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その頃、アキュアの何処か。壁も床も天井も、何もかもが赤黒く染まった部屋で一人の女性が磔にされていた。
メアリー・ホープキン。
嘗ては勇者一行として世界を救った少女だった。
しかし、今、その面影は最早存在しない。度重なる調教によって、メアリーはそんなことなど考えられなくなってしまった。いや、考えられなくさせたの方が、或いは正しいのかもしれない。
「……様子はどうかな」
気付くと目の前にはトワイライトが立っていた。数日前の彼女なら気配を察知することは容易だっただろうが、最早そんな余裕を無くすところまで彼女の精神は削られていた。
「トワイライト……」
メアリーの声には元気がなかった。諦観にも似たそれはトワイライトの気持ちの風船に穴を開けるのに充分だった。
「ねえ、メアリー。さっきまで勝気だったのは何処にいったのかな? あれは張りぼてだったのかな?」
トワイライトはここで予定を変更することにした。計画に支障が出たわけではない。トワイライト自身が焦っているわけでもない。ただ、彼はメアリーを様々な方法でいたぶり、最終的に精神を瓦解させる迄の過程を見たかったに過ぎなかった。
「……、」
トワイライトの言葉にメアリーは答えない。ただ顔を俯かせているだけだ。
「あぁ、そっか」
さらに一押し、とトワイライトは何かを思い出した雰囲気を装って言った。
「そうだね、違うもんね。メアリーはあの勝気なメアリーがメアリーじゃない。ここにいる淫乱な君こそがメアリーだったね」
「ちが……っ!」
まだそこまでは染まっていない、とトワイライトは安堵する(しかしそれは心には出さない)。
「いやいや、だってそうじゃないか。君がこの調教にどれくらいかかっているか、知ってる? 二日だよ、二日」
トワイライトが言った言葉は本当のようでもあって、嘘だった。本当はトワイライトはどれくらいの時間かかっているか、ちゃんと数えたわけではない。彼女の心にダメージを与えるためにわざと言った情報だった。
「二日もこれに耐えたのは居ない。大抵は『たすけてー』とか『ゆるしてー』とかなんとか言って許しを乞うんだ。そうそう、かなり少数派だけれど、舌を噛み切って死んだのも居るよ。けれどね、二日間嬌声やらなんやらはあったが一度もそんなことをしなかったのは君が初めてだよ、メアリー。最初は勝気なんだなぁなんて思っていたけど、そっか。君はこれをしてもらいたかったのか。感じたかったのか。何せ相当溜まっているんだろうし」
「だ……まれ……っ!」
メアリーの声はそんな強気な発言とは反面弱々しいものだった。そして、トワイライトは確信した。
――時は近い。
と。
◇◇◇
それと同時刻、リニックたちは行動を開始していた。
何をするか? ――答えは、簡単である。『裏』の住人から手に入れた情報のもとに動き、メアリーを救助する。つまりは、その第一段階として『裏の住人』とやらを見つけなくてはならなかった。
「……そして、今はその『裏の住人』を探しに来ている訳ですが……こんな有りがちな場所に居るんですか?」
リニックたちは今表通りから一歩入った路地に来ていた。とはいえ、街の隅々まで水路が行き渡っているこの星では路地でも水路が走っていることには変わりなかった。
路地はちらほらと扉があり、その一つ一つに『101』『102』とナンバリングされていた。ナンバリングは恐らく住所の類いだろう。
「……さっきのカフェで実は会っていたんだよ。その『裏の住人』とね」
107と書かれたプレートの掛かった扉を目の前にして、リニックは言った。
そしてドアを二回ノックする。直ぐにそれをまるで模写したようなノックが返ってきた。
それを見て、リニックは扉を開け、中に入った。フローラたちも、それに従った。
中は小さな部屋となっていた。しかしながらそこから幾つかの部屋につながっているようでもあった。リニックたちの目の前にはソファがあり、そこには一人の人間が眠っているようだった。顔は新聞で隠れていたため、未だ寝ているのだろう。
「こ、この人……かな?」
リニックは予想外の風景に思わず腰が引けてしまった。
「ん? ……なんだ。もしかして、勧誘かなんかか? だったら帰ってくれ。うちはそういう類いはまったく信じていないんだ」
寝言にしてははっきりとした口調だな、とリニックは考えるも、話は続く。
「……まだ出て行かないのか? 出て行かないなら、此方から強引に吹っ飛ばしていくぞ。おい、ルーナ!」
「なんだ、俺は今忙しいんだぞ!!」
ソファからの声を聴いて、部屋から一人の少女が飛び出してきた。髪は腰にかかるほどまで長く、その髪はほのかに赤がかった茶だった。風貌は緑のTシャツに灰色のジャージと、運動するには持ってこいの格好ではあるのだが、年相応の格好をしているとはあまり思えない。
ルーナと呼ばれた女性はリニックの顔を見て、小さく笑い出した。
「……ったく、何事かと思ったらお客さんじゃないか。起きろ、ルーク!! さっさと起きねぇと今日も追い出すぞ! 十日連続で追い出し食らいたいか!!」
「めんどくさ……」
そう呟きながら、ルークは顔の上に乗っていた新聞を除けた。そして、起き上がるとリニックに対して小さく頭を下げた。
「おぉ、あんたさっきのカフェで手振ってた人か。……しかしまぁ、どうしてこの連絡手段が解るんだ。あれは一部の御得意様にしか言ってない、機密事項だぜ」
「トレイクから聞いてね」
そう言ってリニックは小さく溜め息をつく。
「あぁ、トレイクか。あいつには家族ぐるみで世話になったからな……。なるほど、しかしあいつからのとなると……お前ら、相当面倒な依頼を持ち込んでやいないだろうな」
「言葉を慎め、お客さんの前だぞ」
そう言ってルーナはルークの頭頂部目掛けて手刀を振り下ろした。ごつん、と妙にリアルな音が部屋に響いた。
「うぎゃあ! なんで手刀なんて使うの! 痛かったでしょう!?」
「叩けば直ると思ってな」
「僕の頭は昔の電化製品じゃないよ!?」
そんなやり取りをしながら、何となくこれで大丈夫なのか――と崇人は頭を抱えた。




