25
ライトス銀山の坑道はどれぐらい前から使われなくなったのか定かではないが、しかしまるでつい昨日まで使われていたような、そんな雰囲気が残っていた。
スコップが床に刺しっぱなしだったり、分岐の先にある行き止まりではクズ石を積んだトロッコがそのまま置かれていたり。
極めつけは道中にあった木造の詰所だ。詰所はトンネルの入口部分を木の壁で覆っただけという非常にシンプルな仕組みだった。中には数台のベッドにテーブル、パイプ椅子にシンクがあった。
その詰所の中には、誰も居なかった。しかし生活感は残されていて、ベッドのシーツはついさっきまで寝ていた人が居たのかぐちゃぐちゃに乱され、テーブルには一個のマグカップ(中にはまだ温かさを残すお茶が入っていた)があった。
その場から一瞬にして消え去った――そんなようにも思える。
「……これって」
「神隠し、ね」
その状況を見て、二人はそう判断した。
神隠しなどと言ってはいるが実際には失踪だ。皆何処かに姿を眩ましてしまったのだ。
「これが……亡霊の仕業?」
「皆、亡霊に殺されたとでも言うのか?」
「そもそも、亡霊は本当に亡霊なのかしら?」
マリアの言葉に、少女は首を傾げる。
「……どういうことだ」
「亡霊という存在がその言葉の意味の通り『死んでしまったものの魂』ではなく、『忘れ去られてしまったもの』だとかそういう意味で捉えたらどうなると思う? ……多分意味は全く違うことになると思うけれど」
「亡霊は生きている存在……そう言いたいのか?」
マリアはこれを確信していた。
何故なら彼女は過去・現在・未来の凡てを見ることが出来る目を持っていたからだ。今は持っていないが、それでも、ライトス銀山の話を持ち掛けたということだ。恐らく彼女は凡てを知っている。知っていてマリアに質問している。
試されている――その考えにマリアが至るまでそう時間はかからなかった。
だからといって「試しているのか?」と訊けるはずもない。そんなことを訊くのは愚問だし、寧ろタブーに近い。
だから、彼女はそれを訊くこともなく思考を再開する。
そして。
彼女は一つの結論を導くこととなった。
「もしかして亡霊というのは……まだここで生きているライトス銀山の人間……!?」
それを聞いて、少女は小さく頷く。
「……その通り。よくぞその答えを導いてくれた。私が見惚れただけはある」
「え? どうかした?」
「ううん、何にも」
彼女たちはゆっくりと歩いていたが、それと同時にある気配にも気が付いていた。
人が、命が蠢く気配。それは呼吸であったり、脈拍であったり、僅かな震動であったりするのだが――今感じているのはシンプルなものだった。
視線だ。視線を感じている。
彼女たちはずっと突き刺さるような視線を感じていた。いつからか? それは明確には覚えていないだろうが、正確には銀山に入ってからである。
銀山に入ってから感じていた視線は、人のものではなかった。
人のものでないというのなら、答えはひとつしか有り得ない。
――亡霊によるものだ。
「ねぇ……」
マリアは少女にそれを告げようとしたが、少女の指がマリアの口に触れ、封をした。
「どうやらあちらから御出座しのようね」
それを聞いてマリアは振り返る。
気が付けば彼女たちの周りには何かが集団で蠢いていた。それは人のようにも思われたが、しかしそうにも見えなかった。人間のような『何か』、似て非なる『何か』……その名前が果たして何なのかというのは、彼女たちは直ぐに予測出来た。
「もしかしてこれは全部……亡霊!?」
マリアはどよめきにも似た表情を浮かべる。そして少女はその声を聞いて小さく頷く。
「恐らく、というか十中八九、間違いないでしょう。あれは見てくれは人間だけれど人間じゃあない。魔物と人間の中間みたいな存在かしら? 無論、あれになってしまったらもう人間には戻れないみたいだけれど」
「人間には……戻れない……」
「そう。だから彼らへのせめてもの供養というのが、彼らを倒すこと。それに他ならないわ」
少女の言葉を聞いても、それを理解することは出来なかった。
あれは人間ではない。それはマリアも理解しているつもりだった。
だが、見てくれが人間であるため、どうも彼女の脳裏には『これは元々人間だった』というのがちらついてしまう。
それを知っているからこそ、少女はマリアにそう言ったのだ。
