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New Testament  作者: 巫 夏希
第四章 もう一度この世界を。
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 神軍兵。


 それは幸科研が制作を目標に掲げている、新たな人材であった。いや、正確に言えば、それは『ヒト』ではなかった。


 メタモルフォーズのDNAを初めて幸科研が解析したのは、今から十年前の話だ。そんな遠くも近くもない頃の話だが、しかしそれでもその頃を知っている人間は多い。


 幸科研はそのメタモルフォーズを『アダム』と名付けた。創世記におけるエデンで生まれた初めての人間の片割れから名前を取ったが、アダムにはそれがそうだと理解出来る知能がなかった。


 それを知り、彼らは内心安堵する。


 しかしながら、彼らには幾つかの疑問が残ることになる。


 その一つが『偉大なる戦い』でメタモルフォーズはどのように活動していたのか? ということだ。


 偉大なる戦いでは一匹一匹のメタモルフォーズが、時には個で、また時には団体で戦いに来ることもあったらしかった。


 しかしながら個の知能は非常に低い。それはメタモルフォーズ同士の通信手段が見られない程に、だ。


 勿論隠蔽の可能性も考えた。しかし、多数の科学的検査の結果、その可能性は呆気なく否定された。


 そもそも、そんなもの見つかりはしないのだ。『カミサマの使い』と言われたメタモルフォーズは、謂わばカミサマに一番近い存在である。


 カミサマに一番近い存在が、カミサマが作った人形にんげん等に解析出来るわけがなかった。


 しかし、もし解析出来るならば――それは世界を大きく変えることになるだろう。


 メタモルフォーズは体内に『知恵の木の実』と『錬金機関』を有する。前者はほぼ無限のエネルギーを有し、後者は錬成陣を作らずとも錬成が可能になる。


 もし、これが神軍兵にも装備させられるならば、『不死身の軍団』が出来上がる。


「……しかし、八十五パーセントからまったく進む気配がないな……」


 リリーは幸科研の廊下を歩いていた。まだ昼間だったからかは解らないが、通る人間も疎らだ。


 廊下はガラス張りになっているので外の状況が一目瞭然だ。ふと外を見ると、警備員に足止めされているリニックたちの姿が見えた。


「……もう、感付かれてしまったか」


 リリーは呟くと白衣のポケットからスマートフォンを取り出す。そして画面をスライドさせ、ある誰かに電話を繋いだ。


「あぁ、もしもし、私だ。リリーだ」


 軽い自己紹介を済ませ、リリーは本題を話す。


「ちょっと、神軍兵の計画を感付いた……いや、もしかしたらその境地へ辿り着こうとする人間が居てね。始末していただきたいんだ。あぁ、別に殺す程じゃない。痛ぶってくれりゃそれで構わないよ。えーと、眼鏡をかけた黒髪の少女でね。名前は……」


 リリーはシニカルに微笑んだ。


「ジークルーネ・アドバリーだとかいったかな?」



 ◇◇◇



 アース、『アンダーピース』アジト。


 メアリーはトワイライトに精神を汚染された。そのため、普通に言葉を話すことが出来ないし、人間として普通に出来るはずの行動も出来なかった。


 その中の一つに、湯浴みがあげられる。今の彼女は、赤ん坊同然だ。立ち上がることも歩くことも出来るが、それ以外は誰かが補佐しなければ不可能だ。


 今、ヴァルトブルクとメアリーはアジトにある大浴場に来ていた。外からの警備は、他のアンダーピースの人間に任せている形だ。


「あー、あー」


「気持ち良いですか?」


 ヴァルトブルクが訊ねると、メアリーは刻々と頷く。それを見ていると、何故だか虚しくなってしまった。


 メアリーを元に戻すため、リニックたちが躍起になって宇宙を駆け巡っているというのに、ヴァルトブルクはここでメアリーのお世話をすることしか出来なかった。それだけでも、充分立派な役割なのだが、ヴァルトブルクはやっぱり自分が蚊帳の外にいる感じがどうしても否めなかった。


