第49話:曇りのち、
雲が太陽を遮り、テラスに落ちる影が少しだけ濃くなった。
聖騎士となったオルドランは重い口を開いた。
「頼みの前に話しておきたいことがあります。……隣国の村『フルール』。かつてそこは、名もなき野の花々が一年中咲き誇る、美しい村でした。ですが、火炎の竜の炎はすべてを焼き尽くした。家々だけでなく、彼らが何世代にもわたって慈しんできた土壌までをも、です」
オルドランの声は、騎士団長としての強さよりも、一人の人間としての痛みに満ちていた。
「村人の命を救うことはできました。今は王都で一時的に避難しています。ですが、王都の宿舎で肩を寄せ合う彼らの瞳には、かつての光は失われてしまっているのではないか、そう思ってしまうのです。家は王国が支援して建て直せますが、失われた『心の安らぎ』……彼らにとっての日常を象徴していたあの花々は、すぐには戻りませぬ。今の私の力でさえ、焼土に花を咲かせることはできないのです」
彼は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
「ヤマダ殿。無理を承知でお願いしたい。絶望の淵にいる彼らに、あの『黄金の庭』を見せてはいただけないだろうか。あの光景なら……彼らの凍てついた心を、わずかでも溶かせるのではないかと思うのです」
俺は少しの間、考え込んだ。
ここは俺だけの場所じゃない。ヒー、フー、ミーたちの場所でもある。みんなの意見も聞きたい。
だが、俺が答えるより先に、背後からふわりと温かい風が吹いた。いつの間にか遊びから戻っていた三人が、俺たちの話を聞いていたらしい。
俺は彼女たちに向き直り、声をかけた。
「みんな、どうかな。オルドランさんが、隣国の村の人たちをここに呼びたいって言ってるんだ」
「お花、見たいの?」
ミーが不思議そうに首を傾げると、隣に立つヒーが静かに頷いた。
「ええ、いいんじゃないかしら。……フー、あなたはどう思う?」
フーは俺を見て穏やかに微笑んだ。
「うん。僕も見に来てほしいな」
「わーい、決まり! ミーもみんなと一緒にお花を見る!」
ミーが嬉しそうに飛び跳ねて賛成すると、場の空気がふわりと和んだ。
俺は彼女たちの真っ直ぐな言葉に頷き、オルドランさんに承諾を伝えた。
すると、彼は安堵したように息を吐き、さらに真剣な表情を深めて付け加えた。
「ありがとうございます。……それと、ヤマダ殿。実は、もう一つだけ頼みがあります。ですが、これは条件付きの頼み。彼らがこの場所で再び前を向くことができた時、改めてお話しさせてください」
「分かりました。俺たちにできることなら協力しますよ」
俺の言葉に、オルドランは深々と頭を下げた。
◆◇◆
数日後。森の静寂を破るように、ゆっくりと馬車の車輪が回る音が聞こえてきた。
俺たちは拠点から少し離れた高台から、その様子を見守ることにした。
馬車から降りてきたのは、隣国の村人たちだった。
子供の手を引く母親、杖をつきながら歩く老人。彼らの表情は一様に暗く見えた。
事前にオルドランから聞いた話によると、村人たち全員がオルドランの提案に賛同してくれたようだったが、心の傷はまだ癒えていないように思えた。
カイルたち騎士団員が、足の不自由な人を背負ったり手を引いたりしながら、優しく彼らを誘導していく。
すると、彼らが森の小道を抜け、あの斜面に差し掛かった瞬間――。
「わあぁ……っ!」
誰かが、抑えきれない声を上げた。
それは遠く離れた俺たちの高台にまで届くほどの叫びだった。
彼らの視線の先には、風に吹かれて波打つ黄金の海があった。
たんぽぽに似た黄色い花々が、太陽の光を吸い込んで自ら発光しているかのように輝いている。かつて、フーの魔力を受けて爆発的に増えたその花々は、今や斜面全体を埋め尽くす「奇跡」となっていた。
「綺麗……お母さん、お花だよ!」
一人の子供が、母親の手を離して駆け出した。
母親は慌ててそれを追おうとしたが、足元に広がる柔らかな黄金の色に目を奪われ、その場に膝をついた。
別の老人に目をやると、一輪の花をそっと撫でていた。
この花には、フーの「慈しみ」の魔力が宿っている。ただ美しいだけでなく、見る者の心を穏やかにする力が、そこには確かに存在していた。
うつむいていた人々が、一人、また一人と顔を上げる。
灰色の記憶が、鮮やかな黄金色に塗り替えられていく。
遠くからでも分かった。彼らの頬に、ほんのりと赤みが差し、枯れていた瞳に光が戻っていくのを。
「よかった⋯⋯」
フーが小さく呟いた。
絶望に染まっていた人々が、花を見て笑っている。その光景は、何よりも尊いものに思えた。
◆◇◆
それから一週間後。オルドランが再び一人で拠点を訪れた。
「ヤマダ殿、皆さん。改めて感謝を。村人たちは皆、あの日以来、見違えるほど前向きになりました。『もう一度、自分たちの手であの色を咲かせたい』……そう口にする者まで現れました」
オルドランは、かつてないほど清々しい表情で、あの日伏せていた「もう一つの頼み」を切り出した。
「ヤマダ殿、あの日お伝えした『頼み』を聞いていただけますか。……もし、もし村人たちがこの場所で希望を取り戻し、自らの手で再び歩もうとしたならば……その時は、この花の『種』を、彼らに分けてはいただけないでしょうか」
俺はみんなを見ながら答えた。
「彼らが望むなら、俺は構いませんよ」
俺が頷くと、フーはあらかじめ用意していた小さな袋を差し出した。
オルドランはそれを大切に受け取り、感慨深げに目を細めた。
「ありがとうございます。……実は、あの日花を見た村人たちが、口々にこう呼んでいたのです。焼土の絶望を照らし出す、『黄金の灯火』だと」
「黄金の灯火……。村の人たちが、そう呼んでくれたんですか」
「ええ。それともう一つお話があります。以前、私がお渡しした種を調査していた植物学者にこの花を見せたところ、驚愕しておりました。元々は既存の種であったはずが、この地で全く異なる性質を持つ『新種』へと進化したのだと。そして、その名を聞いた国王も、村人の思いを汲んで、正式にその名で登録することを決められました。そして、この花は『友愛の象徴』として、両国の友好の証に隣国へ寄贈されることが決まりました」
俺は隣にいるフーを見た。
ただひたすらに愛情を注いで守ってきた存在が、いつしか黄金の庭となり、いつの間にか人々の心に希望を灯す光になっていた。
「良かった。オルドランさんも色々とありがとうございました」
「私は大したことはしていませんよ。ヤマダ殿、この花はきっと、隣国でも力強く咲き誇るでしょう」
オルドランを見送った後、俺たちは再び、自分たちの庭を眺めた。
雲が流れ、柔らかな陽の光が再び庭を照らし出す。風に乗って、いくつかの綿毛が空高く舞い上がっていく。
いつの日か、この森を越えた先にある隣国の村にも、この黄金の灯火と人々の笑顔が広がっているはずだと、俺は確信した。




