第9話:「ちょっと待った!」的なお話
店先の重いドアが開き、俺は振り返った。
そこには、長いローブを羽織った、痩身の男性が立っていた。
目深に被ったフードの影で表情はよく窺えないが、その全身から、微かだが独特な圧のようなものが感じられる。
「その卵の価値は、金貨三十枚どころじゃないはずだぜ、親父さん」
男は低い声でそう言うと、ゆっくりと店の中へ足を踏み入れた。
その声には、聞き覚えがあった。いや、忘れるはずがない。俺をこの世界に「気まぐれ」で呼び出した、あの最初の魔道士だ。
(げっ、あいつか……!)
俺は思わず身構えた。呼び出された時の理不尽な対応が頭をよぎる。まさか、こんなところで再会するとは。しかも、大事な商談の最中に。
しかし、俺の警戒をよそに、驚いたのはむしろ商人の方だった。
商人は、入ってきた男の姿を見るなり、額に大量の脂汗を浮かべ、揉み手をしながらカウンターから飛び出してきたのだ。
「こ、これはこれは! ヴェリウス様ではありませんか! まさかご自身でこのような狭苦しい店にいらっしゃるとは……!」
(ヴェリウス様? ここの店主と知り合いなのか?)
ヴェリウスと呼ばれた魔道士は、商人のへりくだった態度を気にする様子もなく、カウンターの上に置かれた黄金の卵を、まるで鑑定するようにじっと見つめた。
「とぼけるなよ、親父さん。その卵、伝説の『オーラムバード』の卵だろ? しかも、この輝きと魔力の純度……産みたてほやほやの極上品だ。市場に出れば、貴族や高位の聖職者が、目の色を変えて奪い合う代物だぞ」
魔道士はフードの奥で目を光らせ、商人を睨みつけた。
「それを、右も左も分からぬ新米冒険者を言いくるめて、たった金貨三十枚で買い叩こうなんざ、商人として名折れじゃないか? あんたの目利きは信用していたんだがな」
商人は「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げ、手巾で額の汗を拭った。
「め、滅相もございません! 決して騙そうなどと……ただ、相場が極めて不安定な品ですので、リスクを考慮しまして……」
「言い訳はいい。適正価格で取引しろと言っているんだ」
魔道士の言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。商人は完全に萎縮している。どうやら、この魔道士はこの町で相当な実力者か、あるいはこの商人が頭の上がらない立場にいるらしい。
商人は観念したように溜息をつくと、俺に向き直った。
「わ、分かりましたよ。ヴェリウス様の顔に、泥を塗るわけにはいきませんからな……。こちらも商売上がったりですよ、全く」
商人は金庫を開け直すと、ジャラジャラと追加の金貨を取り出した。
「分かりました。では、金貨六十枚。これでどうですかな? これ以上は、うちの利益が飛びますんで、勘弁してください」
金貨六十枚!
俺は耳を疑った。三十枚でも破格だと思っていたのに、さらに倍まで跳ね上がったのだ。日本円に換算していくらになるのか見当もつかないが、銅貨数枚で生活していた俺にとっては、一生遊んで暮らせるのではないかと錯覚するほどの大金だ。
(この魔道士、俺を助けてくれたのか……?)