残酷ではあるが、これが現実だ。祈って世界が救済するのならとっくに祈っていた。
祈ったところで何も変わらない。
時が時なら戦争でマリアは駆り出され、そのような事態に至った時に何も出来ずに死んでしまうかもしれなかった。
力が無い人間はどの時代においても必要性はない。
どの時代も何らかの力を持つ者が世界を制していた。
「……さぁ、行くよ!」
その一言を皮切りとして、戦闘が開始された。
◇◇◇
時は変わり、ガラムド暦2115年。
「まさかシルフィード・ブラザーズが足を洗っているとはね……。人身売買というのが人権に反しているということを、彼らも漸く理解したということになるのかな」
レイビックがそう言った。それとは対照的にリニックの表情は暗い。
当然だ。行方不明となっているジークルーネを探すための唯一の手掛かりになっている人身売買組織が活動していないことが判明し、凡てが振り出しに戻ったためだ。
正確には人身売買組織がその場所では活動していなかっただけであり、他の場所で活動している可能性も充分に考えられる。
しかし、それでも、手掛かりが遠い何処かに消えてしまったという事実には変わりなかった。
「これからどうするか……」
「明日には発表会があったわね……何処でやるのかは聞いているの?」
「それなら、あそこだったよ」
そう言ってリニックはその場所を言う。そこは市街地に程近い所にある講堂だった。
その名前を聞いてレイビックは小さくため息をついた。
「何を仕出かすのか解らない。この世界を滅ぼす程に厄介なものなのか、解らない。全く姿が見えてこないのよ。普通ならその人間の目を見れば大体は把握出来る。だがな……リニック、あなたの母親からはその様子が全く見えない。恐ろしいんだよ」
「母さんが何をしているのか、気になるのは変わらないよ。息子の僕ですら解らないんだから」
リニックはそう言うと空を見上げる。
「……まぁ、過去で何か出来事が変われば、それは現在の状況においてある程度大きく変わるんじゃあないかな」
リニックは何処か遠くを見つめながら、そう言った。
その頃、トワイライトはジークルーネを気絶させ、どうするかを考えていた。
トワイライトの計画ではこの場にメアリーが居なければ成り立たない。
「あの時無理矢理にでもメアリーも連れていくべきだったか……? いや、あの『読姫』はとても強いと聞いた。やはりあそこで抜け出すべきだった」
そうぶつぶつと呟きながら、トワイライトは自分の考えを正当化していった。
「……畜生。こうなったらもう一度あそこへ向かうか? また読姫に見つかる可能性は充分にある……が、これは実現しなくてはならない」
「また、遠くへ行くんだね?」
トワイライトは声が聞こえたので振り返る。そこに居たのはカインだった。
カインはもう充分立派な大人に成長していた。黒髪に赤い目、流石に今も服を着ていないなどということはなく、黒いTシャツにズボンを着ていた。
「遠くに行くと辛いか?」
「いいや。辛いなんてことは無いよ。ただ名残惜しいっていうのかな」
「ただ、この世界を元に戻すだけの話だ。怖くなどない。恐れなど要らない。…………そうだ。気になるのならば、今度こそ連れてこようじゃあないか、君のお母さんも」
「本当に?」
カインは表情を変えることもなく、問い質した。
「あぁ、約束だ。絶対にだ」
そして二人は堅い握手を交わした。
――さて、カインとの握手を交わしたトワイライトだったが、未だ考え事をしていた。
この世界を元に戻すことは、そう簡単なことではない。もしかしたら元に戻らない可能性すらある。
そうなったとき、どのように対処すれば良いか――そんなことを彼が考えていないわけもなかった。
とはいえ、今まで誰もやった人間が居ないことだ。そう簡単には成功しないだろう。
「……だから、彼女を急いで連れてこなくちゃいけないんだ……。助けてあげなきゃいけないんだ……!」
彼の考えは歪んでいた。醜く、歪んでいた。しかし、彼自身はそれを歪みなど思っていない。それが正しいと思っているからだ。
そして彼はニヤリと笑った。
◇◇◇
「トワイライトが作戦に成功したらしいな。新たな世界の扉を開けるのもそう時間がかかるまい」
「しかし彼は少しだけ拘り過ぎてはいないかね。このままでは私たちの目的とは別の……他の何かが生まれてしまうことすら考えられないか?」




