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その頃シルバはメアリーに誘われ、とある宿へと来ていた。どうやら、この宿の名前はパラジット・インというらしい。シルバには聞き覚えのある名前だったが、今はそれが出てこないので、一先ずそれに関しては保留することとした。
宿にある、部屋へと入る。そこはこじんまりとした小さな部屋だった。ベッド脇の物入れの上に花瓶が乗っており、カーテンは花柄だった。
「あの……もしかしてここって」
これ以上訊かないといつか気まずくなる――そう考えたシルバは意を決し訊ねる。
対して、メアリーは普通に、
「ここ? 私が借りている部屋よ。男女で部屋を分けているから、フルとルーシーはまた別の部屋になるけれど」
そんなことを気にもしてないような笑顔で、答えた。
シルバとしては(たとえ宿屋の借り部屋だとしても)女の子の一人部屋などに入ってはどぎまぎしてしまうものなので、出来ることなら別の部屋へ――と思ったのだが、メアリーの鋭い眼光はそれを許さないだろう。
そこで、シルバはある事に気が付いた。メアリーが言った、二人の人物の名前について、だ。
ルーシーとはルーシー・アドバリーのことだ。マリアの実の祖父にあたり、シルバの義祖父(つまり母方の祖父)にあたる。精霊術を極めた存在としても知られ、アンダーピース設立後はメンバーに精霊術について説いた存在だ。
そして、フル。
フル・ヤタクミと呼ばれる人間だが、彼こそが『予言の勇者』とも呼ばれし存在だった。彼が持つシルフェの剣は細身ながらも、一振りで炎を、刀身の数倍はある獣を、水を断つ。謂わば、最強の剣だ。
この二人の名前が出たということは、やはりこの時代はガラムド暦2015年、『喪失の一年』にほかならなかった。
「……あの。どうかした?」
メアリーの言葉でシルバは我に返る。
「あ、いや、何でもないです。少し、考え事をしていた迄です」
「そう。……なら、いいのだけれど」
メアリーはそこで会話を切り、目の前にある机へと向かった。机にはハードカバーの本があった。開くところには錠前がついており、その姿を見るだけで何か重々しい。
「今日の日記をつけるのよ。わたし、三年近く前から日記をつけ始めてね、旅の備忘録にもなっているの」
シルバが訊ねるもなく、メアリーは答える。
日記。
今の情勢を知らないシルバは、それを見れば少しでも解るのではないか――そう、思った。
「あの……すいません。それって、見ても大丈夫ですか?」
不躾な質問だと、自分でも思っていた。
恐らくは、メアリーもそう思っただろう。しかし、メアリーはその質問に対して表情を変えることもなく、立ち上がる。
「……ええ、いいわよ。ろくなものを書いてはいないけれど」
そう断って、メアリーはどうぞと言った。リニックはそれを聞いて小さく会釈し、椅子に腰掛ける。
既に日記は今日の分が書かれていた。シルバはそれを目で追って読んでいく。
『今日は、何とかパラジット・インまで辿り着くことが出来た。
スノーフォグに行く船は朝イチで出発するのだという。スノーフォグは、この世界で唯一雪が降る国だ。
私は雪を見たことはないけど、時折記憶が揺り起こされる。
だけど、出来ることなら忘れてしまいたい――そんな思いが強かったのか、私と一緒に誰が居るのかは解らなかった。けれど、この暖かい感覚は……お母さんなのかもしれない。
私のお母さんは何処に居るのだろう。もう、その記憶すら薄れてしまった。
……いや! 今は、世界を平和に導くこと、ただそれだけを気にしなくっちゃ!』
これが今日の分だった。一先ず、シルバはページを前へ捲っていくことにした。
『今日はたくさんのことがあった。一番の話題といえば水のメタモルフォーズ、ゴードンだろう。
私を「神の一族」だと知っていたこと――どうしてなのかは、私にも解らない。
これを知っているのは、本当に僅かな人間しか居ないはずなのに。
……明日はバイタスという港町へ向かう。それから海をわたればスノーフォグだ。初めての場所で、どんな出会いが待っているのか、楽しみでならない。』
『妖精の樹からシルフェと名前が付いた三つの武器を貰い受けた私たちはメタモルフォーズを何とか倒すことが出来た。
フルとルーシーも、そんな甘い感情を抱いてはいないと思うけれど、私はこの戦いは「まぐれ」で勝ったものだと認識している。
だって私たちは(フルに至っては本当に少し前に、この世界に「来た」のだ)練習というものをしていない。言ってしまえば、素人とも呼べる存在。
謙遜しているとか、そんなことを言われるかもしれないけれど、私たちはそういう旅をしているのだ。気合いだけじゃ達成なんて、到底出来ない。
だからこそ、剣や弓、魔法に錬金術を上達させなくてはならない。……私も頑張らなくちゃ!』
シルバはメアリーの日記を見て、徐々にこの時代を把握し始めた。
先ず、この世界は何者かの邪悪な存在が立ち回っていること。
そして、それを倒すため(世界平和のため、と言った方が正しい)に『予言の勇者』という存在が別世界から呼び出されたこと。
