損はない、と休日は参加人数二人、というなんとも寂しい勉強会になっている。私のやる気は全くと言っていいほど皆無だが。ただでさえ授業も退屈な上に、私は前世で中高と受験勉強は経験しているから、三度目の受験勉強ってそりゃないと思う私の心を誰か理解して欲しい。切に。
「チミとはここの作りが違うのでね、作りが」
「むっかつく! 僕の出来が悪いんじゃないくてお前の脳みそが規格外なんだよ!!」
まぁ、人生二度目ですし、などと言えるわけもなし。
前世の記憶は薄れるどころか年々はっきりしてくる始末なので、身体年齢15歳、総合年齢32歳、中身おっさん女は、学術面においては平均以上の成績を叩き出している。
「……それはともかく、うちの学園は去年からは遊が前から欲しいって言ってた総合学科も一部取り入れたし、おすすめなんだけど。もとから学園は単位制を推奨してたからあまり難しい問題でもなかったようだよ。いきなり変わったのはなぜか知らないけどね」
「うん、そこは魅力的だとおもってる。変わった理由が分かれば行きやすくもなるわけなんだけど」
「でしょ。まぁいきなり変わった理由は……先生に直接聞いてみたけど、あれは情報提供というよりも愚痴だったからなあ」
一年生にしてもう先生の相談役にまでなっているところを見ると、一くんは優秀であると分かる。
確かに総合学科だと私の偏差値に合う高校がなくてほどほどに諦めていたが……遠い目で何か語りたそうな顔をしてる一くんはほっといて、まさか、を考える。勿論総合学科を導入ということにも驚いている私であるけれども、一くんの入学を期にいろいろと調べて気づいたことがあるのだ。たとえば、ゲームと違う総合学科制度によって、この世界の何かが変わり始めているのかもしれない、とか。
前世の知識から、傍観しようとしても絶対に関わる事になると思っていた。言うならば先入観によって行動してきたということだ。たとえば、転生(小説曰く本人がそうやって認識しているのだから転生なのだろう)した乙女ゲーの"傍観主"は、傍観傍観と言いながら結局は逆ハー展開にまで持っていかれる数奇な運命を辿ることになる。このような先入観が根底にあったから、学園入学なんて、自分から巻きこまれにいくようなものだと思ったのだ。
だが、この時期に制度が変わったという事は、まさかも、あるかもしれない。
例えば居るかもわからないこの世界の主人公とその攻略対象者達にはもう彼氏、彼女が居たりとか……?
でも、そういう事なのだ。彼(一くん)に私があったように、学園の制度が変わったように、あるいはこの世界も、役者も。もしくは、私によって引き起こされたバタフライ効果が期待できるということが、なきにしもあらず、だ。
「仕方ないな、考えておいてあげるから三時のおやつ」
「はいはい、仰せの通りに」
ぬぬ、いつも以上につっけんどんと可愛くない言い方をしてしまった。考えにふけっていて気もそぞろだと、なんだか変な方向に会話を持って行ってしまう癖、治さないと。
一くんはそれに気づいているのかいないのか、テキストやっておけよ、とだけいって部屋を出て行った。苦笑いが妙に背中をむずがゆくさせて、なんだか変な気分がした。
2.
「へぇ、この子が会長のお気に入りー?」
(って甘んじた結果がこれだよ! 早く手を離せ鳥肌立ってきたよやばいぞわぞわするー)
一くんと幼馴染というのは小学校では周知の事実だったけれど、中学は別々に進んだせいか私達を幼馴染だと知る人は学園内に居なかった。学園には高等部だけで1300人ほどの生徒が居るので推定でしかないが、この一年間私たちが幼馴染だということは一度も噂にならなかったのだからそうだと思う。もちろん、イケメンで優秀な生徒会長と幼馴染になんて面倒事になるフラグでしかないのでそのまま隠し通すことにしたまぁ、私の方がただ黙ってるだけの話だ。
入学してから主人公と生徒会の絡みは避けられないことを知ったのだが、特に私に関わる事は無かったので、なし崩し的に傍観者として楽しんでいた。のに。
恋愛劇は無事終了、そこで試合終了。だと思い込んでいたので、油断していた。
そもそも、私が気にするほどの事でも無かったんだ。というかあんな美形に囲まれるなんて考えるのも烏滸がましいですよね自意識過剰ですいませんでした(土下座)とかする位には完璧に油断していた。
でも、いくらゲームが元になっていたとしてもここは現実である。あまりにもゲーム然としたこの一年がぶっ飛びすぎていたため今の今まで鳴りを潜めていたが、現実感が私を襲う。この一年で、彼(一くん)に私があったように、何が起こるのかわからないのが現実であるということを理解していたようで理解できていなかった。
腕に指が絡まっている感触がすごく気持ち悪い。いきなり馴れ馴れしくするなと叫びたい衝動に駆られる。最近の若者教育はどうなってるんだ。鳥肌がたち、唇が震え、耐えきれずに絡まっていた手を思わず、打ち落とした。
興味深そうに頷く顔が目に入る。何で私もっと穏便な方法で手を外さなかったんだろう……普段の私なら絶対しなかった。よりによって相手は、非道の代名詞、生徒会副会長の香夏真澄先輩だ。
「なんでこの人がここにいるの!」
「書庫にいた。聞かれてたみたい」
「なん、だ、と……」
何時の間にか横に来ていた会長と小声で会話する。
傍観者が傍観主として事件に巻き込まれるのはこの場の対応が物を言う。つまりここで普通だったら後は大丈夫だといおうわけだ。
