第47話:Golden Rule
賑やかな酒場の喧騒が、夜の深まりとともに少しずつ落ち着きを見せ始めていた。
机に突っ伏して眠ってしまった河瀬さんと、上機嫌で語り疲れた中村さんを横目に、隣に座っていたヴェリウスが俺に向き直って話しかけてきた。
「……ヤマダ。正直に言おう。私はお前という男と、その『ハーモニー』というスキルを完全に見誤っていたようだ」
ヴェリウスが、いつになく真剣な表情で口を開いた。手元の酒杯をじっと見つめる彼の横顔には、どこか呆れたような、それでいて感心したような色が混じっている。
「え、見誤っていた……ですか?」
「ああ。お前のことを、最初はただのお人好しが過ぎる無害な男だと思っていた。だが、今日ここでこいつらの話を聞いて確信したよ。お前の無自覚な善意が、この世界の理を少しずつ変えていたということにな」
俺は思わず頭を掻いて返事をした。
「いや、そんな大層なことじゃないですよ。俺は周りの人に恵まれていただけなので。それに、ヴェリウスさんには、あの時卵を売った金貨の件でも、本当に感謝しています」
俺がそう言うと、ヴェリウスは鼻で笑った。
「フン、あの程度の金、お前が救った命の価値に比べれば端金だ……だが、そうだな。そんなこともあったな」
彼は少しだけ目を細め、懐かしそうに呟いた。
「お前が関わってきた人々、そしてそいつらが影響を受けて行動した結果は、もはや計り知れないものになっている。お前がいなければ、救われなかった命も、生まれなかった笑顔も沢山あるはずだ。お前のスキルは、ただ魔物と仲良くなるだけのものでは決してなかった……お前自身の在り方が、よく分かったよ」
魔道士として、この世界の理に詳しいはずの彼からの言葉は、驚くほど重く、そして温かく響いた。
「……何だか、買い被りすぎな気がします。俺はただ、のんびり暮らしたいだけですので……」
「その『欲のなさ』こそが、お前の最大の武器なのかもしれんな。いいだろう、お前のこれからを、私もここから楽しく見させてもらうぞ」
「はは、何も出ないですよ、そんな期待されても」
俺たちは顔を見合わせて笑みがこぼれた。かつては気難しい魔道士と怪しい余所者だった関係が、いつの間にかこうして肩を並べて笑い合える「友人」と呼べるものになっていたことが、純粋に嬉しかった。
やがてお店の閉まる時間になり、俺たちは腰を上げた。
俺と黒田さんは、完全に酔っ払っている河瀬さんと中村さんを介抱しながら会計へ向かう。
支払いの際に、俺は黒田さんに言った。
「あ、ここは俺が出しますよ。ヴェリウスさんから預かっていた金貨もまだありますし……」
「いやいや! ヤマダさん、それはダメです!」
俺の言葉を遮る黒田さん。彼は酔いも冷めたようなしっかりとした足取りで俺の前に立った。
「私たちが勝手に押しかけて、こんなに騒いだんです。ここは私たちに出させてください。それに、河瀬さんも起きたらきっと『恩人に奢らせるなんて!』って怒りますから」
「でも、皆さんはこれから旅を続けるんでしょう? お金は必要ですし……」
元社畜としての悲しき性か、どうしても「奢られる」という行為に恐縮してしまう。食い下がろうとする俺の肩を、黒田さんがガッシリと掴んだ。
「ヤマダさんとはまた絶対に飲みたいですから。その時にぜひお願いします。今度はヤマダさんが奢ってください。だから今回は、お願いします」
そんなふうに真っ直ぐ言われては、これ以上断るのも野暮というものだ。
「……わかりました。じゃあ、お言葉に甘えます。本当にありがとうございます」
俺が照れながら引くと、黒田さんは満足そうに頷き、懐から小銭入れを取り出した。そこで彼が取り出したのは、鈍い光を放つ銀色の硬貨だった。
「はい、これで」
「……え、黒田さん。それ、銀色の硬貨……ですか?」
俺の呆けた問いかけに、黒田さんが「え?」と動きを止めた。
「そうですけど。……銀貨ですよ。もしかして、ヤマダさん、銀貨を見るのは初めてですか?」
「あ、いや……金貨と銅貨以外にあるのを、今知りました……」
俺の衝撃の告白に、黒田さんだけでなく、後ろで見ていたヴェリウスまでが「おいおい」と額を押さえた。
「ヤマダさん、あなた今までどうやって買い物をしていたんですか……?」
「ええと……この間も、普通に金貨を……。でも、お釣りは出なかったですよ?」