 ヴァルトブルクは泡立たせた石鹸がついた布で丁寧にメアリーの身体を洗っていった。首もと、胸、太股、背中――彼女の身体の至るところを丁寧に、丁寧に洗っていく。傷つけないように、磨き上げるように。


「ひゃうっ」


 時折、恥ずかしいのか擽ったいのか解らないが、そんな嬌声をあげる。


「大丈夫ですか?」


 ヴァルトブルクが慌てながらメアリーに訊ねる。メアリーは涙目になって刻々と頷いた。


 精神的に退化してしまった彼女だが、それでも彼女はメアリー・ホープキンのままだった。


 桶にお湯を汲み、それを頭の上から流し込む。メアリーの目に泡が入ってしまったらしく、わあわあ叫んでいた。


 すいません、と小さく頭を下げ、もう一度お湯を流す。今度は目に入らなかったらしく、それでわあわあと叫ぶことはなかった。


「さっきはごめんなさいね……」


 そうして綺麗になったメアリーの身体を拭いて、服を着させる。あとはヴァルトブルクがメアリーの部屋まで連れていくだけだ。


 メアリーの部屋について、彼女をベッドに寝かしつけ、漸くヴァルトブルクは落ち着いたのか小さなため息をついた。


 僅かこれだけのことでここまで疲弊してしまうのだ。これが毎日と続けば、ヴァルトブルクの精神はもたないだろう。


 しかし、だからとはいえ、メアリーの精神が元に戻る保証もなかった。寧ろ一生このままの可能性が高い。


 彼女はそれに耐えきれるのか――いや、耐えねばならなかった。


「……リニックさんたちが、何か見つけてくれればいいのだけれど」


 ヴァルトブルクはそう呟き、彼女の部屋を後にしようとドアノブに手をかけた。


 ちょうど、そのときだった。


 ぞわり、と背中に寒気が走った。まるで大量の虫が彼女の背中を這いずり回っているような、そんな嫌な感覚だった。


 それを感じてヴァルトブルクは振り返る。しかし、そこにはメアリーがすうすうと寝息を立てているだけ――


 ――しか、なかった。


 はずだったのである。


 淡い光だった。


 緑の、淡い光がベッドの上――正確にはメアリーの胸のあたりから輝いていた。


 ヴァルトブルクはその正体が気になって、ゆっくりとそれに近付いていった。


 よく見ると、光の源はメアリーがつけていた卵のペンダントだった。ペンダントはまだ淡い光を放っていた。


 ヴァルトブルクはこのペンダントが何なのかは知らない。ただリニックたちからメアリーとともに預かっただけである。


 リニックのことはメアリーが目を付けていたから、ヴァルトブルクもある程度は信用していたのだが、だからといって得体の知れない物が得体の知れない行動を行うと、矢張不気味と思うものだ。


 そんなことを深く考えていると――ぴしっ、と何かヒビが入った音がした。


 ペンダントを見ると、卵にヒビが入っていた。気になって、卵に触れてみると――仄かに暖かく、鼓動が脈打っていた。


 そしてヴァルトブルクは直ぐに確信する。



 ――これは生きている



 だとすれば、疑問は加速する。リニックやジークルーネはどうしてこれをメアリーに渡したのか? もしかして、まだ何か隠しているのか? 頭の中でぐるぐると思考が回転する。だが、きちんとした考えがまとまらず、強引に思考を停止させた。


 そうこうしている内にも、ヒビはどんどんと大きくなっていく。何が出てくるのか――気が付けば、彼女は待ち構えていた。


 そして――殻が真っ二つに割れた。


 殻の中に居たのは、小さな赤ん坊だった。しかし、サイズは人間のそれと比べれば極端に小さい。手のひらに収まってしまうほどのサイズだった。それはすうすうと寝息を立て、メアリーの上に乗っかっていた。


「あ、赤ん坊……」


 ヴァルトブルクは驚き、そして戦き、ゆっくりとメアリーの上からそれを取り上げた。その重さは驚くほど軽かった。万物には重さがある。それはどんなに軽かろうと、人間は必ずそれがどれくらいの重さなのかが解るのだが、少なくともそれには重さがなかった。重量がなかった。寝息を立てているのに、生きている存在だとは思えなかったのだ。


