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「ここだ」
シャーデーは小さな岩を指差し、漸く立ち止まった。リニックにもこの山道を踏破した僅か三時間程の道程(文章にすれば解りづらいが山道を三時間も登るというのはなかなかに大変なものがある)を思い浮かべた――が、残念ながら『疲れた』『人には何故重力が働いているのか?』などの普遍な質問ばかりをぶつぶつ呟いている自分しか浮かんで来なかったので、それは記憶の奥底に仕舞うことにした。
「この岩に何が? 珍しい鉱石でもあるんですか?」
「だったらいいねぇ」
そう言ってシャーデーはその岩を奥に押し倒した。
そして、岩の目の前にあった岩肌が左右に開かれた。
「……秘密基地ですね」
「秘密基地だよ。君が言うまさにそれだ。『サーキットパウダー』を用いて回路を構成しているんだ」
サーキットパウダー、とは。
それで回路を形成し、末端に動かす物、もう一つの末端に衝撃を加えることで動作するものだ。何故それが出来たのか謎も多く、まだ人工的に作り上げることも“科学を用いて”では出来なかった。
「錬金術でついに錬成することが出来たからね。なんとも喜ばしいことかな、とまずは大量にここで使ってみた次第ですよ」
「あぁ、なるほど……しかし、そう簡単に錬成出来るだなんて、シャーデー先生はいったいどういう技術を使えば可能となったんですか?」
メアリーの質問にシャーデーはニヤリと笑った。
そして、呟く。
「……人が考えることは、必ず人が実現することの出来ることばかりなんですよ、ミス・メアリー?」
そしてシャーデーを先頭にして、メアリーたちは中に入っていった。
中は洞穴という感じになっていたものの、等間隔に松明が壁に備わっていたために何処か人工的な雰囲気もあった。
リニックは一先ず彼らに着いていくことだけを考えた。最悪、どうなったとしてもなるようにしかならないと既に諦めモードに突入していた、というのもあったのだが。
「……疲れたか、それとも水か?」
メアリーが唐突に訊ねてきたので、両方ですとリニックが答えると苦笑いした。
「どっちもかねぇ。シャーデー先生、あとどれくらいで着くんですか?」
「そんな時間もかからないと思う。……ほら、見えてきたぞ」
シャーデーがそう言ったので、前を見た。すると、そこには壁しか見えなかった。
「行き止まり……?」
「いいや、違う。あれは行き止まりじゃない。……ほら」
そう言ってシャーデーは小さく呟いた。
「……『クーチェ』」
その単語をシャーデーが発したと同時に壁が一瞬にして消え去った。
「さぁ、急ごう。そんなに時間を割いてはいられないからな」
壁の向こうには、リニックたちの目の疑う光景だった。
そこには、街があった。
人がいた。明かりがあった。それに、人々も先程までメアリーたちが居た場所に比べると輝いていた。これが同じ国であり、星なのか――そう思うほどだった。
「ミス・メアリー、ミスター・リニック、ミス・ジークルーネ。歓迎するよ、ここが我々の拠点『ユートピア』だ」
「理想郷……」
メアリーたちはシャーデーによって街の中央地区へと案内された。
『ユートピア』は街全体が山の中にあり、中央地区とはちょうど山の七合目あたりにある場所だった。
「……ここで君たちはある人間に会ってもらうことになる」
「ある人間?」
「ユートピアのボスで、メアリー、君が見たかった木馬文書を持つ人間だ」
そう言ってシャーデーは目の前にある扉をノックして、中に入った。
中には二人の人間がそれぞれソファーに腰掛けていた。書棚やテーブル、一連のティーセットがあることを考えるとここは応接室のようにも思えた。
リニックはまず、二人を観察した。
一人はぴっしりと整えた髪に白いポロシャツ、紺のカーディガンを着た青年だった。
そしてもう一人は白のフリルを袖や腰などところどころに縫い付けられた漆黒のドレスを身にまとい、白のカチューシャを付けた黒髪の少女だった。人間とは思えない美しさで、彼女は本を読みながらスコーンを口にしていた。
少女は少年と同い年に見えるが――彼女自身から出る雰囲気やその大人びた服装が、彼女を大人に魅せていた。
「……うむ」
彼女はリニックの視線に気付き、前を向いた。
「無礼な人間ですねトレイク。お前が呼んだ客はいつもどうしてこう変わった人間ばかりなのですか?」
彼女が口を開くと、その風貌とは似ても似つかない幼い話し口調だった。
トレイクと呼ばれた少年(よくよく見ると青年にも思える)はシニカルに微笑み、改めてリニックの方を見て立ち上がった。
「ごめんなさい、彼女いつもあぁなんですよ」
「大変ですね?」
メアリーがそう言うとフリルの彼女がメアリーを睨んだ。
(……ツンデレってやつか?)
リニックはそんなことを言おうと思ったが直ぐに口ごもった。
「……先に僕たちの方から名乗ったほうがいいでしょうね。僕はトレイクです。本名は大分長いのでそう読んで下さい。そして、彼女が『ロゼ』。――ガラムドから『魔導書』の管理を頼まれた、読み姫と呼ばれる存在です」
「魔導書の管理……読み姫?」
リニックはトレイクが言った言葉を何度か頭の中で繰り返してうた。この男はいったい何が言いたいのだろう――と考えているからだ。
「魔導書ってのは……ご存知ですよね? 要は指南書みたいなもので魔術とかのレシピが入っているのは」
魔導書。
名前の通り、『導く』書であるから大体の内容は理解出来そうである。トレイクも言ったように簡単に言えば指南書――さらには教科書といったほうが近い。実際に購入できるものは写本のレプリカであり、値段も安価である。しかし、書かれている内容によっては『禁書』としての扱いを受け、販売は愚か、最悪読んだ人間は即処罰対象――にもされかねない。
その処置が行われるようになったのは約二十年程前のことで、それ以前は『魔導書』という存在自体少なく、その多くは伝説にもなっていた。喪失の一年ですら、予言の勇者がライトス銀山にて『ガラムドの書』なる魔導書を発見したというものが書かれているのみで、実際に流通している魔導書も数えられる程度だった。
「……んで、その魔導書を保護するのが我々の仕事でしてね。ロゼはその読み姫としてカミサマであるガラムドから勅命を受けた存在なんです」
トレイクが告げて、ロゼの方を見る。ロゼはまだ本を読んでいた。気になったので、リニックがふと眺めて見ると、蚯蚓が這ったような字でとても読めるようなものではなかった。
「これは、古代ルーファム語で書かれた文献ですよ」
リニックの思考を、ロゼは完全に『読んでいた』。
古代ルーファム語とは、現代で用いられているルーファム語とは構文も仕組みも異なる。ルーファム語は限りなく英語に近い言語であり、現在遺されている『旧時代』の文献は一部の例外を除いて読み解くことが出来るようになっている。
そのおかげもあり、現在では旧時代にあったものを復活させようという動きすら出ている。その中には『機人』という人間の機能の殆どを機械で代用したものだったり、飛行技術を実現しようと画策していたり、旧時代が今の時代に与えている影響は計り知れない。
「話を戻しましょう。しかしメアリーさん。あなたが知りたい情報を言うには遥か旧時代にまで干渉せねばなりません」
「旧時代……まで?」
メアリーの驚いた顔を見てなお、トレイクは話を続けた。
「『リバイバル・プロジェクト』。名前くらいは……そう、せめて名前くらいは聞いたことがあると思うのですが」
トレイクはそう言って微笑んだ。自分しか知らない事実を聞いて衝撃を受ける人間を、ただただほくそ笑むように。




