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第二章 ≪貴族≫在らざるもの、人在らざる
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トライヤムチェン族の村――現在はヴァキシーという小さな港町になっている――に船が辿り着いたのはちょうど夕飯時だった。
「どうせならここで夕飯にしましょうか。トラウローズ行きの船って何時発だったかしら?」
「確か、午後十時です」
メアリーはシルバの返答を聞くと、リニックたちの方に振り返った。
「ねぇ、何が食べたい?」
「……僕はなんでも」
「わたしも」
メアリーの質問に答えた二人の表情は何と無く淡白だった。メアリーはそれを見て、頬を膨らませた。
「せっかく旅に出るのだから美味しいもの食べさせてあげなきゃね! シルバ、何かいいのある?」
「この辺なら『トラットリア・ローズ』はどうです? 美味しいマキヤソースを用いた料理が楽しめるとのことですよ」
「マキヤソース……いいね。そこにしましょうそうしましょう!」
かくしてメアリーの鶴の一声で本日のリニックたちの夕飯が決定した。
◇◇◇
『トラットリア・ローズ』に辿り着いたのは、午後七時を回ったあたりだった。食事時ということもあり店内は混んでいたが、シルバがいつの間にか個室を予約していたらしく事なきを得た。
「こんなところ……いいんですか?」
あまりの豪華な内装にリニックは思わず訊ねた(この店の内装を一言で言うなら『金』だろう。それくらい金に包まれていた)。
「いいのよ。ボディーガードのほんの報酬の一つ、だと思ってくれれば!」
そう言ってメアリーは店員を呼ぶベルを鳴らした。そして、ベルから煙が現れたと思ったらその煙が固まっていき、ものの数秒もかからないうちにメアリーの隣にウェイターが現れた。
「どうなさいましたカ」
ウェイターは何処か田舎の生まれらしく、発音するとき少しおかしかった(まだ標準語に慣れていないあかしだろう)。
「ここはマキヤソースが美味しいんだってね」
「はい、昔から続く秘伝のタレでス。かつてはたくさんの港町の宿屋にも置いていただき、調理に調味にと活躍したそうでス」
「……ちょっと待って。たくさんの港町に?」
メアリーはそこに引っかかった。『もしかしたら……!』という思いを確かめるため、再度ウェイターに質問する。
「なら、バイタスは? 『パラジット・イン』には?」
メアリーは一つの宿の名前を出した。それは今もなお港町バイタスにある老舗宿屋だ。そして、彼女にとって様々な思い出のあった場所でもあった。
「『パラジット・イン』……えぇ、その宿屋にも取り入れさせていただいてまス。確か……百年以上前だった、でしょうカ」
「……」
メアリーは何も言えなかった。
ここは、場所は違えど『彼』の食べた、美味しいと言った、元居た世界にあるものと似ている、味があるのだということに、ただただ感銘を受けたのだった。
「……あ、あの、ご注文ハ?」
「あ、あぁ、ごめんなさい忘れちゃって。とりあえず刺身セット四人分で」
「かしこまりましター」
そう言うとウェイターは再び煙になって、ベルの中へと入り込んで(ベルへと吸い込まれて)いった。
◇◇◇
食事を終えて一同は宇宙船が発着するターミナルへ向かった。
「……まぁ、そこまで遠いものでもないし。時間は?」
「九時二十分です」
「なんだ、まだそんなものなのか。なら、そう急ぐこともないわね」
シルバの返答にメアリーは慌てることはない。発着場に向けてゆっくりではあるが、着実に進んでいる。
シルバが急かすのも解る。実際にはもう少し早く着かなければ迷惑もかかってしまうだろうし、ほんの少しのミスが命取りになってしまう。
だからとはいえ、彼女が彼女らしくない行動を取るのかと思えば、そうでもない。
「……まぁ、そう急がなくてもこれくらいのペースなら二十分前には宇宙船に乗れるだろうし、そこまで慌てるもんだってないよ」
「一つ聞いても?」
「どうしたの?」
「……トラウローズとはどんな場所なんですか?」
リニックの質問にメアリーはまるでその言葉を待ち構えていたかのように、ニヤリと微笑んだ。
「トラウローズはね、簡単に言えば鉱山の町だよ。たくさんの鉱石や石材が採れる場所だ。……あれさえなけりゃ完璧なモデルケースなんだけどね」
「あれ、とは?」
「簡単だ、公害だよ。山から採れたのは、何も鉱石ばかりじゃない。毒素だってあったわけだ。そういうものが川に、空気に溶け出し……後は言わなくても何とか理解してくれると思うんだがね」
メアリーの言葉にリニックは少しだけ考えてみた。そういうのならば、恐らく治安も悪いのではないだろうか? それでいて、どうして治安が悪いであろう場所に行かせるのだろうか? リニックの頭の中には『?』ばかりが浮かんでいた。
「……どうした。まぁ、恐らくどうしてそこまで治安が悪い場所に……とかそんな事を考えているのだろうけど」
「何故解ったんですか……!」
「魔力の流れを読み取り、逆探知すれば済む話。それより、彼女の旅には私も同行するけど?」
その言葉を聞いて、リニックは訳が解らなくなった。ならば、何故自分自身も付いていくことになったのか。
「あまり知らないと思うがね、君はもう逃げられないんだよ。君自身が負った……大きな宿命には、ね」
「どうして知っているんだ、と言うことは一応聞いた方がいいんですかね」
「随分慣れてきたんじゃないか。どうだ? これが片付いたら正式に『アンダーピース』に入るってのは?」
メアリーのあまりにもウキウキした表情にリニックは押されてしまうが、それでもリニックは大きく首を横に振った。
「……そうか、残念だよ」
メアリーはメアリーで、本気でリニックを獲得出来ると思っていたのか、至極落ち込んでいた。
「ともかく、着きましたよ」
シルバの言葉に、リニックは上を向いた。
そこにあったのは天を貫く巨大な尖塔だった。ところどころ自動扉と思われるラインが見え、尖塔の頂点には一際輝く星――恐らく、『サン・スター』だろう――を中心として星々が等速円運動していた。
それこそが、『アース』と元はひとつだった惑星と『アース』を結ぶ宇宙船の発着場、『ディスカバリーターミナル』だった。