第22話:Pay Back
屋敷の門をくぐったところで、俺の足は止まった。
開け放たれた玄関の向こうから響いてくるのは、怒号と、それを受け流す冷淡な声だ。
「お願いだ、おじさん! お金がないんだ、生活がこれっぽっちも上手くいかないんだよ!」
「どうしたらいいんだよ、あんたが俺たちを呼んだんだろう!? 責任を取ってくれよ!」
「そうよ、せめてもっとお金をちょうだい! あの時もらった銅貨なんかじゃ、宿代と数日分の食事で全て使ってしまったわ!」
そこには、男女三人の冒険者たちがいた。
一瞥しただけで、俺の胸の奥にざらりとした感覚が広がる。彼らに見覚えがあったからだ。
この世界に転移した直後、彼らを見かけていた。俺は、彼らとは距離を置いて違う道を歩んでいたが、彼らはやる気に満ち溢れていた。
この新しい異世界への興奮。未知の魔法やスキルへの驚き。これまでの退屈な日常を塗り替えてやるという、純粋なまでの熱意。
かつての俺も、「社会」という名の戦場に放り出された新入社員の頃は、あんな瞳をしていたかもしれない。
だが、今の彼らはどうだ。
服はボロボロで、泥に汚れているように見えた。
生活への拭いきれない不安。思い通りにいかない焦り。そして、何かに縋らなければ明日も見えない絶望。
かつての輝きは消え失せ、そこにあるのは、現実に打ちのめされた者特有の、濁った焦燥感だけだった。
「……残念ながら、私に融通できる手持ちはない。それに、知恵を絞り工夫をすれば、やっていけるはずだ」
魔導師の声は、相変わらず冷たかった。
この男、俺には以前『ヴェリウス』と名を名乗ったが、彼らには名乗ってすらいないらしい。
単なる「気まぐれ」で呼び出した転移者への、底知れない無関心が透けて見える。
突き放すようなその言葉に、リーダー格の男が食ってかかる。
「工夫なんてしてるよ! だけど、ギルドで受けられる依頼なんて、今の俺たちの装備じゃ危険すぎるんだ! せめて、せめて武器や防具を整える金さえあれば……!」
「ギルドで任務を受ければ生活には困らんはずだ。それ以上のことは知らん」
「俺たちの道具じゃ死ぬんだよ! あんた、手持ちがないなんて嘘だろ! 最初の装備くらい融通しろよ!」
「ない。帰ってくれ」
「嫌だ、帰らない! なんとかするまで、ここを動かないぞ!」
堂々巡りの議論。いや、議論ですらない。
俺は植え込みの陰で、思わず自分の財布を確認した。
中には、前回の取引で得た金貨が残っている。だが、今日の買い物で質の良いリュックや、ヒー、フー、ミーの三人のための道具や備品、俺の予備の衣類などを新調したため、当初の六十枚からはそれなりに減っていた。
それに、この金貨は、俺だけのお金じゃない。ヒー、フー、ミー……みんなとこれから豊かに暮らしていくための大切な資金だ。
同じ世界から来た彼らが不憫だからといって、今の俺たちの生活を脅かしてまで、手持ちのすべてを渡すわけにはいかない。
しかし、俺は無下に去ることもできなかった。
彼らの言い分はわかる。そして同時に、ヴェリウスの立場もわかる。
何より彼には、商人にオーラムバードの卵の適正価格を突きつけてくれた恩がある。あの口添えがなければ、今の俺の余裕はなかっただろう。
彼への借りを返しつつ、彼ら三人の「明日」を劇的に変える。そのために必要なのは、気休めの端金じゃない。
彼らがこの世界で、胸を張って再スタートを切れるだけの確かな資本。
(今の俺たちの生活資金を守りつつ、あいつらを助けるにはどうしたらいいか。そうだ、これなら――)
俺は背中のリュックに意識を向けた。
「なあ、ヒー。相談なんだが……」
「あら、聞こえていたわよ。あの人間たちの嘆きが」
リュックの隙間から、ヒーが冷静な声を返してくる。
「ヒーの卵、まだ手元に二個あるよな。一つは換金したけど……。もう一つ、あの商人に売っても大丈夫か?」
「構わないわよ。そんなことかしらと思ったわ」
「いいのか? 貴重な卵なのに」
俺の心配に、ヒーはくすくすと笑った。
「そんなことはないわ。私にとって、卵を産むなんて気持ちの問題よ。その気になれば、いくらでも産めるわ」
「いくらでもって……それはそれで凄まじいな」
「それに、あの卵はもう、あなたにあげたもの。あなたがどう使おうと、私は文句なんて言わないわ。もしまた必要になれば産んであげるし。それに、誰かのためなんでしょ? 好きになさいな」
ヒーの寛大な言葉に、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「恩に着るよ、ヒー」
よし、と俺は決意を固めた。
まずは、彼らが自立できるための「確かな資金」を、しかるべき場所で作らなければならない。
(……挨拶は、後だ。まずはあいつらの『人生』を歩み始めるために必要な分を、作ってこよう)
俺は屋敷の玄関を遠巻きに眺めながら、静かに門の外へと引き返した。
目指すのは、黄金の卵を正当に評価してくれた、あの商人の店だ。
「みんな、悪いな。寄り道が一つ増えた」
「いいよー! ヤマダーが決めたなら、ミーはどこへでも行くー!」
「ヤマダは優しい⋯⋯」
「まったく、あなたらしいわね」
背中から伝わる温もりに支えられながら、俺は再び、活気溢れる町の中心部へと足を速めた。
ヴェリウスが連れてきた異世界での暮らし。そして、彼が俺に示してくれた粋な計らい。
今度は俺が、ヴェリウスのために、そして同じ異世界にやってきた彼らのために、何かをしてあげる番だ。
俺はそう信じて、新調したリュックを背負い直し、石畳を力強く蹴った。




