10
その頃、フルたちと共にいたシルバはリュージュに別れを告げ、リュージュから貰った船に乗り込み、一路海を南下していた。
というのも、リュージュからこんな助言を貰ったためだ。
――もし行き先に困っているのならば、南にある温泉の国に行ってみてはどうかな? あそこの温泉は極上だ。なんてったってその効能がすごいからな、是非行ってみてはどうかな?
かくして、他に行く当てもなかった彼らは南にある温泉の街『エルプト』へと向かうのであった。
フルたちは未だ見ぬ場所に心を輝かせていたが、対して、シルバは不安を募らせていた。
(リュージュの言われるがままに南に向かっている……。歴史に沿うのならば、北に向かわねばならないのに! このままではルーシーさんに宿るはずの守護霊が宿らなくなる!)
そもそも。
歴史のズレがここまで生じた、その発端として、シルバがメアリーを助けたことが挙げられる。
シルバがメアリーを助けたことで、フルとルーシーは二人旅をすることもなかったし、ASLでのメタモルフォーズ戦も無い。
そしてリュージュの願いは別のものとなっていたし、タイソン・アルバとも出会っていない。彼と会っていないということはリュージュの真の目的を知ることもない。
そして北にある島でルーシーが守護霊を手に入れてもいなければ、北の教会でバルト・イルファの宣戦布告も聞いていないわけだ。
メアリーもメアリーで拐われていないからASLで知恵の木の実に対する記述を読んでいない。まだこの時点ではそれによるズレが生じていないが、生じる可能性はまったくゼロとは言えないだろう。
現在、状況は非常に悪い方向に進んでいる。このままではシルバの知るこの年と今のこの年とで剥離してしまう可能性すらあった。
果たして剥離が完全に為ってしまったその時、シルバは彼の知る2115年に戻ることが可能なのだろうか?
不安材料は一つも取り除かれないまま、寧ろ増え続けている。
「……シルバ、どうかしたの?」
メアリーが声をかけてきたので、シルバは漸く我に返った。
「あ、いや、少し考え事をしていただけだよ。特に考えることもないさ、くだらない考え事だよ」
シルバが未来から来た人間だと他の人間に伝わってはならない。もし知れ渡ってしまえばどう歴史が変わっていくのか、まったく予想出来ない。
それを彼は恐れていた。一つ行動を間違えるだけで世界が滅びる――なんてことが起きかねないのである。
「となり、いい?」
いいよ、とシルバが頷くとメアリーはシルバの隣に立った。
気が付けばもうすっかり夜になった海上は、小波の立った音だけが響いていた。
「……私さ、怖いのよね」
メアリーの身体は小刻みに震えていた。それは彼女自身にも気が付かないくらいに微小な揺れだった。
「恐らくあなたは知っていると思うけれど、フルは予言の勇者なのよ。そして私たちはそのお付き、従者と言ってもいいかもしれないわね。そして従者は予言の勇者を命を懸けて守る義務がある」
「……」
その言葉を、否定出来なかった。
彼女が言っていることは凡て――正論だからだ。
だけれど、それを僕は言えなかった。何故だろうか――と考えたが、直ぐに答えが判明する。
自分自身、その質問を返答するのが怖いのだ。いや、それだけではない。これまでの歴史のズレをまじまじと見せ付けられて、彼は行動すら自由に出来なくなってしまった。
――この行動を起こしたら何が出来る?
彼が彼女を助けようとして、様々な方法を用いたとしよう。だとしても、そのどれらでも彼女を助けるのは無理だろう。
だが、彼は彼女たちをどうにかして助けたかった。――正確には『元に戻したかった』。歪んでしまった世界を、歪みが残ってしまう世界を、彼が来る前に戻さねばならなかった。
その為にはこの世界に忍び込んだもう一人のリュージュを探す必要があった。彼女がこの世界に来た理由こそ――止めねばならないものであると確信していたからだ。
「……それで、私たちはどうして旅をしているのか……正直なところ、まったく解らないのよ」
メアリーのその言葉に、彼は我に返った。生憎、別の考え事をしていた時間はそうかかっておらず、彼女に不信感を持たれることもなかった。
「旅……って、確か昔の言い伝えに沿ったものじゃあなかった? 予言の勇者と、それに着く素晴らしい従者がふたり。一人だけでなく力を併せて戦うということを説いたようにも思えるけれど」
「私も、その言い伝えは知っている。だけれど、時折思うのよ。……それは果たして『予言の勇者の言い伝え』なのか、ってことを」
「……というと?」
シルバはメアリーに訊ねる。
「予言の勇者というのは、そもそもがその予言によるもの。だけれどその予言には『勇者の容姿』なんてまったく書かれていないのよ。……ねえ、おかしいとは思わない?」
そう言われるとおかしいことだらけだ――シルバはそう思った。
そもそも予言の勇者をどのように決定したのだろうか?
