第6話 修行と不運の日々
修行が本格的に始まって一ヶ月。
俺の日常は完全に変わった。
朝は日の出前に起きて山道を走る。途中で必ず一回は転ぶ。石に躓くか、木の根に引っかかるか、何もないところで足がもつれるか。不運のバリエーションは無限だ。
午前は刀の素振り千回。最初は三百回で腕が上がらなくなったが、今は千回振ってもなんとか立っていられる。なんとか、だけど。
午後はガンリュウとの型稽古、そしてレイナとのスパーリング。
夕方は体幹の鍛錬と、狩りの手伝い。
夜は死んだように眠る。
充実しているかと聞かれれば、まぁ、うん。充実している。毎日ボロボロだけど。
ただ、一つ問題があった。
「カイト、また灯りが消えたんだけど」
レイナが小屋の中で不機嫌な顔をしている。
テーブルの上の魔法灯──魔素を燃料にして光る小さなランプが、俺が近づくたびに暗くなるのだ。完全に消えるわけじゃない。ぼんやりと弱くなって、俺が離れるとまた明るくなる。
「悪い。俺のせいだとは思うんだけど……」
「思うんだけどじゃなくて確実にあんたのせいよ。あんたが小屋に入ると毎回こうなるの」
申し訳ない。
魔法灯だけじゃなかった。小屋の入口には魔素で動く鍵──魔法錠がついていたのだが、俺が触ると反応しなくなる。ガンリュウが手動の鍵に取り替えた。無言で。申し訳なさが倍増した。
食料の保存に使っている冷却箱も、俺の近くに置くと温度が上がる。中の肉が傷みかけて、レイナに本気で怒られた。
「あんたさ、生活に支障が出てるの自覚してる?」
「自覚はしてる……」
「だったら冷却箱の近くに座らないで!」
ごもっともである。
ガンリュウはこの状況を面白がっているようだった。
「半径三歩分だな」
ある日の稽古の後、ガンリュウがぽつりと言った。
「何がですか」
「お前が魔素を薄くしている範囲だ。お前を中心に、だいたい三歩。それより外は影響が少ない」
三歩。大人の歩幅で約三メートル。狭い。近接戦の間合いだ。
ガンリュウは腕を組んで続けた。
「意識してやっているわけではないな。常に垂れ流している」
「止められないんですかね」
「知らん。だが制御できるようになれば使い道はある。今はまだ早い」
今はまだ早い。師匠はいつもそうだ。答えを一度に教えない。
その日の午後、レイナとスパーリングをしていた時のことだ。
「いくよ!」
レイナが距離を取った。五メートルほど離れた場所から、手のひらを突き出す。
重力の塊が飛んできた。
いつもの近接戦ではなく、遠距離からの重力弾。地面の土を巻き上げながら、俺に向かって一直線に突進してくる。
「うお──」
避けようとした。だが足が絡まった。不運。転ぶ。
終わった、と思った。
──が、重力弾が俺の手前で急に勢いを失った。
土煙を上げていた塊がしゅるしゅると縮んで、俺の顔面の十センチ手前でふっと消えた。
風だけが顔に当たった。
「…………え?」
俺もレイナも固まった。
「今の……消えた?」
レイナが目を丸くしている。
「あたしの重力弾、あんたに当たる前に消えたんだけど」
「俺も今見た。なんで?」
稽古場の隅で見ていたガンリュウが、小さく頷いた。
「やはりそうか。飛んでくる魔素の塊にも効くらしいな」
「え、どういうことですか師匠」
「お前の三歩の範囲は、魔素を薄くする。外から飛び込んできた魔法も例外じゃない。圏内に入った瞬間から魔素が削がれていく」
つまり、俺に向かって撃たれた魔法は、三メートルの圏内に入ると段階的に弱まって──弱い魔法なら届く前に消える。
「じゃあ俺、魔法が効かない?」
「そう単純な話ではない」
ガンリュウがレイナに向かって顎をしゃくった。
「レイナ、今度は全力でやれ」
「えっ、本気で? 当たったら怪我するよ?」
「構わん」
「構うんですけど俺は!」
俺の抗議は無視された。
レイナが構え直す。今度は両手で集中している。さっきとは気配が違う。本気だ。
「いくよ……!」
放たれた重力弾は先ほどの倍以上の大きさだった。地面が抉れるほどの圧力。
俺の三メートル圏内に入った瞬間、やはり縮み始めた。しゅるしゅると小さくなる。だが──消えきらない。
拳大に縮んだ重力弾が俺の腹に直撃した。
「ぐふっ」
二メートルほど吹っ飛んで、背中から地面に叩きつけられた。息が詰まる。腹が痛い。
「カイト! 大丈夫!?」
レイナが駆け寄ってくる。
「……だ、大丈夫。たぶん内臓は無事……」
「ごめん、加減が──」
「レイナのせいじゃない。師匠が全力でやれって言ったんだ……うぅ」
ガンリュウが歩み寄ってきた。
「わかったか。弱い魔法は消せるが、強い魔法は消しきれない。削れるだけだ」
「身をもって理解しました……」
「それと、三歩の距離では時間が短い。高速で飛んでくる魔法は圏内にいる時間が短いから、削りきれない場合もある」
なるほど。つまり弱点は二つ。一つは超強力な魔法。もう一つは超高速の魔法。どちらも三メートルでは消しきれない。
「だが」
ガンリュウが続けた。
「並の魔法使いなら、お前に魔法は通じない。これは相当な強みだ。問題は──」
「物理で殴られたら普通に痛い」
「そうだ」
結局、剣や拳で殴られたらただの十二歳の少年なのだ。魔法は消せても、物理は消せない。だから武術を鍛えるしかない。
ガンリュウが俺に刀術を教える理由が、また一つ腑に落ちた。
その夜。
腹の痣をさすりながら、小屋の前で夜空を見上げていた。
レイナが湯気の立つカップを持ってきた。
「……はい、薬草茶。腹に効くやつ」
「お、ありがとう」
「べ、別にあんたの心配なんかしてないし。祖父ちゃんの弟子が怪我したら寝覚めが悪いだけ」
はいはい。受け取ったカップに口をつけると、苦い。が、腹の鈍痛がじんわり和らいでいく気がする。
「なぁレイナ」
「何」
「俺の近くにいると迷惑か? 魔法灯は消えるし、冷却箱は壊れるし」
レイナはカップを持ったまま、少し黙った。
「……迷惑じゃないとは言わないけど」
「おい」
「でも、面白くはあるわよ。あたしの全力が効かない相手なんて初めてだし」
それは褒め言葉として受け取っていいのだろうか。
まぁいい。迷惑をかけている自覚はある。でも、今日わかったことは大きい。
俺のスキルは、ただのハズレじゃない。使い方次第で──。
「カイト」
「ん?」
「明日のスパーリング、あたしの遠距離攻撃を全部消す練習しない? あんたの限界、知りたいし」
レイナの目がきらきらしていた。こいつ、戦闘狂の気があるな。
「……手加減してくれるなら」
「しない」
「だよな」
明日もまた、痣が増えそうだ。
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