第4話 魔素が使えない? なら体で覚えろ
目が覚めると、見慣れない天井があった。
一瞬どこだかわからなくて、それから昨日のことを思い出す。崖から落ちた。山小屋にたどり着いた。ガンリュウという名の老人に泊めてもらった。
窓の外が明るい。朝日が差し込んでいる。寝過ぎた。
慌てて起き上がると、右足首にまだ鈍い痛みが残っていた。包帯は昨夜自分で巻いたが、なかなか雑な出来だ。
「起きたか」
小屋の入口にガンリュウが立っていた。手には水の入った桶を持っている。朝の水汲みらしい。この人、何時に起きたんだ。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。あの、そろそろ帰り──」
「飯を食え。話はそれからだ」
有無を言わさない口調だった。
出されたのは粗末な朝食。固いパンと干し肉のスープ。だが空腹だった俺には十分すぎるごちそうだった。
「昨日の話の続きだ」
食べ終わった俺を、ガンリュウが真正面から見据えた。
「お前の周りの魔素が薄い理由を調べたい。外に出ろ」
小屋の裏に、開けた平地があった。修行場というには狭いが、大人が二人で素振りをするには十分な広さだ。
ガンリュウが俺の前に立った。
「手を出せ」
言われるまま右手を差し出すと、ガンリュウがその手首を掴んだ。骨張った指だが、握力が尋常じゃない。老人の手とは思えなかった。
しばらく目を閉じて、何かを測るように黙っている。
「……思った通りだ。お前の体は魔素を溜められない。吸い込んでも片っ端から周囲に散らしている。いや、散らしているというより──消しているな」
「消してる?」
「お前の体を通った魔素が、希薄になって出ていく。水がザルを通り抜けるようなものだ。だからレベルが上がらない。周囲の魔素も薄くなる」
なるほど。だから息を吸っても何も入ってこない感覚がしたのか。
スキル【不運】の正体は、魔素を溜められない体質──というか、魔素を消す体質。
「つまり俺は、一生レベルが上がらないってことですか」
「通常の十分の一以下だろうな。魔法も使えん。魔素を蓄積できないんだから当然だ」
わかってはいた。わかってはいたが、改めて言葉にされると胃のあたりが重くなる。
「……それでも、戦えるようになりたいんです。三年後に、編入試験を受けたい」
ガンリュウは腕を組んで、しばらく黙っていた。
長い沈黙。虫の声が聞こえる。朝なのにもう暑い。汗が背中を伝う。
「魔法が使えないなら、体で覚えるしかない」
ガンリュウがそう言って、小屋から一本の木刀を持ってきた。使い込まれて表面がツルツルになっている。何年、いや何十年も振り続けた木刀だ。
「お前がこれを百回振って、一回でも俺の木刀に触れられたら、弟子にしてやる」
それだけ聞くと簡単そうに思えた。百回振って一回だ。確率一パーセント。
甘かった。
ガンリュウが構えた。
木刀を片手で、だらりと下げている。隙だらけに見えた。
俺は木刀を握って、正面から振り下ろした。
──気づいたら地面に転がっていた。
「え?」
「一回目」
何が起きたかわからない。振り下ろした木刀が、いつの間にか弾かれていた。手がしびれている。ガンリュウは元の位置から一歩も動いていない。
「次」
二回目。横から振る。弾かれた。
三回目。下から突く。弾かれた。
四回目。フェイントを入れてみる。弾かれた。
十回目。息が上がる。一度も触れられていない。
二十回目。腕が重い。木刀を握る指が痺れて感覚がない。
三十回目。足がもつれて転んだ。不運じゃない、単純に体力の限界だ。
「立て」
「……はい」
四十回。五十回。もう振るというより、棒をふらふら持ち上げているだけだった。
六十回目で膝をついた。
「立てるか」
「立てます」
立った。嘘だ。足が震えている。視界がぼやける。
七十回。八十回。もう数えている余裕もない。ガンリュウの木刀は一度も見えなかった。ただ振るたびに弾かれて、そのたびに体が揺れる。
九十回。
体が限界だった。腕が上がらない。でもあと十回。あと十回で──
「九十八、九十九──」
最後の一振り。
もう技も何もない。ただ、振った。全力で。体ごとぶつかるつもりで。
木刀が空を切り──ガンリュウの木刀に触れることなく、勢い余って俺は顔面から地面に突っ込んだ。
「…………」
百回。一度も触れられなかった。
完敗だ。顔面が土まみれで、口の中がじゃりじゃりする。
「だめ……でしたか」
「だめだな」
ガンリュウがあっさり言った。
終わった。弟子にはなれない。起き上がろうとしたが、体が動かない。魔素切れか。いや、俺の場合はただの体力切れだ。
「ただ──」
ガンリュウの声が降ってきた。
「百回全部振り切ったのは、お前が初めてだ」
顔を上げた。ガンリュウは木刀を肩に乗せて、少しだけ口角を上げていた。笑った、のか? この人が?
「普通は五十回で逃げる。体力のあるやつでも七十で倒れる。百回振る馬鹿は初めて見た」
「……馬鹿って」
「褒めている」
褒めてるのかそれ。
「明日も来い。朝、日が出る前に」
俺は土に突っ伏したまま、その言葉を反芻した。
明日も来い。
帰れ、じゃない。明日も来い。
「……やっと、断られなかった」
声が掠れていた。
疲労で笑う気力もないのに、口元だけが勝手に笑っていた。
どのくらい倒れていたかわからない。夕陽が山の稜線に沈みかけた頃、なんとか体を起こした。
すると、小屋の方から足音が聞こえた。ガンリュウではない。もっと軽い、速い足音。
「祖父ちゃーん! 帰ったよー!」
黒髪の少女が山道を駆け上がってきた。俺と同い年くらいだ。和風の上着に洋風のブーツという変わった格好をしている。背中に木刀を背負っていた。
「あれ。──祖父ちゃん、この人だれ?」
少女がガンリュウと俺を交互に見る。
「弟子だ」
ガンリュウが短く答えた。
弟子。今、弟子って言った。俺は正式に弟子になれたのか。
「弟子!? 祖父ちゃんが弟子取ったの!? 嘘でしょ!?」
少女が目を丸くして俺の顔を覗き込む。近い。
「は、はじめまして。カイト・フォルトナで──うわっ」
挨拶しようとして立ち上がった瞬間、痺れた足が折れて、少女の方に倒れ込んだ。
少女が咄嗟に避けた。重力が変わったような不思議な動きだった。俺だけが地面に突っ伏する。本日二回目の顔面着地である。
「……なにこいつ」
「カイトだ。不運らしい」
「見ればわかるけど」
少女が呆れた顔で俺を見下ろしている。
「あたしはレイナ。レイナ・ハヤセ。このおじいちゃんの孫」
ハヤセ。ということは、ガンリュウ・ハヤセ。
この老人の本名すら、俺はまだちゃんと知らなかったのだと気づいた。
「──で、あんた本当に弟子になったの? 祖父ちゃんが弟子取るなんて、あたしが知る限り初めてなんだけど」
ガンリュウは答えず、小屋の中に入っていった。
レイナが不満そうに頬を膨らませる。
「ちょっと祖父ちゃん! 説明!」
返事はなかった。
代わりに小屋から声だけが聞こえた。
「カイト。飯にするぞ。足が動くなら入って来い」
二日目の飯。
今度は師匠の小屋で、孫弟子つきだ。
俺の修行が、本当に始まる。
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