「……この村で、金貨を使ったんですか?」
黒田さんの顔が引き攣っている。
「ええ、何か変でしたか?」
「お店の人は戸惑っていなかったですか?」
「うーん、特には。笑顔で受け取ってくれましたけど……」
俺が記憶を辿りながら答えると、黒田さんは深い溜息をついた。
「ヤマダさん……それ、たぶんヤマダさんを、王族か貴族の関係者か何かだと勘違いされて、きっとお釣りは『チップ』として受け取られたんですよ。この小さな町の酒場や商店で金貨1枚なんて、売上の数日分、下手をすれば1ヶ月分に近い価値があります」
「ええええええっ!? そんな……!」
頭が真っ白になった。あの時のパン屋も、雑貨屋も、俺が愛想笑い(という名の営業スマイル)で金貨を差し出したのを「残りは取っておけ」という貴族の振る舞いだと解釈したのか。
なんて勿体ないことを……。いや、お店の人が喜んでくれたならいいが、あまりにも相場を知らなすぎた。
「金貨1枚って……銀貨何枚分なんですか……」
「銀貨100枚で金貨1枚ですね。宿代なら銀貨1枚で十分お釣りがきます。ヤマダさん、これは早急に両替しておきましょう。僕が持っている銀貨と交換しましょう! たまたま銀貨いっぱい持ってますので」
黒田さんは親切にも、俺の持っていた金貨1枚を、100枚の銀貨に両替してくれた。ずっしりと重くなった銀貨の袋をリュックに入れる。
「ありがとうございます……。めちゃくちゃ重くなりましたけど、安心感がすごいです」
「あはは、これで明日からはちゃんとお釣りをもらってくださいね」
その後、俺たちはヴェリウスに別れを告げ、一行が泊まっている宿へ向かった。
「ヤマダさんは、今日はどこに泊まるんですか?」
「まだ決めてなかったんですけど……」
「なら、僕らと同じところに泊まりませんか? まだ空きはあるはずですよ」
黒田さんの誘いに乗り、俺はその晩、彼らと同じ宿に部屋を取ることにした。
河瀬さんと中村さんは、それぞれの部屋に着くなりベッドに沈没していった。別れ際に「また明日」と言える関係が、とても心地よかった。
部屋に入り、ようやく一息つくと、リュックの中からヒー、フー、ミーが順番に這い出してきた。
「『安心安全』だったでしょ?」
ヒーが何事もなかったかのように、机に飛び乗る。
「はあ……本当にびっくりしたよ。ヒーがあんな棒読みで喋り出すとは思わなかったし」
「これくらいは修羅場とは言えないわね」
「……うん、まあ、何事もなく良かったよ。ありがとう」
俺が苦笑いしていると、ミーが俺の膝の上に飛び乗ってきた。
「ヤマダー、さっきのチキンおいしかったねー!」
「この流れで、その発言はやめてね?」
「えー? おいしかったよー?」
そんなミーを、ヒーは微笑ましく見守っている。
「それに楽しかったー! あんしんー、あんぜんー♪」
ミーが部屋の中で跳ねながら、例のメロディーを口ずさむ。カオスな一日だったが、不思議と疲れよりも充実感の方が勝っていた。
「まあ、今日はここに来てよかったな」
窓の外、静まり返った町の夜景を眺めながら、俺は深い眠りについた。
◆◇◆
翌朝。澄み渡るような青空の下、俺は宿の入り口で、旅立つ4人を見送っていた。
「それでは、ヤマダさん。本当にお会いできて良かったです。……次は王都で待ってますから」
河瀬さんが、昨日までの泥酔が嘘のような、凛とした表情で言った。
「ヤマダさん、また今度会ったら一緒に冒険行きましょう! 案内します!」
中村さんが元気いっぱいに手を振り、黒田さんも力強く頷いた。
「また飲む約束ですからね、ヤマダさん。次は奢ってくださいよ」
「ええ、もちろんです。皆さんも道中、気をつけて」
河瀬さんがスッと手を差し出してきた。
俺は一瞬戸惑ったが、すぐにその手をしっかりと握り返した。
「またどこかで」
「ええ、またどこかで」
そのそばでは、シスター姿の女性が「マリア様! 置いて行かないでください!」と河瀬さんにしがみついている。どうやら彼女も一緒に連れて行くことに決めたらしい。
賑やかな一行が、朝日が差し込み始めた石畳の道を歩き出す。
俺たちは、その背中が小さくなるまで見送った。
彼らの広げた翼は、この先どんな困難があったとしても、折れることも溶けることもないと信じて。