よく思い出せ私。分析しろ。こういう時、やってはいけない事があっただろう。
まず絶対に、攻略対象者たちに乱暴な態度を取ってはいけない。彼らは興味をもたせるような仕草をしたり、必要以上に毛嫌いするような素振りを見せたり、これらの事を変にごまかすしぐさをすると執拗に興味を持って接してくる事が多い。つまり、ここはできるだけ穏便に事実をつまびらかにして退室することが正解といえる。
なんかもういろいろと駄目な気がしてきた私である。
「……生徒会長」
「ん、何ですか小宮さん」
「私、教室に忘れ物してきちゃったのでちょっと取りにいってきますね!」
逃げるの?一くんが驚愕という表情を顔に貼り付ける。その顔もお綺麗であるが、私はそれにかまってられるほどの余裕は無い。ここはできるだけ穏便に、退室するのだ。私たちの関係についての釈明は副会長と面識のある会長に任せたほうがいいだろう。
大丈夫、なんのフォローも無しに行くわけがない。私だって我が身可愛いし、会長は根がヘタレだから任せておくと駄目だと経験上知っている。
「ちゃんと正しい事情説明しといてくださいね!武口先生はとりあえずロリコン疑惑とけば良いと思いますよ」
「わ、わかりました」
「ロリコンじゃないって言ってるだろが」
「ふぅん」
一年無事にやってこれたのに、最後の最後にしくじるとは悔しい。すごく悔しいが、ここは百歩譲って生徒会長と幼馴染という事は認めたって良いだろう。何が重要かといえば、評価を押しとどめる事が大切なのだ。自意識過剰でもなんでもいい。会長、やればできるこだって信じてますんで!
気まずそうな視線といまだ興味深げな視線が集まっているのを感じたって私は気取らない。
「それじゃ、失礼します」
これから大変なのは一くんで、私は適当なことしかてないが、これくらい今までのわがままに比べたら楽なもんでしょう。ねぇ、そうですよね。
私は隠しきれない不安に駆られながら、その場をあとにした。
3.
今度は遠ざかって行く足音を聞きながら、一度席につく事にする。書類は片付けて、本に手を伸ばし……まぁ、それが許されるはず、無い。
「え、それで?」
「あーやっぱ気になる?」
「勿論」
遊が、恐らくきちんと説明してこっちに関わらせんなっていう事を言いたかったんだってのは分かってるんだけど。
ちらりと真澄を確認すれば、興味津々の体でこちらを見つめていて、武口先生はこちらを見ようともせずに我関せずを貫いている……この様子じゃ、あの子の希望通りには難しそうな気がした。
「とりあえず座りなよ?」
「(……先生じゃなくて会長が言うんだ)アリガトーゴザイマス。で、あの子との関係は?」
「Curiosity killed the cat.好奇心は猫をも殺すって言葉知ってる?」
「僕がそんな簡単に殺される玉に見えます? ていうか、このまま隠されたままだといろいろ想像して学校にあることないこと噂流しちゃうかも」
ふざけたように脅しをかけてきた真澄に、逃げ切る事は無理かぁ、とどこかぼんやりと考える。真澄は今年から生徒会に入ってきた奴だからまだちょっと分からないけど、生徒会の中でも群を抜いて頭が良いし、口も達者なのだ。
将来有望な若者に期待どころか恐怖を覚えたい所を、なんとか押しとどめる。なんで僕の周りには遊といい真澄といい、アレな子ばっかなんだろ……こんなのを同世代に持って、将来就職できる気がしない。一抹の将来への不安を覚えながら手元の本をいじる。
「一見、普通の女子生徒に見えましたが」
「あぁ、うん。あれ僕の幼馴染」
「へぇ……幼馴染居たんですか」
「まぁね」
そんな目で見ないで欲しい。
これ以上突っ込まれても答える事はできないと思うし、聞かれても困る……そんな風に考えていたのを察したのか、真澄は席を立つ。
「あんま面白くなーい。俺期待してたんですけどー」
「そんな風に期待されても困るよ。というかなにに期待するの」
真澄は少しコケティッシュに首をかしげて、唇に指を当てる。
「幼馴染と実は熱愛疑惑とか?」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないでくれるかな」
あの我らが幼馴染の恐ろしさを、真澄は知らないからそんな事がいえるんだろう。だからしょうがないんだ。いや別に恐ろしいばかりじゃないんだけど、僕は、小さいころからあの子に劣等感を抱いている。その壁は高くそびえ……なくなることは決してないだろう。
将来有望過ぎる若者に、さっきとは違ったニュアンスの恐怖を覚える。これ以上の相手もしていられなくてしっしと手を降ると、童話に出てくるチェシャ猫のように、にやりと笑いながら去って行った。
国語科研究室で、椅子が軋む音。嫌に響くそれに、何故だか途轍もなく嫌な予感がするのは、僕の気のせいなのか。どうなのか。
「……こんなつもりじゃなかったんだけどなぁ」
「おい、コーヒーどうだ?」
「武口先生もちょっとは手伝ってくれれば良かったのに」
目を逸らす先生を少し小突いた。この教師、授業も分かりやすければ、本心も分かりやすいのだ。目にかかった前髪を払って、もう癖になったため息をつく。全く、思うように物事は進まない。
大切な大切な幼馴染を思いながら、遅い帰りの幼馴染に連絡を取るため携帯を取った。
いつの間にか、失恋した、そんな劣等感はナリを潜めていた。