最終話・破
「フル・ヤタクミ……! どうしてあんたが……いや、あなたがこのようなところに!?」
リニックが訊ねると、フルは小さく頭を掻いた。
「正直な話、それが解ったら苦労しないよ。僕だってね、正直どうしてここにいるのか、最初は見当がつかなかった。でもここに居た時間はあまりにも長かった。もう数えることを忘れるくらいに……だ。君はいったいいつの時代の人間だ? 外はガラムド暦何年だった?」
「2115年……です」
「と、いうことは僕とかメアリーとかが活躍したのは百年前か……。百年間! ずっとここに居てよく精神が持ったよ」
フルは自らを嘲笑うように言った。
それはそれとして、この空間はいったい何なのだろうか。
「ここは……恐らくだが、知恵の木の実が持つエネルギー体だ」
リニックがそう考えたと同時に、フルが答えた。
リニックが聞きたかった質問をまるで予知したかのように答えたフルに、リニックは驚きを隠せなかった。
「このエネルギー体の中では、どうやら相手の考えていることが解る……らしい。君の考えがエネルギーに溶け込み、僕に伝わってきたからね。恐らくはそうであろうと思う」
「でも、その割には僕はヤタクミさんの思考は感じ取れませんよ?」
「フルでいい。きっと君とは同じくらいの年代だろうから、そう呼んだ方が気兼ね無く話せるだろ? ……あぁ、それからさっきの質問の答えを言うと、『解らない』が正解かな。君のエネルギー体の構成と、僕のエネルギー体の構成が違うからかもしれない……という推測はあるけど、証拠は残念ながら無いからね」
よく話す人だ、とリニックは思った。
次いで、頭が回る人だ、とリニックは思った。
そのあたりは流石予言の勇者フル・ヤタクミ――といったところだろうか。
フルは何度も頷くと、ゆっくりと動き出した。直ぐにリニックは動くことが出来なかったが、その間フルはリニックの身体を嘗めるように見つめていた。
「……あ、あの?」
「大丈夫。君だけはここから出してやろう。君には『身体』があるのだから」
そして、リニックに触れると――リニックが光を帯び始めた。
「これは……!」
「僕も詳しいことは解らない。だがガラムドの書に書いてあった魔法のひとつだろう。これを今使おうとするということは……これを使えばこの状況を脱することが出来るのだろう。あぁ、きっとそうだ。そうに違いない。僕がこれを思い出したのは、この危機的状況から脱するため。そういうことだ」
「フル……いったいなにを!」
「新しい世代の人間が、こんなところで死んじゃあならない。君は生きるんだ。生きて世界に戻るんだよ。君にはその権利がある」
「フルだって……それは持っているはずだろ!?」
「僕はもう古い世代の人間だよ。元を正せば、恐ろしいほどに昔……それこそ『異世界』かと疑うような過去からやってきたんだ。もう充分だよ」
「元の世界に戻らなくても……いいのか!? それがフルの望みだといいたいのか!」
フルは答えない。
リニックは舌打ちして、さらに話を続けた。
リニックとしては引き合いに出したくないことであったが、もうこの際仕方がなかった。
「……メアリーさんだって心配して、フルが生き返るように、フルが戻って来るように頑張っていた」
その言葉を聞いてフルの手が止まった。
「遠いほかの惑星まで行ってフルが帰ってくる方法を探した! にもかかわらず当の本人がそんな弱気になっていいのか!?」
「……心外だな。弱気になったつもりなど、まったくない」
そう言って小さくため息をついたフルに、リニックはさらに告げた。
「だったら逃げないで、最後にメアリーさんと向かい合ってくれ。予言の勇者フル・ヤタクミに一番会いたいのは……ほかでもない、彼女なんだから」
◇◇◇
その頃。
