2
「ねぇ、リニック。この感じ……何処かで見たことがあるとは思わなかった?」
訊ねたのはジークルーネだった。確かに、とリニックは辺りを見渡す。そこの雰囲気は、確かに閑散とはしていたが、リニックが見たことのある風景だった。
そして、彼は思い出す。
「ここは確か……弁論大会の会場……!? ということはここは……」
「ハイダルク、テーブルノマスにある小さな集会場……そして、約二週間程前に『大会』が行われた場所よ」
「ということは……ここはアースということで間違いないのか」
リニックの問いに、ジークルーネは頷く。だとすれば彼らは戻ってきたということになる。
「しかし、まさかここまで一回でワープ出来るとは……。なんというか、魔導書というのは人の常識をいとも簡単に超えてしまうものだな」
「まぁ、これは『魔導書』ではなく、厳密には七聖書のひとつ『六律説』というものね。少し七聖書の中でも古いものらしくて、それでもロゼさんは貸してくれた。『大事にするのですよ』と念を押されたわ」
六律説という名前に、彼は聞き覚えがなかった。それほど古くからあるものなのだろう。
「……まぁ、今それについて話すと話が盛り上がってしまう。そんなことよりも、先ずはカーディナルを止めなくては……! 何を仕出かすか、解ったものじゃないぞ」
そうリニックが言うと、それに併せて二人は頷いた。
◇◇◇
その頃、カーディナルは行動を開始していた。
「『扉』があるのは確か、大魔導士テーラの持つ神殿だった。……そう聞いているのだが」
カーディナルが予想していた『神殿』とは雰囲気が遥かに違っていた。
先ず、あまりにも人が多すぎる。果たして、そこまで人が必要であるのか――それを考えると、カーディナルは思わず首を傾げてしまう。
と、なると。
考えられるのは、ただ一つだった。
「この神殿は……神聖なる場所だ。それを穢すものがいるというならば……排除するのが、普通だ」
そして、カーディナルはその神殿の中へと入っていった。
予兆など、なかった。
『アンダーピース』アジトに、局所的に地震が発生したような、そんな錯覚に襲われた。
「な、なんだ……!?」
ただ一つ、残念なことがあった。
メアリーが居ない間、この場所の元締めを務めていたシルバ・ホークリッチは一瞬だけ気が緩んでしまっていた。
そのせいだったかもしれない。
シルバは、自分の身体に起きた異変に、まったく気付かなかった。
呆気にとられてしまった。
シルバは、自らの身体が貫かれていることに、自分自身が気付かなかった。
「…………!?」
カーディナルは呟く。
「甘いのう、ここのセキュリティーは。まるで警備全員が居眠りでもしているようだ」
カーディナルは崩れ行くシルバの目を見て、訝しんだ。
「……おや? お前、目が赤いな……。もしや、ガラムドの……子孫か?」
シルバは頷くことはしなかった。ただ、その様子でカーディナルはある意志を汲み取ったようだった。
「まさか、ここに子孫が居るとはな。血は争えんのう……。母方に、ホープキンという名字の人間が居るだろう? あいつはまだ生きていたからな。何せ、『この目で見た』……からな」
カーディナルの言葉に、シルバはワンテンポ遅れて青ざめる。どうやら、事実を理解したらしい。
シルバは歯ぎしりをさせながら、言った。
「メアリーさんを……どうした」
「先ずは自分の心配をしては如何かな、シルバ・ホークリッチ。君は混乱しているようだから、それを画一させるために、敢えて言うが、君は身体を貫かれているのだぞ? 普通の人間ならば、出血多量でとっくに死んでる。そう――」
――とっくに、な。
そう言うとカーディナルは勢いよくシルバの身体に突き刺していた腕を引き抜いた。引き抜いた痕からは、まるで噴水のように血が噴き出していた。
