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New Testament  作者: 巫 夏希
第五章 真実を追い求める者
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「お前はいちいち面倒な表現ばかり使い過ぎなんだよ。あれか? 文字を無駄に使わせてそれで無駄に話数を消化しようとかそんなことを考えていたりするのか?」


「……何のことでしょう? そういうことをするつもりは一切無いですが」


 鷹岬と乃木の会話はそこで一旦終わり、二人はシニカルに微笑んだ。


 乃木は小さくため息をつき、エスプレッソを飲み干すと立ち上がった。


「それじゃあ、お先に帰らせてもらうとするか。……まったく、一年って早いよなぁ」


「まだ早いとか言える歳じゃあないでしょうに」


 鷹岬は失笑しエスプレッソを一口飲んだ。


「お疲れ様です」


 その言葉に乃木は軽く手を振った。


 乃木がエレベーターホールへと向かったのを見送って、鷹岬は再びパソコンの画面に集中した。


 乃木にはまだ言っていなかったが、鷹岬にはもう一つの考えがあった。


 それは、あまりにも幼稚で突飛なことだった。


 鷹岬はネットブラウザを立ち上げると、キーボードを用いてキーワードを打ち込んだ。


 検索は直ぐに終了した。一ページ目、その先頭にあったのは最近発表されたばかりの論文だった。『精神操作とその可能性について』とタイトル付けされたそれはある学生の卒業論文であった。


 大抵こういうのはある程度ならばその知識が無くても理解出来たりするのだが、心理学という分野は鷹岬にとってあまりにも難解であった。


 なので解らないキーワードがあったら直ぐ検索し調べる、それが終わったらその結果を元に解読を進める――そんなことを鷹岬は三日程続けていた。


 勿論、このようなことは乃木には伝えられていない。この説はあくまでも鷹岬の推測であるからだ。


 ユングの心理学(分析心理学という)には、『人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域』、所謂集合的無意識が根底にある。この、集合的無意識と精神操作には何らかの関係があるのではないか――この論文ではそう推測されている。


 更に論文では人間の脳の曖昧さについても触れられていた。例えば『赤色で書かれている緑という文字の色を答えろ』と訊ねられたとき、人間の脳はそれが『緑』なのか『赤』なのか困惑してしまったり、足が千切れてしまった人間が救急隊員に足の寒さを訴えたりなど、そのケースは五つに及んでいた。この論文ではそのひとつひとつを吟味し、解説していた。


「ただ……ここからが解らん」


 そう呟いて、鷹岬は画面をペンで叩く。そこには『8.精神操作について』とタイトル及びナンバリングされていた。しかし、ここから先はこの論文が発表された学会ですらこの解釈が二分されるほどだったのだ。


 簡単に言えば、『大量の人間をひとりひとり別々の行動を指示させる(その論文では「集合的個体精神操作」とあった)は可能か』ということだ。


 集合的個体精神操作がもし実用化されれば、世界は大きな混乱に見舞われることとなろう。論文ではそう書かれていた。臨床実験が為されていないので、きちんとしたデータは得られていないが、それでも読むだけでその危険性は明らかだ。


「もしこれが実用化されていたとして、少年少女たちにはその被験者となるために誘拐したのだとすれば……そして最後の一人には何らかのエラーが発生し、それを隠蔽せざるを得なくなったのだとすれば……」


 だが、その理論はあまりにも滑稽だった。突飛だった。


 そもそもそのようなことが実用化出来ていることが前提であるこの理論だ。


 果たしてこれは実用化されているのだろうか?


 そんなことは堂々巡りだ。そして本当に堂々としていなくては、何者かに狙われる危険性だってある。


 そんなことは避けなくてはいけない。避けねばならないだろう。自ら忠誠を尽くしている国が、悪事を働いている。


 そんなことはいけないことだった。絶対に国がそんなことをしてはならない――鷹岬はそう考えている。


 だが、これを基礎として今回の事件を紐解いていくとすれば、それは非常に簡単なことである。


 ただ、これはあまりにも突飛過ぎることだ。だから、とても他の人間に言うことなど到底出来やしなかった。乃木にも言おうとは思っていたのだが、鷹岬にはどうも一つ踏み込みが足らなかった。


 集合的個体精神操作――そんな長ったらしい現象が起きて、それが要因として事件が起きた。今鷹岬がそんなことを(無論、要約した形ではあるが)メモに書き記したものを、彼自身が見てもあまりにも馬鹿馬鹿しいと思えた。


 だが、これが本当だとしたら……という考えしか浮かばない。


 彼の本能が、そうさせているのかもしれなかった。


 鷹岬がふと時計を見たときにはもう日付が変わっていた。


「もう帰るか……」


 鷹岬がそんなことを呟きながら椅子から立ち上がった、ちょうどその時だった。


 地響きが鳴った。


 まるで地下を何かが蠢いているような、そんな感覚だった。


「何だこれは……」


 鷹岬がそう呟いた直後、フロアー全体に非常ベルが鳴らされた。


『緊急警報、緊急警報。当ビル直下にて地震が発生。揺れが収まってから行動すること。二次災害には注意すること。繰り返す、緊急警報、緊急警報。……』


 頭上から聞こえた言葉を聞いて、即座に鷹岬は行動を開始する。既に揺れは収まっているため、行動しても問題はない。


 衝撃で蛍光灯が切れてしまったようだが、スマートフォンの明かりを頼りにエレベーターホールを通過し、非常階段まで到着した。


「待ちなさい」


 不意に声が聞こえたのはその時だった。


 低い声だ。そのような声を持つ人間を、鷹岬は知らない。


 果たして、誰だというのか?