外の世界では、ある人物が訪れたことにより、戦局が大きく変化しようとしていた。
「……オール・アイ……。君は僕にこう言ったはずだ。『神の降臨については僕に任せる』と。それがどうして、主役ばりにでしゃばってきているんだ」
その姿は、彼女たちもよく知る『生物』だった。
「トワイライト……貴様は用済みだ。甘い人間から造り上げた吸血鬼は、やはり甘かった」
そこに居たのはトワイライトだった。
トワイライトの隣には、彼と同じくらいの背丈の、しかし彼よりは少し若々しい姿の男が居た。
「……何者だ」
「カイン」
それはただ名乗っただけだった。
ただ、それだけだったのに、彼が放つオーラは相当のものだった。意識、空気、霊気……凡てがゼロになり、凡てが消え去り、凡てが始まりを告げる、清らかで悲しげなオーラだった。
「……貴様、名前を何という?」
オール・アイは目を見張って、訊ねた。
対して、トワイライトはニヤリと笑った。快楽にも似た笑みだった。
「……言ったじゃあないか。こいつの名前はカインだ。忘れるなよ、もう言わないからな」
トワイライトはそう言って、さらに強い眼差しでオール・アイを見つめた。
常に先を見ていたオール・アイはもはや目の前には居ない。
そこに居るのは猛獣に睨まれた小動物そのものだった。
「どうしたぁ、オール・アイ……怯えているのか? 珍しい、お前らしくもない。さてはもしや……カインに怯えているのか? いやはや面白いものだねぇ! 最強最悪最凶最高最善最高峰! そんな全知全能で何でも観ることが出来るというオール・アイが怯える……だなんて、そんなわけないよねぇ!!」
トワイライトの人格は、もはや崩壊寸前だった。
いや、もしかしたらもう崩壊していたのかもしれない。彼が見せていたのは、ほんとのトワイライトの姿――に見えた。
トワイライトは、指差す。
彼の目標は最初からただ一つだった。
「……オリジナルフォーズ。何とも仰々しい存在だよ。世界を滅ぼし、新たな理を作るには、あれが必要になるだろうね」
オリジナルフォーズを見て、彼は怯えることなどしなかった。
敵なのだから何となく当たり前な気もする。しかし、彼はオリジナルフォーズを見て笑っていたのだ。
メアリーは、十字架から解放されたメアリー・ホープキンはその姿を、誰かに重ねていた。
かつて彼女が愛した人間。
そして、今でも会いたいと願う存在だった。
「フル……」
そして彼女は、その名前を告げる。
もうその名前は、トワイライトには届かないというのに。
彼女はその記憶を――取り戻した。
◇◇◇
オリジナルフォーズ体内。
「……それは出来ない相談だ。死んだ人間だぞ、僕は。百年も前に活躍していた人間が生きていた……なんとも滑稽な話だとは思わないかい?」
「だとしても、あなたは会うべきなんです。メアリーさんに」
――だって彼女は、ずっとあなたのことを探していたのですから。
その言葉を付け足して、リニックは言った。
「……あぁ、解ったよ」
そして、諦めたかのように、フルは頷いた。
フルは右手を掲げ、ゆっくりと進行していた発光を、さらに早めた。
「……これで一先ず大丈夫だ。君はこの空間から弾き出され、肉体に魂が注入され、そして動き出すことが出来る」
「フルは……!」
「僕はここで一仕事終えてから。大丈夫、必ず彼女には会うよ。会って謝る。相手がイヤというほど謝る。それほど大事だったのに、百年もここで……動くことが出来なかったんだ……!」
そして、リニックは消えた。
リニックが最後に見たのは、涙を流しながらリニックを見つめる、フルの姿だった。
◇◇◇
リニックが居なくなってから、フルは様々なことを考えていた。
自分が今ここからいなくなったら、オリジナルフォーズはどうなってしまうのか?