もう、普通ならば立っていられない、生きていられないはずなのに、シルバは未だその場に立っていた。その奇特な状況にカーディナルは口を綻ばせる。
「……ほう、ここまでしてなお立っていられるか。寧ろ気持ち悪いな。最早貴様は人間ではなく、バケモノなんじゃないか?」
カーディナルは、最早その言葉がシルバに届いているとは、思わなかった。
しかし、そんな彼女の中にも、『実は未だシルバが生きているのではないか』という気持ちがあった。彼女の中で、その気持ちと、死んでいる気持ちがせめぎあっていた。
そんなことは、『昔の』彼女ならば有り得ないことだった。
その気持ちを何とか抑え込んで、話を続ける。
「しかし……まさかここに『私の子孫』が居るだなんてね……。名字が違うから、まったく解らなかったけれど」
カーディナルの言っていたことは、シルバも知らない事実だった。しかし、今の彼にそれを聞く余力などなかった。
「気になるか? 気になるだろうなぁ。別に知ることは罪ではないからなぁ。罪になるのは、その知った情報に依って決まるのだから」
カーディナルは悦んでいた。この状況を。
対して、シルバはカーディナルから何としてでも『喪失の一年』の情報を手にいれたかった。恐らくは、彼女は何か重大な情報を握っている。シルバはそう証拠もない確信があった。
そして、カーディナルはひとつの賭けに打って出た。
「……なあ、シルバ・ホークリッチ。私と一緒に、過去へ行ってみたくはないか?」
「過去……だと?」
シルバの答えは曖昧な意志だった。
しかし、カーディナルはそれを予測していた。そう応えるほかないと思っていた。
「そうだ、過去だよ。正確に言えば、百年前……この世界では『喪失の一年』とでも呼ばれている、あの時代にだ。行こうとは、思わないかね?」
カーディナルの言葉を聞いて、シルバは考えてしまった。なぜなら、その提案は彼にとって、いや、歴史を研究する人間ならば、『イエス』と答えてしまう魅力的な提案だったからだ。
「……百年前、ね。見返りってもんはあるのかな? カーディナル」
「私は、時空を遡る。君と常にいるか、五体満足かも解らない。だがね……これだけははっきりと言える。時空遡行を成功させたときは――確実に『予言の勇者』をこの手で屠る。ただ、それだけだ」
「予言の勇者が貴様なんかに簡単にやられるとは思えないがね」
「果たしてどうかな? 案外世界というものは面白く回転しているよ。私が弱くなっているわけは、当然有り得ない。百年前よりも、今が一番強いと自負しているよ」
カーディナルは微笑む。シルバはその言葉を聞いてもなお、諦めることはなかった。何とかこの状況から脱却する方法を見つけたかった。
「……逃げようとしても、無駄だ。私はどんなことをしてでも、お前たちを連れて行く」
「お前、たち?」
「おっと」
カーディナルは口を塞ぐような動作をしめす。
「ちょっと、喋り過ぎちゃったかね。……まあ、いいや。話してしまっても、特に問題もない。計画がずれることもないだろうしね。君と、マリア・アドバリー、その二人を百年前の世界へ連れて行くよう、あいつに言われているものでね……」
「あいつ?」
シルバの問いに、カーディナルは微笑みで返した。
「……それを訊いて、どうするというのかな?」
「そいつを潰す。人間を弄んでいるやつなど、生きている意味がない」
「そんなこと、人間だけに言えることか? 人は、様々な生命を頂いて生きているに過ぎない。豚もそうだ。牛もそうだ。そいつを食うことで人は生きることが漸く出来る。そんな弱い生き物だ。ほかの生き物もそうだ。生き物の命を喰らうことで、生きていける。それなのに、人が人を殺すことが、間違っているなんて誰が決めたんだ? 人間だろう? 人間が人間のコミュニティーを破壊しないために、決めたんだ。ならば、それを守る筋合いなど私にはない。くだらないことだ……何もかも、な」