「……誰だ」


 それを確かめるためにも、鷹岬は意を決して訊ねた。


 対して、それはゆっくりと鷹岬の方へと近付いていく。非常階段には踊り場と各フロアーを繋ぐ出入口にのみ明かりがある。電源は動いているらしく、少し暗いぼんやりとした雰囲気だった。


「あなたがあの『事件』を調べるものなので、少し忠告を……と思いましてね」


「事件? 忠告?」


「青少年連続誘拐未遂事件並びに詐欺誘拐事件……でしたっけ。あなたたちはそう呼んでいたはずです」


「少し違うが、大体合っている。それがどうかしたのか?」


 鷹岬の言葉に『存在』はため息をついた。


「あなたにはこれ以上この事件を捜査してもらいたくない……私はこう言いたいのですが」


「何故だ」


「言わねばなりませんか?」


 『存在』は更に近付いてくる。ゆっくりと、ゆっくりと。鷹岬はただそれを見るとしか出来なかった。


「……もし、手を退かなかったら?」


「その時は全力であなたを潰します」


 ということは、この『存在』が属する組織はあまりにも大量な資金力がバックにあるということを意味していた。それも一国ではない、複数の国家の国家予算ほどの潤滑な資金力だということだ。


「どうして手を退かねばならない? 人間が一人、行方不明になっているんだぞ」


「一人の人間の命と、世界。あなたならばどちらを大切にするのですか?」


「…………世界、だと?」


 鷹岬は耳をそばだてる。


 対して、存在はひどく安定した様子だった。


「詳しい事を一般人に話すことは禁止されていますから、なるべく話したくはないのですが、つまりそれほど重大な事が起きている……ということです。それは誰にだって、止められません。もうこれは動き出しているからです。大いなる流れには逆らえないのを同じように、そのようなことは出来ない。止める、止めようと思っていても、それは叶わないこと」


「やってみなけりゃ……解らないじゃあねぇか」


 鷹岬は直ぐにそう返した。それを聞いて『存在』は少しだけ後退りした。よく見ると(今居る場所はお互いの顔が見えない程の暗さであるが)、『存在』は動揺しているようにも思えた。


「……でも、出来ない。それは叶わない。それは確実に言えることでしょう」


「確実、なんて解らないだろう。未来は未だ確定されていない。そしてそれは誰にだって解らないはずだ」


 その言葉を聞いて、『存在』は高らかに笑い声を上げた。女性のような、高い声を上げた。


「あなた、本当に馬鹿ね。人間が、人間だけがこの世界をここまで発展させた……そう考えているのかしら? だとしたら大間違いね。そんなこと、有り得ない。この世界は私たちのような存在が居て、私たちが考えたシナリオ通りに動いているに過ぎないというのに……そう、あなたたち人間はただのマリオネットなのよ」


 シナリオ? マリオネット? 鷹岬の脳内ではそのようなことが渦巻いていた。『存在』が言ったことは些か信じがたい。しかしそれが嘘であると、確実に言える証拠もなかった。


 要するに見分けがつかなかったのだ。『存在』が言っている言葉の意味を、その真実を。


 真実と理想とは、高い壁で分け隔てられた全く異なる事象だ。


「真実と理想は紙一重。それがたとえ大きな間違いを孕んでいたりしても、理想と真実は食い違うこともない。しかし、たまにこれらは自らの確からしさを検証するため、それぞれが鎬を削る……。世界はそうして常に姿を変えているのよ」


「……事件にはまったく関係ないように思えるんだが?」


「事件に関係のあることよ。ともかく、絶対にその事件は調べないことね。あなたの命が惜しいのなら」


 そして『存在』の気配が消えた。


 それと時同じくして電気が復旧したのか蛍光灯が凡て点灯した。


「眩しい……」


 そう言って鷹岬は目を細めた。


 再びデスクに戻り、パソコンを立ち上げ、開いたのは事件の資料だった。


 脅かすことで事件から手を退かせようとした『存在』だったが、生憎彼はそんな柔な精神を持った人間ではなかった。


「人間じゃあない? 辞めなければ命は保証しない?」


 鷹岬は先程『存在』から言われた言葉をリフレインする。


「……上等だ。こんなもので諦めるだなんて、思うなよ。底力、見せてやる……!!」


 そして彼は再びパソコンのデスクトップをかじりつくように見始めた。

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