第3話 師匠が見つからない
レオがいなくなって、三日が経った。
村は驚くほどあっさり日常に戻った。畑を耕し、家畜の世話をし、井戸端で世間話をする。勇者がいた興奮なんて、もう遠い話だ。
俺だけが、取り残されたみたいに焦っていた。
朝起きて、走る。
村の外れにある丘を三往復。息が切れて膝に手をつく。たった三往復で、だ。
昼は父さんの農作業を手伝いつつ、合間に木の棒を振る。剣の代わりだ。見よう見まねで振っているだけだから、フォームも何もあったもんじゃない。
夜は村の集会所にある本棚で、冒険者の教本を読み漁る。数冊しかないし、中身も「魔法の基礎」ばかりで俺の参考にはならなかった。
一週間。二週間。一ヶ月。
毎日走って、棒を振って、本を読む。繰り返す。
だが──レベルが上がらない。
この世界の人間は、呼吸するだけで周囲の魔素を取り込んで成長する。寝ているだけでも少しずつレベルは上がるはずなのだ。
俺のレベルは、覚醒の儀から一ミリも動いていなかった。
「おかしくないか、これ……」
独り言が増えた。レオがいないと話し相手がいない。
村の同い年の連中は、覚醒の儀の後それぞれの道に進み始めていた。C級【火魔法】のやつは隣町の魔法塾に通い始め、D級のやつらも職業訓練校の準備をしている。
俺だけが、何にも属さず村に残っている。規格外のハズレに、門戸を開いてくれる学校はない。
二ヶ月目。
丘を五往復できるようになった。棒の素振りは一日五百回。体力はついてきた。
でもレベルは変わらない。
魔素の吸収量が異常に少ないことには薄々気づいていた。周りの子が一日で吸収する量を、俺は十日かけても吸収できていない気がする。気がする、というか、体感でわかる。息を吸っても、何も入ってこないのだ。
空気だけ吸って、魔素が素通りしていく感覚。
「はぁ……」
夕暮れの丘に座って、ため息をつく。
王都では今頃、レオがエリートの同級生たちに囲まれて勉強しているんだろう。【勇者】のスキルを磨いて、どんどん強くなっているに違いない。
対して俺は──丘を走って棒を振るだけ。
差が開く一方だ。
「カイト、飯だぞー」
父さんの声が聞こえた。振り返ると、畑の向こうで父さんが手を振っている。
「今日はなんか元気ないな。飯食えよ、飯」
「……食う」
うちの父さんは単純だ。困ったら飯を食え。悲しくても飯を食え。だいたいの問題は飯を食ったら解決する、というのが持論である。解決しないこともあると思うけど、まぁ腹が減っては戦はできないのは確かだ。
食卓で、ぽつりと切り出した。
「師匠を探しに行きたい」
「師匠?」
「魔法が使えないから、武器で戦う方法を教えてくれる人を探す。この村にはいないから、街に行かないと」
「ふーん」
父さんは味噌汁を啜りながら、特に驚いた様子もない。
「いつ行くんだ」
「明日」
「朝飯は食ってけよ」
許可というか、興味がないのか、信頼なのか。たぶん全部だ。
「お弁当作ってあげるから、早く寝なさい」
母さんも平常運転だった。この家の人間はみんな肝が据わりすぎている。
翌朝。弁当を持って、隣町に向かった。
フォルトナ村から歩いて半日。小さいが商人や冒険者が立ち寄る町だ。
冒険者ギルドの掲示板を見て、引退した冒険者や武器の師範を探した。片っ端から声をかける。
「すみません、弟子入りさせてください」
「スキルは?」
「【不運】です」
「……悪いな、坊主。うちは魔法が使えるのが前提なんだ」
一人目、断られた。
二人目。
「規格外? 聞いたことないな。面白いけど、教えるメリットがない」
三人目。
「ハズレスキルの面倒を見てる暇はねぇよ」
四人目、五人目、六人目。
全員断られた。
理由はさまざまだが、結局のところ同じだ。魔法が使えない弟子を取っても仕方がない。当然の反応だった。この世界の戦い方は魔素が基本なのだから。
日が傾き始めた。弁当はとっくに食べた。
俺は町を出て、帰路についた。違う道を通れば他に誰かいるかもしれないと思い、山沿いの道を選んだ。
これが間違いだった。
「うわっ──」
山道の石に足を取られた。
バランスを崩し、斜面に体が傾く。掴めるものを探して手を伸ばしたが、指が掴んだのは枯れた草で、当然のように千切れた。
そのまま、転がった。
斜面を転がり、崖を滑り落ち、枝に引っかかり、また落ちる。
永遠に感じた数秒の後、背中からどさりと地面に叩きつけられた。
「いってぇ……」
全身泥まみれ。擦り傷だらけ。弁当箱は斜面のどこかに消えた。母さん、ごめん。
幸い骨は折れていないようだが、右足首がじんじんする。捻ったかもしれない。
最悪だ。山の中で一人、日が暮れかけ、足を痛めた状態。不運にもほどがある。
「また不運が発動したか……」
自嘲気味に呟いて、周囲を見回した。
──小屋があった。
崖の下、木々に囲まれた小さな平地に、古びた山小屋が建っている。煙突から白い煙が上がっていた。誰かいる。
足を引きずりながら近づく。戸口は開いていて、中から木を削る音が聞こえた。
「すみません……道に迷って、崖から落ちまして……」
中にいたのは、白髪の老人だった。
小柄だが、背筋がまっすぐ伸びている。手元では何かの木彫りを削っていた。鋭い目がこちらを見上げる。
「……ひどい格好だな」
「よく言われます」
老人は俺を一瞥すると、木彫りに視線を戻した。
完全に興味を失った目だ。門前払いの気配がする。でも、足が痛い。せめて少しだけ休ませてほしい。
「あの、少しだけ──」
「なんだ、お前。弟子入り志願か」
見抜かれた。木刀の擦り傷と教本のインク汚れが手についていたのかもしれない。
「……はい。師匠を探してるんです。今日だけで六人に断られました」
「そうか。七人目も断る。帰れ」
やっぱりか。
でも、何かが引っかかった。この人は最初に「スキルは何だ」と聞いてこなかった。町の冒険者たちは全員、まずスキルを聞いた。
「スキル、聞かないんですか」
「興味がない」
老人は木彫りを削り続ける。ゆっくりと、迷いのない手つきで。
「一応言っておくと、【不運】です。規格外の」
老人の手が止まった。
初めてまともに俺の顔を見た。それから目を細めて、何かを探るような顔をした。
「……お前、周りの魔素が薄いな」
「え?」
「お前の周囲だけ、空気の密度が違う。まるで魔素が遠ざかっているような──」
老人が立ち上がった。思ったより背が高い。俺に近づいてきて、手を俺の肩に置いた。
沈黙が長い。
「名前は」
「カイト・フォルトナです」
「フォルトナ村か。遠くから来たな」
「崖から落ちてきました」
老人が鼻で笑った。
それから、小屋の奥を指さした。
「水と包帯がある。足を手当てしろ。──今日は泊まっていけ」
断られると思っていたから、一瞬言葉が出なかった。
「あ、ありがとうございます。あの──お名前は」
「ガンリュウだ」
その名前に聞き覚えはなかった。
この時の俺は、この出会いが三年間の全てを変えることになるなんて、想像もしていなかったのだ。