オリジナルフォーズはさらに暴走してしまうといった……まさに『最悪の可能性』は存在しないのか。
いや、そんなものが存在しないわけはない。必ず存在する。そしてそれは嫌でも考えたくなる。
「何て名前だったか忘れてしまったが……彼には済まないことをしてしまいそうだ」
そう言うと、フルの身体が光を帯び始めた。
しかしそれは、先程リニックに行った転送魔法のそれとは違う。エネルギーを内的に凝縮することで、彼の『命の灯火』を瞬間的に爆発させること。彼はそれを行おうとしていた。
無論、誰にも相談などすることもない。フルが自分で決めたことなのだ。
そして、そして、そして……。
フルの身体は徐々に小さくなっていき、所々から白い煙が上がっていた。
「これほどの凝縮したエネルギーを解放したとき……それはきっと恐ろしいものになる。ならば……」
一人の少年の記憶エネルギーが与える影響はごく僅かで、もしかしたらオリジナルフォーズに何の影響も与えないかもしれなかった。
だが、彼はそれを実行した。
一人の少年の期待を裏切って。
百年もの間待ち続けた少女を遺して。
彼は遠い遠い場所へと旅立っていった。
◇◇◇
外の世界でそれによる異変を感じ取ったのは、トワイライトが最初だった。
「……なんだ」
オリジナルフォーズを見上げて言った。
トワイライトの顔は苦々しいものだった。嫌な汗を噴き出し、その状況をただただ傍観していた。
「オリジナルフォーズが……唸りを上げている。これは……怒り? でもなぜだ……」
それはトワイライトにとっても予想外のことだった。
想像もつかないだろう。トワイライトの中にはかつて予言の勇者と呼ばれた人間の記憶エネルギーが存在していて、それが爆発・四散したということに。
「グアオオオオオオオオ……」
オリジナルフォーズの雄叫びは徐々に怒りから悲しみ、悲しみから恐怖へと変わっていった。そして、その雄叫びにも、徐々に力を無くしていった。
「な……なぜだ……! なぜオリジナルフォーズが行動を停止していく! まだお前はここで止まっちゃいけないんだ、いけないんだよ!」
トワイライトの願いもオリジナルフォーズに受け取られることなどなかった。
「フルが……自らの記憶エネルギーを使って爆発を引き起こしたのか……?」
そんな中、ぽつりと聞こえた一言があった。
その声は、先程確かにオリジナルフォーズに吸収されたはずの『生贄』……リニックだった。
それを聞いて、トワイライトはゆっくりとリニックの方を振り向いた。
「フル…………だと?」
それについて、リニックは何も答えない。答える意味がないからだ。
「あはは、そうか! 予言の勇者の記憶エネルギーは、魔術により消え去ったのではない! 魔術のエネルギーがそのままオリジナルフォーズに吸収されたのか!」
トワイライトはそう言って、一人で納得した。
メアリーは、凡ての記憶を取り戻したメアリーは、それを聞いて崩れ落ちた。
「どういうこと……? つまりフルは生きていたの……?」
「そういうことだな! アーッハッハ! まったく、面白いことになってきたじゃあないか! 予言の勇者は完全に死んだ! 喪失の一年を知るお前たちを完膚なきまでに破壊し、世界を新生する! なんて素晴らしい……」
「トワイライト」
トワイライトはその声を聞いて、振り返った。
その刹那、トワイライトの身体に大きな穴が開いた。
「……………………………………あ?」
トワイライトはまるで何が起きたのか、解らないようだった。
だが、その一部始終を見ていたリニックたちは、その攻撃が誰によるものなのかが解っていた。
「オール・アイ……!」
トワイライトの身体に穴を開けたのは、オール・アイだった。
オール・アイの手には赤黒い何かが握られていた。それはほぼ均一のペースで、静かに脈打っていた。
その正体が『心臓』であると気付くまでに、リニックたちはそう長い時間かからなかった。
だが、その心臓を心臓であると認識したのも束の間。
オール・アイが心臓を握り潰した。
刹那、オール・アイの拳から血が垂れる。そしてそこにあった心臓は、跡形もなく消えていった。
それと同時に、トワイライトは行動を停止した。心臓を潰されたからか、それほどまで巨大な風穴を身体に開けられたからなのかは解らないが、彼はもう死んでいた。
「用済みになったからちょうどいいわ……。そもそもこれは動きすぎた。充分過ぎるほどにね。その褒美をあげてやったまでのことよ」
「褒美に死を……だと?」
「ええ。これまでずっと働いていてくれたんですもの。少しくらい休ませてあげたって、バチは当たらない。そう思わない?」
オール・アイはそう言って、高らかに笑った。
オール・アイは人の命を冒涜していた。それだけでも許せなかった。だが、オール・アイは最後の最後まで冒涜し続けた。
それがリニックにとっては、とても許せなかった。許したくなかった。許しがたいことだったのだ。
「……どうした、リニック・フィナンス。怯えたか? 逃げたいか? 今ならば逃がしてやっても構わないぞ。私は寛大だからな。一度くらいそういうチャンスを与えてやろう」
チャンス、とオール・アイは言った。
だがそれは嘘だ。
背中を見せれば直ぐにオール・アイは行動するはずである。
リニック・フィナンスを殺すためにその刃を奮うに違いなかった。
だからこそ、リニックはその言葉に頷くことはせず、敢えて一歩踏み込んだ。
「逃げるか、逃げてたまるか、逃げてやるもんか! もうこの世界を監視なんてさせない……お前の目を、凡て潰してやる!!」
それは決戦開始の合図と言っても過言ではなかった。
そしてここに、最後の戦いの火蓋が、切って落とされた――。