「予言の勇者……ってのは確かフル・ヤタクミだったかな」
シルバは呟くと、ぱらぱらとページを更に捲っていく。彼女の書いた日記は、一日を事細かに記録していた。だから、詳細から情景が思い浮かぶ。
魔法を使ってしまえば、これを媒体に『記憶』に潜り込むことも出来る。
時に、文字は人の魂をうつしたものと言われる。字がまとまっているか、一画一画きちんと書かれているか……人が書いた字というのはまさに様々で、それが人の魂を現しているというのも頷ける。つまり、その文字をしたためた日記帳というのは、人生の履歴と言っても過言ではない。
だからこそ――シルバはこの手を使うことにした。
シルバが詠唱を開始する。起動を命令する『スイッチングコード』、対象を指示する『オブジェクトコード』、制限を指示する『リミッターコード』、内容を指示する『マジックコード』、安全を保証する(必ずしもそうとは限らない)、『セキュリティコード』、詠唱の終了・及びその条件を提示する『エンドコード』――この六つが魔法詠唱に必須となるコードであり、これを詠唱し、実際に魔法が発動するまでのタイムラグ、単にラグとも呼ばれている、これがなるべく短ければ短いほど、魔術師としての才能は高い。その為にはコードの無駄を最小限に押さえ、なおかつコードを完璧に把握する必要がある。
シルバは生まれながらにして魔術師としての教育を受けつつも、錬金術も教育を受けた。その為か魔法に錬金術の要素を取り入れている。それでラグが伸びたのかと言われると、寧ろ限りなくゼロになった。
元々、魔法と錬金術はその成り立ちが同一であると言われている。共通点が幾つかあるのもその論理的証拠に成り得ると言われている。
先ず、その共通点の一つのあげられるのは円――ファクターの存在だろう。高位の魔術師や錬金術師は実際に必要としない(その理由は不明である。学を極めたからとも、ファクターに血液の循環を用いているからだとも言われているが、どれも明確なものでない)。
魔法の詠唱が終了すると、日記帳の周りに淡い緑の光が生じる。メアリーは魔法には疎かったが、直ぐにそれが探索魔法の発動であることを知る。
「……ちょっと、調べたいことがあるので『記憶』を利用させてもらいます」
シルバはそう言って――そこで意識が途絶えた。
◇◇◇
ガラムド暦2015年の春先。芽吹く春の息吹を、どの人も皆感じ取れるようになった、そんな時期のことだ。
メアリー・ホープキンは校長室に呼び出されていた。彼女は校長室へ向かいながら、自分が呼ばれた理由を考えてみる。しかし、様々な考えを巡らせてみても、結局自分が呼ばれた理由が全く思い浮かばなかったのだ。
校長室のドアをノックする前に、再びドアを見る。ガーゴイルが象られた木製の観音開きの扉であった。ガーゴイルは怪物を象った石像のことだ。この扉は巨大な木造の扉に石像の部分をくり貫き、そこに石像を嵌め込むスタイルとなっている。
メアリーがこの扉を見たのは、入学時に行われた学校案内を含めても指で数えるほどだったが、それでもこの扉は初めて見た時から印象が強く残っていた。
何とも言い難い不気味な気配――そんなものをメアリーはこの扉を見る度に感じていた。
覚悟を決め、扉をノックする。
ノックすると、扉はゆっくりと――開け放たれた。
ただし、そこにシルバが居るということは、当然のことながらメアリーには気付かれない。何故なら、今見ているこれは、メアリーの日記帳から抽出した記憶なのだから。
記憶であるということは、ここに今見えているものは時間で言えば、既に『過去』だ。だから、これを変えることなど不可能である。
だから、シルバはこれを再生することしか許されていない。ダビングされたビデオのような感覚である。
メアリーは扉が完全に開かれたのを見て、ゆっくりと歩き始める。
壁には無数の本棚があり、最早壁と本棚が同化していた。本棚には本が限界まで詰め込まれているのだが、それが入りきらず、床にも積まれている。床はカーペットが敷かれているのだが、その大半は本やその他の物によって見えなくなっている。
「やあ、よく来てくれたね」
目の前には白樺の大きな机があった。その隣には火の上に小さくカットされた木材が置かれ、少しずつ焼かれていた。甘い匂いが部屋を充満していることを考えると、その木材は白檀なのだろう。
そして、その机で白い顎髭を蓄えた男性が何かを筆に認めていた。袈裟を崩したような格好だった。
男性は小さく微笑むと、立ち上がって、右手を前に出す。
「……まぁ先ずは座りなさい。緊張しているようだが、そこまで固くならなくてもいいから」
その言葉に従い、メアリーはちょうど机に面したところにある椅子に腰掛ける。
男性は咳払いを一つすると、話を始める。
「君は『予言の勇者』の言い伝えについて、どこまで知っているかね?」
「予言の勇者……というと、弓に杖を備えた人間を従え、世界に安寧をもたらすという、あの……?」
「そこまで解っているのであれば、構わない。話を続けさせてもらうよ」
男性は頷くと、目の前に置かれている幾枚かの紙束を手に取った。