シルバはそれより以後――港町からこの時代にやって来たために、選出された方法が解らない。
もしかしたら。
何らかの外的な存在が『予言の勇者』を斡旋したのだとしたら? 予言の勇者はただ、他人から奇跡とも呼べる力を分け与えられただけの木偶に過ぎないとしたら?
それを知っているのは……果たして誰なのか。
知っている人間を突き止めて、シルバはいったい何をするのだろうか? 彼を解放するよう命令する? その人間を殺す? それとも別の方法?
……まったく、まったく解らない。
シルバはそれに対する選択を、まったく生み出すことが出来なかった。
「でも……ね。もういいかな、って思うようになったのよ、最近は」
「えっ?」
メアリーの言葉は、シルバにとってすっとんきょうな発言だった。
「そりゃあ、最初は『予言の勇者サマだから』と自分を言いくるめて頑張ったよ。正直な話、赤の他人のためにここまでする必要があるのかな……とか思ったよ」
「でもメアリー、君は……優しい」
「シルバ、そう言ってくれてありがとう。けれどね、人々の考えが冷たい世界に育てば、人は冷たくなるものよ。その優しさが見かけ上のものになるもの……それに例外はないわ。誰かを傷付け、時には傷つけられ……、そんな矛盾を孕んだ世界に私たちは生きているのよ?」
「……」
シルバはメアリーの言葉に答えなかった。
いや、答えられなかった。
答えたくても、その言葉に見合う答えが見つからなかった。
そうシルバが何を言おうか悩んでいたが、メアリーはその発言を置いて、さらに続ける。
「……話は若干変わってしまうのだけれど、シルバ、『転生』って概念を信じる?」
「転生……?」
「輪廻転生といった方が、或いは正しいかもしれないわね。死んでも魂は滅びず生まれ変わる……そういった宗教の教えの一つよ」
「いや、意味は知っているが……それがどうしたって?」
「……いや、それだけよ。忘れてちょうだい」
シルバは気になってメアリーを問い質そうとしたが、それよりも早く、メアリーはシルバの元を去っていった。
◇◇◇
ガラムド暦2115年。
「……戻ってきた、わね」
ガラムドとリニックは再びこの世界へと降り立った。
久方ぶりに見た会場は、その姿を原型のまま留めていた。
「リニック、これをやったのはいったい誰だと思う?」
レイビックはこんな状況であったが、ひどく落ち着いていた。
「……ひでえな」
改めてリニックはその状況を確認した。
白いローブを被った女性が、何者かに刺されていた。
「……オール・アイ、最後が人間に殺されるとは、無惨ね」
ガラムドはその死体を一瞥すると、その言葉を吐き捨てた。
「リニック、隣に居るのは……?」
そこで漸くレイビックはガラムドの存在に気が付いたらしかった。
それに対して、ガラムドは頷く。
「ガラムドだ。名前くらいは知っているだろう。……この世界の歪みを元に戻しに来たのだよ」
普通ならばそんなすっとんきょうなことを言えば疑われてしまうかもしれないが、しかしレイビックはそれをすんなり受け入れた。
「ガラムド……さまですって? ま、まさか」
「名前を知っていたようで、結構結構」
ガラムドはそう言うと、オール・アイを刺した、その犯人の方を向いた。
その犯人を見て、いち早く反応したのは、他ならないリニックだった。
白磁のようなきめ細やかな肌は赤い血が飛び散り、その表情は人を殺したというのに笑っていた。しかし動揺しているのか、ナイフを持つ手の震えは未だに止まっていない。
「なんで……なんでなんだよ……!」
リニックはその状況があまりにも信じられなかった。魔法で幻覚を見せているんじゃあないか――そう思ったほどだった。
しかし、何度確認しようとも、それは紛れの無い真実だった。
ナイフを持っていたのは――。
「なんでなんだよ……、母さん……!」
――リニックの母、リリーだった。
「母さん……どうしてこんなことをするんだ!?」