俺はチラリと魔道士の方を見たが、彼は腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らすだけだ。
「わ、分かりました。金貨六十枚でお願いします」
俺がそう告げると、商人はホッとした様子で、重みのある革袋に金貨を詰め込み、俺に手渡した。
ずしりとした重みが、手のひらに伝わる。これが、俺の初めての「稼ぎ」だ。
「毎度あり。……次は適正価格で買いますから。今後もご贔屓に」
商人の恨めしそうな視線を背に受けながら、俺は店を後にした。
◆◇◆
店の外に出ると、夕暮れの空気が少し冷んやりとしていた。
魔道士ヴェリウスも、俺に続いて店から出てきた。
俺は立ち止まり、彼に向かって頭を下げた。
「あの、助かりました。あなたが口添えしてくれなかったら、金貨三十枚で売ってしまうところでした」
俺の言葉に、ヴェリウスは足を止め、フードを少しだけ上げた。そこには、整ってはいるが、どこか神経質そうな壮年の男の顔があった。
「礼には及ばん。私は、不当な取引を見るのが嫌いなだけだ。それに……」
彼は俺の顔をじっと見つめた。その視線は、最初に俺を呼び出した時の無関心なものとは違い、探るような、それでいて感心したような色が混じっていた。
「改めて名乗ろう。私は魔道士のヴェリウスだ。以前、私の研究室に呼び出した時は、すまなかったな。正直、お前のことを見くびっていた」
「え?」
「詫びさせてくれ。ただの異世界人、たいしたスキルを持たぬ一般人だと思っていたが……どうやら私の目は節穴だったようだ」
ヴェリウスはそう言うと、大袈裟に肩をすくめた。
俺は首を傾げた。見くびっていた? いや、俺は実際、ただの元会社員なのだが。スキルもたいして強くない。
俺が何か言う前に、ヴェリウスは一人で納得したように頷き、語り始めた。
「この短期間で、お前がどれほど血の滲むような努力をしたか……言わなくても分かる」
「えっと、いや、そんな大したことは……」
「謙遜するな! 『鑑定』せずとも、私レベルになれば、対峙しただけで相手の魔力容量の増大が分かる。お前、レベルが一気に上がっているな? それも、短期間でレベル10まで」
確かにレベルは10になった。だが、それはヒーの目玉焼きを少し食べただけであって、努力の欠片もない。
「それは、まあ、色々ありまして……」
「『色々』か⋯⋯。きっと、大変なことをやってのけたのだろう」
ヴェリウスは、俺のリュックを指差した。
「入手ランクS、伝説の怪鳥『オーラムバード』の卵。それを入手することがどれほど困難か、私には痛いほど分かる」
いや、俺自身も分かっていない。ヒーが勝手に産んだだけだ。
「あの鳥は、警戒心が極めて強く、人里離れた秘境の断崖絶壁や、凶暴なモンスターが集う場所にしか巣を作らないと言われている。しかも、その巣には強力な幻惑魔法がかけられている、とも言われているんだぞ。一千年以上生きていると言われている、オーラムバードを実際に見た者はいない、仮に見た者は命を落とす、とすら言われているんだぞ?」
いや、俺はまだ生きているよ。それに、なんだか「言われている」とか、人から伝え聞いたような話ばっかりなんだな⋯⋯。
「そ、そうなんですか。でも、俺の場合はちょっと事情が違って……」
「分かっている、分かっているとも!」
ヴェリウスは俺の言葉を遮り、感極まったように熱弁を振るい始めた。彼の瞳は、勝手な妄想でキラキラと輝いている。
「お前は、その類稀なる『ハーモニー』というスキルを駆使し、モンスターたちの情報を集め、更には凶暴なモンスターたちを手なづけ、道なき道を切り開き、断崖を登り、そしておそらくは……オーラムバードとの死闘、あるいは高度な知能戦を制して、その卵を手に入れたのだろう」
「い、いや、違います! 俺はただ……」
「とてつもない知恵! 強靭な体力! そして何より、獲物を仕留めるまで待ち続ける鋼の忍耐力と精神力! どれか一つでも欠けていれば、その卵を手にすることはできなかったはずだ!」
ヴェリウスの声が次第に大きくなり、道ゆく人々が、何事かと振り返る。俺は恥ずかしくなって身を縮めた。
彼は完全に自分の世界に入り込んでいる。俺の否定など、彼の耳には届いていないようだ。
「素晴らしい……。異世界から来たばかりの若者が、これほどのポテンシャルを秘めていたとは。やはり私の召喚術に狂いはなかったのだ」
いや、あんた「気まぐれで呼んだ」って言ってたじゃないか。しかも、銅貨数枚を餞別にして。
ヴェリウスは満足げに頷くと、俺の肩をバシッと叩いた。
「お前ならなれるかもしれないな。俺ですら手の届かなかった『大魔道士』の境地に。それとも、その強靭な精神力を活かして、刀を極めた『剣聖』にでもなるか?」
「いや、俺はただ平穏に暮らしたいだけで……」
「ふっ、また謙遜を。決して驕ることのない、謙虚な姿勢って奴か。頑張れよ、若者。また何か困ったことや、売りたい道具なんかあれば、いつでも声をかけてくれ。私はこの町で待っているからな」
続けて、こう言った。
「魅せてくれよ、お前のこれからの生き様を」
そう言うと、ヴェリウスは背中越しにひらりと手を振り、颯爽と去っていった。
夕日に照らされたその背中は、何故だか知らんが、無駄にかっこよかった。
俺は、重たい金貨の袋を握りしめたまま、その背中を見送った。
「……何一つ合ってねえよ」
(まあ、いいか。金貨六十枚も手に入ったことだし)
盛大な勘違いをされたまま放置された俺は、夕焼けに照らされていた。