「…………でも、卵から人間が産まれるなんて有り得ない」


 一般常識として、或いは彼女の保身のため、ヴァルトブルクは呟いた。それはとても滑稽な光景だった。


 そんなことを考えていると、ヴァルトブルクの両手の上ですやすやと寝息を立てていた赤ん坊が、気が付けば目を覚ましていた。


 赤ん坊の目は燃えるように真っ赤だった。そして、それに対比するように髪は白く、肌もどちらかといえば白っぽい。


「何よ、『これ』……!」


 ヴァルトブルクはそれにそこはかとなく恐怖を覚えた。というより、覚えさせられた。赤ん坊に見つめられただけで、たったそれだけで、猫に睨まれた鼠かのような錯覚に陥る。



 ――生かしてはおけない



 赤ん坊からは有り得ない程に溢れ出る魔力。上手く育てて味方にでもすれば、これ以上ない強力な味方に為り得る。


 しかし、ヴァルトブルクはそれよりも、敵に回ってしまったときの恐怖を優先した。幾ら魔力が大量にあろうとも、所詮は赤ん坊。魔法が使えなければその魔力も使うことは出来ない。


 そう考えてヴァルトブルクはその赤ん坊を、誰も知り得ないうちに、誰も産まれたことを知らないうちに、殺してしまおうとした――が、ここで彼女は、改めてその赤ん坊を見た。


 気が付けば赤ん坊は普通の赤ん坊程の大きさにまで成長していた。重さがないためか、まったく彼女は気が付かなかったのだが、そのことが彼女のカンフルとなった。


 直後、ヴァルトブルクは赤ん坊の、まだ据わっていないだろう首を掴み、気道を圧迫させる。それこそ、背骨が折れても構わない――というほどに。


 しかし赤ん坊は苦しむ様子もなく、しかも笑っていた。まるで、そんなことは無駄なことだ、とヴァルトブルクを嘲笑うかのように。


 そして、赤ん坊がゆっくりと左手を挙げる。それが何を意味しているのか、彼女には解らなかったし、そもそも今彼女はまだ首を掴んでいる。


 だからこそ。


 それに気が付いたのが、ほんの僅かだけ遅かった。


 気が付いた時には、彼女は部屋の端まで吹き飛ばされていた。圧倒的な力で押し付けられているようで、彼女の背後にある壁がゆっくりと凹んでいくのが解る。


「か……は……」


 ヴァルトブルクはそんなことは有り得ない、と言いたげな表情で、赤ん坊を見た。


 赤ん坊は自立しておらず、ただその場に浮かんでいた。そして左手をくるくると回し、ヴァルトブルクを見てニヤニヤと笑っていた。それはまるで、新しい玩具で遊ぶ、子供のように。


「駄目だなぁ。世界の『希望』をそんな風に扱っちゃ」


 彼女の知らない声が部屋に響いた。どこから声がするのか――と部屋を見渡すと、メアリーの隣に誰かが居た。


「何者……!?」


「僕? うーん、僕はトワイライトっていうんだ。それ以上のことは君にとっては有益かもしれないが、僕にとっては蛇足この上ないので省かせてもらうよ」


 トワイライトはそう言うと、ゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。


「さて……僕から一つネタバラシをしよう。彼女に卵の素を植え付けたのは僕だ。つまりあれは彼女から産まれたものとなる。母胎が素晴らしければ素晴らしいほどその力を受け継ぐ……メアリー・ホープキンは錬金術という分野では、彼女に並ぶ人間が殆ど居ないくらいに天才だ。そいつを利用させてもらった。そして僕は自分で自分を褒めるつもりなどないが魔法に富んでいる。そいつを掛け合わせればどうなると思う? ……いや、それは愚問だったかな。つまり、魔法と錬金術、二つの学問のエキスパートが誕生する。世界の『希望』として見れば素晴らしい逸材な訳だよ」


「世界の……希望? こんな化物じみた力を持つ赤ん坊が?」


 ヴァルトブルクが言うと、更に引き締めが強くなる。赤ん坊が力を強めたようだった。

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