リニックの言葉にリリーはせせら笑う。
「あなたには知られてほしくなかったけれど……まあ、仕方ない。運命が決めたことだもの……」
そう言うと、リリーはポケットに入れていたトランシーバーのようなものを取り出し、それに付いている赤いボタンを押した。
『――ガガ、モードヘンコウヲウケツケマス』
ロボットのその言葉を皮切りとして、何処からともなくロボットが湧いて出た。
それによってコロシアムにいた人々はパニックと化した。
「何をしたんだ!」
リリーに問い掛ける。
「彼女はもう一度無に帰そうとしているのよ」
対して、それに答えたのはガラムドだった。
「無に帰す……!?」
「かつてあった人間の世界が滅びかけたのは原子力発電所が爆発したというものでした。しかしそれは結果に過ぎません。過程は長い長い時間をかけていくにつれ、忘れ去られていきました。……では、その過程というのは、何だと思いますか?」
「まさか……『ロボットの反乱』……!?」
その言葉にガラムドは頷く。そして、リリーは狂ったように笑い出す。
「そう、その通りよ! 流石は私の息子……頭が良い。だからこそ、私はあなたをここまで連れてきたくなかったのだけれど……、もう遅いわね」
刹那、ロボットたちがコロシアムに居る人間たちを一斉に襲い始めた。
ただし、殺すのでなく捕まえる名目で――だが。
「止めろ、止めるんだ母さん!」
リニックは一層強く、彼女の心に届くことを願って、言った。
しかしその言葉が母親であるリリーに届くことはなかった。
「……もう間に合わないとでも言うのか、リニック」
「諦めるか、諦めてたまるか! こんなところで諦めて、今までの苦労を水の泡になんて絶対にしない……」
ガラムドの問いにリニックは強く答えた。その答えを聞き、予想通りだとでも言いたげにガラムドは頷く。
「だったらそれを叶えるべき手段があるはずです。彼女を操る真の黒幕……そう、『フォービデン・アップル』の人間を見つけることです」
「フォービデン・アップル……?」
「又の名を知恵の木の実といいます。その実を黄金に輝かせた林檎のことです。人間が生まれたときは神の国に居ました。しかしその神の国に居られた条件が、たった一つだけあった。それこそが知恵の木の実を食べてはいけない……ということ。しかし蛇にけしかけられたことにより、人間は知恵の木の実を食べてしまうのです。そして人間は『恥ずかしい』ということを覚えました。今まで人間は裸で生活していたからです。しかし、人間が知恵の木の実を食べたことを知ったカミは、人間がカミになることを恐れ……神の国から追放した、というのが『知恵の木の実』に纏わる神話となっています」
「その、知恵の木の実が……いったい?」
リニックに愛想を尽かしたのか、ガラムドはため息をついて、首を横に振った。
「だから言ったでしょう。知恵の木の実を食べることで……人間はカミになってしまう、と。だから、『フォービデン・アップル』は自らをカミにしようとしているのですよ。知恵の木の実を使えば例え死んだ人間でも生き返らせることが出来ます。あ、ただし死んでからそう長く時間が経っていない場合に限りますがね。ともかく、知恵の木の実を使うことで人間には出来ないことが容易に出来る。どうです? それを聞いただけでも、知恵の木の実を食べるとカミになるのではないか……その可能性が一筋でも見えては来ませんか?」
「だが……信じられない。だって知恵の木の実はアースにはないし、現にそんなことをした人間が……」
まだ解らないんですか、と言ってガラムドは深いため息をつく。
そして彼女はこう言った。
「知恵の木の実を食べたらカミサマになる。どうしてそれが言えるのか、あなたには解らないのでしょう? ……ならば私はこう言ってあげましょう、『それを実際に行い、そしてカミサマになった人間が目の前に居る』……とね」




